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白い着物。
瑪瑙の帯留。
大きいけれど玉彦の黒い羽織。
黒い着流し。
差し色は蒼。
腰には黒鞘の太刀。
五村の山々を廻るのに、二人はちょっと散歩するような格好だった。
早朝訪れた一つ目の護石は、私が想像していた物よりも小さくこじんまりとしていて、これが護石だと言われなければただの大きな漬物石に見えた。
けれど持ち上げようとしても重すぎて全く動かない。
その様子を見て、澄彦さんと南天さんは苦笑いをしていた。
そして私が護石に手を翳すと見た目は全く変わらなかったけれど、ほんのりと熱を持った。
澄彦さんはその熱を確認して頷くと、南天さんは私たちを乗せてきた車へと戻り、澄彦さんに太刀を渡して正武家のお屋敷へと帰って行く。
「では参りましょうか、神守の巫女殿」
ふざけたように右手を差し伸べた澄彦さんの手を取り、私は一歩踏み出した。
「参りましょう、当主殿」
私もそれに悪乗りして微笑んだ。
二人でのんびりと歩く山道は、思いの外に道が整備されていた。
と言っても道路の様ではなくて、獣道を幅広くし踏みしめられている。
なので着物でも歩きやすい。
私はてっきり草木を掻き分けて進むものだと考えていたので、朝にお役目用の白い着物を澄彦さんに指定された時には耳を疑った。
朝の天気予報を見ると、今日は一日中曇りで歩きやすい天候となっていた。
私の隣を歩く澄彦さんは終始ご機嫌で、こちらが退屈しない様に玉彦の子供の頃の話を聞かせてくれる。
それがまた面白くて合いの手を入れて聞いていれば、あっという間に二つ目の護石に辿り着いた。
時計を見れば出発から約二時間。
この調子で歩ければ夕方、遅くても夜の帳が下りる頃には円を描ける計算になる。
私の体力と、清藤の動きが問題だけど。
三つ目の護石の上には、紫の風呂敷に包まれたおにぎりとお茶が先回りをされて用意されていた。
そこで私たちは少し早めの昼食とする。
流石に四時間も歩き通しだと、足が張ってきているのがわかった。
脹脛を揉んで澄彦さんを見ると、自然の中で美味しそうに煙草の一服をしている。
「さっきどこまで話したっけ?」
「玉彦が私の浴衣を選んだところまでです」
親馬鹿の澄彦さんは息子が生まれた瞬間からの話を私に聞かせていた。
多分玉彦が私に隠しておきたいであろう恥ずかしい話まで暴露している。
「そうそう。それね。まぁそこでようやく息子が人の心に目覚めたと屋敷では大騒ぎでさ。南天は知ってたみたいだったけどねー」
「人の心って……」
「比和子ちゃんは知らないだろうけど、それまでは本当に人や物に執着しないお子様だったんだよ」
「はぁ……」
「それからー比和子ちゃんに振られてー、引きこもりになってー」
「人聞き悪いこと言わないでください」
「えっ。本当のことじゃない。で、ある日息子は晩酌をする僕の下へね、鋏を持って現れたんだ」
いい加減父親に愛想が尽きて、殺そうとでも思ったのだろうか。
「髪を切ってくれってさ。元服も終えていたし禿も卒業する頃合いだったから縁側で適当に切っていたら、アイツ俯いて泣くんだよ。声を押し殺してさ」
「玉彦がですか!?」
「そう、あの息子が。いやもう驚いちゃってさ。手元が狂ったけど結果オーライの出来だった」
アレはお洒落のアシメではなく、澄彦さんの動揺の結果だったのか。
「比和子に逢えなくて悲しい。もう逢わないと言われた。通山から男が来てそちらに取られてしまったと泣くんだよ」
「ははは……」
もう呆れて乾いた笑いしか出てこない。
「アイツは元服したから髪を落としたんじゃなくて、失恋したから髪を切ったんだ。もうそれがいじらしくて父親としては何としてでも惚稀人をこの息子の手に取り戻したくてね。そうめん大会をしたんだ」
満足気に頷いた親馬鹿の澄彦さんは短くなった煙草を携帯灰皿にしまうと立ち上がったので、私も休憩を終わらせた。
「でねでね、それからー」
澄彦さんはそれからもずっと話し続けて、歩き疲れてきた私は合いの手すら打てなくなっていた。
この人は疲れないのだろうかと考えれば、玉彦や稀人の親玉である彼が体力が無いわけがなかった。
五つ目の護石に辿り着く頃にはもう太陽が夕陽になりかけて、澄彦さんの話は私が知らない玉彦の四年に差し掛かっていた。
歩きたばこをしない澄彦さんは目覚めた護石に座って、火をつける。
なんて罰当たりな、と思いつつ私は草むらに座る。
そこでも一つ玉彦の話が出るかと思いきや、澄彦さんは空を見上げてニヤリと笑う。
そして、来たか、と呟く。
「澄彦さん……」
不安になって声を掛けると、片眉を上げて煙を吐き出した。
「清藤が来たよ。数はおよそ十。この中に三人は……いるね。さてここからは時間勝負だ。封じ込めるのが先か捕捉されるのが先か。はたまた次代が帰還し、鈴白で三つ巴になるか。何とも面白いことになってきた!」
膝を叩く澄彦さんには全く緊張感が無い。
対して私は顔が強張って、指先が冷えてきた。
「先を急ぎましょう、澄彦さん」
「そうだね。もう日が落ちる。僕の時間が終わってしまう。その前に円は描きたいね」
円を描いたその後は、星を描くことになる。
その距離は円よりも長い。
絶対にどこかで清藤と鉢合わせになるのは必至だった。
私の心配をよそに澄彦さんは鼻歌交じりに歩き出したけれど、すぐに歩みを止めた。
すぐ後ろを追いかけた私は背中に衝突してしまう。
あれだけ話をしながらでも歩みを止めなかった澄彦さんなのにと思い、陰から顔を出して前方を見るとそこには玉彦が立っていた。
黒い着流しに腰に太刀を携えた玉彦。
帰って来たんだ!
思わず駆け寄ろうとした私の襟首を澄彦さんが掴んで、再び背後に下がらせた。
そしてようやく違和感に気が付いた。
玉彦はまだ鈴白に到着する時間ではない。
それに到着していたとしても、ここへ来るはずはないのだ。




