第一話:昼夜
オレの自宅へ帰る道すがらにも、各所で違和感が大盤振る舞いだった。
「───あ~。最寄りつっても地味に遠いよ~」
「徒歩20分だからな」
「もうさぁ、あっこの自転車拝借していかね?鍵壊して」
「物騒なこと言うな。
チャリも徒歩も同じようなもんだ」
「鍵っていえばさ~、鍵があれば乗れんのかな~、車の方はさ~」
「おっ、プ○ウス発見」
「独立して動くもんはイケんじゃねーの?現にスマホ使えるし」
「でも鍵ね~しな~」
「おれはボル○がいいな」
「四の五の言わずに歩けテメーら」
暗くなり始めた空。
迎えた下校時刻、迫る終業時刻。
なのに、どこの建物も明かりが点かない。
なのに、建物の軒先には個人の車が停まっている。
店に並んでいた商品や、プラットホームに置きっぱなしだった電車と同じだ。
誰もいないくせに、誰かが使ったらしいものや、誰かが使うかもしれないものはそこにある。
あとはもう食って寝るだけだし、深く考えるのはやめておくけど。
「暗い。街灯くんお返事して」
「これ着く前に完全視界なくなるヤツじゃね?」
「だよな。もーちょい急ぐか」
順調に帰路をいく間にも、空はますます暗くなっていく。
街灯は当てにならないし、スマホの電池も虫の息。
この調子では、星明かりのみを頼りに、残った帰路を進むはめになる。
「おい走るなって!単独行動!」
「走ってねえし。早歩きだし」
「どっちみち速いって~。置いてかんといて~」
それはいけない、と尻上がりにペースアップ。
最後には競歩大会となり、ようやく目的地に着いた頃には、オレ達自身が虫の息だった。
「マジでさぁ、誰だよ、急ぐとか言ったやつ」
「お前だ」
「これ別に、暗くなっても、よかったかもな。
だんだん、目、慣れてきたし」
「今更そんなこと、お前、こいつの前で言ってみろや」
「………。」
「死ぬなトメ!」
築8年の14階建てマンション。
目的地こと、大学入学を機に一人で暮らしている、オレの自宅。
インフラ死が現実味を帯びてきた今ほど、オートロックなし物件であることを喜んだことはない。
「や~、オートロックだったら死んでたな~」
「そもそも中入れんとこだったな~」
「ところでさ~」
「ん~?」
「エレベーター死んでるやん~」
「ん~」
「お前の部屋まで階段で行くとか言う~?」
「ん~、ふふふ。ね~」
「………。」
「………。」
「トメ、気を確かに」
オレの部屋があるのは8階。
言っても書いても嘲笑われる可能性大、意味深な文字列こと801号室である。
インフラ死が現実味を帯びてきた今、エレベーターは当然使えない。
エレベーターが使えないなら当然、階段を使う他ない。
今ほど、日頃の運動不足を悔やんだことはない。
「ホン───ッッットに、階段ってさあ!なんのためにあんのかなあ!」
「上に上がるためだあ!」
「なんのさあ!ためにさあ!上に上がる必要さあ!あんだぁ!」
「帰るためだ!」
「エレベ、ター、げほっ、えべ、たーがさぁ、オエッ」
「ちょっ、大丈夫かお前マジで。代わるか?そろそろ」
「いい。応援して」
「ダーリン頑張って!」
「おれも……」
「死ぬなトメ!」
じゃんけんに勝った照美が、三人分の荷物持ち兼、三人共の視界をスマホのライトで保持する係。
じゃんけんに負けたオレが、一人では重力に勝てない早乙女の背中を後ろから押してやる係。
助け合いとは名ばかりの分業制度を設け、8階までの階段を上りきる。
虫の息を越えると息自体が出来なくなるんだって、オレ初めて知ったよ母さん。
「二度と御免だこんな思い」
「かわいそう」
「お前が言うな」
「よこになりたい」
「皆まで言うな」
「でも、災害あった時とか、こんなもんじゃねーんだよな」
「はやくして」
「今開けるってば!」
上着のポケットから財布を取り出し、財布のポケットから部屋の鍵を取り出す。
疲労が嵩んだせいか血糖値が下がったせいか、俄かに震え出した手で801号室のドアを開ける。
室内は外以上に真っ暗。
手探りで照明のスイッチを押してみるも、やはり点かない。
「わり、俺のスマホもさすがに限界」
「むしろよく持ったな」
「ここまで来れば十分だよ。助かった」
靴を脱ぎ、部屋に上がる。
玄関が駄目でも念のためと、バスルーム、リビング、キッチンの照明も確認してみる。
点かない。
駄目で元々と、テレビの電源も確認してみる。
点かない。
「結局か~」
「そんなことだろうと思ったけどな」
「明かりはまだしもテレビがな~。
テレビっ子に半日お預けはキツイよ~」
「俺はネットのが断然キツイわ」
「コラそこー、まだ落ち着くなー。一通り済ませてからにしろー」
まず、電気の死亡が確定。
死んでると見せかけて、スイッチ押したりコード挿したりすれば、案外ふつうに点いたりとか。
というオレ達の淡い期待は、綺麗さっぱり打ち砕かれた。
明かりはまだしもテレビが観られないのは、情報収集的にも退屈しのぎ的にも痛手である。
「とりあえずは、これで何とか」
「こんなん持ってんの意外すぎるわ」
「なんであんの?お前キャンプとかするっけ?」
