第一話:異世界トリップなら良かったのに
視界いっぱいに灰色の空。
後頭部と背中と尻に固く冷たい感触。
ふと気が付くと、オレは野外で大の字に寝転がっていた。
「どこだぁ、ここ」
とりあえず上体を起こし、辺りを見渡してみる。
でかい駅舎に、併設された商業施設に、シンボリックな時計台がひとつ。
普通に見慣れた景色。普通に駅前の広場だ。
傍らには、同じく寝転がった照美と早乙女の姿がある。
起き抜けの頭では何がどういうことかサッパリだが、このままでいるのはマズイということは確かだ。
「テル。おい照美、起きろ」
「ンナァ〜」
「起きろってば眼鏡割んぞ」
「ンゴォ〜」
まずは、より近い距離にいた照美から先に起こしてやることに。
だが照美は、オレがどんなに揺すっても、発情期の猫みたいな声を上げるばかりだった。
こんな時でも低血圧炸裂かよ。
腹いせついでに脇腹を殴ってやると、今度は熱帯夜のイボガエルみたいな声を上げた。
「アア〜ン今何時ぃ……」
「たぶん昼」
「ここどこぉ?」
「お前もか……」
むっくりと起きたイボガエル、もとい照美は、ずれた眼鏡をかけ直しながら欠伸をした。
照美も、この状況に覚えがないらしい。
こうなったら、あとは早乙女の記憶に頼るしかない。
「トメ」
「はい、もしもし」
「なんでやねん」
「電話の夢でも見てたんか?」
「オァア?なにここ?なんで外いんの?」
「全滅か……」
照美と違って寝起きのいい早乙女は、肩を軽く叩いてやっただけで目を覚ました。
だが早乙女も状況が分からない様子で、首を傾げるばかりだった。
かつてない異常事態。
オレも、照美も早乙女も、こうなった経緯を説明できない。
アルコールが残った感じはないが、よほど乱暴な飲み方でもしてしまったんだろうか。
「とりあえず、移動しよう。通報されたら堪んねえ」
「うむ」
「腰いてー」
騒ぎになる前に、と三人揃って立ち上がる。
そこでようやく、オレ達は更なる異常事態に気が付いた。
「ここ、駅前だよな……?」
誰もいない。
人っ子一人、虫の一匹に至るまで、誰もいない。
なんなら、音さえしない。
車の走る音、風の吹く音に至るまで、何の音もしない。
繰り返すが、ここは駅前。れっきとした公共の場だ。
しかも今は、空の明るさ的に真昼間だ。
真昼間の駅前といえば、往来があって然るべきで、活気があるのが常だ。
なのに、オレ達以外の生き物の気配が感じられない。
まるで、世界にオレ達しか存在しないかのような。
「え、ハ?なして誰もおらんの」
「駅前だよな?」
「駅前だよ!いっつも人いるとこよ!」
「人いねえと、こんな静かなんのな」
「呑気か!」
「やば鳥肌立った」
段々と明瞭になってきた意識の中で、直前の記憶だけが不明瞭のまま。
真昼間に、公共の場で、成人男性が三人も寝転がってて。
おまけに辺りは無人の無音でって、どこから突っ込めばいいのか。
「ちょっと一回、いっかい冷静なろう」
「お前が一番そわそわ君じゃん」
「オレも頑張ってみるから、お前らももっかい思い出してみてくれ。
なんでオレらはこんなとこで寝てたのか」
「なんで誰もおらんねん案件については?」
「そこは一旦保留だ」
せめて一つでも、意味わからんの原因を突き止めたいところ。
当初よりは頭が冴えたぶん、じっくり考えれば思い出せることもあるはずだ。
三人で円になって、腕を組んで目を閉じて、それぞれの記憶をそれぞれで手繰ってみる。
おかげで、分からないことが分からないことが分かった。
なんの時間だったんだ。
「次!なんで誰もおらんねん案件について!」
「堂々巡りだなー」
「それこそ俺らで話し合って結論出ることじゃなくね?」
「憶測でいいんだよ!仮説でもなんでもいいから案出せ案!」
オレら自身の異常事態がなぜ起こったかは、思い出せないため保留。
周りの異常事態がなぜ起きているかに議論をシフトし、思い当たる節を挙げてみる。
「はい!ドッキリ!」
「大掛かりすぎるだろ。町ぐるみのレベルだぞ」
「もしそうなら、おれら超有名人な」
仮説その一。
ドッキリ、ないしサプライズ説。
しかしドッキリである場合、町中から町人をすっかり無くすのは、あまりに規模が大きい。
ただの一般人、ただの学生であるオレ達に、そんな大規模な催しが仕掛けられる理由もない。
よって、ドッキリないしサプライズ説は、ほぼ有り得ない。
「ハイ!異世界転生!」
「めっちゃ現代〜。
エルフどこ〜、ゴブリンどこ〜」
「魔法使えそう?」
「ぜんぜん」
「つか転生って死んで生まれ変わるやつだろ?俺らまだ死んでねーし」
「だよなぁ。一回でいいから無双チートしてみてーわ」
「でも死ぬのはなぁ」
「な〜」
「………。」
「………。」
「死んでないよな?」
「と思いたい」
仮説そのニ。
今や王道ジャンルに数えられる、異世界転生が実現した説。
しかしここを異世界と呼ぶには現代日本すぎるうえ、そもそもオレ達は死んでいない。
転生じゃなく転移であるなら生死を問わないのも頷けるが、いずれにしても異世界説はドッキリ説以上に有り得ないだろう。
だって!せっかくの異世界なのに魔法が使えなくてエルフもドラゴンもいないなんて!
