帰ってきた
帰ったら、チビスケはいなくなっていた。
「食い物がなくなったから、ってわけじゃないようだな」
俺はほとんど手がつけられていない食料品を片付けた。
家の中はほぼ出かけたときのままで、荒された様子もない。きっと俺が出かけてから大して経たないうちに、チビスケは逃げ出したのだろう。
異常行動を取る変態に、身の危険を感じたんだろうなぁ。
俺は、部屋の隅の藁を捨てて、うちの中を掃除した。クッションは隊服と一緒にマントに包んだ。明日、他のゴミと一緒に燃やそう。
他にもブラシやらお椀やら、細々としたものが木箱1つ分あった。
己の愚かさに胸が痛む。
自分用に香辛料バリバリの飯を作って食べた。
……辛い。
辛くて涙が出た。
久しぶりに自分の寝床で寝たが、寒々しくて全然寝た気がしなかった。
翌日、馬車の気配に顔を上げた。
荷車ではなく、貴族の使う馬車だ。
馬車は森の境で停まった。
ここは関係者以外立ち入り禁止の私有地だから、許可のないものは立ち入れないように結界をはってある。
力の大半をそれに割いているおかげで小技程度の魔法しか使えなくはなっているが、うちの戸を開けっ放しにしていても留守ができるのは便利だし、こういう望まぬ客に踏み込まれる心配もない。
俺は営業用の大剣を背負って、馬車のところまで出向いた。
「ここは、禁足地だ。何人たりと立ち入ることはできん。疾く立ち去れ」
馬車の中から美しいご令嬢が現れた。
視察や外遊用の落ち着いた服装で、髪も大人しく結っているが、素材が美人すぎて全然地味ではない。
というか、明らかに服の仕立てから何から高級なので高位貴族のご令嬢感が凄い。そして何より立ち居振る舞いに品がある。
家紋付きの馬車で来たお嬢様だもんな。
……公爵家のご令嬢がなんの用だ。
「突然お騒がせして申し訳ありません。本日はお礼に参りました」
「公爵令嬢に礼を言われる覚えはない。ここは大公閣下の管理下にある。大公閣下は貴女のご実家とも、その他の貴族家とも距離を置かれているお方だ。その馬車をここに入れることもここに留めおくこともまかりならん」
「では、馬車は帰しましょう」
彼女が命じると、馬車は小さな鞄を一つ降ろして、そのまま帰ってしまった。
「これでよろしいですわね」
「いや、よろしくねーよ。何考えてんだ。アンタんちの奴らは」
「事情をご説明させていただきます」
彼女は、俺が制止する間もなく、スタスタと俺の家に続く小道に入ってきた。
俺はしかたなく放置された荷物を持って彼女の後について歩いた。
木洩れ日の下を歩きながら、彼女が語ったところによると、先の騒動の折に彼女は誘拐されたのだという。
身の危険があるからと、彼女の護衛に付けられた魔術士が、彼女を子供に見せる術をかけて別邸に匿う案を出したらしい。別人だと思われるから敵勢に狙われる危険が減るというわけだ。
ところが実はこいつが敵方が手配した悪質な呪術師で、子供になっている彼女を本邸より警備が薄い別邸から連れ出した。
「周囲の目だけではなく、かけられた本人の認識も変容させる恐ろしい術でした。普段どおりの私でさえあればもう少し警戒や抵抗もできたのでしょうが、自分は小さな子供であると思い込まされていたので、なんなく連れ出されてしまったのです」
とはいえ公爵家の警備陣もそうそう無能ではない。彼女が拐かされたことに気がついた者たちが、すぐに追っ手を出したという。
捕まりそうになった呪術師は足の遅い彼女を連れて行くことを諦めた。
しかしだからといって彼女を無事に帰す気はなかったので、呪術師は追っ手の目を誤魔化すために、後でかけ直すつもりだった別の呪いを重ねがけして、彼女を路地裏に捨てて逃げた。
「単に私を殺すのではなく、死ぬよりつらい屈辱を味わわせろと、依頼されていたそうです」
奴隷商か娼館かどちらにせよ若い令嬢にとっては絶望的な場所に、親が見ても分からぬ姿に見せる呪いをかけた上で、放り込むつもりだったらしい。
「非道い話だな」
「幸い、私は悪漢の手から逃れることができましたが、重ねがけされた呪いのために、酷い目眩がして、自分が誰かも、どこにいるのかも、よく分からなくなっていました」
長くなりそうなので俺は、彼女の話の腰を折って、端折った。
もう少しでうちに着く。できればこのあたりで話を終わらせて、彼女にはさっさとお引取り願いたい。
「でもまぁ、こうして今ちゃんと無事だったってことは、家の者にちゃんと助け出されたってことだよな。良かったじゃないか」
事情を説明している間中、まっすぐ前を見て先を歩いていた彼女は、初めて立ち止まって、チラリとこちらを見た。
「あんたに術をかけた呪術師ってのを捕まえたのが俺だって話をどっかで聞いて、ここにきたのかもしれないが、そいつは嘘だぞ。呪術師を捕まえたのは第1騎士団の騎士達だから礼を言うならそっちに言いに行け」
彼女はじっと俺の顔を見たあとでうつむいた。
悪いな。こんな僻地まで来てもらっておきながら、無駄足だって言うしかなくて。
「術者が捕らえられたおかげで、私にかけられてた術は完全に解かれました」
「良かったな。家の人も喜んだだろう」
「いえ……」
呪いをかけられて誘拐されたのは彼女の瑕疵だということで、王太子との婚約は白紙にされ、公爵は彼女を公爵家の籍から外したのだという。
そういう意味では、彼女を拐かさせた大元の悪党の狙いは、最初に彼女が呪いをかけられた時点で十分に達成されていたと言っても良い。
「そんなバカな」
俺は呆然とした。
王族だの高位貴族だのは、体裁を気にする奴らだとは思っていたが、そこまで情がなくて愚かだとは思わなかった。
「ですから、私はもう公爵令嬢ではないのです」
彼女はもうすぐそこまで来ていた我が家に駆け寄ると、戸を勢いよく開いた。
「ただいま!」
彼女は黙っている俺を見て、小首を傾げた。
「……で、あっていますよね?」
「発音はあっているが、用法は間違っている」
「そうですか?あっていますよね?」
「それは自分の家に帰ってきたときの言葉だ」
「それでしたら、あっていますわ」
彼女はニコニコして、ここが自分の家だと言った。
実はこの話、女性側視点でお送りすると、悪役令嬢モノなんです。
敵側は主人公の差配で退治済みなので、ざまぁシーンはありません。
主人公は馬車の時点から彼女がチビスケであることは承知の上。(彼女は結界素通し)
あとはどこまでしらを切れるかの耐久です。ガンバレ!
次回、喋ると手強い仔猫ちゃんに主人公が大ピンチ(笑)