拾ってしまった
チンマイのを拾ってしまった。
王都には珍しく霧の濃い、夜明け間近の裏通り。手伝い仕事で徹夜した帰りに、立ち飲み屋で一杯引っ掛けて、帰る途中で、魔が差した。
路地裏の石畳の隅で、濡れて震えてうずくまってプルプルしていたから、つい足を止めたら、目があってしまった。
”拾ってください”
ダンボールに入れられたいたいけな仔猫の映像が脳裏に浮かんだ。
あ、だめだこりゃ。
俺は自分の厄介な”記憶”に負けた。
俺には、この世のものではない記憶がある。外国という以上に異質な街と、異常な文化、常識ハズレの社会通念。
仕事でヘマをして生死の境をさまよったときに、あの世だか地獄だかで魔物の魂にでも取り憑かれたのかもしれない。
元々の自分の常識がなくなったわけではないのだが、その後からできた記憶がどうにも強烈で、よほど気を引き締めていないと、そちらに従って行動してしまう。
最初は非常に戸惑ったし、随分と奇行もやらかした。おかげで元の職は続けられなくなった。
友人のツテでなんとか路頭には迷わずに済んだが、またどんな失敗をするかわからないので、今はあまり人と関わらず慎ましく暮らしている。
というわけで、俺の住んでいる小屋は小さな森の端っこにポツンとある一軒家だ。切り出した木を置いてある場所の工作小屋や薪小屋、わずかばかりの畑と農機具用の納屋などはあるが人っ気は皆無。
家の中も自分一人が暮らすだけのものがあるきりだった。
拾ってきたチビスケの体をよく拭いて、濡れた毛を乾かしてやり、毛布で包んでやろうとして気がついた。うちには俺が寝るための毛布しかない。
徹夜仕事明けで寝ておきたいし、拾った奴のために寝床を取られるのはバカバカしい。
面倒なので、そのまま抱えて寝台の隅に置いて、自分の毛布の端をおすそ分けしてやった。
チビスケは震えていたが、始終大人しくじっとしていた。
バカなことをしているなと思いつつ、俺は久しぶりに自分以外の気配がある家で眠りについた。
昼過ぎに起きると、拾ったチビは寝台にはおらず、部屋の隅にうずくまっていた。
仕方がないので、納屋から藁を持って来て、部屋の隅に積んで、使っていない古いマントを敷いて寝床を作ってやった。
メシは作り置きの残り物を小皿によそってやったが、警戒しているのか緊張で腹が空いていないのか食べなかったので、ほっておくことにした。
匂いが強いものは気に入らないのかもしれんな。仔猫って、牛乳飲ませると腹を壊すっていうし。あと、玉ねぎはいけないんだっけ……おっと、これは”記憶”の話か。身体が弱っていそうな奴って何を食わせりゃいいんだろう?
足りない食料を買いに行くついでに聞いてみることにした。
「ネコを拾ったって、バカかお前は」
「うーん、だよなぁ。普通はやらねーよな」
案の定、知り合いの食いもん屋の親父には呆れられた。それでも、自分は人間サマ向けのメシは作るが、動物のエサのことは知らないと怒りながら、いつも俺が買うものより、薄味で柔らかい具が多い煮物を持ち帰り用の壺に入れてくれた。
「野良のネコなんざ家にいつくわけねえぞ。帰ったら家の中が荒らされいて、いなくなっているのがオチだって」
「それならそれで、それまでなんだがよ。多少汚れてはいたが、えらく手入れのいい感じの奴だから、多分、どっかのお屋敷ん中で、外には出さずに飼われてたクチじゃないかと思うんだ」
「なんだ。礼金目当てか。それなら納得だ」
そういう理由で拾ったわけではないが、そういう感じの方が世間的におさまりがいいのは確かだ。俺は適当に話を合わせて、元の家を探してやるつもりだといってその場を誤魔化した。
買い出しを済ませて帰っても、チビスケはうちにいた。
「ただいま」
目があったときに、つい、使ったことのない言葉が口に出た。
家にいる相手に帰ってきた者が言う挨拶の言葉なんて、自分には縁がないものだと思っていたので、気恥ずかしくなった。
俺は仏頂面をして、黙々と買い出しの荷物を片付けた。
結局、チビスケは逃げ出すこともなく、うちに居着いた。
メシは最初のうちは全然食わなかったが、空腹に耐えかねると、俺がいないときにこっそり食べるようになったので、食べやすそうなものを食べやすそうなところに放置して仕事に出かけるようにした。
別に犬のように首輪を付けてつなぐでもなく、部屋に閉じ込めるでもなく、好きにさせていたら、日中、俺が家の脇の畑などで作業しているときは、ついてくるようになった。
といっても、何が手伝えるわけでもないので、しばらくそこいらをウロウロして、飽きたら戻るという感じだった。
「そういえば、ここいらで最近、飼い猫が逃げたとか迷子だとかいう話を聞くか?」
前回の手伝い仕事の賃金をもらいに出向いたとき、友人にそんなことを聞いてみたら、「うちは人間は探すが、ネコは管轄じゃない」と言われた。
「なぁ、お前、何やってんだよ。そんなことにかまけている暇があるなら、こっちの仕事に戻って来てくれよ」
「何度も断っているだろう。夜番の手伝いぐらいはするが、対人は無理だ」
「クソっ。勿体ねぇ。多少の奇行がなんだっていうんだ」
「悪いな。お前がそう言ってくれるだけで嬉しいよ」
偉いさん同士の揉め事で、今夜も帰れないと嘆く友人に慰めの言葉だけかけて、さっさと家に帰る。
消息不明の凶悪犯だか重要参考人だか知らないが、そんなものの捜索や、うるさ方の要人警護にかり出されてはたまらない。
「ただいま」
うちに戻ると、チビスケが嬉しそうに寄って来たので声を掛ける。
言葉が交わせる相手でもないのはわかっているが、何も言わないのも落ち着かないので、結局、帰宅すると「ただいま」というようになった。
「今日は、街に行ったから、バターとチーズを買ったぞ」
どうでもいいことを話しかけたり、自分以外の誰かの好みを考えながら、料理をしたりするのも、最初のうちは、むず痒い違和感があったが、最近は慣れた。
夜、火の前に座って道具の手入れをしている静かな時間に、傍らに自分以外の呼吸音があるのも気にならなくなったし、柔らかい毛にブラシをかけてやるのも上手くなった。
ひどく冷え込んだ夜に、チビスケが冷え切った体でこっちの寝床に潜り込んできたときは、思わず怒鳴りつけたが、なんだかんだでそれも許した。
やべぇな。猫っかわいがりしてねぇか?俺。
赤ちゃん言葉で話しかけるような無様だけはさらすまいと気を引き締めてみても、どうにも無意識に撫でている手が止まらない。
最初は警戒して手の届く距離には近づかなかったくせに、寝床に潜り込むようになった頃から、完全に俺を舐めきって、気が向くとすぐ脇にへばりついてくるようになった。どうやら俺を暖房器具だと思っているらしい。
身体が小さいとすぐ冷えるから寒いんだろうな。
鼻の頭を突くと、冷たかったので、ラグの上で胡座をかいた膝の上に乗せてやった。上から一枚かけてやると、暖かくなったのか満足そうに丸くなった。
こういう甘やかし方をすると、習慣化するぞ、とわかっていて、案の定、毎晩のお定まりにしてしまった俺はバカだと思う。
前後編ぐらいで書こうと思ったら意外に伸びた全6話です。
短い間ですがお付き合い頂きたいです。
感想、評価☆、いいねなどいただけますと大変励みになります。
よろしくお願いいたします。