そんなシミったれた世界を異世界とすることは、たとえ事実であっても認めるわけにはいかないんだ!
「普通に夢じゃねーの?実際寝てたし」
「じゃあ何で起きたのに終わってないんだよ夢」
「夢としたら誰の夢なわけ?
一人の夢に二人がお邪魔してんのか、三人同時に同じ夢を見てんのか」
「俺の夢にお前らが出てきてんだろ」
「ないわ。オレの夢にお前らがNPCだろ。解像度低いし」
「誰がドット絵だって?」
「争点そこじゃないんだって〜」
「ヤレヤレすんなデブ」
「イッテェ!やめろや!」
「ほらな?痛みがある」
「そういうのは普通、自分で試すだろ」
仮説その三。
リアルな夢説。
ドッキリ説、異世界説と並べれば最有力候補だが、夢であった場合にも疑問は残る。
三人同時に同じ夢を見ているのか。
誰かが見ている夢に、他二人が登場人物として現れたのか。
そこを棚上げしても、一向に覚醒しないのも不自然だ。
試しに照美が早乙女の尻肉を抓って、早乙女が照美の腿裏を蹴って、オレは自分で自分の頬をビンタしてみたが、痛いだけで変化はなかった。
「───結局どれも微妙なんだよなぁ」
「一応ぜんぶ候補として、最有力の夢説で仮定すんのが無難じゃねーか?」
「だな。
あとはどうやって目覚ますかだけど……」
「もうタイキックは勘弁」
「しっかり痛いだけだったんだよなぁ」
「オレは夢でも痛いことあっけど、ここまでリアルなのは経験ねーなぁ」
「寝直せばいいんじゃねーの?
なんでこうなったかはさておいて、こっちで寝て次起きれば現実に戻ってるに10ペソ」
「それだ!」
「せめてドルにしてくれ」
無駄に大きい声で、有意義とは言えない議論を重ねる。
そうこうしている内に、四人目の登場人物がひょっこり現れてはくれないか。
などと、オレ達は内心で期待していた。
例えば、大成功と書かれたプラカードを持った人とか。
獣耳やら尻尾やらを生やした、ファンタジームーブな人とか。
でも、どんなに待っても、誰も現れてはくれなかった。
オレ達しかいない空間で、オレ達の声だけが響いて、議論のくだらなさに我に返った。
リアルな夢説。
夢の中で寝て起きれば、次こそは現実で目覚められる説。
他に見当がつかないので、照美の案を是とするしかなさそうだ。
「どうする?今ここで寝るか?」
「ここでぇ?」
「それよか起きたばっかで直ぐ寝れる気しねえわ」
「まだ昼だしな」
「つか今何時だっけ?」
「そうだ時間忘れてた」
「アッ───!?」
さすがにこんな明るいとこで、起き抜けにまた寝らんねえよな。
なんて駄弁って、オレはまた別の意味で我に返った。
「スマホ!!」
「せや!!スマホ!!」
「そうだよスマホあるやんけ!俺らはアホか!?」
「そうだよ」
「冷静になるな急に」
スマートフォン。
文明の利器。人類の英知の結晶。
異常事態の方に気を取られたせいで、こんな便利アイテムがあることを失念していた。
三人とも自分の服をまさぐり、三人とも自分のスマホを所持していることを確認する。
「12時38分……」
「ちゅーことは、起きたの大体12時か」
スリープモードを解除し、待受画面を開く。
画面に表示されている時刻は、12時38分。
肌感覚と同じ真昼で、現在時刻は確定だ。
「電池は?残量何パー?」
「俺まだ余裕ある」
「おれギリだわ」
命綱である電池残量は、オレが48%。
照美が68%、早乙女が31%だった。
モバイルバッテリー持ちはオレしかいないので、節約して使わなければならない。
スマホもバッテリーもちゃんと機能すれば、の話だけど。
「で、肝心の電波ですけど」
「きてない」
「俺もきてない」
「ニーナは?」
「オレだけであってほしかったよ……」
一難去る前にニ難。
せっかくの便利アイテムが、本来の用途では使えないことが新たに判明。
広場を彷徨いてみても、回線は生き返らず。
