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第1話 裂ける空


 温かい陽射しが差し込む朝。


 神代唯(かみしろ ゆい)はいつものようにキッチンに立ち、2人分の朝食を作っていた。


 フライパンに油をひき、ベーコンを乗せたら塩こしょうをひとつまみ。

 慣れた手付きで生卵を3つ割り入れると、じゅうじゅうと心地よい音を立てながら白身が色づく。

 ちぎったレタスに目玉焼きを乗せ、唯特製・朝ごはんプレートの完成。


「よし、いい感じね」


 ラフな部屋着の上にエプロンを付けた唯は、齢20にして早くも主婦の雰囲気を漂わせていた。

 ちなみに亭主はいない。


 唯が作る朝食はいつも卵料理に白ごはん。

 卵は最強の栄養食だからね。

 今日は景気よくベーコンまで入れた。

 卵3つのうち1つは妹のお弁当用である。


 お弁当箱にも目玉焼きを詰め込んだところで、ドタドタという足音が階段を駆け下りてくる。


「お姉ちゃんおっはよーーーー!」


「おはよう、(あずさ)。ちょうど朝ごはんできたところ」

「おはようのハグ!!」


 元気よく唯の胸に飛び込んできたのは、2つ下の妹・神代梓である。

 現在高校3年生の梓は、朝食前から制服に着替えを済ませている。


「お姉ちゃん温かーい。36.6度くらいあるね!」

「そりゃ生きてますから……」


 体温計内蔵女子高生は唯の背中をぺたぺたと触ってきた。くすぐったい。


「その反応だと、昨日は怪我しなかったみたいだね!」

「うん、大した械獣じゃなかったし。全然大丈夫」

「よかった! 無傷が一番!」


 元気に笑う梓と、向かい合わせにテーブルにつく唯。


「いただきまーす」

「いただきます」


 手を合わせ、食戟開始の挨拶を詠唱。

 神代家の平日朝ルーティンが進行中だ。


「今日はベーコン入れてくれたんだ! あむ……美味しい!」

「はい、お弁当。同じの入れといた」


 いつものように弁当箱をテーブルナプキンで包んで渡すと、梓は目をきらきらさせて喜んだ。


「ありがとう! 今日も愛妻弁当でがんばれるよ~」

「いや愛妻の使い方間違ってない?」

「将来はお姉ちゃんと結婚するからいいのー」

「そ、そうですか……」


 幼い頃に両親と死別してから、唯と梓はずっと2人で暮らしている。

 とりわけ梓の唯に対する依存心はすさまじく、一生一緒にいるつもりらしい。

 唯としては早く彼氏でも作ればいいと思っているのだが、彼氏いない歴イコール年齢の唯から言えることではなかった。


「それよりお姉ちゃん、昨日も出撃で体は大丈夫? 疲れてるんじゃない?」

「全然平気。この程度で疲れたとか言ってたら、高い税金払ってる市民様に叩かれちゃうよ」

「ならいいけど……疲れてるならわたしが朝ごはん作るのに」

「いいよ、どうせ出撃が無い時は暇なんだし。それに梓の手料理って食パンにジャム塗るだけでしょ」

「だってその方が早いじゃん」

「栄養バランスも大事です!」

「ぐ、反論できない……」


 梓は全く料理しない派閥所属なので、フライパンに油を引くことすら面倒くさがる。

 昔、唯が風邪で寝込んだ時は3食すべて即席麺を出され、泣きながら野菜ジュースを買ってくるよう頼んだものだ。

 そんな訳で、神代家の食卓は唯が支えていた。


「あ、今日も帰り遅くなるから、夕飯先食べてて」


 自炊の話に突入する前に、話題を変えてくる梓。


「また予備隊の仕事?」

「『カミナリ械獣』の調査。と言っても、目撃報告のあった地区でパトロールするだけ」

「カミナリ械獣ね……都市伝説じゃないのかな」


『カミナリ械獣』とは、最近世間で囁かれている謎の存在である。


 目撃報告はほとんどなく、映像の撮影に成功した事例は無い。

 数少ない目撃者に話を聞いても、雷を落としたとか、空を飛んだとか、曖昧なことしか分からない。


 1つだけ共通するのは、目撃地点にはいつも別の械獣が出現した形跡があること。

 不可解なことに、それらの械獣はまるで巨大な隕石に轢かれたかのように、バラバラの残骸だけになっているという。


「上層部は本気でいると思ってるみたい。他の支部よりも先に見つけろって躍起になってるよ」

「見つかったとして、戦わされるのは私なんだけど……」

「何かのトラブルで誤作動を起こした械獣が勝手に暴走して自壊した、って説もあるよ」

「そうだといいけど」


 朝から不穏な話題に憂鬱になりながらも、唯は朝食を食べ終えた。


「いってきますのキスは?」

「馬鹿なこと言ってたら遅刻するよ」

「お姉ちゃんのけちんぼ……まあいいや、いってきまーす!」

「いってらっしゃい」


 軽く手を振りながら梓を見送ったところで、唯の朝活終了。

 18歳になってもスキンシップが激しい妹のことは少し心配だが、明るい笑顔に元気を貰っているのは事実だ。


 リビングに戻った唯は、携帯端末で今日の天気を確認する。


 6月30日火曜日。

 午前は晴れ、午後は曇りのち雨。


 「こんなにいい天気なのに……」


 窓を開けて見上げてみると、顔に降り注ぐ太陽光が心地よい。

 部屋に吹き込む涼しげな風が、梅雨の終わりが近いことを知らせてくる。

 洗濯物が乾きにくい季節はさっさと終わって欲しい。

 

