第27話 幽閉
薄暗い廊下。
光源は非常口を示す緑色の蛍光灯のみ。
「ぅう……ん…………はっ!」
背もたれの無い革張りの椅子の上で、唯は目覚めた。
「いてて…………携帯落ちてるし」
変な姿勢で寝ていたせいで首が痛い。
床に落ちた携帯端末を拾い上げ、スリープモードを解除した。
バックライトが目に染みる。
画面に表示された時刻は、午前6時58分。
「もう朝か」
廊下に目を凝らし、今いる場所を思い出す。
AMF関東第三支部、中央塔6階、医療班エリア。
唯は人気のない通路で一夜を明かした。
ずっと起きているつもりだったのに、いつの間にか寝ていたようだ。
……そうはいっても深夜3時くらいまでは起きていた。眠い。
「ん~~…………わッ!」
ストレッチでもしようと立ち上がった時、廊下がパッと明るくなった。
眩しい光に思わず目を瞑る。
すると、通路の角からコツコツと規則正しい足音が聞こえてきた。
「おはよう唯ちゃん」
「あ、おはようございます、美鈴さん」
朝から律儀にハイヒールを履いてきたのは、AMFの有能補佐官・陣内美鈴だ。
黒ストッキングにタイトスカート、白ブラウスの上に白衣。
いつも通りセクシー女医スタイルの美鈴は、廊下で寝ていた唯を心配そうに諭した。
「まさか、ずっとここに居たの?」
「なんだか落ち着いていられなくて」
「徹夜は任務に支障をきたすし、何よりお肌の天敵よ」
「すみません……」
一応、夜中にシャワーは浴びた。
流石に下水道に潜った服を着続ける訳にはいかなかったし。
頭が冴えてきた途端、一人の少女が脳裏に浮かぶ。
「それより嶺華さんの容態は! 生きてるんですよね!?」
唯は、寝起きとは思えないほど大声で美鈴に詰め寄った。
「落ち着きなさい。処置は日付が変わる前に終わったし、生きてるわよ」
「本当ですか! 今どこにいるんです!?」
「だから落ち着きなさいって。さっき『特別な病室』に運び込んだところ」
「『特別な病室』?」
どんな場所かは知らないが、やはり集中治療室相当の設備が必要だったのだろう。
思い出すのは、昨夜の嶺華の姿だ。
無惨に削られた身体と、苦痛に押し潰された意識。
大掛かりな治療が行われたことは想像に難くない。
「今すぐ私を連れてってください」
「病室の場所は極秘事項なんだけど……」
「顔を見るだけでいいですから!」
一刻も早く、嶺華の生存を確かめたい。
泣き出しそうになりながら頭を下げる唯。
「そうね……まあ、唯ちゃんならいいか。ついて来なさい」
美鈴は逡巡したものの、ただならぬ唯の顔を見て折れてくれた。
「早く行きましょう今すぐ行きましょうお願いしますほら行きましょう!!」
唯は美鈴を突き飛ばすくらいの勢いで急かし、廊下の奥へと向かった。
◇◇◇◇◇◇
…………。
エレベーターが静かに止まった。
壁のインジケーターの表示は「B8F」。
地面から60メートル以上も潜っている。
「基地の地下にこんな場所があったなんて知りませんでした」
「当然よ。唯ちゃん含め、一般隊員向けには地下5階までしか開示してないの。唯ちゃんには特別に教えたけど、他の隊員には口外厳禁だから注意するように」
「はい……」
ごくりと唾を飲みこむ唯は、秘密の道のりを振り返る。
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ついさっきまで、唯と美鈴は地上6階にある医療班エリアにいた。
向かったのは、廊下の突き当たりにある入り組んだ仕切り板。
廊下を通りかかる人からは完全に死角となった位置に、固く閉ざされた扉があった。
「常時施錠」と書かれた扉の横には、数字が書かれたボタンが並ぶ。
美鈴がパスコードを入力すると、スライド式の扉が開いた。
こんなに分かりづらい位置にあるのに、やけに入口の幅が広い。
中に入ると、そこは何も無い部屋だった。
倉庫と違って棚は無く、会議室のように椅子や机も無い。
万が一誰かに覗かれても、空き部屋にしか見えないだろう。
ただ、壁にはベージュ色の配電盤のような蓋があった。
美鈴は入口の扉が閉まったのを確認し、慣れた手つきで蓋を開く。
