そこはそれとない都会の出来事 その9
それは、修学旅行四日目に起こった。
「アニキィ、アニキィ! これが太刀根グループのお坊ちゃんですかぃ!?」
目をギョロつかせたハゲの男が、そう言って俺の髪を鷲掴みにする。反射で「いって!」と返してから、すぐに俺は太刀根ではないことを説明しようと「あのな!」と口を開く。しかし悲しいかな、その反論はハゲ男によって塞がれてしまった。
「んー! んんんー!」
出ない声を振り絞るが、全く効果などない。俺は半ば諦めて、今の状態を整理しようと大人しく辺りを見回してみる。
それはどこかの廃墟内だった。本来二階があるはずの天井は半分以上が崩れ、壁にはスプレーでよくわからないラクガキが書かれている。
その柱に俺は縛り付けられていて、文字通り、全く身動きが出来ない状態だ。
「おがじいなぁ。太刀根のお坊ちゃんは、赤髪だっで聞いたげど」
ハゲに“アニキ”と呼ばれていた男が、柱に括りつけられている俺を、上から下までじっくりと、ねぶるように見つめる。視線だけだというのに鳥肌が立った。気持ちのいいものではない。
「おかしいっすね。染めたんすかね」
「んんー!」
そんなわけあるか、人違いだ。
まぁそもそもとして、今現在、ここには俺しかいないので、では誰が太刀根(本物)かといえば説明のしようもないのだが。こういう輩は、何を言っても俺が嘘をついていると受け取るだろうし。
「おがじいなぁ」
「……」
二人で頭を抱える様はなんとも間抜けだ。ちょうどいい、こうなった経緯を少し語るとするか。
二日目、蒼葉城址とそれからキツネを見に行って、三日目は一日中遊園地にいた。特に語ることもないので、その辺は適当に想像してくれ。
そして四日目、今日だ。動物園か水族館かで選択できたため、俺たちは移設したばかりだという水族館に行くことにしたのだ。
「御竿さん、見てください! アジですよ、アジ!」
海の生き物の水槽前で、観手が嬉しそうに両手を広げてくるくる回る。
「いや、アジって……。もう少し違うもんではしゃげよ。ペンギンとか」
「だってペンギン食べれませんし」
「食えるか食えないかで判断すんな」
こいつは一応女神だよな。なんつう欲にまみれた……いや俺をここに転生させた時点で煩悩まみれだったか。
「アジもいいけどイワシもいいよな! 俺、どっかの特産品の、なんか、ぬか漬けみたいなやつ好きだぜ!」
「太刀根さん意外と渋いんですね〜」
「親父が酒のツマミで取り寄せててさ。よくそれをつまんでたなぁ」
観手と太刀根が楽しそうに話している。あの魚はこうしたほうが旨いだの、この魚はこういう味がするだの、正直聞いてて気に食わない。
第一、観手は俺が誰かとくっつくのが目当てではなかったのか。くそ、なんでこんな時に限って猫汰はトイレに行っちまってるんだよ。
「おい観手」
名前を呼んでみるが、二人が気づく様子はない。
「観手」
水槽を眺める二人の顔が、ガラスに反射している。なんだ。俺と話す時より、あいついい顔で笑ってんじゃん。
「……」
自分でも情けないと思う。情けないし、こんな勝手なことはいけないとわかっていたのに。
俺は二人を見ていられず、その場を静かに離れたんだ。
で、怪しい奴らに捕まってこの有様ってわけ。自業自得の結果に、内心で苦笑い。
「アニキィ、やっぱりこいつ違うんじゃないすか?」
ハゲがギョロ目をグルングルン回し、更に頭も捻りながら進言する。人間じゃないその動きに、背中を冷たいものが流れた。いや会長たちも似たものだし、意外と人間かもしれない。
「ぞうだなぁ、あ、そうだ。お坊ちゃんは確が、屹立のガキに弄くられたって聞いたで。確かめてみりゃいいんでねが?」
「ん!?」
確か、める? 何を?
「流石アニキィ。じゃ、楽しませてもらおうかなぁ」
「んんんー!?」
二人の下衆い目に、真っ青な顔をした俺が映っていた――




