第七話:臨界点
四日目。
探索チームと留守番チームのメンバーを変えて、引き続き別行動。
いずれも進展なし。
五日目。
"車に乗ったまま0時を迎えると、乗っていた人間はどうなるか"について検証。
車は元の場所へ、乗っていた人間は現場に取り残されることが判明する。
六日目。
"異空間に迷い込む直前の行動を、各々で再現したらどうなるか"について検証。
哲人さんは施設、芦辺さんは会社。
広恵さん、未来ちゃん、博士くんは自宅。
ミニマム三馬鹿は学校のグラウンド、オレたち三馬鹿は中央駅前広場にて。
0時を迎えると同時に、体が宙に浮いた状態を、意図的に作り出した。
残念ながら、普通にタイムループが発動して終わった。
全く同じ条件を揃えても、現実には帰れないことが判明する。
七日目。
三日目、四日目に同じ。
いずれも同じく進展なし。
八日目。
"全国的に見れば、もっと人が集まっている場所があるかもしれない"について検証。
テルと芦辺さんの二人でタクシーを使い、一先ずは市外に出るつもりでスティラを発つ。
同日夜。
テルと芦辺さんが、スティラに戻ってくる。
「───おかえり」
「………ただいま」
どうして、こんなに早くに戻ってきたのか。
テル達の顔を見れば、訳を訪ねるまでもなかった。
要するに、失敗したのだ。
諸国外遊どころか、市外に出ることさえ叶わなかった。
「壁?」
「どんくらいの?」
「サイズとかの問題じゃない。
便宜的に壁って言い方をしただけで、実際は何もなかった」
「何もなかったのに、それ以上先へは進めなかったってことですか?」
「ここまでが市内、ここからが市外という境界線を越えようとすると、いくらアクセルを踏んでも空回りするんですよ。
雪道やぬかるみにタイヤをとられるように」
「何処もそうだったの?
札幌方面への道は駄目だったけど、釧路方面は行けそうだったとか」
「一通り回りましたが、全滅でした」
「てことは───」
「この町からも、出られないってことか……?」
市外へ出るための境界線を越えようとすると、透明な壁に阻まれたようになる。
行動範囲を広げようと行動したはずが、逆に狭める結果となってしまった。
それ則ち、異空間に於ける総人口が、ここにいる11人で上限であること。
この町こそが異空間の全てであることを、意味していた。
「───おはようございます」
「おはよ。
つっても、さっきぶりだけど」
「ですね」
「今日の晩ごはん、なんかリクエストありますかぁー?」
「あー……。いや、オレは特に。
みんなに聞いて回ってんの?」
「そうです。
ヒロちゃんさんはお忙しいので、ボクたちが代わりに」
「そっか。わざわざありがとね。
オレは何でもいいから、なんか、いいから、なんでも」
「分かりました。伝えておきます」
「他のみんなは?なんて?」
「おんなじような感じです。
なんでもいーとか、合わせるよーとか」
「まあ、ボクたちも、なんですけど」
九日目。
急激に、みんなの口数が減る。
欠かさないのは挨拶と、今日の食事はどうするかの相談だけ。
無理もない。
談笑をしようにも、当たり障りない話題は、ほぼ出尽くしてしまったのだから。
元は他人同士である以上、共通項を失えば、談笑の必要さえない。
「───ヒロちゃん」
「ニーナくん。どうしたの?」
「もうさ、いいんじゃない?」
「え?」
「食事、とかさ。
もう、無理に頑張らなくても」
「……確かに、みんな気乗りしなくなっちゃったもんね」
「あ、いや、ヒロちゃんのごはんは全部おいしいんだよ?
野菜とか、いろいろ入ってて、気遣ってもらえて、すごい、有り難かったし」
「でも、ぶっちゃけ必要ないよね」
「ヒロちゃんのごはんがってか、食事自体が、ね。
せっかく頑張ってくれても、結局……」
「そうだよね。うん。
みんな口には出さないけど、みんなそう思ってるよね、きっと」
「ちが、ごめん、あの、いらねーよとか言いたいんじゃなくて───」
「わかってるよ。ありがとう。
料理なんかしなくても、ここには食べ物くらい、いっぱいあるしね。
みんなそれでいいなら、私もそれでいいや」
十日目。
みんなで食事をしなくなる。
話し合いで決まったわけではなく、暗黙の了解でそうなった。
無理もない。
食事を抜いたところで死なないし、12時間経てば空腹も元通りなのだから。
調理の手間や、調理のための環境を整える手間を考えれば、億劫にもなってくる。
「───ほんとに、やめちゃうんですね」
「そうだね」
「もし、まだ此処にいない人がいたら、その人は、どうなるんでしょうか?
