8 マモル
士格寺は江戸の外れの町中にあった。
「やあ、隼人、日菜子。久しぶりだね」
小坊主へ会いたい旨伝えるとしばらくしてマモルが来たが、マモルは頭をつるつるに剃りあげていた。丈の短い黒い布袍の下から踝までの白い着物がのぞいている。にこにことした小柄で賢そうな青年だ。
「あれ? 出家したのか?」
マモルは袈裟こそ着けていないが、どう見ても僧侶だ。
「しっ」
鋭く咎めたところを見ると、そういうわけでもないらしい。
「その方は?」
マモルは後ろに佇む稲光を尋ねたが、笠を深く被っているので稲光本人とは気づかない。
「あとで紹介しよう。まず馬を預かってくれ。あと、落ち着いて話せるところはあるか?」
マモルは怪訝な顔をしたが、小坊主を呼びつけ馬の手綱を取らせると、隼人らを法堂に案内した。板間に正座して隼人が切り出した。
「聞いて驚け。このお方は丸葉津の稲光さまだ」
「は?」
「マモル。久しいのう」
稲光が笠をとった。
「こ、これは!」
マモルががばと平伏したまま少し下がった。
「稲光さま、こう犬士を驚かしては我々の寿命が縮みます」
隼人が言うと、
「なんじゃ、つまらんのう」
と稲光は笑った。
「稲光さまが江戸へとは、いったいどうしたわけで?」
マモルが頭を上げる。
かくかくしかじかと説明した。
「ははあ、なるほど」
マモルは正座に腕組みしてうなった。
「忍びの者が動いているとなると、ちょっと厄介ですね。少人数で丸葉津へ戻ってもなにもできないかと」
「ならば、やはり犬士を集めなければならぬな」
「マモルは心当たりがあるか?」
「夏美と葵が増上寺の近くで曲芸をやってるよ」
犬君崎夏美はどちらかといえば狐顔の美人だ。対して犬宮野葵はどちらかといえば狸顔の可愛らしい顔で、ふたりは丸葉津にいる時から中がよかった。
「増上寺か。町を抜けて反対側だな」
士格寺は浅草寺にほど近い。
江戸は江戸城を中心にぐるりと武家屋敷が囲い、町人がすむのは東と南にあたる、やや細長い区画だ。その周りをまた武家屋敷が囲んでいる。
士格寺は東の外れにあり、増上寺は南の外れにあった。
「まあ、明日だね。しばらくはここにも泊まれるだろう。いま湯を準備させるよ」
マモルは立ち上がると法堂の出入り口に向かった。ぱんぱんと手を叩き、
「小坊主たち! お風呂の用意をしなさい!」
と言いながら出ていった。
「マモルくんは出家してないんだよね? なんであんなに威張ってんの?」
「坊主の格好をしてえらそうにしとけば、坊主に見えるんだろう」
「なるほどのう、マモルはお経も読めそうじゃ」
「ところで、お風呂って言ってなかった?」
「うむ、ここを選んだのにはそれもある。銭湯は混浴だからな。そんなところを稲光さまに使わせるわけにはいかん」
「こんよくとは?」
「女の人と男の人が一緒にお風呂に入ることです」
「日菜子」
「ほう、楽しそうじゃの。隼人、一緒に入ろう」
「なりません」
隼人は顔を赤くしたが、稲光は、なんじゃ、つまらんのう、と口を尖らせただけだ。高貴なお方は裸を恥ずかしがらないという。
隼人は腕組みをして眼を瞑り、二十八犬士の所在に意識を集中しようとした。
「いたか?」
「おりませぬ」
剣術道場からほど近い町の中、縞の小袖の女と着流しの男がささやきあった。女の左腕にはさらしがきつく巻かれ、血が滲んでいる。稲光を攫おうとして是房に噛まれたくノ一だ。名を響といった。
剣術道場で張っていたところ、予想通り稲光がやって来たまではよかったが、謎の犬に邪魔されて稲光を見失ってしまったのだ。方々探したあげく、町に入ったのだろうと捜索の手を広げたが、稲光は見つからない。
「犬どもも道場にはおらぬようじゃし、いったいどうなっておるのじゃ」
犬どもとは二十八犬士のことだ。
そこへ、ふたりの男女が近づいた。響の仲間だ。
「いたかえ?」
「女臣は見当たりませぬが、犬どもと思われる者が」
女が言った。名を淡雪という。女臣は姫の隠語だ。
「ほう。してそれは?」
「増上寺の前で曲芸を見せるおなごふたり。年格好からしてまず」
「ふむ、他に手がかりもない。そやつらを張れば女臣も姿を見せるか」
響は空を見上げた。秋の空はもう暮れかかっている。
「よし、明日からはそなたらと四人、その曲芸師を見張るぞ。他の者たちは引き続き捜索だ」
「はっ」
「散」
四人はいずこへともなく消え去った。