第14話 ヒーローの資格
「ごちそうさまでした!」
「お粗末様でした」
唯渾身のサンドイッチを食べ終えるのはあっという間だった。
お腹が満たされ、2人は休憩タイムに移行する。
「本当にいい天気ね……」
背伸びをしながら、心地の良い青空を見上げる唯。
ゆっくりと流れる雲を眺めていると、時間の流れも遅くなった気がする。
「……ねえ梓、私ってこの仕事向いてないのかな?」
気づけば、唯の口から弱音が漏れていた。
「急にどうしたのお姉ちゃん?」
椅子に座ったまま首を傾げる梓に、蟠る不安を吐き出してしまう。
「ちょっと考えちゃって。今度またドルゲドスみたいな械獣が来たらどうしようって」
「お姉ちゃんでも勝てない敵が来たら、逃げるしかないんじゃない?」
「……そうだよね、普通は」
思い出すのは、ドルゲドス襲撃の日。
「逃げ遅れた女の子を見つけた時、司令は見捨てて逃げろと言った。
でも、私は女の子を見捨てられなかった」
「いいことじゃないの? 女の子も助けられたんだし」
「結果論はね。でもそれは、嶺華さんが来てくれたおかげ。
逆に言えば、嶺華さんが来てくれなかったら、私もあの子もとっくに殺されてた」
ドルゲドスに包囲された時、唯は自らが囮になり、女の子を逃がそうとした。
結果は大失敗。
自らの命を危険に晒しただけで、女の子の力にはなれなかった。
「司令の判断は間違っていない。もし私が死ねば、この地域で即応できる装者がいなくなる。そうなれば、次に械獣が現れた時、大勢の人が命を失うことになる」
アームズに適性を示し、装者になれるのは数万人に一人。
AMFの各支部が抱える装者は一人か二人が限度だ。
欠員が出れば、それだけで地域全体の安全保障が脅かされる。
装者の養成も一朝一夕ではないし、アームズの整備には多額の公金が注ぎ込まれている。
限られた予算と人員でどれだけ多くの人を救えるのか、全体最適を考えて判断するAMF。
女の子1人の命と、地域一帯を守る装者1人の命。
「司令は命に優先順位を付けた。どちらかを選ばなければいけなかったから、迷わず女の子の命を切り捨てた」
冷徹で合理的な判断は、佐原司令に限った話ではない。
AMFの上層部全員が命に優劣を付ける価値観を共有している。
人類全体を生き残らせるため、一人でも多くを救うため。
けど、けれど、だけれども。
唯は、その考え方が嫌いだった。
「目の前で助けを求める人がいたら見捨てることなんてできない。
この力を授かったからには、この街に住む人全員を守りたい。
私にはそれができるって、才能があるって信じたかった」
自分に装者の適性があると知った時は嬉しかった。
誰かの役に立てる。自分でも人の命を救える。
初めて械獣を撃破した時、達成感に涙を流したのを覚えている。
助けた人には尊敬の眼差しで見られたっけ。
「でも、私じゃ勝てないくらい強い械獣が出てきちゃった。
この街の人達全員は守れない。合理的な取捨選択をしなきゃいけない。
なのに、私にはそれができない」
「……」
戦うか、逃げるか。
戦場では常に判断を求められる。
目の前の人を助けたい。
理想だけでは、装者の責任を果たせない。
「そんな時、嶺華さんが現れた。
嶺華さんは私とは比べ物にならないくらい強いし、かっこいいし、ヒーローみたいじゃん。
……あの無双っぷりを見て思ったの。
今後は嶺華さんが械獣と戦ってくれるなら、私はもう要らないのかなって」
「そんなことない!」
今まで黙って聞いていた梓が叫んだ。
「お姉ちゃんは、この街に必要だよ!」
梓は唯の背中にぴったりと寄り添ったまま、早口でまくし立てる。
「今までお姉ちゃんがずっと戦ってきたから、この街の人は生きてられるんだよ!
お姉ちゃんが守ったから、みんな自分の生活とか仕事とか続けてられるんだよ!
その過程であの女は出てきてない! 全部お姉ちゃんの功績だよ!
お姉ちゃんが装者であることに意味があったんだよ!