目印なくなったら、ぼくたちが此処にいるってこと、その人は分からないですよね?」
「そうだね」
「……もう、誰もいないから、必要ない、ですか」
「そうとは言わない、し、思いたくないけど……。
しばらくは、いいんじゃないかな、とりあえず」
「探索も、しなくなっちゃうんですか?」
「どうだろう。そっちは止めようって話にはならなかったから、一旦お休み、かな?」
「……お休みになる前に見付けてもらえて、良かったです」
十一日目。
人間ホイホイの設営が中止になる。
これは話し合いをした上で、不要だろうと結論が出た。
無理もない。
日課のように熟したところで、結局は徒労に終わるだけ。
オレ達が出会うきっかけにはなったし、名案には違いなかったが、もはや無用の長物というわけだ。
「───いた、テットさん。
危ないですよ、一人で動いちゃ」
「ああ、ごめんね。
ちょっと外の空気をと、思ってね」
「……外、好きですか?」
「好きだよ。気持ちいいからね。
今はあんまり、気持ちいいって感じはしないけど」
「やっぱそうなんすね」
「君は?外に出るのは、好きかい?」
「うーん……。好きなほう、ですけど。
オレも今は、あんまり、ですかね」
「そう。
今時の若い人は、そういうものかね」
「今時のって?」
「みんなだよ。前と違って、殆ど外に出なくなったろう?
暗い顔をして、喋りもしないでさ、会ったばかりの頃と比べて、別人みたいだよ」
「それは……」
「みんなも、外の空気吸えば、気分転換くらいにはなるかもしれんのに、ねえ。
まあ、オレが気分転換、なってるかって言われると、やっぱりあんまり、なんだけどね」
みんな、目に見えて疲弊していった。
当初の懸念が、懸念した通りになってしまった。
「───戻りました」
「ああ、お帰りなさい。今日もよく眠れました?」
「そう……、ですかね。ええ。眠れたんじゃないでしょうか」
「……の割に、全然すっきりした顔してないですね。大丈夫ですか?」
「大丈夫、……僕は、大丈夫ですけど。
今更ながら、やめておけば良かったかなって、後悔し始めてます」
「なんの話すか?」
「こないだのですよ。テルくんと二人で、市外に出てみようとしたこと」
「ああ……。なんで後悔?」
「だって、あの日からみんな、一気に落ちちゃったじゃないですか。
事態が好転するようにってやったことなのに、却って悪化というか、とどめ刺したみたいになっちゃって」
「いやいや、そんな。アシベさんが気に病むことじゃないですって。
どのみち、いつかは確かめなきゃいけなかったですし」
「だとしても、今じゃなかったかなって、思うんです。
せっかく仲間が増えて、前向きに頑張ろうって雰囲気だったのに、壊してしまった」
「……なんとも言えないっすけど、とにかく、アシベさんは悪くないです」
「ありがとう。
……このこと、テルくんには言わないで」
やはり、太陽の存在は大きかった。
たとえ生命維持に直結しなくとも、痛くも痒くもならずとも。
人間には、生き物には、太陽や風や、自然の恵みが必要不可欠だったんだ。
太陽を浴びると暖かくて、風が吹くと心地好くて、空気を吸えば清々しい。
五感の全部を使って初めて、生きている実感とは湧くものらしい。
「───トメ」
「おう、ニーナ。お前もメシ?」
「いや、オレは……。
お前こそ、なんか食うの?」
「うん。お腹すいたから、適当に」
「マジすげーよな、お前。
毎日欠かさず食ってんの、お前だけだよ」
「ごめん卑しくて」
「ンなこと言ってねーだろ。
オレは腹減っても、どうせと思って無視しちまうから。
お前はちゃんと、それらしくしてんの、偉いなってことだよ」
「わー、褒められると思わなかった」
「茶化すなよ。真面目に言ってんのに」
「そうだね。
おれも、我慢しようと思えば、絶対ムリってわけじゃないんだけどさ。
寝たくても寝られない代わりに、食べることは、制限はされてないわけだから。
せめて、なんか、一個だけでも普通にしたいっていうか、残しておきたくて」
「三大欲求的な?」
「そうそう。
こんな状況じゃ、ナニこく気にはならんでしょ」
「さすがにな。
……三大欲求と言えばさ」
「うん?」
「どう思う?アシベさん」
「どうって?」
「あの人は寝れるわけじゃん、唯一。
羨ましいって思う?」
「思わん」
「なんで?」
「ニーナだって思ってないっしょ?」
「ないけど……」
「最初はちょっと、いいなって思ったこともあったよ?あったけど……。
