9 女曲芸師
「はいっ、まずは空中三回転!」
若い女の肩に若い女が立っていた。色鮮やかな衣装を着ている。どちらもたっつけ袴だ。
下の女が膝を曲げ、やっ、と掛け声をかけて膝を伸ばした。上の女は跳び上がると、くるくると後ろに回り、下の女の頭に片手で逆立ちして手足を広げた。おおう、と周りで見ていた者たちがどよめいた。
増上寺の下の空き地は物売りや曲芸師たちでにぎわっていた。先ほどの空中三回転の女ふたりもそのうちのひと組だ。上が夏美、下が葵であった。
「なにが三回転だ。二回転半じゃないか」
遠くでそれを眺めていた女がつぶやいた。地味な小袖の女は淡雪だ。
「しっ。そんなことより、周りに注意しな」
やはり地味な小袖の女がささやいた。響だ。
夏美と葵は様々な曲芸を、時にわざと失敗しながら繰り広げる。笑いが起き、逆さに置いた笠に銭が投げ込まれた。なかなか人気者のようだ。
練馬のくノ一ふたりは、静かに視線を辺りにさまよわせていた。
「ほー、さすがは江戸の町じゃ。にぎやかじゃのう」
稲光はあたりをきょろきょろと見回した。
隼人ら一行は日本橋通りを南へ向かっている。マモルは茶色い網代笠を被っていた。てっぺんが丸まった托鉢笠だ。手には錫杖の代わりに白木の棒を持っていたが、これは仕込み刀だ。
日本橋通りは人通りが多く、奇妙な四人連れも目立たなかった。呉服屋や小間物屋が軒を連ねる。稲光はそれらにちらりと眼はやるものの、足を緩めようとはしなかった。ただ、早くふたりの犬士に会わなければと、前をゆく隼人の背中を追った。
夏美と葵はひと通りの出し物を終え、筵の上で休憩していた。竹の水筒の水を、こくこくと白い喉を鳴らして夏美が飲んでいると、
「ねえ、変な人がいるよ」
葵がささやいた。夏美は手の甲で口を拭うと竹の水筒を葵に手渡した。
「うん、なんだろうね」
夏美もまた気づいていた。女ふたりと男ふたり。あまり場所を動かず、鋭い視線をあちこちに送っている。女たちは連れだっているが、男はそれぞれ離れたところにいる。
「どうする?」
葵は喉を潤すと、竹水筒に栓をした。
「わたしたちに用があるのかな。ちょっと誘ってみようか?」
「うん」
ふたりは草鞋を厚底のものに履き替えた。他にもごそごそと服のあちこちになにやら忍ばせる。布に包んだ細長い物を掴むと、隣で筵を敷いて荒物を売る男に夏美は声を掛けた。
「おじさん、ちょっと荷物を見てて」
「いいとも」
夏美らと男はいつもこの場所で商売をしていた。自然親しくなった。夏美らは人気者でよく客を引いてくれるので、男の商売もこれまでないほどうまくいっている。感謝こそすれ悪事を働くことはない。
夏美と葵はいつの間にか姿を消していた。
「むっ、ふたりがおりません」
淡雪が気づいた。
「我らに気づかれずにか。やはりあやつら」
「いました。奥の森」
増上寺の周りにはいくつも緑が残されていた。一部は森のように深い。そこに鮮やかな着物が見え隠れする。
「如何なさいます?」
「うぬ」
響は一瞬言葉に詰まったが、
「ふたりを追う」
男らにも手で合図すると、四人は夏美と葵を追った。