第七話:臨界点 2
外敵はない。災害もない。
これといった脅威がない。
やりたくないことを強いられることもない。
むしろ、好きなことだけをしていい。
本を読むのも、映画を観るのも、ゲームで遊ぶのも。
準備のための手間はかかるが、自由にし放題だ。
飲み食いだって、生きるためにはしなくていい。
お菓子ばかりに偏っても、夜中に揚げ物パーティーしたっていい。
誰にも怒られないし、健康被害もないし、お金もかからない。
いつも薄暗くて、なんだか肌寒くて、静か過ぎて落ち着かない世界ではあるけれど。
そこさえ目をつむれば、まさに理想郷。
全部じゃないが、大体のことは、自分の思い通りにできる。
子供の頃に夢に見た、なんでも叶うの縮小版が、ここにはあるんだ。
上辺だけを切り取れば、羨ましがる人はごまんといるだろう。
「(トメも、テルも。
自分なりに答えを出して、自分でいようと頑張ってる。
他のみんなも、かなり参ってるみたいだけど、ギリギリ踏ん張ってる。
まだ、完全に、全部が駄目になったわけじゃ、ない)」
なのに楽しくないのは、嬉しくないのは。
好きなことだけしていいはずなのに、好きなことをしたい気持ちにもなれないのは。
先がないと、知っているから。
結果が伴わないと、分かっているからだ。
一生懸命に絵を描いたとして、描いた絵は翌日になれば消える。
腹いっぱいに美味いものを食ったとして、充足感は翌日になれば失せる。
残らない。続かない。
自分が何かをした痕跡が、何も形にならない。
「(ただ、次にどうするか、今度は何をするべきか。
案が浮かばない。このままじゃ駄目だとみんな分かっていて、その先を考える力がみんな残ってない。
かくいうオレも、真っ白になる寸前だ)」
自分あっての世界。
世界あっての自分。
隣に誰かがいて初めて、自分にとっての世界がある。
誰かに認められて漸く、自分は世界の一部になれる。
食べて寝てさえ繰り返せば、死にはしないかもしれない。
死にはしないことと、生きていることはイコールではない。
"人間は一人では生きられない"。
形骸化した言葉の本当の意味を、初めて理解できたような気がする。
「(なにか、なんでもいい。
起死回生にならなくていい。一発逆転できなくていい。
せめて、真っ白になってしまう前に。
みんなの目を覚ます、なにかを───)」
気付いたオレが何とかせねば。
そう思い立った、二十五日目の夜。
全員の尻に火をつけるような、鶴の一声があった。
「話を、しませんか」
まさかの、未来ちゃんだった。
中でも特に消極的で、自己主張するタイプでない彼女が、現状を打破するきっかけを作った。
「話って?」
「なんの?」
「皆さんの。自分たちの話です」
「身の上話ってことですか?」
「そうです」
「なんでまた?」
「ずっと、避けてきたから。
なんとなくの自己紹介とか、好きな食べ物とか、印象深い思い出とか。
話せたのはそういう、断片的なものばかりで、しっかりと、どういう生い立ちかって話は、誰もしてないです」
「それは、そうだけど……」
「今さら必要ありますかね、それ?
話したところで、あんまり関係なさそうですけど」
「関係は、ないかもしれないですが。
必要も、必ずしもは、ないかもしれませんが」
己の証明。
自分という人間が何者か、自分以外の人達に明かすこと。
簡単なようで、とても怖いこと。
誰も率先したがらないのは、納得だった。
納得したのにも、納得だった。
「このままでいては、変えられるものも、変えられない。
ずっとこのままかもしれないし、あした急に、何もかも終わってしまうかもしれない。
ぜんぶ、保証がないです」
「保証がないから、やることやっといた方がいいと」
「取り返しがつかなくなる前に、後悔しないように?」
「なんの保証もなくて、結局なんの変化もなくて、ただただ気まずい空気になっちゃったら?
だったら知らない方が、まったく他人のままでいた方が良かった、ってなったら?」
「それでもです。
やれること全部やって、それでも本当に変えられないのか、見付けられないのか、確かめるだけでも意義はあると、……ある、気がします」
「……まあ、どのみちジリ貧だものね」
「他になーんにも、やることないですしねー」
「やれることもね」
「珍しいよね。ミクちゃんがそんな風に、熱くなるの」
「あつく───、なってますか、わたし」
「なんか思うところあった?」
「いいえ……。
どうするのが正しいのかは、わたしにも、ちっとも……」
なんとなく、分かっていたんだ。
みんな、自分を悟られるのが嫌いな人種だって。
だから当たり障りない話題に終始し、仲間だのチームだのと謡いながら、腹を探り合ってばかりいたんだって。
ひょっとすると、オレ達の唯一の共通点は、これかもしれないって。
「ただ、わたし、皆さんがいい人だっていうのは、思うんです、すごく」
「どこの誰かも知らないのに、ですか」
「どこの誰かも知らなくても、ちょっとした会話とか、仕種とかで、悪い人じゃないっていうのは、分かります」
「そうか?」
「じゃない?おれもそう思うよ。
ここにいるみんな、優しい、いい人だよ。
芸能人みたいな、キラキラした感じはなくてもさ。
平凡だけど凡庸じゃない、人としての当たり前を、当たり前にできる人達だって」
「そこは僕も同意します」
「わたしは、もっと、皆さんのことを知りたいですし、どうせ直ぐ切れる縁だからって、適当にはしたくないです」
思いつく限りの万策は尽きた。
また新しい道を進むならば、まずは互いに歩み寄るところから。
「わたしが皆さんをいい人だと思ったように、現実の世界でも、皆さんを大事に思っている人達がいるはずです。
皆さんの帰りを待ってくれている誰かが、場所があるはずです。
正しいことが分からないとしても、とにかく今は、今できることをやる。
結果として遠回りでも、一歩ずつを着実に進む。
出会った時と同じ。初志貫徹です。
あの時ああしていればって、もう、言いたくないから」
一月近く一緒に過ごした仲なら、もう他人ではない。
これきり二度と会わなくなっても、なかった存在にはならない。
もっと知りたいと思っても、いい頃じゃないか。
どうせ切れる縁だからと、予防線を張るのをやめても、いいんじゃないか。
「みんなで一度、がむしゃらになってみませんか」
断言する。
この中で一番、まともな人生を送っているのは、オレだ。
そして、この中で一番、自分の人生を誇れないのが、オレだ。