フリーWi-Fiを探してみても、繫がらないどころか拾えすらせず。
機内モードや再起動を挟んだりも含めて、試せる限りの対処法を試した。
試せる限りを試して、結局どうにもならなかった。
「ここにきて一番の絶望じゃない?ネット封じられんのって」
「連絡とれるかもって一瞬期待したのに」
「誰によ?」
「ポッポたゃ」
「うわ聞くんじゃなかった」
電話も駄目、メールも駄目、SNSも駄目。
これでは友人知人の所在を確かめられない。
ネットで手早く答え合わせもできない。
いわゆるスマホの文鎮化。
こんな時、いかに現代人がテクノロジーに頼って生きているかを痛感する。
「ほんで気付いたんだけどさ」
「なによ?」
「信号光ってない」
「マジ?」
「マジ。
電波拾えんかってウロウロした時に見たけど、ぜんぶ真っ暗だった」
「そういえば、建物も電気点いてないような……」
「時計台も12時で止まってるしな」
「それ先に言え」
「だから鐘鳴らんかったのか」
「まさかインフラ自体、息してないとか言う?」
「まっさか〜」
「………。」
「………。」
「嘘やん?」
インフラ息してない説まで浮上してきた。
空が明るいせいで見落としそうになるが、よくよく注意を払えば照美と早乙女の言うとおり。
信号機は色がなく、道路向こうのビル群は窓越しにも薄暗い。
なにより、時計台だ。
目には入ってたが頭には入ってなかったというか、どうせ3分早いんだろと時計台で正刻を確認する習慣がなかった。
それがまさか、12時ジャストで止まっているだと。
インフラ息してない説が事実なら、この12時が境界線になるのか。
待ってくれよ。
電波だけでなく電気そのものが使えないとかよ。
そんなんいよいよ八方塞がりじゃないかよ。
「どうする?八方塞がり」
「………。」
「………。」
「八宝菜と青椒肉絲、どっち好き?」
「チャーハン」
「お前、胸と尻どっち好きってやつでも足って答えてたもんな」
どうしたらいい。
教えてくれる人はいない。
導いてくれる機械は動かない。
コミュニティーもテクノロジーも希薄だった時代では、人々はいかにして知見を広げたのか。
自分の手足でもって見聞する以外に、もはや道はないのかもしれない。
「こうなったら!」
「なんだ!」
「散策しよう!」
「なんて?」
たとえNPCだとしても、この状況に自分一人でなかったのは、不幸中の幸いである。
「さっきの議論で、最終的には寝るっきゃないじゃんてなったろ?」
「うん」
「でもまだ眠くないだろ?
ここでは寝れる気自体せんし、家のベッドで寝るつっても家帰んの怖いだろ?」
「せやな」
「帰り道にも誰もおらなんだら俺は赤子のように泣く」
「だからもーちょい一緒にいませんかってお誘い。
せっかく夢なら、覚めるまで冒険する方がお得やん」
「ポジティブなの?」
「無鉄砲でしょ」
「冒険してる内になんかヒント見付かるかもしらんし!
あわよくばこの体験を論文に!」
「思考停止って言うんだよそれ」
「馬鹿の耳に正論」
ただちに寝て起きるのは、時間的にも眠気的にも、やや尚早。
ここぞというタイミングまでは、情報収集を兼ねて町中を散策するのはどうか。
「ええい五月蝿いぞ!
異論は!あるのかないのか!」
「ないで〜す」
かくして、オレ達の心はひとつに。
照美の立案した"寝て起きる作戦"に、
オレの付け加えた"寝る前にこの世界を満喫しよう作戦"が合体した。
題して、
"なんちゃって異世界ツアー、眠くなるまで帰れません。
〜ドッキリ夢のサプライズ、論文ネタ探し放浪記〜"。
「魔法使えたらもっと楽しかったのにな〜」
「やってみたら出来たりして」
「カ〜メ〜ハ〜メ〜……」
「出そう?」
「ッッッブヘァン!!!」
「出たやん」
「デケエくしゃみだな」
この時のオレ達は、まだ気付いていなかった。
今日の日付が、4月の30日であることに。