隠れていた装置にカードキーを差し込むと、横の壁が観音開きに動き出す。
隠しエレベーター。
言われなければ気付かないほど壁に擬態していたエレベーターは、これまた幅広いカゴだった。
この広さなら、大きなベッドもそのまま運搬できそう。
医療班エリアと「特別な病室」とやらが繋がっていることに違和感はない。
美鈴に案内され、カゴの中に入る。
ここで、唯は壁のインジケーターを見て驚いた。
「6F」「B7F」「B8F」
行き先ボタンはこれだけ。
表示を信じるなら、この3フロアにしか止まらない。
つまり、地下7階と8階へ降りるためには、わざわざ地上6階まで上がる必要があるということだ。
美鈴がボタンを押すと、観音開きの扉が元通りに閉じた。
エレベーターは、遠回りで面倒くさくしてでも隠したい、地下エリアへと降下していく。
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そういうわけで、唯と美鈴は地下8階に到着した。
廊下の奥行きは狭く、ドアらしきものは3つしかない。
医療設備が整っているようには見えなかった。
「こんな所に嶺華さんの病室が?」
「病室というよりは隔離スペースね。怪我の度合いに関係なく、あの子を一般隊員と同じ病室に入れるわけにはいかないもの」
「隔離……ですか」
交渉を試みる人間ではなく、排除を試みる械獣として。
嶺華を「敵」と認定したAMFが、負傷した彼女の身柄をどう扱うのか。
唯は一抹の不安を覚えた。
「ここよ」
エレベーターから見て一番手前の部屋。
見るからに頑丈そうな分厚い扉は、銀行の巨大金庫を思わせる。
扉の脇には、赤いランプの点いた施錠装置。
美鈴は再びカードキーを取り出した。
隠しエレベーターに入るためのものとは別物だ。
カードキーを使う前に、美鈴が唯に問いかける。
「特別に面会を許可するけど、彼女は我々人類にとって『敵』かもしれないわ。
街を破壊し、人を殺した械獣たちと同類なのかもしれない。
怪我が治ったら、また唯ちゃんを襲う可能性もあるわ。
……それでも面会したい?」
美鈴の脅すような念押しを聞いても、唯の気持ちは一ミリも揺らがなかった。
「敵かどうかなんて関係ありません。嶺華さんが生きてることを確認したいだけです」
「分かったわ」
唯の変わらぬ意思を確認した美鈴は、読み取り装置にカードキーをかざした。
ピッという電子音と共に、ランプの色が赤から緑に変わる。
すると、壁の中からガシャガシャという複雑な金属音が響いた。
5秒以上の時間をかけて、重厚な扉がゆっくりと開いていく。
◇◇◇◇◇◇
殺風景な部屋だった。
扉と同様、鋼材を打ち付けたような金属の壁。
眩しいくらいの光量を放つ蛍光灯。
部屋の中央にはベッドが一つ。
それ以外、家具らしい家具は存在しない。
斜め45度にリクライニングしたベッドの上で、白い毛布を腰までかけていたのは。
黄金色に艶めく長髪。
人形のように整った顔立ち。
霊安室と見紛う空間に、唯が命懸けで救出した少女が座していた。
「嶺華さん!」
隔離部屋に足を踏み入れた唯は、開口一番に名前を呼んだ。
唯の目と、彼女の虚ろな目が合う。
「あ……」
その姿を見た唯は、掛ける言葉が浮かばなかった。
薄い藍色の手術衣。
はだけた胸元からお腹にかけて、隙間なく巻かれた包帯。
痛々しく腫れた左腕には湿布があてがわれ、点滴の管が繋がれている。
その反対側。
右肩の手術衣は、半袖にも関わらず、不自然に丈を余らせていた。
「…………わたくしを、笑いにきたんですの」
嶺華は掠れた声で呟いた。
「こんな無様な姿を唯さんに見られるなんて……はは…………」
力なく笑う嶺華からは、以前会った時の高貴な語り口は消え失せている。
傷つき、欠けてしまったのは身体だけではない。
彼女の心もひどく憔悴しているようだ。
俯く嶺華の沈み様に、唯は思わず謝罪を口走った。
「ごめんなさい。私がもっと早く駆けつけていれば、こんな……」
「別に。助けて欲しいと頼んだ覚えはありませんわ」
嶺華は顔を上げない。
