第28話 敵か味方か
地上へ戻るエレベーターの中。
「あんな嶺華さん、想像もしてませんでした」
唯の心に蟠るのは、無力感だ。
どれだけ固く拳を握りしめても、嶺華の痛みを和らげることはできない。
「嶺華さんがあんなに傷ついてるのに私、何もしてあげられないなんて」
思い悩む唯の様子を見て、美鈴は意外そうに首をかしげた。
「唯ちゃんがそんなに気にすることかしら?」
「……嶺華さんはもう、赤の他人じゃないから」
握った右手を見つめる唯。
「私は、嶺華さんに助けられたから……嶺華さんのおかげで、ここにいるんです」
脳裏に焼き付いた記憶を呼び起こす。
6月30日、土砂降りの雨の中。
絶望しかけた唯の前に、彼女は現れた。
嶺華が現れなかったら、唯はとっくに死んでいる。
「強くて、かっこよくて、そんな嶺華さんに憧れて」
デリートに襲われた時も、ジルガッタに殺されそうになった時も。
凛々しい少女は助けてくれた。
思い馳せる度に、唯の胸の奥から不思議な熱がこみ上げてくる。
「私は嶺華さんを疑いたくない。私に剣を向けたのも、きっと何か事情があるんです」
「…………」
美鈴は黙って耳を傾けていた。
「アームズのこと、龍型械獣のこと。私はまだ、嶺華さんのことを何も知らないから」
エレベーターが止まり、扉が開く。
空っぽの部屋に歩み出た唯は、自分の気持ちを確かめるように力強く言った。
「だから私、嶺華さんのことをもっと知りたい。嶺華さんが戦う本当の理由を、嶺華さんの口から聞きたいんです!!」
大怪我を負い、弱りきった嶺華。
本当の意味で彼女を助けるには、今の唯では力不足だ。
嶺華の本心を知り、理解してあげること。
それが唯の望みだ。
「……そう。唯ちゃんの考えは分かったわ」
美鈴も唯の言葉に頷いてくれた。
「事情を聞き出すべき、というのは私も同感よ。彼女の持つ情報は、人類が械獣に打ち勝つヒントになるかもしれないわ」
「ですよね! だったら一刻も早く嶺華さんには元気になってもらわないと!」
体も心もボロボロになった嶺華が立ち直るにはかなりの時間を要するだろう。
それでも、唯は彼女に再び立ち上がって欲しい。
「次に嶺華さんの所へ行くときは、差し入れで料理でも持って行こうかな……」
唯は前向きに励ましの方法を考え始めた。
「っていうか、あんな殺風景な病室じゃリラックスできませんよ。違う部屋に移してあげたらどうですか?」
地下の隔離部屋は短時間滞在するだけでも息が詰まる。
可能なら、外の景色が見える部屋が良いと思う。
しかし、美鈴は悩ましそうに首を振った。
「それが叶うかどうかは、司令や上層部の判断次第ね」
「判断? 嶺華さんの回復を待って、械獣を倒すために力を貸してもらう。それが最善策でしょう?」
「……まだ私にも分からないわ」
佐原や岡田の顔を思い浮かべる唯。
……急激に不安になってきた。
彼らが嶺華を快く思っていないことは間違いない。
お茶菓子でおもてなし、という穏健な展開にはならないだろう。
「この後、彼女の処遇について会議があるの。疲れてる所悪いけれど、唯ちゃんも出席できるかしら?」
「もちろんです!」
嶺華の待遇がかかっているとなれば、休んでなんていられない。
唯は美鈴と共に、駆け足で司令室へと向かった。
◇◇◇◇◇◇
「それでは作戦会議を始める」
時刻は午前10時。
司令室には2人の補佐官と3人のオペレーター、そして各班の隊員達が一堂に会していた。
「我々の目下最大の目標は、デリートと名乗る人型械獣だ」
佐原は大型モニターに映し出されたデリートの画像を睨みつける。
遠くから撮影したためか、画像の解像度は粗い。
しかし画面越しでも伝わってくる不気味な雰囲気に、隊員たちは唾を飲み込んだ。
「昨日はまず、ドルゲドスが木並駅を襲撃。その後、覇龍院嶺華と名乗るカミナリ装者が出現し、ドルゲドスを破壊しました」
オペレーターの青柳が、隊員達に向けて昨日の状況を説明する。