「しねーけど、非常時にあると便利だからって母さんが」
「備えあればってやつ」
「やっぱ独立したもんはイケんのな」
「乾電池な。これもストックあって良かったわ」
手探りのまま、シェルフの二段目から予備のLEDランタンを引っ張り出す。
こちらはスイッチを押せば点いてくれた。
部屋全体を照らせる照度はないが、手元足元に不安がなくなったのと、互いの顔が見えるようになった。
「賭けるか?」
「ぜんぶ駄目に一万」
「右に同じ」
「賭けにならねーじゃねえか」
気を取り直して、ランタン片手にキッチンへ移動。
照美がシンクの蛇口を捻る。水が出ない。
早乙女がコンロのつまみを回す。火が出ない。
元栓は抜けていない。閉めてもいない。
急に壊れてもおかしくないほど、古びているわけでもない。
覚悟はしていた。
していたが、改めて事実として突き付けられると、受け入れがたいものがあった。
「インフラって、他に何あるっけ」
「ダムとか、道路とか」
「根本が死んでるんだから、そっちは確認するまでもないだろ」
「………。」
「………。」
「座るか」
電気、水道、ガス。
それから、通信関係と交通関係。
ライフラインの全部を確認して、全滅が確定した。
なるほど。
ライフの名を冠するだけあって、封じられるとたいへん困る。
「お前、今日一日で老けたな」
「うるせえ。このランタンが微妙な色で光るせいだ」
「ラブホみたいでキショいよな。他のねーの?」
「うるせえこれしかねえ」
「でも明かりあんのとないのとじゃ、やっぱ違うわ。ほっとするわ」
「な。明るいっていいな」
「原始人みたいなこと言うやん」
応急処置。
まず電気だ。
光源はさっきのランタンを、リビングのテーブルに設置。
ついでに、オレ持ちのモバイルバッテリーでスマホの充電も行う。
三等分となると配分が減るので、一人頭40%前後が御の字ってところか。
水は、店で買ってきた500mlペットボトルが6本と、冷蔵庫にストックしてある2Lペットボトルが2本ある。
前者を飲む用に、後者を手洗い用などに分ければ半日は凌げる。
ガスおよび火は、正直なくてもいい。
肌寒さは厚着すれば間に合うし、食い物も調理不要の既製品を揃えた。
まさかこんな時に、水も電気もガスも食う風呂に入りたいと思うやつはいない。
「なに買ったんだっけ?」
「えー、ポテチと、チョコとー……」
「飲みモンは?」
「甘いのと茶と水とコーヒー」
「おれコーラ」
「コーヒーくれ」
「なにから食う?ポテチ?」
「開けちゃる」
「まさかのパーティー開け」
「カップ麺は作らんでいい?」
「水もったいないから要らん」
「冷たいしな」
「できれば温ったかいもん食いたかったなぁ」
「そういや寒いの平気かお前ら?ブランケットあるけど」
「今んとこは」
「おれは暑い」
「だろうね」
三人寄れば文殊の知恵。
限られた条件下でも、工夫次第で適当に過ごせる。
オレ達なら、どんなに不便や不利が生じても、どんな苦境や困難に遭ったとしても。
そういうゲームかアトラクションかのように、変換できなくもない。
照美と早乙女がいてくれる限りは、少なくともオレには、この夢は悪夢ではない。
「───やっぱ歯磨きせんと口キモいわ」
「水なしで構わんならやってこいよ」
「それよかさぁ、さっきお前のしたウ○コさぁ」
「さすがに本来の水洗でないと無理だったな」
「つーかマジで、この状況でウン○すんな」
「そうだよね。おれもホントそう思う」
「他人事やめろ」
ランタンを囲んで漫画を読んだり、オフラインでも聞ける手段で音楽を流したり。
なんだかんだと、適当に過ごすこと数時間。
23時も30分を回ったところで、オレ達は就寝の準備に入った。
「で?おれのウ○コがどうしたって?」
「もしさぁ、この世界の出来事が現実とリンクしてた場合さぁ、朝起きたらトイレにお前のウン○あんの最悪だなと思って」
「おまけに浦島太郎だったらどうする?」
「発酵してそうだな」
「浦島太郎レベルならもう化石だろ」
「飽きた。
あったらあったで流せばいいし、詰まったら業者呼べばいいよ」
「いきなり梯子外しやがったコイツ」
「なによ一人だけイイコぶって」
オレはベッド、照美と早乙女は来客用の敷布団。
それぞれの寝床に就き、目を閉じ、軽く談笑を交えつつ、睡魔の訪れを待つ。
「寝れそう?」
「たぶん」
「俺ぜんぜん眠くないんだけど。
俺だけ寝れんかったらどうしよう」
「そん時はそん時だろ」
「この薄情者めが。
俺より先に寝ようとしたら叩き起こしてやるからな」
「自分が寝る努力をして」
「おれが最後まで起きててやるから大丈夫だよ」
「ありがとうトメ」
「一番うとうとしてますけど」
疲労した体は休養を求めている。
すぐにとは言わないまでも、24時を回る頃には、三人とも眠りに落ちているだろう。
「なにはともあれ、続きは起きてからということで」
「あいよ」
「おつかれ~」
そして、予定の24時。
あるいは夜の12時、もしくは0時。
今日から明日へ、日付を跨こうという正にその瞬間に、何故か。
「───は?」
夜が、明けた。