 唯はうーんと背伸びをしてからエプロンを脱ぐと、脱衣所の洗濯かごに放り込んだ。


 「さて、私も出勤しますかね」


 主婦モードが終わった後は、市民のために働かなくてはならない。

 部屋着も脱ぎ捨て、灰色のズボンとジャケットに素早く着替える。


 肩から袖口にかけて伸びる青いライン。

 それが、国防を生業とする者の証なのだ。


 朝日に照らされたリビングの壁で、漆黒の鞘に収まる短刀が異彩を放っていた。



 ◇◇◇◇◇◇



 初夏の昼下り。


 繁華街のカフェでコーヒーを入れる初老の店主は、大通りに面したショーウィンドウの中から空を見た。


「こりゃ、予報通り一雨きそうだな」

 

 平日にも関わらず、繁華街には大勢の人々が行き交っている。


 アパレル店をのんびり回る若い女性、せかせかと歩き回る営業マン、談笑する老夫婦。

 雨が降れば雨宿りがてらにカフェで一休み、という客も望めるだろう。

 喫茶業界にとって雨はありがたかった。

 午前の客足はいまいちだったが、夕方以降はそれなりのテーブル回転率が見込めるだろう。


 店内に流れる落ち着いたジャズに耳を傾け、焼き菓子の仕込みを追加する店主。

 小学校は午前授業だったのか、歩道にはランドセルを背負った子供の姿もちらほら見え始めた。

 楽しそうにおしゃべりに興じる子供たちを見て、店主も思わず笑みがこぼれる。


 穏やかに流れていく、平和な日常。



 その時、小さな音が聞こえた。



「?」


 店主は最初、窓ガラスにヒビが入ったのかと思った。



 再び、何かが割れるような音。



 きょろきょろと店内を見回すが、窓ガラスは1枚も割れていない。

 外を見ると、通行人たちも同じように周囲を見回している。



 大きな断裂音。



 今度は一際はっきり聞こえた。

 窓越しに伝わってくる人々のどよめき。

 若い女性が尻もちをつき、前方を指さしている。


 女性の人差し指の先、そして、店主の目線の先。

 アスファルトで舗装された道路の真上。


「なんじゃ、あれは……」



 地面から2メートルほどの高さに、『亀裂』が浮かんでいた。



 空中にガラス瓶のような物体が飛んでいる訳ではない。

 まさに『空間が割れている』としか表現できない現象。


 それを見た店主は、焼き菓子の袋を取り落としてしまった。

 拾い上げることすら忘れ、呆然と亀裂を眺める。



空裂(クウレツ)』――異次元空間と地上を繋ぐ、正体不明の空間の裂け目。



 ニュース番組を通じて、人々が何度も目にしてきた光景。

 亀裂の向こうからやって来るのは、破壊をもたらす悪夢だ。


「に、逃げろ!」

「逃げるんだ!」


 店内にいた客の悲鳴で、店主は我に返った。


「お客様! お代は結構ですから早く避難を!」


 そう言う店主も豆挽き機の電源を切り、カウンターを飛び出す。

 客席を見ると何人かの紳士が慌てて財布を開き、紙幣を伝票入れに突き刺した。

 現金なんて古典的な支払い方法は今時珍しいが、災害時においては最も確実なお会計方法であった。

 店主はコーヒー好きの民度に感心しつつ、入り口のドアを開け放って叫ぶ。


「最寄りのシェルターはこの通りをまっすぐです! 急いで!」

「ごちそうさまでした! くそっ! なんでこんな所に!」

「俺の貴重な有給休暇がぁ……!」


 紳士たちは泣き言を呟きながら店を後にしていく。

 全員の退店を見届けた店主は入り口の立札を「CLOSE」側にひっくり返し、自身も店の外に出る。

 

 繁華街はの雰囲気は一変し、阿鼻叫喚の渦。


 人々は突如マラソン大会が開始したかのように駆け出していた。

 店主も当然ランナーとして合流する。


 目指す先は、連邦政府が整備した緊急避難用地下シェルターだ。

 店主は一度だけ振り返ると、愛する店に被害が出ないことを祈った。


 空中に開いた亀裂はミシミシと不快な音を響かせながら、その半径を1メートル、2メートルと広げていく――。


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