「さらにその直後、デリートが出現。今度はデリートが覇龍院嶺華を戦闘不能に追い込んだのです」
戦闘不能、と聞いて歯噛みする唯。
唯の介入がなければ、嶺華はあのまま殺されていただろう。
「まさか、攻略不可能と思われたカミナリ装者がこうもあっさり倒されるとは」
「ドルゲドスを撃破し、油断していたのでしょうか」
「いえ、私はドルゲドスの出現までがデリートの仕業だと考えています」
械獣の分析を担当するオペレーター・紫村が考察する。
「ドルゲドスにデリート。2体の同時出現が偶然とは思えません。覇龍院嶺華をおびきだすため、デリートがドルゲドスを放ったのではないかと」
「械獣を操る械獣……奴らにも指揮系統があるということか?」
「あくまで推測の域を出ませんが」
「…………」
今までに経験したことのない事態。
この場にいる誰もが答えを持っていない。
「我々の戦力だけでは手に負えないほど強力な械獣の連続出現。械獣を送り込んでいる犯人がデリートなら、デリートを倒さない限り、ジリ貧の戦いが続くことになる」
佐原の言う通り、最近の械獣は式守影狼では歯が立たない。
自分ではどうしようもないとはいえ、唯は居心地の悪い気分だった。
「問題は、奴の戦闘能力が未知数ということだ」
大型モニターを見上げる佐原の苛立ちに、司令室の雰囲気が重くなる。
デリートと直接対面した唯は、尚更強い危機感を抱いた。
「この画像を受信した直後、偵察用ドローンとの通信が途絶えました。未だにドローンは回収できていません」
「デリートに接近するだけで携帯端末も使えなくなるそうですね」
紫村たちに見つめられ、頷く唯。
昨日も地下を走っている間、携帯端末はずっと圏外だった。
「偵察用ドローンや携帯端末が利用する通信帯域は違う。それらを全てカバーする広範囲のジャミング……専用設備も無いのに、そんなことが可能なんでしょうか?」
「実現しているのだから、奴の持つ技術なら可能なんだろう」
「うーん、分からないということが分かっただけですね……」
状況を整理しても、対策案に繋がらない。
分析担当なのに答えを出せず、悔しがる紫村。
すると、不意に岡田が口を開いた。
「神代、お前二回も遭遇したのに弱点も何も分からんのか」
「そんなこと言われても……」
岡田の質問は半分くらい嫌味だった。
困窮する唯に、美鈴が助け舟を出してくれる。
「唯ちゃんの報告によれば、デリートは我々と同じ日本語で話しかけてきたと」
「はい。高度な知性を感じました」
よくよく考えれば、出会ったばかりの異国人(?)と同じ言語を操るなんて、人間には不可能だ。
彼が地道に日本語の勉強をしてきたのでなければ、超短時間で1つの言語体系を解析したのだろう。
デリートが人類より高度な文明を持っていることは確かだ。
戦闘能力、知識、文化。
何もかもが不明では、巨大な械獣より恐ろしい。
「デリートの対策を立てるには情報が足りなさすぎる。手がかりは、あのカミナリ装者だ」
嶺華のことが話題に上がり、唯は身構えた。
この場で嶺華の処遇が決まるのだ。
唯としては、嶺華が回復するまで治療を継続してもらいたい。
佐原はまず、今朝の面会について美鈴に尋ねた。
「陣内補佐官、奴の様子はどうだった? 我々に協力してくれそうか?」
「どうかしら。顔見知りの唯ちゃんを連れていってみたけど、素直に協力してくれそうな感じではなかったわね」
「そのために私を連れていったんですね……」
唯を利用して、嶺華の心を開かせようとしていたらしい。
美鈴も案外策略的だ。
「やはり我々の味方はしてくれないか。では奴の身柄の扱いだが…………」
「その件ですが」
佐原の発言を遮り、岡田が割り込んだ。
「彼女について、医療班から報告があります」
岡田が目配せすると、部屋の後方で聞いていた隊員の一人が進み出た。
「運び込まれた少女について報告します!」
