第29話 堕チル龍
ガシャガシャと音を立てながら、重厚な扉が開く。
AMF関東第三支部、地下8階。
基地に勤務する隊員の大多数が存在を知らない場所。
鋼板に囲まれた無機質な隔離部屋の中に、4人の男が入っていく。
うち2人の手には黒い自動小銃。
防弾防刃服、厚底の軍靴、ヘルメットという完全武装の出で立ちだ。
後ろをついて歩くのは白衣の男。
彼は銀色の台車を押している。
医療器具でも入っていそうだが、医者の回診にしては同行者が物騒すぎる。
そしてもう1人、偉そうな革靴の男が口を開いた。
「やあどうも、初めまして。私はAMF補佐官の岡田という者だ。短い付き合いだがよろしくな」
彼が話しかけた相手。
部屋の中にぽつんと置かれたベッドで臥せっていたのは、黄金色の髪を持つ少女だった。
「…………何の用ですの?」
「君に少し興味があってね。私とおしゃべりしようじゃないか」
「はぁ……?」
体を起こした嶺華に対し、完全武装の男達は素早く自動小銃を構えた。
2つの銃口が嶺華の頭蓋に突きつけられる。
「……これが話をする態度ですの?」
嶺華は銃口を指差して抗議したが、自動小銃が下げられることはない。
「まあまあ、このくらいの無礼は許してくれよ。君に聞きたいことを色々メモしてきたんだ。……早速だが、話を聞かせてもらおう」
「お断りしますわ」
不信感をマックスに募らせた嶺華は即答した。
「おや、どうしてだい?」
「貴方達がヴァルガイアを傷つけたこと、わたくしは許していませんの。恩知らずな方々に協力する気などありませんわ」
はっきりと言い切った嶺華に、説得する余地は無い。
「なるほど。確かに君は色々知っていそうだが、陣内補佐官の言う通り、協力的ではないようだ」
岡田は目の前の少女に拒絶されても尚、余裕の笑みを崩さない。
まるで、最初から説得する気など無かったように。
「ご理解いただけたのなら、さっさとここから出してくださいまし。こんな貧相な設備では治る傷も治りませんの」
お腹の傷をちらりと見た嶺華が恨めしそうに要望する。
その発言は、自力で扉を破壊できないことを暗に宣言していたが。
「まあそう慌てるな。親睦の証に、私からプレゼントがあるんだ…………おい」
岡田が白衣の男に声をかける。
頷いた男は銀色の台車の蓋を開け、白いアタッシュケースのようなカバンを取り出した。
金属の留め金がパチンと外され、蓋が開く。
中に入っていたのは、ガラスの試験管と注射器だった。
試験管の中には、白く濁った液体が密封されている。
「慎重にやれよ」
白衣の男は外科医が使うようなゴム手袋を装着した。
試験管の栓を注射針で貫き、岡田に指示された通り丁寧に注射桿を引く。
かなり太い針なのか、ドロドロと粘性の高い液体は簡単に注射器の中へと移された。
「……なんですのそれ?」
訝しむ嶺華の質問は無視し、岡田は武装した男達に指示を出した。
「よし、固定しろ」
「「はっ」」
武装した男達は自動小銃を降ろすと、ベッドの下を覗き込んだ。
天板の裏に取り付けられていたのは、茶色いベルト。
男達は慣れた手つきでベルトを引き出すと、ベッドの上を一周させた。
自動車のシートベルトのように、座する少女を巻き込んで。
「え?」
カチリという音と共に、ベルトの先端が天板の反対側に挿入された。
足、腰、胸の位置に3本。
嶺華はベッドに縫い付けられた格好になった。
ただの人間の膂力では、合成繊維で編まれたベルトを引き千切ることなど不可能。
加えて、岡田は慎重な姿勢を崩さなかった。
「ベルトだけでは固定が甘い。しっかり手でも抑えるように」
「「はっ」」
指示に従い、男達がベッドの縁から嶺華を押さえる。
1人は両肩を、もう1人は腰をがっしりと掴んだ。
