第2話 装者
狭い部屋の天井から、けたたましい警報が鳴り響く。
机の隅に置いた携帯端末がブルブルと震え、受話器を取れと急かしてくる。
日課の読書にふけっていた唯は顔をしかめ、読みかけのページに栞を挟んだ。
「はぁ……今日こそ休めると思ったのに」
ため息をつきながら携帯端末を耳にあてる。
相手はいつものオペレーターだ。
「はいはいこちら神代」
『こちら司令室。船橋地区にて空裂反応を検知しました。直ちに出撃してください』
「了解。急行します」
骨伝導式のインカムを首に掛けた唯は、携帯端末に音声プラグを差し込む。
これでハンズフリーの通話が可能となるのだ。
空いた手で壁に立てかけた漆黒の短刀を掴み、息の詰まる待機部屋を飛び出した。
広々とした廊下を駆け足で通り抜け、突き当りの鉄扉の前へ。
分厚い扉は固く閉ざされており、扉にはインターホンのようなセンサー機器が取り付けられている。
「認証、神代唯」
センサーに人差し指の腹を押し付けると、ピッという電子音の後に扉がスライドした。
唯が入室すると同時に、天井の照明が点灯する。
窓のない部屋の中には、カプセル型の装置がぽつんと鎮座していた。
表面のハッチを開き、迷わず体を滑り込ませる。
カプセルの中は1畳ほどの空洞になっており、目の高さには格子付きの小窓。
外から見れば、ちょっと広い棺桶が直立しているようだ。
別に唯は吸血鬼ドラキュラごっこがしたい訳では無いのだが。
「こちら神代、位置に着きました」
『了解。空裂投射装置、起動します』
オペレーターの声と同時に、唯が乗り込んだ装置が重苦しい唸り声を上げ始める。
唯が乗り込んだ『空裂投射装置』は、簡単に言ってしまえばテレポーテーション装置だ。
カプセルの中に入った者を任意の場所に送り届ける夢のマシン。
400年以上前から人類が空想し続けた技術は、遂に現実となっていたのだ。
といっても、唯は空裂投射装置がどういった原理で動いているのかは知らない。
『投射目標、船橋地区ポイントA17……座標計算完了。ディメンションアンカー固定!』
鼓膜に伝わるオペレーターの声を聞き、唯の顔に緊張が走る。
この装置を使うのは初めてではないが、転送の瞬間だけは未だに慣れない。
唯は不安感を振り払うように、黒い短刀の柄をぎゅっと握りしめた。
『コネクション!』
インカムの向こうで、オペレーターが操作完了を宣言した。
装置から甲高い音が鳴り、カプセルの中が大きく揺れる。
オペレーターと繋がっていた通話がブツリと切れた。
唯は壁に体をぶつけないよう、片膝を付いてしゃがみ込む。
突然、視界が真っ暗になった。
小窓越しにカプセル内を照らしていた蛍光灯が消えたのだ。
代わりに、小窓から見える景色が移り変わる。
小窓の向こうに広がっていたのは、星空。
先程まで狭い部屋にいたはずなのに、まるで宇宙空間に放り出されてしまったようだ。
遥か彼方で、一筋の光が瞬いた。
「あ、流れ星……」
唯が呟いた瞬間、カプセルの中が眩しい光に包まれた。
反射的に目を瞑る。
景色に見入っている場合ではない。
時折やってくる激しい揺れにビクビクしながら、最悪の乗り心地を耐え忍ぶ。
「…………」
揺れが収まった。
しがみついていた床の感触がざらざらしたものに変わっている。
目を開けると、座っていたのは道路の上。
唯は、雑居ビルが立ち並ぶ繁華街に降り立っていた。
相変わらず信じられないテクノロジー。
唯がふぅと息を吐いた時、ジェット噴射音が頭上を飛んだ。
空に伸びる飛行機雲。
味方の無人戦闘機隊だ。
爆発音と共に、建物の合間から黒い煙が上がる。
唯は短刀を握りしめると、爆心地へと急いだ。
◇◇◇◇◇◇
現場は繁華街の中心にある交差点。
二車線の道路には乗り捨てられた自動車が数台あったが、人の姿はない。
街にはけたたましいサイレンの音が鳴り響き、あちこちの建物から煙が立ち昇る。
駆け足で進む唯の耳に、断続的な爆発音が近づいてくる。
通り沿いにある商業ビルの角を曲がると、ついに敵が姿を現した。
体長はおよそ4メートル。
トラック並の肩幅を誇る鉄塊。
大きな熊のような械獣が、二足歩行でゆっくりと進撃していた。
「今度は熊か……」
械獣は分厚い装甲板に覆わた太い腕を振り回し、車やビルを片っ端からなぎ倒している。
傷一つない金属質の皮膚を見ると、戦闘機隊の爆撃は効果が無かった模様。
少しでも進行速度を落とせたのなら十分だ。
