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8


 引かれるまま数段登り振り返ると、澄彦さんへと続く道の向こうに影を纏った清藤主門がゆっくりと歩いて来ているのが見えた。

 右手に抜刀した太刀を引き摺っている。

 紺鼠色の袴姿で、頬が痩せこけていたけれど目だけが爛々としていた。

 何かに憑りつかれた様に視える。

 左手をくるりと上向きにするとそこに影が集約されて、青黒い狗が姿を造る。

 そして手を振り払うと同時に狗は太刀を構えた澄彦さんへと一直線に走り出す。


 私も、走った。

 石段の上ではなく、澄彦さんの元へ。

 太刀の切っ先に触れた狗は身を翻して、再び澄彦さんへと牙を剥く。

 多門の黒駒よりも一回り小さい狗は鼻に皺を作り、本来の主人に唸り声を上げる。


「浪若! 止まれ!」


 私は澄彦さんの背後から狗の真名を叫ぶ。

 本当は正面で呼びたいところだけど、いつ飛び掛かってくるのか分からないし、澄彦さんの邪魔にもなる。

 浪若は一瞬動きを止めたものの、私の指示に従う素振りは無い。

 やっぱり触れないと、その目に私を映さないと神守の眼の発動条件が揃わないみたいだった。

 澄彦さんの太刀に噛み付いた時に一瞬隙が出来るだろうか。

 その時に手を伸ばせば触れられるだろうか。

 私の手を犠牲にして噛み付かせれば、触れていることになるだろうか。


 幾つもの考えが頭を廻ったその刹那、浪若が飛び上がった。


 来る! けど、どっちで触れる!?


 夜空に浪若を見上げれば、狗のさらに上から矢が二射曲線を描いて落ちてくる。

 矢は的確に浪若の背を射抜いて、落下と同時に地面に縫い止めた。

 これはあの白蛇の頭部をグラウンドに縫い止めたものと同じだ。


 須藤くんがやってくれた!

 

 振り向いてお礼を言いたいけれど、今はそんな場合ではない。

 私は足掻く浪若に駆け寄り、しゃがんで触れる。

 ぬらりと濡れていて、黒駒のふさふさの毛並みとは雲泥の差だった。

 よくよく触れた指先を見ると、赤くなっている。

 濡れているのは血のせい。

 自身か他者のか。

 どちらにせよ良いことではない。


「浪若。多門の下へ行きなさい」


 小さな声に耳が反応を示す。

 浪若が動けるように二本の矢を引き抜くと、タールのような血が纏わりついていた。

 そうだった……。

 狗は殺した犬から作られる。

 身を濡らしていた血は誰かの血。

 それは私が知る人の物なのかわからない。

 誰かを傷つけて、主門と共にここへと現れたことだけは確かだった。


 矢から解放された浪若は、標的である澄彦さんを素通りして石段を駆け上がって行く。

 でもその先に居る多門の下へ行けるのか。

 黒塀と表門に阻まれている間に眼の力が尽きてしまうのではないだろうか。


 不安は尽きないけれど、私は立ち上がって浪若の後を追った。

 擦れ違う澄彦さんは優しい目をして私を見送る。

 けれど直ぐにその目は静かに燃えるんだろう。

 清藤の当主がもうすぐそこまで迫っていた。


 石段を一段飛ばしで駆け上がる私の背後を須藤くんが追う。

 先導はしない。

 私の前に出てくる者を背後から射貫くため。

 彼の視界に入ることによって、私の周囲は完全に見渡せる。

 須藤くんの後ろに居ると、私の背後ががら空きになってしまい死角が出来るのだ。

 普段はゆっくりと登る石段だけど、流石に今夜はそんな悠長なことはしていられない。

 息が切れても胸が痛くなっても、何としてでもお屋敷へ、玉彦のところまで行かなくては。

 表門の屋根を確認出来た矢先、私の前に黒いスーツの男が二人躍り出た。

 手には警棒のようなものを持って構えている。


 自然と眼に力が入った。

 眼球の上側が圧迫されるように熱くなる。


「退けろー!」


 呼吸も危うい自分からそれほどの大声が出るとは驚きだったけど、言葉と眼が連動して彼らは固まる。

 間を通り抜ければ、背後で倒れる音が聞こえた。

 駄目押しとばかりに須藤くんが一撃を与えた様だった。


 篝火が二つ灯された表門には、先ほどと同じく黒スーツが居たけれど既に須藤くんのお母さんの足の下敷きになっていた。

 そしてその脇には首を落とされた狗が二匹。

 でも、あれは違う。

 直感でそう思った。

 多門が呼び寄せたい狗は彼の姉と兄に従っているはずで。


「澄彦さんが段下に!」


 私がそういうと須藤くんのお母さんは頷いて、闇の底へと通じるような石段を下りていく。

 表門の護りはそんなに重要ではないはずなのだ。

 何故なら彼らは前回もこの黒塀と門に阻まれていたから。

 三下では正武家のお屋敷に足を踏み入れることすら儘ならない。


 だから。

 これから門を通ったその先にいる清藤の者たちは、一筋縄ではいかない。

 呼吸を整えて、隣に立つ須藤くんに頷いて一歩踏み出す。


 ここからが本番だ。

 さぁ、どこからでも……!


 意気込んで表門を抜けると、そこはいつもの正武家のお屋敷で。

 でも無言の喧騒に包まれている。

 屋敷内で何かが誰かが争っているのが感じられる。


 離れにいた松梅コンビたちや本殿にいる巫女は避難しただろうか。

 彼女たちに争う力はない。

 どうか、弱い者から狙う清藤から逃げ延びていて。


 僅かに震えた唇を引き結ぶ。

 怖いけど、進むしかないんだ。

 表門の向こうから地響きが鳴る。


 澄彦さんと須藤くんのお母さんが主門と一戦交え始めたのがわかった。



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