第9話 怪しい影
いくつもの交差点を超えて、歩き回る道すがら。
無人の街を往く唯は、早くも集中力が切れてきた。
「予想はしてたけど、本当に何にも見つからない……」
注意深く辺りを見回しながら歩く唯の前には、瓦礫にまみれた景色が広がっている。
折れ曲がったレストランの看板。
店内にガラス片が散乱するカフェ。
アパレルショップが入るビルは、えぐり取られたように崩れていた。
「こんなの、私一人でどう防げばいいのよ」
械獣に抗うことができるのは、アームズ装者だけ。
そして、この街にいるアームズ装者は唯のみだ。
街の被害、イコール唯の失態。
唯がもっと強かったら、人々の日常が壊されることはなかっただろう。
時間の止まった街を見つめながら、唯は改めて責任の重さを実感した。
…………めちゃくちゃ胃が痛くなってきた。
「はぁ…………あ、これって」
ふと顔を上げると、玩具店の店先に笹の枝が巻き付けられている。
「そうか。今日は七夕か」
7月7日。暦の上では七夕という日らしい。
毎年この日になると、笹の枝に願い事を書いた短冊を飾るしきたりになっている。
日本国という枠組みが無くなっても、暮らしてきた人々の慣習は簡単には無くならなかった。
しかし笹の枝をよく見ると、短冊は一つもぶら下がっていない。
戦闘のせいで、短冊を飾る人がいなくなってしまったからだ。
「せっかくだし、何か書いてやるか」
誰も願い事を書かないまま七夕が終わってしまうのがもったいないと思った唯。
玩具店を覗き込むと、まっさらな短冊と油性ペンが並んでいた。
一番上にあった紅色の短冊を拝借。
ペンのキャップを取り、願い事を胸に尋ねた。
「嶺華さん、かな」
回答は迅速だった。
あの時、龍の少女が来てくれなかったら。
唯も瓦礫の一部になっていたに違いない。
胸中に占めるのは、彼女への想いだけだ。
短冊にすらすらとペンを走らせ、麻紐で笹に括りつける。
「…………これでよし」
嶺華さんにもう一度会えますように。
何の捻りもないけれど、願いは単純明快な方がいいだろう。
「さて、休憩終わり。もうひと頑張りしますか」
屈伸や背伸びのストレッチを経て、唯は再び歩きだした。
見つけたい遺留品のイメージを掴むため、嶺華がドルゲドスと戦っていた時の様子を思い返す。
「そういえば、嶺華さんって被弾してなかったような? アームズの破片なんてそもそも落としてないんじゃ……?」
イメージ失敗。
どんなモノが落ちているのか、曖昧なまま見回るしかない。
地図アプリを開き、自分の担当エリアを再確認する。
ビルを取り囲む路地が多数あり、網羅するにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「今日も夕飯は夜中コースかなぁ……」
唯がため息をついた時だった。
「え?」
視界の端で、何かが光った。
喫茶店が入るビルの脇、隣の建物に挟まれた細い通路。
傾き始めた夕日に反射した『何か』が、ゆらりと通路に入っていくのが見えた。
「何、今の?」
一瞬だけだったので、生き物かどうかも分からない。
ビルの壁に駆け寄り、恐る恐る通路の中を覗き込む。
誰もいない。
喫茶店の裏口に掛けられた「STAFF ONLY」の札が、風になびいてカタカタと音をたてている。
「見間違い?」
首をかしげながら唯が振り返ると、背後に大きな人影が立っていた。
「うわああッ!!!」
悲鳴を上げながら飛び退く唯。
咄嗟に短刀を取り出そうとして、すぐに持っていないことを思い出す。
音もなく背後を取られた。
その事実に背筋が凍る。
怯える顔を隠しきれないまま、唯はまじまじと人影を見上げた。
「(か、械獣? ……にしては人型すぎる)」
背丈はおよそ2メートル。
頭のてっぺんから手先足先に至るまで、青みがかった銀色。
人間と同じ関節構造を持ちながら、体表には小さな装甲片が鱗のように敷き詰められている。
日光をキラキラと反射させる様は、まるで整形されたダイヤモンド。
顔の部分に口や鼻は存在せず、代わりにスキーヤーがつけるような黒塗りのゴーグルが取り付けられていた。
「(なんなの?)」
人型械獣(?)は直立不動のまま動かない。
ゴーグルの中から、不気味な視線が唯を舐め回してくるのを感じる。
「(とにかく、美鈴さんに連絡を!)」
唯は銀色の人型から目を逸らさずに携帯端末を取り出し、通話ボタンを押す。
目の前で電話なんて始めたら、人型を刺激してしまうかも。
だが首に掛けた骨伝導式のインカムを使えば、相手に通話音を聞かれる心配はない。
通話さえかけてしまえば、こちらから話せなくても美鈴に異常が伝わる可能性がある。
「(美鈴さん、気づいて……)」
しかし、いつまで待っても発信音が聞こえてこなかった。
携帯端末の画面をちらりと見ると、アンテナマークが1本も立っていない。