毎回死んだように寝るじゃん、あの人。起きてる間も顔真っ青で、フラフラで、ゾンビみたいでさ。
あんな姿見せられたら、羨ましいなんて、とても」
「そっか。そうだな」
「寝たくても寝らんないのも辛いけど、普通にしてたいのに眠くて眠くてどうにもなんないってのも、きっと辛いんだろうな」
「……そうだな」
睡眠の重要性にしたって、そう。
三大欲求と言われちゃいるが、それは現実での話。
異空間では食欲も睡眠欲も、満たされなくても死にはしない。
性欲に至っては、現実でも同じくだろう。
だから、寝なくて済むなら、寝なくていい。
睡眠というロスを省ければ、半永久的に活動し続けられるメリットさえある。
なんて、思っていた時期のオレが馬鹿だった。
睡眠とは、体を休める以上に、脳を休ませるために必要だったんだ。
タイムループのおかけで肉体的にはリセットされても、精神的にはフラットのまま。
稼動し続ける脳は、途切れない記憶で溢れ、やがて思考回路にまで浸蝕する。
昨日と今日の境がない。
過ぎた時間と経験が、過去にならない。
例えるなら、徹夜を何度も繰り返すような、ゴールの見えないマラソンを走るような。
いくら体は疲れ知らずでも、そんな状況で平静を保っていられる人は、まずいないだろう。
「───テル」
「あん?ああ、ニーナか」
「何してんの?おまえ」
「何って?」
「いや……、さっきから歩いてばっかじゃん。
どこでどうするでもなく、ずっと」
「これが目的だよ」
「歩くことが?」
「そう」
「なんで?」
「止まってると、なんか……、だりーから。なんとなく」
「ふーん……?」
「そういうお前こそ、酷ェ面してんぞ」
「え、そう?
別に、オレこそ、なんでもない、はずなんだけど。
なんだろうな、なんにも辛いこと、ないはずなのに。
ここには悪いやつも、怖いことも、ないのに」
「だからだよ」
「え」
「ここには無いってだけで、過去にはあるだろ。一つや二つ。
悪いやつ怖いやつに出くわした経験、嫌な思い出」
「うーん。20年も生きてりゃ、多少は……?」
「なんにもない状況だからこそ、それが沸いて出るんだよ。
毎日忙しく生きてたら、昔のこと考える余裕とかもなくなるんだろうけど、なんにもなかったら、勝手に沸いてくるそいつを止められない」
「フラッシュバックってこと?」
「みてーなもん。
夜中にふと黒歴史思い出して、恥ずかしくなってジタバタするっての、あるだろ?
あのふとした瞬間ってのが、今はずっとなんだよ。暇だから」
「じゃあ、暇じゃなきゃいいのか?前みたいに、好きな映画観るとか」
「ただ好きなことするんじゃ駄目だ」
「なんでよ」
「好きな映画って、知ってる映画だろ?
知ってるから好きになって、好きになったからには当然、内容もだいたい覚えてるだろ?」
「台詞も言えるな」
「そんじゃ駄目だ。
好きなもんにばっか浸ってても、それは暇を埋めてることにはならん。
時間を消費するだけで、沸いてくるやつの蓋にはならん」
「じゃあ、どうしたらいいんだ?逆に苦手なことすればいい?」
「苦手じゃなくてもいいけど、新しいことだな。
新しいものに触れて初めて、脳ってやつは活発に動く。
脳が活発に動いてる間だけ、蓋は閉じる。
嫌なこと、思い出さずに済む」
「……お前すげーな。哲学者みたいや。
なんでそんなこと知ってる?」
「知らん。俺はそうってだけじゃ」
「もしかして、そのために歩いてたりする?」
「そーともゆー」
そして何より、情報だ。
現実は、秒刻みで流動する。
良いニュースにせよ悪いニュースにせよ、絶えず変化して更新されていく。
世界そのもの、時間そのものが変化の連続、情報の集合体と言ってもいい。
それが、異空間では、無だ。
世界そのもの、時間そのものが停滞しているせいで、変化も更新もされない。
新しい情報を得られず、新しい刺激を受けられない。
"眠れないこと"と、なんと相性の悪いことか。
新しい情報が増えないということは、古い情報が減らないということ。
古い情報が減らないということは、忘れたい記憶や癒えない傷が和らいでくれないということ。
この状態に、更に不眠の要素を加えれば、悪魔のコンボの完成だ。
ただでさえ希望が潰えかけている中、麻痺した脳はトラウマばかりを反芻し、眠れないせいで強制シャットダウンも叶わない。
不眠症とか統合失調症とか、PTSDとか。
まさか、こんな形で擬似体験することになるとは。