少し緊張した様子の隊員が携帯端末を操作する。
大型モニターの画面が切り替わり、表示されたのは嶺華の電子カルテだった。
「腹部および右腕断面からの失血。搬送された時点では、かなり危険な状態でした」
電子カルテには処置の内容だけでなく、彼女の各種検査データが小さな文字でびっしりと書かれている。
「簡易検査の結果、血液は人間と同じAB型であることが分かりました。輸血を行い、現在の容態は安定しています」
人間と同じ。
隊員の発言に少しだけ安心する唯。
「(やっぱり、嶺華さんは私たち人類の味方なんですよ)」
だが、医療班の隊員は強張った表情のまま報告を続けた。
「これを見てください。彼女のCTスキャン画像です」
投影された資料が次のページに進む。
写っていたのは、白黒半透明になった嶺華の身体。
背骨、頭蓋骨、手足の関節まで、何もかも人間と同じだ。
ある一点を除けば。
「こ、これは……」
佐原を含め、会議室の隊員達が一斉に息を呑む。
胸の中央。
握りこぶしのような心臓。
その真横には、通常の人体には存在しない影が写っていた。
心臓を取り囲むように接続された円盤状の人工物。
円の中央には、炉心の如く埋め込まれた立方体。
「そんな……」
唯が今まで破壊してきた、鋼鉄の械獣。
唯が今まで纏ってきた、鋼鉄のアームズ。
それらに共通し、絶大なエネルギーを供給する動力源。
角張ったシルエットには、見覚えがあった。
「…………コアユニット」
騒然とする司令室。
「覇龍院嶺華もデリートと同じ、人型械獣というわけか」
「道理でAMFの装者とは比べ物にならない戦闘能力を持つ訳だ」
「司令! こいつを基地に留保するのは極めて危険です!」
納得したように頷く佐原と紫村に対し、青柳は蒼白な顔で訴えた。
「覇龍院嶺華が力を取り戻したら、基地のどこへ隔離しようが、壁を簡単に食い破って出てくるだろうな」
淡々と語る岡田の言葉に、震え上がる青柳。
佐原は不安そうな隊員たちの顔を見回すと、AMF関東第三支部の司令として判断を下した。
「覇龍院嶺華と名乗る人型械獣は、殺処分とする」
唯は自分の耳を疑った。
この男は今、殺すと言ったのか。
「ちょ、ちょっと待ってください! いきなり殺処分なんておかしいですよ! 嶺華さんを説得して、味方になってもらうんじゃ!?」
とても黙っていることなどできず、佐原に向かって叫ぶ唯。
振り返ると、美鈴が今朝と同じように頷いてくれた。
「確かに性急すぎる気がするわね。デリートを倒すためには、彼女の持つ情報が必要になるわ。処遇を判断するのは説得の結果を見てからでも遅くはないと思うけど」
「おいおい、そんな悠長なこと言ってる場合か?」
そこへ、またしても岡田が口を挟む。
「コアユニットを積んでるんだ。今はたまたま弱ってるが、もし暴れだしたら手がつけられないぞ」
「陣内補佐官、今すぐ覇龍院嶺華が味方になる算段があるか? 奴が襲ってこない保証は?」
「それは……ありません」
佐原に問いただされ、美鈴は黙ってしまった。
「ならば安全の択を取って殺処分としたい。械獣を基地内に招き入れた挙げ句、暴れられて基地を破壊されました、では笑い話にもならん」
冗談めかした物言いに、唯はひどく困惑した。
「暴れるって……嶺華さんは怪我してるんですよ! そんなことするわけないじゃないですか!!」
「相手は械獣ですよ。我々に危害を与える危険な存在です。それは神代隊員がよく知ってるはずでしょう」
紫村は唯を宥めようと発言したが、唯はむしろ焦った。
このままでは、本当に嶺華が殺されてしまう。
「嶺華さんは械獣なんかじゃありません! 血液だって同じ人間だったんですよね!?」
「…………」
唯の言葉に同調する者はいなかった。
味方してくれた美鈴も、これ以上は口を挟んでくれない。
「神代…………お前、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「このCT画像を見たら人間じゃないって分かるだろ!?」
