猫吸いたい
ああ、猫吸いたい。
戻ってみると、指示を出していたとおりにことが動いていた。
みんな優秀な奴らだから、サボらずにきっちり結果を出してくる。
ありそうなところに、ありそうなものがあって、知っていそうなやつを締め上げたら、そんなことだろうな、という話が出てきて、突いておいた先が予想どおりの動きをして、捕まるやつが捕まって、あわてて逃げ支度をしたやつがボロを出して……まぁ、想定どおり。
事態が転がり出せは、あとは準備しておいた作業を黙々とすれば良いだけなので、髪を振り乱して指示を飛ばしている友人の隣で、俺は丸2日程、単純な雑務を右から左に処理していた。
「それはこっちに。んで、こいつら戻ってきたら、ここの手伝いに回して」
「さっき、発注しておいた備品来てるか?なら、それ今から出る奴らに持たせてやってくれ。多分要るから」
「ああ。おつかれ。やっぱりそうだったか。んじゃ、段取りどおりよろしく」
「茶、淹れたから飲め。そしてお前は飯食って1時間寝てこい。ここから2時間は大したことは起きん」
由々しき大事件で大捕物ではあるが、ネタ的には陳腐で改めて語る必要もないような案件なので、セオリーに従って作業をこなせば良いだけだ。
”記憶”にある娯楽コンテンツなら、見向きもされない退屈な話だろう。
ある程度、先の展開が固まったところで、壁にタイムチャートとやることリストを書いて、持ってこさせた机の上に駒を置いて人の配置を可視化してやる。
これであとはここのメンバーだけでもさばける。指揮する側の認識が整理されて揃ってさえいれば、よく訓練された部下ばかりなので仕事はスムーズだ。
……壁と机は後で塗り直さないといけないだろうが、その程度の予算はあるだろう。
「んじゃ、俺は現場に出るからあとよろしく」
「おい!どこに行くつもりだ」
「ここ。最終段階で失敗したときに逃走経路になる可能性があるが、人を割く程のこともないところだから、俺が夜警に立つ」
「バカ、この一大事に、総指揮官に歩哨なんてやらせられるか」
「何言ってやがる。指揮官はお前だ、阿呆。俺は階級章丸坊主で、騎士ですらないんだぞ」
正規雇用されているわけじゃないんだからサボらせろと言い残して、俺は本部を出た。
「お供します」
若いのが一人付いてきた。
いらんといったら、市内巡回は二人一組が基本だと言われた。
「それになにかあったときに、正規の者の証言がないと困りますよ」
たしかにそうではあるので、同行を認めた。
所属章を見ると、これから大物の潜伏先に突入する予定の部隊の奴らしい。どうやら俺と一緒にサボる気なのだろう。要領のいいやつは嫌いじゃない。
寝静まった街に霧が立ち込める。
そういえばチビスケを拾った日もこんな霧だった。
「なぁ、猫ってどう思う?」
「なんですか、突然」
若いのは面食らったようだが、おっさんの雑談に付き合う気になってくれたようだ。
「僕は正直あまり好きではないですね。ネコに限らず亜人全般が苦手です。なんだかこう不気味じゃないですか?人に近くて人じゃないものって」
「まぁ、普通はそういう感覚だよな」
亜人は、人に近いシルエットで直立2足歩行が可能な動物の総称だ。知能は高くなく、人語も喋れない。一般的に人より丈夫だが短命だ。単純労働に使われることがあるし、稀に悪趣味な金持ちが飼う。街中で見かけることは少ないが、場末の裏路地や貧民街には、逃げ出したやつがたまに住み着いている。この世界での標準的な感覚では、忌避感が強い被差別種族だ。
いや、そもそも俺の中にある人権だの差別だのという発想が”記憶”由来の概念だ。この世界では、人のみが神に選ばれた特別な種族なので、他の動物を人と同列で考える素地がない。
擬人化はもちろん、人以外への感情移入も、ペットを家族のように愛玩するという発想もない。動物を飼うのは犬や馬のように実用性があるか、きれいな鳥や魚のように観賞用かなのだ。
自分の馬に声をかけてねぎらってやったら、ド変態の背教者のレッテルを貼られた。
「普通は……って言うことは、やっぱり噂通りその辺アレなんですか?」