「なッ!? 触らないでくださいまし!」
驚く嶺華は左手で男の腕を掴むが、弱った体に振りほどく力は無い。
ベッドの反対側に回り込んだ岡田が左手首を掴み、少女の腕を引き剥す。
「離しなさい! 何のつもりですの!?」
「大人しくしてろよ」
岡田はもう片方の手で嶺華の下顎を鷲掴みにすると、少女の頭を枕に押し付ける。
「ぅぐッ…………!」
腕も顔も固定され、いよいよ身動きが取れなくなる嶺華。
何とか身を捩ろうとするも、すぐに苦しそうな表情を浮かべる。
無理な力の入れ方は、お腹の傷口に響くのだろう。
「ん……む…………ぅぅ……」
動きを止めた嶺華の前を、尖った針が横切った。
「ッ!?」
濁った液体で満たされた注射器が、少女の柔肌に迫る。
「…………まさかそれを、わたくしに? いらないですわ!!」
抗議する嶺華だったが、肩から手首までがっしり押さえられた左腕に逃げ場は無い。
白衣の男は無防備な肌を擦ると、左腕の青白い血管に狙いを定めた。
「待ちなさいッ! それは何の薬ですのッ!?」
「やれ」
「了解」
従順な岡田の部下は、少女の体に容赦なく注射針を向ける。
「やめッ……」
神経を傷つけるほどの勢いで、極太の針が突き刺された。
「痛ッッ……づッッッ!!!!」
少女の想像を遥かに上回る、激痛。
反射的に仰け反りそうになる嶺華だが、男達の手によってすぐにベッドへ押し返される。
「ッッ…………ぐッ……あァ…………!!」
「おいおい、急に動くと針が折れるかもしれないだろ」
「こ……の…………」
嶺華は涙目で岡田を睨んだが、悪態をつく余裕は無い。
注射桿が押されると、少女の体内にひんやりと冷たい感触が流れ込んできた。
「ひぁッ!? ……うッ…………」
体を戒められた嶺華は、謎の液体が入ってくるのをただ見つめることしかできない。
最後の一滴まで注入された直後、注射針が勢いよく引き抜かれる。
「いッッ!!?」
太い針が刺さっていた傷口からは、赤い血がどろりと溢れた。
「ふーッ……ふーッ…………わ、わたくしに、はぁッ、何を打ったんですの!?」
「すぐに分かるさ。身をもってな…………へへ」
上ずった嶺華の声を聞き、にやにやと笑いながら手を離す岡田。
部下の男達もベッドから離れ、ようやく嶺華の拘束が解かれる。
「ぁ…………く…………」
戒めが無くなっても、嶺華は体を起こすことができなかった。
歯を食いしばり、左腕に残るびりびりとした痺れに耐える。
「よし、ひと仕事終えたところで昼飯の時間だな。行くぞ」
「「はっ」」
呑気な岡田の一言で、武装した男達の緊張が緩んだ。
白衣の男も手袋を外し、役目を終えた注射器をケースに仕舞う。
彼らは、本当に液体の投与だけが目的だったようだ。
「飯食ったらまた来る。それまでに、おしゃべりの話題を考えておいてくれよな」
岡田はそう言い残すと、颯爽と部屋を出ていった。
部下の男達も後に続く。
入室時と同様に、複雑な音を立てながら鋼鉄の扉が閉まった。
「ぅ…………本当に何なんですの、これ…………?」
肩で息をする嶺華は、固く閉ざされた扉を不安そうに見つめていた。
◇◇◇◇◇◇
午前11時半、木並駅前。
いつもの日曜日なら大勢の人が行き交うはずの駅前広場だが、今日は人っ子ひとりの姿も無い。
綺麗に敷き詰められていたレンガは無秩序に散乱し、剥がれ落ちた駅舎の外壁が瓦礫の山を築く。
まるで何十年も放置されたかのような風景。
しかし、廃墟と呼ぶには生々しい、蹂躙の爪痕が残されている。
黒焦げた車、真っ二つに折れた街路樹、あちこちに付いた赤黒い染み。
駅前広場には、死の匂いが充満していた。
ゆらり。
曇天の下、大気が歪む。
瓦礫の山を包み込むように霧がかかる。