唯もそれ以上会話を続けることができなかった。
「…………」
「…………」
互いに無言。
こんな時、何を話せばいいか分からない。
唯がおどおどしていると、後ろで見ていた美鈴が沈黙を破った。
「貴方は……嶺華ちゃん、でいいのかしら」
「……」
「私は美鈴。よろしくね」
「……」
嶺華は美鈴の方を見ようともしない。
俯いたまま、毛布の皺に視線を落としている。
対する美鈴はタブレット端末を取り出すと、嶺華の目の前に突き出した。
「こんな時に悪いんだけど、ちょっと教えて欲しいことがあるの」
タブレット端末の画面に表示されていたのは、駅前広場に立つ銀色の人影。
半透明の長剣を携えたデリートの写真だ。
偵察用ドローンからの通信が途切れる前、辛うじて撮影できた部分を切り出している。
「この人型械獣について、貴方の知っていることを話してくれないかしら」
「っ!」
嶺華は画面を見るなり、びくりと体を震わせた。
右腕を奪った張本人だ。
体が否応なしに緊張や恐怖を覚えたのかもしれない。
数秒置いて、嶺華は震える声で尋ねた。
「……こいつは、どうなりましたの?」
「消えたわ。空裂の中に帰ったのか、まだ近くに潜んでいるのかは不明」
「…………そうですの」
嶺華はそれだけ呟くと、タブレットから視線を逸らす。
デリートを視界に入れるのも嫌なのだろう。
「…………」
また黙ってしまった嶺華に対し、今度は唯が質問する。
「嶺華さん、教えてください。デリートって何者なんですか? 前に嶺華さんが言ってた『コード付き』ってどういう意味ですか?」
七夕の日、嶺華は獲物を見つけた肉食獣のように嬉々としてデリートと戦っていた。
コード付き、という言葉がデリートのことを指すのなら、嶺華が率先して倒したい対象ということになる。
他の械獣とは違う、特別な械獣。
それは、敵の正体が何なのか、という話にも繋がりそうだ。
「……知ってどうするんですの?」
「倒すためです。嶺華さんの代わりに、私達が」
「代わりに?」
唯の言葉に眉をひそめる嶺華。
「はい。そのためには、嶺華さんの知っている情報が必要なんです」
「無理ですわね」
即答した嶺華は、冷たい目で唯を見上げた。
「それに、わたくしはこのまま終わるつもりはありませんの」
少女の声は小さかったが、静かな怒気を帯びている。
「傷が治ったら、あいつはわたくし一人でぶっ殺しますの」
「でも、その……」
唯は口ごもりながら嶺華の右肩を見た。
手術衣の上からでも、きつく巻き付けられた包帯に真っ黒な血が滲んでいるのが分かる。
「……あんな奴、片腕だけで十分ですの」
嶺華は左手の拳を握りしめるが、その力は弱々しい。
戦えるような状態には見えなかった。
「とにかく、今は少し休んだ方が」
「そんな悠長なこと言ってたらデリートが逃げますの。こんな傷、すぐに治して……痛っ!」
ベッドから立ち上がろうとした嶺華が苦悶の表情を浮かべる。
本人の意思とは裏腹に、肉体のコンディションは絶望的だ。
「だめですよ! 嶺華さんは安静にしてなきゃ」
「うるさい! 指図するな!」
体を支えようとした唯の手を振り払い、声を荒げる嶺華。
「これはわたくしの戦いですの! 唯さんには関係ありませんわ!」
「そんな、私はただ嶺華さんが心配で」
「余計なお世話ですの! もう放っといてくださいまし!!」
嶺華は枕に頭を埋めると、唯に背を向けて寝転がる。
「嶺華さん……」
伸ばしかけた唯の手が虚空を彷徨う。
嶺華はもう返事をしてくれないようだ。
「唯ちゃん。今はそっとしておきましょう」
「…………分かりました」
唯は頷きつつも、なかなか立ち去る気になれなかった。
美鈴が先に出て行ってしまったので、仕方なく部屋を後にする。
部屋の入口に戻る途中も、やるせない気持ちに後ろ髪を引かれる。
このまま嶺華を放っておいていいのか。
迷った所で、今できることは無い。
分厚い扉の外に出た時、唯はもう一度部屋の中を振り返った。
「また、来ますから」
重苦しい音を立てながら閉まっていく扉。
隙間から見えた嶺華の背中は、震えているようだった。