第30話 蝕む悪意
AMF関東第三支部、中央塔10階。
司令室に詰める隊員達は、不吉な不自然現象にざわついていた。
「木並駅周辺では、依然として激しい気圧の乱れが生じています」
突如発生した超低空の嵐。
状況を報告する青柳の額には汗が浮かぶ。
「周囲に設置した観測機器からの通信、受信できません」
「十中八九、デリートだろうな」
深いため息をつく佐原。
「また神代隊員に偵察してもらいますか?」
「放っておけ。偵察中に敵前へ突っ込む馬鹿に用は無い」
佐原に一蹴され、桃谷は迷いながらも携帯端末を置いた。
「未だ対策の糸口も掴めぬまま、デリートの再来を許してしまいました。
……奴の目的も不明ですし、我々にできることなんてありませんよ」
数々の械獣を分析してきた紫村だったが、観測データを封じられては手も足も出ない。
「とにかく今は、観測可能な遠距離から奴の出方を監視するしかない。
木並駅から半径10km以内の避難指示も継続だ」
「了解」
何が起こっているのか分からない。
でも、AMFとしてやることが無い。
事態は緊迫しているのに、何も行動できないもどかしさ。
司令室にジメジメした不安感が立ち込める。
「唯一の手がかりは覇龍院嶺華だ。岡田の聴取で有益な情報が聞き出せればいいが」
「岡田補佐官に任せてしまって大丈夫でしょうか? 基地内で暴れられたらデリートの監視どころではありません。一刻も早い殺処分を提案します」
「一晩は待ってやってもいい。
…………それで成果が無ければ、明日の夜は迎えさせんさ」
青柳の神経質な声を聞き流した佐原は、自席の椅子に深く腰を沈めた。
◇◇◇◇◇◇
「……はぁっ……はぁっ…………」
鋼板に囲まれた部屋。
殺風景な空間に響く生暖かい吐息。
夏の蒸し暑さからは隔絶された地下は、地上と比べるとひんやりと涼しい。
しかし、部屋の中心だけは熱気と湿気に包まれていた。
「熱いっ…………体がっ、はぁっ、あつい…………」
ベッドに伏せる少女の顔は、熱湯で茹でられているかのように赤い。
おまけに彼女の体は頑丈なベルトで縛り付けられている。
弱々しい力で藻掻いても、併発する関節痛を悪化させるだけだ。
「く…………あ…………痛……い…………」
少女はピントの合っていない瞳で天井の蛍光灯を見上げ、苦しげなうわ言を繰り返す。
汗でびっしょりと濡れた手術衣と毛布は、まるで川に落ちたかのような有様だ。
「わたくし、はっ、何でっ…………あつ……い…………」
もう何度目か分からない呟き。
高熱に侵された脳では、思考はたちまち霧散する。
朦朧とする少女の視界の端で、重厚な扉が開いた。
「よお、元気になったか?」
隔離部屋に颯爽と入ってくる男達。
偉そうに先頭を歩くのは、AMF補佐官の岡田だ。
「……なにを……わたくしに、何を打ったんですのッ…………!!」
嶺華は必死に呂律を回しながら岡田を睨みつける。
「疑似ウイルス兵器、V-105だ。効くだろう?」
「ぎじ……ウイルス…………ですの……?」
恐る恐る聞き返した嶺華に対し、岡田は丁寧に解説した。
「体内に入ってから1時間ほどで発症。発熱などの症状を引き起こし、放置すれば24時間であの世行き。どうだ? 素敵なプレゼントだろう?」
「な…………」
唖然とする嶺華は、ゆっくりと時間をかけて男の言葉を飲み込んでいった。
己を蝕むモノの正体を理解していくにつれ、少女の全身から気味の悪い汗が噴き出す。
「死にたくないか?」
蒼白になった嶺華の顔に、岡田がずいっと顔を近づける。
「安心しろ。この疑似ウイルスには中和剤がある」
岡田が目配せすると、隣に立っていた白衣の男が再び銀色のケースを取り出した。
ケースを開くと、透明な液体に満たされた試験管が顔を出す。
午前中に注射した液体とは別物だ。
「もし君が我々に協力してくれるなら、親善の印にこの中和剤を打ってやってもいいぞ」
試験管を手にちらつかせ、にやにやと笑う岡田。
「ふッ、ふざけないでくださいましッ! …………ぐ……」
嶺華は脅迫まがいの提案を拒むように、声を張り上げた。
すると今度は頭痛まで併発したのか、左手でこめかみを押さえながら歯を食いしばる。
