第六話:老人と子供
「───80歳!」
「お元気ですね~」
「昔は、スポーツをよくやっていたからね」
「へー、なんのですか?」
「色々だよ。
野球にテニスに水泳に……」
「すげー」
「確かに、動いてた人の体してるもんね。
身長あるし、シュッとしてるし」
「いいなぁ~、スポーツ出来る人はぁ~。
おれなんて、けん玉しただけでもバテちゃうのに」
「俺も、子供の頃はそうだったよ。
むしろ、机に向かって勉強する時間が多かった」
「頭もいいんすね!」
「言うほどじゃないよ。
ちょっと大学を出たくらいで、昔はそれが珍しかっただけ」
「カッケー」
真島哲人さん。
かしわぎの里で暮らす80歳。男性。
丸まった背中、黒髪まじりの白髪、全身に散らばったシミにシワ。
この年代の割には大柄であることを除けば、どこにでもいる普通のおじいさん。
季節感ガン無視のセーターにぺらぺらの股引きという、寒いんだか暑いんだかのファッションセンスも、ある意味でお年寄りらしさを感じる。
本人いわく、若い頃は文武両道。
高齢となった今も、読書やクロスワードパズルを趣味とし、杖なしで自由に出歩くという。
ただし飲み食いすると高確率で噎せ、ふとした拍子に前後不覚に陥り、異空間に迷い込む以前の記憶が全くない。
ちなみに奥歯も殆どない。
実年齢と精神年齢に若干の齟齬があるようだ。
なんならちょっと認知症の疑いかありそうだ。
とは、みんな思っても指摘はしない。
「───え、ハカセじゃん!」
「神田ハカセ!」
「クラスメイトにも言われます」
「そりゃあ、このビジュアルでこの名前じゃねぇ。
もしかして中学は受験する組?」
「分かるんですか?」
「そういう雰囲気でてる」
「ガリ勉ぽいってことですか?」
「ちゃうちゃう。インテリジェンスって意味」
「将来はなんかの博士になるの?」
「特に決まってないですけど……。
どうせなら、儲かる職業がいいですね」
「おっ、シビア~」
「お金持ちになりたいの?」
「両親が安心して老後を過ごせるようにしたいんです」
「だってよトメ」
「やめてこっち見ないで」
神田博士くん。
来光小学校に通う男の子。学年は六年。
一度や二度は芸能事務所にスカウトされていそうな、際立って端正なルックスを持つ。
日焼け知らずの白い肌や、切り揃えられた坊ちゃんヘアーからも、上流階級で優等生な雰囲気が漂う。
唯一おかしい点は、彼だけしっかりパジャマ姿であること。
これまた絵に描いたようなチェックの上下で、首元までボタンを閉めている。
体の発育は遅いタイプらしく、ぱっと見はボーイッシュな女の子。
その割に、中身は大人顔負けに成熟している。
下手をするとオレは、勉強でも口喧嘩でも彼に勝てないかもしれない。
「───真島さんは"テットさん"、神田くんは"ハカセくん"と」
「若い人に、下の名前で呼ばれるのは、新鮮だなぁ」
「神田くんは?嫌じゃない?」
「嫌じゃないです。慣れてます。
皆さんの好きなように呼んでください」
「こうなると、いよいよ名字まんまで呼ばれてるのアシベさんだけになっちゃうな」
「この際だし、"サトルさん"に改めますか?」
「名字のままでお願いします」
オレと未来ちゃんは、真島さん。
テルと芦辺さんは、神田くん。
それぞれの場所で出会い、新たに加わってくれた仲間たち。
年齢差でいえば最も開きがある二人だが、異空間に迷い込んでからの行動が近い二人でもある。
「───よくじっとしてられましたね」
「流石にこれはおかしいぞと思わなかったんですか?」
「おかしいかなとは思ったけど、避難訓練とか、たまにあるから。
似たようなアレが始まったのかなと、思って」
「だから、担当の介護士さんが呼びに来るのを待ってたと」
「そう」
「で、いつまでも誰も呼びに来ないから、しぶしぶ部屋の外に出てみたと」
「そう。
そしたらそこの、お兄ちゃんとお嬢ちゃんがいて、ここに連れて来てもらったの」
「食べ物はどうしてたんですか?