倒壊したビルの陰で、異次元の門が静かに開く。
ぬるり。
音もなく、霧に紛れて降り立つ人影。
身長2メートルの異形は、頭の先からつま先まで、青みがかった銀色。
その右手に握られているのは、半透明の長剣。
柄の先端に取り付けられた六角柱の結晶が、淡く妖しく輝いた。
「サテ、あまり遠クに逃げテなけれバいいガ」
デリートは、長剣を避雷針のように掲げた。
天を見上げる姿は、祈りを捧げる神官の如く。
「アナライズソードの最大出力ダ」
デリートの声に反応し、六角柱の結晶はさらに輝きを増してゆく。
光の色はピンクから始まり、徐々に鮮やかな虹色へ。
その時、生ぬるい風が駅前広場を吹き抜けた。
風は瓦礫の上を流れ、黒い煤と白い粉塵を一緒に巻き上げる。
北から、東から、南から、西から。
長剣の先に吸い込まれるように四方から集まった風は、やがて白黒入り混じる渦を作った。
渦は回転の速度を上げながら、円盤のように水平方向へと広がっていく。
急速に発達した渦は、まるで超低空に生じた台風だ。
「フンッ!」
デリートが一際高く長剣を突き上げると、渦の中央がカッと開いた。
水面に波紋が広がるように、渦の中央から半透明の穴が広がっていく。
舞い上がる塵の向こうに見えたのは、真っ暗な異次元の星空。
地表を照らす太陽光を遮り、巨大な空裂がぽっかり開いた。
空裂の中心には、1本の剣が浮かんでいる。
銀色の刀身。
纏うは紫電。
擦れ合う粉塵と共に火花を散らしていたのは、主を失った機械大剣だった。
「安心シロ。スグにオマエの主を見つけてやるカラナ」
重力が支配する地表と、重力から解放された空裂の世界。
本来ならば地面に落下するはずの機械大剣は、地表20メートルの高さを維持したまま浮遊している。
星空が剣を引き寄せているのか、あるいは、剣が星空へ戻ろうとしているのか。
いずれにしろ、地球の引力と剣の力は釣り合っている。
「…………解析カンリョウ」
モノクロの嵐の中心にて。
彷徨う龍の剣と、半透明の長剣が対峙した。
「目覚めヨ、真ナル龍」
デリートが呟くと、六角柱の結晶が一際強い輝きを放つ。
すると、星空の彼方で流星が瞬いた。
一つ、二つ、三つ、四つ、いや、数え切れないほど多数。
機械大剣に向かって、凄まじい速度で飛来する光。
みるみる近づくにつれ、その輪郭が明らかになっていく。
光の正体は、地球上には存在しない金属で構成された装甲。
だが光は、黄金色の少女を彩る鎧ではなかった。
人体とはスケールが異なる巨大な骨格。
獰猛な膂力を操る機械の血肉。
流星は、爪であり、牙であり、龍そのものであった。
遥々地表へと舞い降りた数多の装甲が、滞空する機械大剣への周りに集う。
装甲は稲妻を振り撒きながら連結を始めた。
脚が、腕が、巨大なアギトが。
機械大剣を中心に、立体パズルのように組み上がってゆく。
「…………美しイ」
感嘆を吐いたデリートの前で、黒鉄の獣が大地に降りる。
地を踏みしめるのは、一対の竜脚。
前傾姿勢のまま二足で直立する巨体。
飛翔することなど微塵も想定していない、刺々しい鋼の翼。
脚と同様に、長く鋭利な鉤爪を擁する剛腕。
何層にも折り重なった装甲に覆われ、白と黒のコントラストに彩られた胴体。
シャープに尖った頭部の大顎は鰐のように突出し、鋭い牙がギラギラと並ぶ。
そして龍の額では、頭部と一体化した機械大剣の刀身が天を見上げていた。
グォォォォオオオ!!!
咆哮にも似た吸気音が背部装甲から轟き、巨体の全身へとエネルギーを漲らせる。
「サア、オマエの主を迎エに行コウ。
サア、オマエの主を処刑シヨウ」
男性とも女性ともとれるデリートの合成音声が、歌うようにその名を呼んだ。
「『次元鎧龍 スラクトリーム』!!!!!」