第10話 斜日の来援
「はぁ……はぁ……」
しばらく遁走を続けていると、デリートの姿は見えなくなった。
辺りを見回すと、大きなマンションの裏側のようだ。
非常階段の陰に身を隠し、過呼吸気味の息を整える。
「…………撒いた?」
視界からデリートが消えても、胸を締め付ける動悸は収まらない。
人間の言葉を話すことへの驚きは、明確な殺意を口にしたことへの恐怖で上書きされた。
言葉を喋らぬ巨大械獣よりも、知性を持った人型械獣の方が恐ろしかった。
不気味な銀色の体が、脳裏にこびりついて離れない。
「(追ってきてませんように!)」
声を押し殺し、耳をすませる。
敵の足音は聞こえなかった。
もっとも、バクバクと跳ねる心臓の音がうるさくて、小さな物音なんてかき消されてしまったが。
「(早く戻らなきゃ)」
デリートが諦めてくれたかは分からないが、まだ近くにいるはず。
こんな所で立ち止まっていたら、いずれ見つかってしまうだろう。
携帯端末を取り出し、地図を確認。
「(走ってきた方角は間違ってない。美鈴さん達のいる拠点は……大通りの向こうか)」
唯は勇気を振り絞り、非常階段の陰から出た。
なるべく足音を立てないように、路地裏の通路をゆっくり進む。
日が落ちつつあるのか、建物の合間から覗く空はオレンジ色に変わっていた。
コンクリートの壁に背中をぴったりとつけ、大通りの方を覗き込む。
左右を見回すが、銀色の人型は見えない。
この道路さえ越えてしまえば、残る道のりは建物の陰に身を隠しながら進めるはずだ。
「(よし、今のうちに逃げ切る)」
唯が道路に踏み出した瞬間、風を切る音が耳に届く。
視界には何も捉えていない。
だが唯は、反射的に真横に跳んでいた。
今までの戦闘経験から、身体が咄嗟に警鐘を鳴らしたのだ。
直後、唯の頭があった位置を六角柱の結晶が通り過ぎた。
結晶はビルの外壁に叩きつけられ、大きなクレーターができる。
飛散したコンクリートの破片が唯の頬を掠めた。
「ドコへ行くんデス?」
抑揚の無い合成音声。
槍を振り抜いたのは、銀色の人型械獣・デリートだ。
「大人シクしてくだサイ」
デリートはマンションの壁から槍を引き抜くと、地面を転がる唯を見下ろした。
「ま、待って!」
「ご心配ナク。すぐ楽にしてアゲます」
次は外さないと言わんばかりに槍が掲げられる。
尖った穂先、六角柱の結晶。
槍のどちら側が振り下ろされても、次元障壁に守られていない唯は即死だろう。
何とか立ち上がろうとする唯だが、病み上がりの体は鉛のように重い。
「(くそ……正直に嶺華さんのことを話してみるか……?)」
こんなところで死にたくない。
1秒でも長く生き延びるには、デリートの興味を引く話題を出すしか無い。
しかし唯は、命の恩人である嶺華を売るような真似はしたくなかった。
「デハ、ショウキョしマス」
一瞬の気の迷いが、釈明の猶予を手放す。
「あ……」
せっかくドルゲドスとの戦いを生き残ったのに、お迎えが来るのが早すぎる。
嶺華と再会する前に死んでしまうことが悔しい。
その時、耳慣れた声が聞こえてきた。
「お姉ちゃーーーーーん!!!!」
瓦礫をローファーで踏みつけ、ブレザーを振り乱しながら全力疾走してくる少女が一人。
「梓!?」
高校の制服のまま駆けつけた梓は、右手に掴んだ装備を掲げた。
それは刀身の無い剣の柄であり、銃口の無いハンドガンのグリップだった。
「限定装動・斬!」
『スラッシュ』
引き金を引いて叫ぶ梓に呼応し、電子音声が風を切る。
彼女の右腕を包み込むのは、一筋の空裂。
梓は空間の割れ目に迷わずグリップを突っ込んだ。
そのまま野球のピッチャーのように体重を乗せ、力一杯腕を振り抜く。
「やああああああ!!!!」
デリートは唯を殺めんとする手を止め、槍の穂先を梓に向けた。
響く金属音、散る火花。
銀色の槍と打ち合ったのは、一振りの短剣であった。
「梓! それは……『リミテットリガー』!?」
梓の右腕には、肘から下を包む黒い手甲が装着されている。
『リミテットリガー』は、AMFの戦闘班に配備された局所アームズだ。