施設とかってだいたい、給食みたいに出されたものを食べますよね?」
「そうだけど、部屋にもなんか、パンとかお菓子とかは、ちょっとはあるから」
「待ってる間は?テレビとかも点かなかったですよね?暇じゃなかったです?」
「暇だったから、寝てたら時間、過ぎてた」
「どうりで三日も耐えられたわけね……」
なにせ二人は、老人と子供。
施設で介護士に支えられるのも、自宅でご両親に守られるのも、保護される立場としては同じ。
故に二人とも、最初の二日間はテリトリーで過ごしたらしい。
真島さんは介護士の指示を待ちながら、神田くんはご両親の帰宅を待ちながら。
いつまでも現れない保護者と、身の周りで起こっている不思議の連続に、痺れを切らすまでは。
「───ハカセくんはまぁ、親御さん待つの分かるけど……」
「どうやって過ごしてたの?」
「基本的には、勉強してました」
「こんな状況で!?」
「日課なので」
「違和感は?さすがにおかしいなって、いつ気付いた?」
「最初から気付いてました。
でも、夢か何かだと思って、そのうち醒めるだろうと思って、あんまり慌てたりはしませんでした」
「胆力」
「お前よりある」
「黙れ」
「ご飯はどうしてたの?」
「食べてません」
「えっ」
「さっき車でパン食わせたけど、それが最初だって」
「ええ!?」
「お腹すかなかったの?」
「そんなには」
「いや……、そりゃあ12時間周期ではあるが……」
「夢なら別に、食べなくても死なないかなって」
「外に出たのも、どうすれば夢から醒めるか分からなかったので、情報集めに行こうとしていたそうです」
「かしこーい」
「お前よりな」
「テンドンやめろ」
とどのつまり、二人が痺れを切らしたタイミングで、オレ達は二人に出会ったわけだ。
そうでなければ、オレ達の方から二人を見付けるのは、無理だったかもしれない。
「テットさんは、かしわぎの里の居室にいて、オレは運転中だったけど、ミクちゃんが代わりに見付けてくれた。
ハカセくんは、テルとアシベさんが車から降りて、手分けして探索してる時にたまたま、道を歩いてるハカセくんと遭遇して……」
「纏めんの下手くそか」
「疑問なんだけど、わざわざ車降りようと思ったのはなして?
オレとミクちゃんも手分けはしたけど、車には乗ってたぜ?」
「なんとなく」
「なんとなく?」
「たとえば高層マンションに人がいたとして、車内からでは見逃す可能性があると思ったんです」
「なるほど……。
そういやハカセくん家って影下通りの方だっけ?」
「あのへん高級住宅地だもんなぁ」
「ま、詳しいことは追い追い。
続いてお留守番チームの報告どうぞ」
「ハァーイ!」
留守番チームにも進展あり。
異空間に迷い込む直前の、広恵さんの行動が判明した。
「───転んだ?」
「だけ?」
「だけ、かは分からないけど、それは思い出した」
「ミクちゃんも?」
「はい」
「転ぶ……。
0時ジャストでってのは、あんまり無いかもだけど……。
転ぶっていう行為、出来事?は、普通に有り触れてるよね」
「誰でも有り得るな」
「ミクちゃんは?
ミクちゃんもヒロちゃんみたいに、なにか用事があって0時まで起きてたの?」
「そうですね。
わたしも、厳密には思い出せないですけど……。
寝巻きに着替えてないってことは、直前まで何か、してたんだと思います」
「家の中での用事ってなんだろ?」
「家事じゃね?」
「あの、ボクも……」
「えっ、ハカセくんも!?」
4月30日、深夜。
日付が変わる直前のこと。
ちょっとした用事を片付けるため、広恵さんは自宅中を動き回っていた。
そして、転んだ。転びかけた。
動き回っていた最中に敷居で躓き、前のめりに大きく体が傾いた。
しかし転倒した記憶はなく、転倒による痛みを感じた記憶もなかった。
その一瞬だけが、脳から切り取られてしまったように。
気が付くと、転んだ場所で、倒れた状態から、はじまった。
転ぶか転ばないかの瀬戸際で0時を迎えたために、広恵さんは異空間に迷い込んでしまったのだ。