遠ざかっていく戦闘機のエンジン音を背後に聞きながら、唯は械獣と向き合った。
胸の前に掲げるのは、漆黒の鞘に収まった短刀。
左手で鞘を、右手で柄を握りしめ、水平に一文字を描く唯。
視線の先には、傍若無人の機械兵器。
唯の仕事――対械獣防衛軍・正規装者の役目とは、械獣の猛威に立ち向かうこと。
街を、人を守るため、命を賭して戦う。
覚悟と共に刀身を引き抜き、認証の言葉を叫ぶ。
「式守影狼!! 装動!!!」
銀色に輝く刃が、虚空を切り裂いた。
刀身の軌道をなぞるのは、異次元と地上を繋ぐ空間の割れ目――空裂。
バキバキと音を立てながら、幾つもの分岐を描き、唯の周囲に広がっていく。
ひび割れたガラス球のような亀裂の網に囲まれた唯は、そのまま暗闇の中へと飲み込まれた。
上下左右が分からなくなる浮遊感。
どこまでも続く暗黒の空。
孤独に閉じた異次元の宙に放り出された時、遥か彼方から青い光が飛来する。
手、足、胴、頭……光の正体は、鋼の装甲である。
装甲は唯の体に近づき、胸を、腰を、四肢を覆う。
動きやすくスリットの入ったミニスカートのような腰当て。
頭には尖った三角の犬耳型アンテナ。
連なる鋼は結びつき、各部の端子が次々と接続されていく。
そして、全ての装甲が連結を完了。
唯は鋼の手甲で短刀を握りしめ、目の前の闇を斬り払う。
太刀筋から再び空裂が広がると、その中へ一歩踏み出した。
地上に降り立った装甲の名を、刀から響く電子音声が高らかに告げる。
『ストライク・ウルフ』
◇◇◇◇◇◇
繁華街に交差する道路の上。
青い装甲に身を包んだ唯は、熊型械獣と対峙していた。
械獣のシルエットは山に住む熊をただ巨大化した姿で、見たところ遠距離武装は無い。
ただし、前足だけは重機のように太い。
あの剛腕で殴られたらひとたまりもないだろう。
対する唯の『GE-S-15 式守影狼【ストライク・ウルフ】』は、素早いフットワークと近接戦闘に特化した機体だ。
こちらも遠距離から攻撃できる武装は無い。
真正面から格闘戦になれば、体格で勝る熊型械獣の方が有利かもしれない。
熊型械獣は頭部のカメラで唯を認識すると、腕を振り回しながら突進してきた。
自然界の熊ならば四足歩行で走るため、二足歩行のまま走る姿はちょっと気持ち悪い。
唯は真横に向かって駆け、械獣の突進軌道から難なく逃れる。
ずんぐりとした巨体は小回りが効かないらしく、唯を追尾することなく停止した。
ゆっくりと振り向いた頭が無言で唯を見つめてくる。
動きが鈍い代わりに、一撃一撃の攻撃力が高いタイプだ。
いきなり懐に飛び込むことは避け、一定の距離をとって様子を伺う。
「さて、どう攻略したものか」
唯が呟いた時、式守影狼の頭部装甲に内蔵されたインカムに通信が入った。
『こちら司令室。応答願います』
「こちら神代。械獣を発見し、交戦中」
相手は空裂投射装置を操作していた女性オペレーターだ。
戦闘中もこうして通信を行い、司令室の隊員たちが分析した敵の情報を共有してくれる。
『械獣データベースに同型械獣の記録がありました。識別名は「べアルゴン」。2年前に札幌支部で撃破報告があります』
「弱点はあるの?」
『動きが遅いので、大振りな攻撃の後に隙ができます。背中側に周りこんでしまえば前足の攻撃も届かないようです』
「了解、背中を狙ってみる」
通信を切り、械獣を観察する唯。
「(正面から近づくのは危険そうね……)」
べアルゴンは前足を横に広げ、じりじりと唯に近づいてくる。
唯は械獣から目をはなさないように注意しつつ、ゆっくりと後ろに下がる。
一進一退の間合い読みが続く。
すると、しびれを切らしたべアルゴンが再び突進してきた。
太い後ろ足をのそのそと動かして加速する巨体。
唯はその場を動かず、べアルゴンの前足をじっと見ていた。
ごつごつした重装甲に覆われた前足が、唯の首をへし折らんと迫る。
「ふッ!」
剛腕が振り抜かれる寸前、唯はべアルゴンの脇に向かってスライディングを繰り出した。
即死級のラリアットが頭上20センチメートルを通過。
飛び跳ねるように立ち上がる唯。
腕を空振りさせたべアルゴンの背中はがら空きだった。
「はぁッ!」
体を引き絞って放つ右ストレート。
鋼鉄の拳爪が械獣の皮膚に届く直前、激しい火花と共に拳が弾かれる。
『次元障壁』――械獣やアームズの表面に展開される、不可視の防壁。
次元障壁が展開されている限り、銃弾やミサイルといった通常兵器は一切のダメージを与えることができない。