「我々のために前線で戦え、と言っている訳じゃない。
君がどこから来たのか、君のアームズや、君自身の体がどういう原理で動いているのか…………ちょっと話してくれるだけでいいんだ。それだけで君の命は助かる。悪い話じゃないだろう?」
岡田の語り口は、親身になって契約を持ちかける営業マンのようだ。
「最近は我々も対処しきれない械獣が増えてきてね。
君のような得体の知れない者に頼ってでも、対抗手段を開発しなければならないのだよ」
手を組んで悲しそうに目を伏せる岡田だが、上がった口角を隠す気は無い。
械獣少女の生殺与奪権を握っている状況が可笑しくてたまらないといった様子だ。
「我々人類のため、君の力を貸してほしい」
岡田は握手を求めるように左手を差し出した。
ここが非武装の外交の場だったなら、少女が手を取る可能性もあったかもしれない。
しかし、向けられたのは銃口と注射針だけ。
少女の答えは一つだった。
「絶っっ対にお断りですの!!!」
嶺華は力の入らない左手を辛うじて持ち上げ、岡田の手を振り払った。
その目には敵意だけが灯っている。
「脅すしか能のない……性根の腐った外道共なんて、勝手に滅んでしまえばいいですわ!」
息苦しさを押し殺し、ドスの利いた汚言を吐き捨てる嶺華。
岡田は予想通りとばかりに、腰に手を当ててため息をついた。
「自分の命よりプライドか。強情な奴だなぁ…………」
そう言うと岡田はいきなり手を伸ばし。
「械獣のくせに意地張ってんじゃねえぞこら!!」
嶺華の黄金色の髪を鷲掴みにした。
「このままだと死ぬんだぞ! 分かってんのか! あぁ!?」
丁寧な交渉人から暴力団員のような口調に豹変した岡田は、少女の耳元で声を荒げる。
「離しなさい…………ッ」
「知っていることを話せ。我々に協力すれば助けてやると言ってるんだ。もちろん、怪我の治療もしてやる」
「嫌だと、言ってますのッ!!」
嶺華は首を振って逃れようとしたが、その髪がさらに強い力で引っ張られる。
「君は馬鹿だな! アームズが強くても頭が弱い。『ヴァルガイア』と一緒だな」
「ッ!?」
ヴァルガイア、という言葉を出すと、少女の反応が変わった。
その変化を見逃さなかった岡田がほくそ笑む。
「あのデカいドラゴンは君の仲間なんだろう? 脳筋同士気が合うのか?」
「どういう意味ですの!?」
挑発に乗ってしまった嶺華に対し、畳み掛ける岡田。
「デカい図体の割に動きは鈍かったしなあ。頭の体積が小さいんだろうな、きっと」
「な…………」
「だが心配するな。君がアームズとドラゴンの操作方法を喋ってくれたら、我々が無駄なく使ってやるからな」
もはや協力ではなく、隷属。
岡田は単に口を割らせるだけでは飽き足らず、精神の屈服にまで欲を出していた。
熱で頭が回らない嶺華なら、高圧的に説き伏せるだけで言う事を聞かせられるかもしれない。
だが、少女の反応は岡田が望むものではなかった。
「…………許しませんの」
「ああ?」
「わたくしだけでなく、ヴァルガイアまで愚弄したこと…………後悔させてやりますの!」
少女が噛みしめるのは、怒り。
左手の拳をぎゅっと握りしめ、掠れた喉に鞭を打つ。
「龍之逆鱗! 装動ッ!」
力強く叫んだ直後、嶺華の胸の中心が淡く輝いた。
「なんだ!?」
肋骨を割るように亀裂が生まれ、中から黒いタールのような液体が溢れる。
小さな結晶の混ざる液体は生き物のように顫動し、少女の胸からじわじわと広がっていく。
「こいつッ! アームズを纏う気か!?」
慌てた岡田は脇に立つ男から自動小銃を奪い取ると、嶺華の頭蓋に銃口を突き付けた。
「動くな! 今すぐ止めないと撃つ!」
「銃弾如きでわたくしを殺せるとでもッ!」
沸き立つ液体が鎧を形作り始める。
人外じみた肉体変化に、慄く部下の男達。
岡田が自動小銃の引き金に指を掛ける。
だが、その指を引く必要は無かった。
「…………んぅぐッ!??」
黒い液体の噴出がぴたりと止まった。
結晶たちは亀裂の中に逆流し、嶺華の胸に顕現した空裂はすぐに霧散。
代わりに、少女の喉から熱が湧き上がる。
