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言われてみれば六月の玉彦の誕生日から今までそういうことは一切無かった。
そんなことをしている気分でも状態でもなかったから。
今まで玉彦が強引な時があっても流石に今回は大人しくしていた。
「ごめん。私、そんなの全然気にしてなかった……」
一緒に寝て、手を繋いで抱きしめてもらえてたらそれだけで満足していた。
男と女の違いって、奥が深い。
反省する私の濡れた髪を玉彦は摘まむ。
「だが、酒を呑むほど回復したのだな?」
「えっ?」
含みを持たせた玉彦の問いに、私は言葉に詰まる。
熱を帯びた瞳が私を見つめる。
「身体は綺麗に洗い流したか?」
「あ、うん……」
「では……」
玉彦の腕が座る私の腰を抱えて引き寄せる。
思いきり瞼をギュッとして次の行為に構えると、額に唇が触れて終わった。
「玉彦?」
どうしたのかと思ったら、玉彦はただ微笑んで身体を離した。
そして離れて敷かれていたお布団を並べてそのまま潜り込む。
呆気に取られた私は、一方的に電気が消された部屋で考えて、とりあえず隣のお布団に入る。
「玉彦?」
「なんだ」
呼べば応えるし、もう怒ってはいないのだろうけど。
中途半端な成り行きに私は混乱した。
てっきり久しぶりにと思ったんだけど。思ったんだけど!
「あのー……」
「寝ろ。俺は疲れた」
「……うん。おやすみなさい」
あれだけ暴れていたからある意味発散出来たのだろうけど、私のモヤモヤは晴れなかった。
翌朝。朝餉の席で。
前日あれだけ呑んだくれていたのに澄彦さんはいつも通りで、あれだけ暴れていた玉彦はまだ少しだけ眠そうだった。
そして私は、モヤモヤと悶々と眠れぬ夜を過ごして寝不足だった。
「本日は午前午後共に役目が入っている。次代は?」
「私は午前のみです。午後は外へ出ます」
お役目ではない玉彦が午後に外出するのは珍しく、思わず隣に顔を向けたけれど無視をされた。
「比和子ちゃんは?」
「私は午前中は南天さんと一緒です。午後は……」
私も外出するのかともう一度隣を窺っても反応がないので、別行動なのだろう。
「午後は多門と過ごしたいです」
夕べ多門は私が何故黒駒を従えることが出来たのか聞きたがっていた。
そう言うと澄彦さんは頷き、玉彦は音を立てて箸を置いた。
「まぁ次代も外へ出るということだし、多門も空いているだろう。でも屋敷の外へは出ないようにね。蘇芳は今朝帰った。以上。ごちそうさまでした」
三人同時に頭を下げて、席を立つ。
部屋へと戻る前に私は台所へと顔を出した。
そこではまだ清藤の付き人たちが食事の用意をしている。
私たちの食事は稀人が用意し、賄いを台所で食べていたけど、これからはどうなるんだろう。
付き人が全員の食事を用意することになるのかな。
手持無沙汰の須藤くんを廊下へと連れ出して、彼に今日の予定を尋ねると案の定彼も午後は外に出ると言う。
「どこに行くの? 玉彦と一緒?」
「そうだよ。ちょっとね。色々と」
「ふーん。そう」
二人とも私に行き先を教えるつもりはないようなので、深くは追及しない。
一から十まで私が知る必要はない。
逆もそうだ。
「気を付けてね。何があるかわからないから」
背を向けて歩き出して、私はそのまま玄関から外へと出る。
庭へ抜けて、母屋と離れを繋ぐ外廊下の脇を通り過ぎ、本殿へ。
岩に半分飲み込まれる本殿を見上げると、屋根の部分にやはり居た。
学生服の神様。
今は出雲にいるはずなのに気配を感じて見に来れば大当たりだ。
「御倉神ー」
手を振るとこちらに気付いた御倉神は、顔を顰めながら私の前に舞い降りた。
私が自分の世界に閉じこもってしまってから、御倉神は外で待つと言いつつ、ずっと私の前には現れなかった。
南天さんが台所で揚げを用意していたのは知っていたのでお屋敷には来ていたはずなのに。
「乙女……。最近ここは狗を飼い始めたのか」
「色々あってね……。嫌なの?」
御倉神は黙って近寄り腕を伸ばして私を包み込む。
目を閉じてそのまま身を寄せる御倉神は何度も私の匂いを嗅いだ。
「気に喰わぬの。まことに気に喰わぬ。わたしの乙女が狗臭くなる」
「そうは言ってもねぇ。こればっかりは仕方ないわねぇ」
背中を叩いて宥めると、御倉神はますます私にすり寄る。
こんなに甘えてくる御倉神も珍しい。
「乙女。わたしとらんでぶーじゃ」
「は? なに?」
御倉神は私を抱きかかえたまま浮かび上がった。
地上から数センチ浮かんで本殿前から離れの庭へと飛ぶと、当主の間にてお役目前の澄彦さんが縁側に出て伸びをしている。
私たちが目の前を横切ると、欠伸の為に開けた大きな口がそのままになった。
そして次に惣領の間の庭を通ると、空気の入れ替えの為に障子を開け放った豹馬くんとそれを眺めていた玉彦が、ぎょっとした。
母屋の庭の片隅にある産土神の社の前で御倉神は一度片足だけ地につけて跳躍。
すると私を抱えたまま正武家の塀を乗り越え、ジェットコースターのように山を滑り降りる。
流石に正武家の敷地から出るのは不味いと御倉神に訴えても、彼は止まらずに駆けた。
まっすぐ。お父さんのお墓に向かって。
鈴白村のお父さんたちが眠るところは通常の墓地ではなく、小高い丘の正武家や御門森の人々のみが眠る墓地だった。