画面に映る「圏外」の文字に、唯の体から嫌な汗が噴き出した。
美鈴と分かれた時はアンテナが4本立っていたはずだ。
「(なんで!? こんな時に携帯端末の故障!?)」
焦りでパニックになりかけた唯をさらなる混乱が襲う。
「luギzka儀dfa…………アー……アー、コちらノ言葉は理解できマすカ?」
銀色の人型が喋った。
唯のよく知る言語で。
「は……?」
「オや、通じテませんカね」
女性にも男性にも聞こえる、機械合成のような声。
「おかシイですネ。この辺りデ使わレている言葉を解析したハズですガ」
首をかしげながら、尚も話しかけてくる人型。
械獣と対話できたという事例は聞いたことがない。
それどころか、人類を苦しめて来た械獣は、何を目的に、何処から来るのか、何一つ分かっていないのだ。
だが、現に目の前で言葉を話す存在がいる。
自分が械獣と対話する最初の人類になるのか。
唯はごくりと唾を飲み込み、意を決して返事をした。
「つ、通じてます。あなたは何なんですか?」
「オオ、良かっタ良かっタ」
人型は咳払いのような仕草を取ると、カタコトの日本語で話し始めた。
「ワレの名は『デリート』。モシよろしけレバ、アナタに聞きタイことガありマス」
「聞きたいこと?」
「コノ地コノ場所で生じた戦イのことデス。2晩前、コノ場所にソートル来た。知ってイますカ?」
ソートル。唯の知らない言葉が飛び出した。
2日前のことなら、唯がドルゲドスに追い詰められた日だ。
「もしかして、こんな大きな怪物のことですか?」
腕を大きく広げてスケール感を表現してみる唯。
「エエ、ソウデス。ソートルはツヨイ。コノ地の民では消去フカノウ。でモ、ソートル消去されタ」
どうやらソートルというのは、ドルゲドスを指す言葉らしい。
械獣の名前はAMFが勝手に命名したものだから、ソートルというのが本当の名前なのだろうか。
「(本当の名前を知ってるんだとしたら、こいつがドルゲドス出現に関わってるの?)」
唯の中で、警戒のギアが1段上がった。
「ソコデ教えテ欲しイ。誰ガソートル消去したのカ。アナタ、知っテいまス?」
ストレートな質問。ゴーグル越しの顔色は読み取れない。
「…………いえ、知りません」
唯は嶺華のことについて話さないことにした。
デリートの目的が分からない以上、下手にこちらが知る情報を渡さない方がいいだろう。
「そうデスカ。ザンネン」
デリートは肩をすくめると、それ以上聞いてこなかった。
「質問はそれだけ?」
「ハイ。もうアナタに用はありまセン」
「じゃ、じゃあ私はこれで」
とにかく、一度美鈴たちの所へ戻って報告しなければ。
唯がそそくさと立ち去ろうとした時、デリートが一歩近づいてきた。
「ア、チョット待っテくだサイ。ワレが来たコトはマダ、この地の民に知られタクないのデス」
「あなたのことを秘密にしろってこと?」
「そうデス」
「…………分かった。他の人には黙っておく」
もちろん美鈴たちには報告するが。
言葉を話す械獣なんて前代未聞だ。
AMFの中は大騒ぎになるだろう。
脳内で報告書を書きながら後ずさる唯。
しかし、デリートは唯から視線を外さなかった。
「アナタが約束を守ルとは限らナイ」
「え?」
一瞬で嘘を見透かされた。
相手を信用していなかったのは、デリートも同じということか。
唯が戸惑っていると、デリートは銀色の右腕を軽く振ってみせた。
すると、右手の周囲の空間がみしみしと音を立ててひび割れる。
「空裂!?」
極小の亀裂の中から、細長い物体が飛び出した。
物体は吸い付くようにデリートの右手に握られる。
それは、奇妙な形をした槍だった。
片方には鋭い銀色の穂先。
反対側の先端には、六角柱の結晶のような物体が生えている。
「ワレのコトを秘密にしてモらうニハ、モっと確実ナ方法がアリマス」
槍の穂先が向いたのは、唯。
「コノ場所でアナタを消去すればいいのデス」
ゴーグルの中の視線に、殺意が宿った。
「じょ、冗談じゃない!」
唯はいきなり物騒なことを言い出したデリートに背を向け、全力で逃げ出した。
地面に散らばる瓦礫を飛び越えながら、とにかく走る、走る。
アームズを纏っていない今の唯は、械獣の攻撃を一発でも貰ったら死んでしまう。
後ろを振り返ると、槍を握りしめたデリートが追ってくるのが見えた。
銀色の体がどれほどの質量なのか分からないが、走るのに困ってはいないようだ。
徐々にデリートのスピードが上がり、唯との距離が縮まっていく。
「(直線だと追いつかれる! 追いつかれたら殺される!!)」
唯は真横にあった通路へと飛び込んだ。
ビルとビルの間の狭い通路を駆け抜け、路地裏の小道を何度も何度も曲がる。
地図なんて分からない。
行き止まりに当たらないことを祈るしかない。
全力で腕を振りながら、がむしゃらに走った。