しかし、同じ次元障壁ならば話は別だ。
攻撃的に濃縮した次元障壁を叩きつけることで、相手の次元障壁を引き剥がすことができる。
「はッ! はッ!」
両手の先端に次元障壁を集中させた唯は、2撃、3撃と拳を放つ。
振り向こうとするべアルゴンだが、背中に張り付く唯のフットワークの方が勝っている。
反撃の機会を与えず、執拗に背中を連打する唯。
拳爪を弾き返そうとする力が弱まり、械獣の次元障壁が徐々にすり減っていくのを感じる。
式守影狼の戦法は至ってシンプルだ。
両手両足に備わる肉食獣の爪で連続攻撃を仕掛け、械獣の次元障壁を削り取る。
「おりゃあッ!」
渾身の突きが叩き込まれ、一際激しい火花が飛び散った。
ぐしゃりと歪み、めくれあがる銀の肌。
械獣の本体まで拳が届いた。
弱体化した次元障壁は衝撃を吸収しきれなくなったのだ。
ダメージを受けて動きの鈍ったべアルゴンに、追撃の中段蹴りを放つ唯。
唯の身長の倍以上ある巨体が前のめりに倒れ込んだ。
「このまま押し切る!」
うつ伏せの械獣に向かって飛びかかる唯。
その時、唯の耳にゴトリという異音が聞こえた。
首をかしげる暇もなく、鋭い衝撃が腹部を襲う。
「がッッ!!?」
高速回転する視界。
気付けば、唯は3メートル以上離れた自動車のボンネットに叩きつけられていた。
「痛った…………何?」
次元障壁によって即死は免れたものの、衝撃を完全に打ち消せなかった。
お腹にじんわりと広がる痛みを堪えながら体を起こす。
見上げると、械獣のシルエットが変わっていた。
綺麗に輪切りにされた大熊の肩。
その肩から生える歪な細腕。
腕部の装甲は切り離され、金属棒の先端に取り付けられていた。
文字通り熊手となった武器を細腕で担ぐべアルゴン。
まるで熊の着ぐるみを中途半端に着たプロレスラーだ。
「そんなのあり!?」
驚愕する唯に向かって、熊手棒を振りかぶりながらべアルゴンが突進。
唯が慌てて身をひねった直後、叩きつけられた熊手棒が車のフロントガラスを粉々に砕いた。
車から離れようとする唯に向かって、すぐさま追撃の風音が迫る。
「速い!?」
先程までのゆっくりとした動きが嘘のように、機敏に熊手棒を振り回すべアルゴン。
唯は腰に固定していた短刀を引き抜いた。
「(あの細腕なら式守影狼で斬れるはず。腕を無力化して一気に畳み掛けるしかない)」
早期決着を目指す唯は短刀を持ち替え、右手の小指側から刀身が生えるよう逆刃に構える。
べアルゴンが熊手棒を振り上げた瞬間、唯は真上に跳躍した。
「そこッ!」
振り下ろされる熊手棒。
最も力が籠もるタイミングに合わせ、真下からの斬り上げ。
べアルゴンの膂力を短刀に迎え入れる。
歪な細腕が、武器を握りしめたまま宙を舞った。
「はぁぁぁッ!」
そのまま械獣の体を駆け上る唯。
熊の首筋に短刀を突き立て、ファスナーを下ろすように背中を切り裂いた。
べアルゴンの背部装甲がベリベリと破れ、金属質の肌に縦長の裂け目が入る。
裂け目の隙間を覗き込むと、白く光る立方体が見えた。
「コアユニット露出確認!」
『コアユニット』――械獣の中核機関。空裂や次元障壁を生み出す力の源。
この機関さえ破壊してしまえば、どんなに巨大な械獣であっても完全に無力化することができる。
ちなみに、装者のアームズにも同様の機関が搭載されている。
次元障壁を生み出すためには、コアユニットが必須だからだ。
唯は自身の背中に手を回す。
式守影狼の背部装甲、コアユニットを抱える重要部位。
そこには、切り札が格納されている。
カバーを開き、取り出したのは長さ50センチメートルの赤い杭。
「丙型燃焼杭、接続!」
杭を右腕のジョイントに繋ぐと、手甲の下からレバーが降りてくる。
べアルゴンは駆動系の部位を損傷したのか、その場でガチャガチャと震えているだけだ。
隙だらけの背中の亀裂に杭を押し付けた唯は、レバー先端のトリガーボタンを押し込んだ。
『ヒートストライク』
手甲から電子音声が響くと同時、赤い杭が射出された。
高速回転する杭は械獣の装甲を食い破り、即座にコアユニットまで到達する。
直後、大爆発。
黒煙が溢れ、唯の視界が真っ黒に塗りつぶされた。
至近距離で爆風を受けても唯は動じない。
ただの爆風程度ならば、アームズの次元障壁が弾いてくれるからだ。
械獣の残骸に背を向け、黒煙の中から出る青狼。
短刀を腰に提げ、空に向かって息を吐いた。
装甲を纏い、械獣を倒す。
これが唯の日常だった。