「どんな噂か聞きたくないが、その噂は嘘だ」
「ですよねー。ああ、よかった」
明らかにホッとした顔の若いのの様子を見て、自分の猫に関する見解は秘匿すべき案件だと改めて確信する。
言えない。猫吸いたいとか絶対に言えない。言ったら、今でさえ酷い俺の社会的な評判は地獄の底に落ちる。
市場で買い物ができなくなるのはつらい。
「変な噂なんて信じなくて正解でした。”暁光”といえば、俺達の世代にとっては大英雄ですからね。こうして一緒に仕事ができるだなんて光栄です」
キラキラした目で見るのはやめてほしい。
「名声の方の噂も嘘ばっかりだから信じるなよ」
「それじゃあ、あなたの偉大さは今夜はしっかり自分の目で確かめます」
完全に猫の話はできなくなった。
「今は、大公が管理する魔の森を一人で封じているって噂は、本当ですか?」
「そういうことを口に出すなよ。お偉いさんの耳に入ったら情報源はどこだって尋問されるぞ。ちなみにその噂も嘘だ」
なんだか色々と俺を買いかぶっている若いのからの質問に適当に答えつつ、不審な気配がないか霧でけぶる闇の奥を見ていると、遠くでかすかな違和感を感じた。
「口を閉じて少し離れてついてこい」
それだけの指示で走り出したのに、若いのはキチンといい間隔を開けて、足音を消して付いてきた。できる奴だなぁ。こいつは友人のために取っておいてやらねばいかん。
業務用の剣を抜く。
昔、式典や得意先廻りのときに持たされていた営業用と違って、これは今の仕事でも重宝している実用品だ。
大きくはないし見栄えもしないがバランスがいい。
ついでに、いつも手入れしているときに馴染ませているから、俺の魔力での強化効率がいい。
身体強化のついでに剣にもエンチャントしつつ、狭い路地の陰から這い出てきた気配に向かって一気に走る。
違ってたらゴメンだけど、怪しいから切る!
ビンゴ。
曲者……おそらくは手配中の呪術師は、斬り掛かった俺に、反射的になにか術をかけてきた。
俺の周囲で霧が紫色に光る。
わかりやすく通俗的なんだよな。この世界の魔法や呪術って。
しかし、自己強化で対策済みの俺にそんなインスタントな術は効かない。元々、魔法抵抗力は人より高めだが”記憶”を思い出してからは、精神構造が異質になって、洗脳や催眠系の呪術はさらに効きにくくなった。よほど強力か俺が自分で受け入れないと、まず掛からない。
術が無効で近接戦闘に持ち込まれた時点で、この手の術者に勝ち目はない。
死なない程度にボコって気絶させ、1セット持ってきた対魔術士用拘束具で拘束してから、出血の酷いところだけ応急処置程度に回復魔法をかけてやっていると、例の若いのが目を覚ました。
最初の術の余波でひっくり返っていたから、どこかぶつけているかもしれん。
「異常はないか?」
「……大丈夫です」
おお。なんか悔しそうな顔している。
気休めに軽い怪我と精神異常を治す魔法を掛けておく。眠気覚ましにもなるからな。
「……ホントに聖魔法まで使えるんですね」
「便利な小技程度だがな」
「回復系の魔法を小技扱いすると神殿が激怒しますよ」
「もう破門されているから平気だ」
「なんで破門されているのに聖魔法が使えるんですか?!」
「やればわかると思うが、魔法発動技術と信仰は無関係だぞ」
精神攻撃は影響がわかりにくいから、戻ったら専門の医師に精密検査してもらえと念を押すと、若いのは暗い顔で元気のない返事をした。どうやら役に立てなかったと落ち込むタイプのようだ。彼にはこの捕獲した呪術師を持って帰ってもらう仕事をやってもらえばいいだろうか。
とりあえずお前が本部まで担げと押し付けていると、隠し通路の出口から、捕物の本隊の騎士達が出てきた。所属章が同じなので、若いのの同僚だろう。
彼らに任せて、俺は帰ることにした。
「じゃ。あと、よろしく」
若い奴らだからごまかせるかと思ったが、通らなかった。くそう。
俺は結局、事件の片がある程度つくまで、そこからさらに3日間拘束された。
ああ……猫吸いてぇけど、もう無理か。