佐原と青柳が怪訝な目で唯を見てくる。
「おかしいのは司令達の方です! いいからさっきの決定を撤回してください!」
「おい神代! お前はそんな偉そうに意見する立場じゃないだろう! 身の程を弁えろ」
「今はそんな問題じゃない!」
岡田の見下すような苦言に、声を荒らげる唯。
「岡田補佐官。唯ちゃんは昨日の戦いの後、ほとんど休めてないのよ。あんまり責めないであげてちょうだい」
「私は平気です!」
美鈴の擁護が余計なお世話にしか聞こえない。
唯は焦燥感を募らせるだけだった。
そんな唯に対し、佐原がため息をついた。
「神代、お前に一日休暇を命ずる。帰って頭を冷やしてこい」
「それがいいと思うわ。今の唯ちゃんに必要なのは、睡眠よ」
「そんな……私は…………」
美鈴にも休めと言われ、言葉を失う唯。
「気にするな。デリートがまた現れても、お前じゃ何もできん」
岡田がひらひらと手を振って煽る。
「神代隊員……」
今まで黙っていたオペレーター・桃谷の心配するような声が決定打になった。
「…………嶺華さんを更に傷つけるなんて、許さないから」
唯はそう吐き捨てると、床を蹴っ飛ばすような足音を立てて司令室を飛び出した。
◇◇◇◇◇◇
「…………唯ちゃん、大丈夫かしら」
「放っておけ。神代の世迷い言に構っている暇はない」
唯が去った後の司令室。
作戦会議は続行していた。
「それより、覇龍院嶺華の処分方法だが」
「司令、私から提案があります」
「何だ?」
岡田が胸を張って進言する。
「覇龍院嶺華の処分は、私に任せていただけませんか?」
「具体的にはどうするのかしら?」
「ちょっと試してみたいことがありまして。もしかしたら、処分する前に敵やアームズの情報を聞き出せるかもしれません」
美鈴の質問に、岡田は意味深な笑みを浮かべた。
◇◇◇◇◇◇
午前11時、神代家。
「あいつら頭どうなってんのよ、全く!」
唯は玄関のドアを力任せに閉めると、肩を怒らせながらソファーに飛び込んだ。
木製の足が悲鳴を上げるように床を擦ったが、全く気にならない。
「はぁ…………せっかく嶺華さんを救えたのに……どうしてこんなことに」
唯の介入により一命を取り止めたはずの嶺華は、基地の地下に閉じ込められてしまった。
それどころか、今度はAMFが命を奪おうとしている。
こんな仕打ちがあっていいのか。
AMFだって、嶺華に借りがあるはずだ。
ドルゲドスの時も、ジルガッタの時も、彼女のおかげで被害を最小限に抑えられたのだ。
その嶺華に対し、恩を仇で返すなんてどうかしてる。
「もう一回司令に直談判しに行くか…………あ」
落ち着いてもいられず立ち上がろうとした時、唯のお腹がぐぅと鳴った。
そういえば昨日から何も食べていない。
気怠い体を引きずるようにキッチンへ向かう。
鍋を一瞥するが、パスタを茹でる気力すら沸かない。
戸棚を開き、スティック型の携帯食料をひったくる。
ガラスのコップに水道水を注ぎ、乾いた喉に流し込んだ。
冷たい水が胃に染みる。
「どいつもこいつも、嶺華さんを械獣扱いしやがって」
味の薄いパサパサした携帯食料を貪る唯。
歯にこびりついた粉を流し込むように水を呷ると、今度は眠気が襲ってきた。
本能に忠実な体に情けなく思いつつ、ソファーに寝転がる。
殺処分するといっても、相手は械獣かもしれない少女だ。
もちろん嶺華は人間だと信じたいが、械獣と同じコアユニットを持つのも事実。
胸に埋め込まれたコアユニットの調査、危険性確認は必要になるだろう。
処分は今日すぐに実行されるものではないはず。
実行までの間、唯が会えるチャンスがあるかは分からないが。
「嶺華さん……もう会えないなんて、あり得ないよね…………」
塞ぎ込んだ嶺華の姿を思い浮かべながら、瞼を閉じる唯。
疲れた体はあっという間に眠りに落ちた。