AMFの人達もあれこれ言うけど、結局お姉ちゃんがいないと械獣を倒せないんだから。
だからお姉ちゃんは絶対に必要なの! 文句言うやつは一発殴って黙らせちゃえばいいよ!!!」
凄まじい勢いの言葉に、唯は息を呑む。
「それに、わたしにとってのヒーローはお姉ちゃんだけなの! お姉ちゃんは強いし、かっこいいし、あと料理もできるし。
あんなよく分からない女に全部任せようだなんて、わたしは認めないから!」
「(よく分からない女……)」
若干引っかかる言い方だが、梓は本心から唯を励まそうとしてくれているようだ。
「お姉ちゃんは自分が正しいと思ったことをして、胸張ってれば大丈夫だよ。
もしも誰かを救えなかったとしても、わたしは絶対に責めたりしないよ。
だから、お姉ちゃんは、お姉ちゃんのままでいいんだよ!!」
「梓……」
梓がここまで唯を想ってくれていたのは意外だった。
いつも甘えているだけじゃない。
唯のことをちゃんと見て、考えてくれた梓。
その巨大な愛に、目頭が熱くなる。
唯は心の支えになってくれる妹をそっと抱きしめた。
「ふぁあ!?」
いきなりの抱擁は予想外だったのか、梓は拍子抜けしたような声を上げた。
「お、お姉ちゃん」
「……ありがとう。少しだけ、心が軽くなった気がする」
ハグには抗鬱効果があるらしい。
唯は胸に残る不安をかき消すように、妹の温もりを摂取した。
梓も幸せそうな顔をしているし、問題ないだろう。
仲良し姉妹は、本日2回目の抱擁タイムに移行した。
◇◇◇◇◇◇
「さて、そろそろ帰ろっか。梓のリフレッシュが目的のはずだったけど……私の方が励まされちゃったね」
「お互い様だよ、お姉ちゃん」
抱擁を解いた2人は昼食の片付けを始めた。
サンドイッチを覆っていたラップを丸め、パンかごと一緒にバッグに仕舞う。
テーブルクロスを畳もうとした時、一陣の風が吹いた。
「おっと」
唯は飛ばされそうになるテーブルクロスを慌てて掴み直す。
「風強くなってきたね。午後雨かな?」
「天気予報はずっと晴れだったと思うけど」
空を見上げても雨雲は見当たらない。
首を傾げた所で、再び突風が吹いた。
今度こそ唯の手を離れたテーブルクロスは、展望台の柵を超えて宙を舞う。
「しまった!」
「わたしが追いかけてくる!」
梓は展望台から飛び降りるような勢いで階段を駆け下りていった。
「危なっかしいなぁ……」
荷物を担いだ唯も後を追う。
芝生の上を2人で全力疾走。
ひらりひらりと舞うテーブルクロスは、幸いにも樫の木の幹に引っかかった。
「確保!」
梓がジャンプして脱走者を捕まえる。
「はぁ、はぁ……ありがとう、梓」
「どういたしまして!」
装者として訓練を受けている唯よりも、梓の方が体力ある気がした。
お姉ちゃんエナジーとやらをフル充電したのかもしれない。
「それにしても、すごい風だったね」
「天気が崩れる前に帰らないと」
「そだねー」
テーブルクロスをバッグに仕舞い、帰路につこうとした時。
風の音に紛れて、ガラスが割れるような音が響いた。
「……」
「……」
顔を見合わせる2人。
再三の突風に、木々の枝葉が激しくなびく。
「……!!」
2人の耳が、再び甲高い音を拾った。
聞き間違いではない。
「ま、まさか」
周囲をきょろきょろと見回すと、唯は見つけてしまった。
芝生の広場、その中空。
何もないはずの空間に、大きなヒビが入っていた。
バキバキという轟音と共に、亀裂は急速に広がっていく。
「お、大きい……」
公園のど真ん中に発生した空裂は、瞬く間に5メートルを超える高さまで成長した。
「梓! あなたは今すぐ逃げなさい!」
「でもお姉ちゃんは」
「私は残る。といっても、付近に民間人はいないっぽいから、やばそうなら逃げるわ」
「それならわたしも残ってお姉ちゃんのサポートを」
「無茶しないって約束したでしょ!」
やる気に満ちた目をした梓を叱りつける。
前線に出るのは唯の仕事だ。
「公園の外に出たら、すぐに本部に電話して。連絡要因も私にとって重要なんだから」
「わ、分かった。お姉ちゃんも気をつけてね」
梓は唯の手を取ると、念を押すように強く握ってきた。
「何度も言うけど、お姉ちゃんの代わりなんていないから。
だから、わたしの前からいなくならないでね」
「うん、約束する。私は梓の前からいなくならない」
「絶対だよ!」
唯は梓の目を見て頷くと、握った手を離した。
ゼロ距離姉妹劇場はここまで。
「お姉ちゃん、頑張って!」
「了解!」
遠ざかっていく梓の背中を見送ると、唯はバッグを地面に置いた。
中を漁り、奥底に忍ばせていた黒い短刀を取り出す。
「よし、やりますか」
式守影狼の修理は完了している。唯の心身も今さっき万全になった。
未だ拡大を続ける亀裂を睨みつけ、胸の前で漆黒の鞘を掲げる。
「式守影狼、装動!!」
解き放たれた刀身が、周囲の空間を切り裂いた。
前後左右上下、唯を覆い尽くすように広がる亀裂。
芝生の上にぽっかりと空いた割れ目の中へ、躊躇うことなく身を投じる。
視界に広がる暗黒の空。
重力から開放された浮遊感が体を包む。
唯が手を伸ばすと、彼方から青い光が一直線に飛来。
両腕、両足、腰、胸、背中、そして頭。
唯の体に集結した青い装甲は、エネルギー伝達チューブで連結されてゆく。
尖った三角の犬耳型アンテナ。
両手足を飾る鋼の拳爪。
切り札の爆杭を抱える背部ユニット。
流れるように合体を終えた唯は、金属爪を暗闇に突き立て、異次元の壁を引き裂いた。
「はぁッ!」
砕け散る空から差し込む日光は、青き装甲を照らし出す。
夜空の世界から歩み出るは、黒き刀を研ぐ青狼。
自信を取り戻した刀身から、電子音声が名乗りを上げる。
『ストライク・ウルフ』
誰かのヒーローとなるために、人鎧一体が地上に降り立つ。