体の一部のみにしか展開できないが、装者の適正に関わらず扱うことができる。
「お姉ちゃんから離れろ!!」
梓は一振りの短剣のみでデリートに突撃した。
近接戦闘を想定した『リミテットリガー【スラッシュモード】』はサバイバルナイフの形状をしている。
手甲による筋力増強を受ければ、小柄な梓でも鋭い斬撃を放つことができるのだ。
「やあッ! はぁッ! やあああ!!!」
次々と繰り出される短剣の連撃。
それに対し、デリートは両手で槍を構えると、難なく刃を受け止めていく。
攻撃をガードされても尚、梓の手は止まらない。
「おりゃあああああ!!!」
短剣を素早く逆刃に持ち替え、殴りつけるようにリミテットリガーを振り回す梓。
その全てを槍の柄でいなしながら、デリートは煩わしそうに距離を取った。
梓は唯をかばうように、デリートの前に立ちはだかる。
「お姉ちゃん! 怪我はない!?」
「梓! どうしてここに?」
「予備隊の仕事に来たら、お姉ちゃんが来てるって聞いて! でも連絡つかないから、美鈴さんに言われて探し回ってたんだよ!」
美鈴の方でも通話ができないことに気づいて、いち早く唯の危機を察知してくれたのだろうか。
「とにかく助かったわ。でもこいつは危険、早く逃げるわよ!」
梓の手を取り、今度こそ立ち上がる唯。
しかし二人が走り出す前に、槍を構え直したデリートが迫る。
「逃がスと思ウか? まとメてショウキョする」
「お姉ちゃん、避けて!」
唯を突き飛ばしながら短剣を振り上げる梓。
槍の先端を器用に弾き、返す刀で右腕を振り下ろす。
デリートは体を捻って躱した。反撃は無い。
「梓! 深追いしちゃダメ!」
「大丈夫! こいつはここで倒す!」
無茶だ、と言いかけた唯だったが、状況を見ると梓が優勢。
右腕以外は生身のはずだが、梓は果敢にも追撃を試みる。
一方のデリートは、梓の攻撃を防ぎはするものの反撃はしてこなかった。
「お姉ちゃんを傷つけようとした罪、ここで裁いてやる!!!」
梓は全体重を乗せた右拳を突き出した。
逆刃の短刀がデリートの体を掠める。
この調子なら、デリートを撃退することができるかもしれない。
そう思った矢先。
「フム。アナタはソートル倒した者ではナイようダ」
呟いたデリートは、無造作に梓の刃を掴んだ。
「え?」
鋭利な刀身を、2本の指だけで完全掌握。
まるで子供から玩具を取り上げるかのように、掴んだ短剣をひょいと奪うデリート。
直後、目にも留まらぬ速さで槍が動き、六角柱の結晶が梓のみぞおちに叩き込まれた。
「ぐえッッ!!」
梓の口から苦しそうな声が漏れる。
デリートは梓の右腕を掴むと、そのまま軽々と持ち上げた。
黒い手甲がみしみしと音を立てて歪む。
「な……離してッ!」
「フンッ!」
凄まじい握力を披露したデリートは、あろうことか梓を放り投げた。
「きゃああッッ!!」
梓の身体は空中で一回転し、コンクリートの壁に頭から叩きつけられる。
リミテットリガーを装動しても、守れるのは腕部のみ。
生身の身体が衝撃を吸収できるはずもなく、地面に落下した梓はうつ伏せのまま動かなくなった。
「梓!!!」
慌てて駆け寄る唯。
「梓! 梓! しっかりして!」
「ぅ…………お姉……ちゃん…………」
辛うじて息はあった。
目立った外傷や出血は無いが、自力では動けないようだ。
頭を打った衝撃で脳震盪を起こしているかもしれない。
「馬鹿! 無茶しすぎ!」
「…………ごめ……ん……」
肺活量を奪われたかのように、小さな声で呟く梓。
抵抗する術を失った姉妹の元へ、デリートがゆっくりと近づいてくる。
「やハリお前たちのアームズ技術では、ソートルを倒すのはフカノウと結論ヅけタ」
デリートが改めて槍を振り上げる。
銀色の穂先が唯と梓をロックオン。
「消去スル!」
「あ……」
無念だった。
自分だけならまだしも、梓まで巻き添えになるなんて。
無意味と分かっていても、唯は梓に覆いかぶさる。
最期に愛する家族を抱きしめたかったから。
その瞬間、雷が落ちた。