「がはッ!! げほッ…………ゲホッ…………」
白いシーツが真っ赤に染まった。
装動の失敗。
今の嶺華の体力では、薄いアームズすら纏うことができなかった。
反動で傷口が開いたのか、お腹に巻かれた包帯からも赤黒い染みが広がっていく。
「ええ……大口叩いといてそれかよ??」
肩を上下させながら困惑する岡田。
部下の男達も引きつった表情を浮かべている。
「冷や汗かかせやがって…………驚かせるなよッ!!」
岡田は、自動小銃のストックで少女に殴りかかった。
「ッ……!」
嶺華は左腕をふらふらと持ち上げてガードを試みる。
初撃は腕で防御した。
しかし、岡田は容赦なく追撃。
少女の顔面目掛け、真正面から硬いストックが飛んだ。
「がぁッ!!」
整った顔へクリーンヒット。
少女の鼻に鋭い痛みが走り抜け、反射的に涙が溢れた。
ぽたぽたと垂れる鼻血が、手術衣に斑点を描いていく。
「ふぐっ……くぅ…………」
「調子に乗るんじゃねえぞ化け物!」
岡田の怒鳴り声が部屋に響く。
部下たちは止めることなどせず、にやにやと笑っていた。
密室の嘲笑。
身動きの取れない少女は、歯をカチカチと震わせながら呟く。
「…………殺す」
「ん? 声が小さくて聞こえないぞ?」
煽るように耳に手を当てる岡田に対し、嶺華はキッと目を剥いた。
「力が戻ったらあなた達を真っ先に殺してやりますの!!!」
唾と血を撒き散らしながら吠える嶺華。
飛沫が岡田の小奇麗なジャケットを汚す。
「あ! 私の一張羅が! …………ちっ、分かったよ」
舌打ちした岡田は、白衣の男に呼びかける。
「おい。お嬢様は中和剤より、おかわりをご希望だそうだ」
白衣の男は中和剤が入ったケースを閉じると、別のケースを取り出した。
蓋を開けると、中和剤と同じように試験管が収められている。
内容液の色は、濁った白色。
「……………………え」
それを視認した瞬間、嶺華の表情がフリーズした。
「械獣だもんな。一本じゃ物足りなかったんだろう?」
昼前に注射されたのと同じ薬剤。
自らに迫る悪夢を理解した途端、少女の顔に浮かんだ怒りは怯えに変わった。
「ま、待ってくださいまし!」
「械獣でも毒やウイルスが効く奴もいるんだな。いい勉強になった。このデータは是非有効活用させていただこう」
嶺華の声を無視し、部下に目配せする岡田。
完全武装の男二人によって、嶺華の体はまたしても固定される。
今度こそ抵抗する力は残っていなかった。
「離……せ…………ッッ!!」
充填を終えた注射器が左腕にあてがわれる。
「やめなさいッ!! やめッ…………やだやだッ! …………うああああッ!!!!」
虚しい悲鳴を上げる嶺華の皮膚を、太い針が貫いた。
「ぎ…………あ…………」
発熱で痛む体が強張り、ショックで舌を噛みそうになる嶺華。
「2かい…………は」
「やばいだろうな」
疑似ウイルス兵器とやらに用法用量があるかは知らないが、注射器2本分の量を短時間に注入するのが極めて危険なのは明らかだ。
痛みよりも恐怖が上回っているのか、嶺華は呆然と肌に突き立てられた針を見つめる。
「君は本当に馬鹿な奴だな。我々に協力すれば普通に助けてやったのに」
「はっ、はぁっ、黙れ…………いづッ!!」
濁りきった液体が全て注入され、またまた乱暴に引き抜かれる注射針。
嶺華の左腕はぷるぷると震えていた。
「明日の朝、もう一度来る。もし君に我々への忠誠心が目覚めたら、その時は中和剤を打ってやるからな。朝までよく考えて、我々に話すことを整理しておくのをおすすめする」
そう言い残すと、岡田達はスタスタと部屋を出ていく。
「はぁ……代えのジャケットあったかな…………」
閉まる扉の向こうから、岡田のため息が聞こえていた。
「わたくしが、死ぬ………………」
男達がいなくなった瞬間、嶺華の口から不安げな声が漏れた。
「ふざけるなですの…………ぅあ……くぅ…………」
恨み言を吐く余裕もない。
体の内外から痛みの波状攻撃。
五感をまとめあげる思考は高熱でかき消され、止まらない汗が毛布を濡らす。
「っ…………、」
少女は血に染まった枕に顔を埋め、意識を手放した。