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櫻子さんと私 〜櫻の木の下には屍の友がいる〜

作者: HIBIKI

 櫻の木の下には屍体が。知ってるよ。だってその人は私の友達だから。


 *


 私は溜息をついた。

 今日も、私の赤い靴は、気がつけば職員室の前の窓から放り投げ出されていた。探し回らなくても赤い靴の居場所は分かった。犯人は知ってるし、いつもの事だから。


「いつかいい事あるわ」


 丘の上の櫻の木の下で、私はこのことを彼女に話していた。

 櫻の花びらが華麗に舞う。

 彼女は、くすんだ肌色の皮膚が微かについた、剥き出しの骨の、か細い腕で、私の背中をそっと抱いてくれた。

 彼女は、とっくの昔に死んだ。らしい。名前は櫻子さんと言う。


 *


 5日前……、独りきりで寂しくて、暗くなりかけたこの場所で、丘の上にたった一本寂しく咲いているこの櫻の木の下で、私は泣いていたんだ。

 そうしたら、優しい人が、土の中からそうっと出て来て、頭を撫でてくれた。

 母親でさえもあまりしてくれない、頭を撫でるという行為を、彼女は自然にやってくれたのだった。

 驚きはしたけど、嫌悪感はまるで無かった。

 今にも眼球が取れそうでも、彼女は美しい女性ひとだったと分かった。

 生きてる時も、死んでからも。


 *


 彼女があの世に行ききれないのは、理由があった。


「私を殺した人間を待っているの」


 土の中から半分出て来て、彼女は悲しい背中を、日に背けてこう言った。

 彼女は結婚の約束をした男の人に殺されたそうだ。

 結婚の約束をしてたのに、ある日急に止めると言われて、そしてその夜殺されたらしい。

 私はその話を聞いて、彼女に深く同情した。

 犯人探しを手伝ってあげようと思った。

 けど、何も手がかりは無かった。

 彼女が言うには、彼はこの世に存在するとは思えないほどの繊細な美男だったそうだ。住んでいるのはここら辺だった。そして、本当に心の底から『優しい人だった』らしい。

だけどそれだけじゃ全くわからない。

 名前が分かれば一番の手がかりになるのに、彼女はそれだけがどうしても思い出せないそうだ。脳みそが半分朽ちているからだわ……と、彼女は苦しそうに笑っていた。

 彼女はほとんど諦めていた。

 だって彼女が死んでから、もう長い時が経っているのだから。


「丘の上から眺める景色が、どんどん変わっていったわ。はじめは何も無かったのに、最近は灰色の建物がいっぱい建って」


 灰色は嫌いだ。

 櫻の色がいい。

 儚く消える一瞬の薄い紅。

 その薄い紅が、私は彼女によく似合うと思う。

 まだらに頭皮に残るしっとりとした黒髪に花びらが載れば、なんとも言えない、黄金色の琥珀を覗いて虫が入って居たのを見つけた時のよな、一種の甘美さを感じた。


 *


 私は何日も何日も櫻の木の下を訪れた。

 この丘の櫻は、不思議な事に、いつ来ても花びらが朽ちなかった。1ヵ月も経っているのに。

 きっと彼女が咲かせているんだ。

 彼に見つけてもらいたくて。


 *


 けど、ある日それは急に訪れた。


「彼の名前を思い出したわ」


 私は、終わる気がした。彼女との安らぐ日々が、夢として終わる気配を感じた。彼女との日々は永遠にしたかった。最初は母親の真似をして聞こえないふりをした。無視をした。

 だけどそんな付け焼き刃の処世術は、まったく役に立たなかった。嫌でも、彼女の話は耳に入ってくる。


「彼の名前は、音切里次郎」


 よく聞いた名前に、私は思わず、すぐ反応してしまった。


「おじいちゃんの名前だ」


 私の呟きを聞いた時の彼女の顔。瞳の奥に見える悲哀。驚き、歓喜、憎悪。全てが伝わってきた。まずい……何がかは分からないけど、まずいと私は思って少し早口で続ける。


「おじいちゃんは、この前脳溢血で死んじゃった。ねえ、櫻子さん、私に復讐するの?」

「復讐?違うわ。私は復讐なんてしたくないの。そんな気持ちはとっくに枯れた。私はあの人にもう一回言いたかっただけなの」

「何を?」

「『ありがとう』って」


 『ありがとう』は普通、良いことをしてくれた人に言うんじゃないだろうか?

 そういう趣旨のことを言うと、彼女は紫色の唇を優しくキュッと上げた。


「良いことをしてくれた人にも、嫌なことをしてくれた人にも、『ありがとう』を言えて、やっと過去から解き放たれるのよ」


 彼女が何を言いたいのか、私はよく分からなかった。けど、彼女の気が済んだようだったから、私はある意味安心した。

 けどもう、彼女には逢えないだろうと、子ども心ながらにそう感じたのだった。


 *


 とめたかった。

 やっと出来た友達なのに。

 やっと私にいい子いい子をしてくれる人を見つけたのに。

 だけど、消えゆく彼女をとめることなんて私には出来ない。非力な私には見送ることしか出来ない。

 櫻子さんが砂になっていく。サラサラと、流星群のように光の尾を引いて、土に還って逝く。

 櫻の花びらが華麗に舞う。

 薄い紅が、遠い夕焼けに喰われていく。

 私は「さよなら」しか言えなかった。何回も「さよなら」を言った。

涙で滲んだ櫻子さんの最期の景色は、純粋にただ美しかった。生命が燃え尽きる時に放たれる煌めく焔だった。


 *


「おじいちゃん、なんで櫻子さんを殺したの?」


 自宅の仏壇に置いてある遺影に話しかける。

 おじいちゃんは優しいおじいちゃんだった。私も大好きだった。おじいちゃんが人を殺めたとは思えない。

 疑問を持ち続けた私の目の前に、一通の手紙が目に入った。

 母親が整理したんだろう、おじいちゃんの遺品。

 紙袋に雑に入れられた、持ち主を亡くした品々の中から、ひょっこり白い封筒が頭を出していたのだ。

 私は悪いと思いながらも、どうしてもその手紙を見たくなって、しっかりと綴じられていた封を開け、中身を読んだ。

 達筆過ぎて、所々読めない漢字もあったけれど、大体何が書いてあるか分かった。

 それに、長い長い手紙だったが、私にとって重要なのは最後の2、3行だけだった。


『櫻子さん、僕を許してください。君を殺めたのは双子の兄だが、それでも僕が殺めたようなものだ。僕は音切と言う家の名前に負けてしまったのだ。櫻子さん、許してください。本当に悪かった。僕は、君の屍さえも探せなかった。自責の念に甘えて、君のことを探しに行かなかった。櫻子さん、本当に』


 ここで手紙は終わった。

 おじいちゃんの兄なんて知らない。聞いたことがない。

 けど、おじいちゃんは櫻子さんを殺してなかった。

 それだけが分かれば、私は満足だった。


 *


 また春が来た。

 丘の上の櫻の木は枯れた。

 彼女が居ないから。

 私はいつかおじいちゃんが買ってくれた赤い靴を脱いで、その上にあの手紙を置いて、靴下で丘を降りた。

 『ありがとう』と呟いて。


(おわり)

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