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夜の鈴白行脚の為に珍しく昼寝をしている玉彦を部屋に残して、私は夕方台所に顔を出した。
そこでは南天さんが一人で準備をしていて、私は安心してダイニングテーブルに座る。
豹馬くんたちは清藤の人たちに屋敷内を案内したり、荷物を運び入れる手伝いをしているようだった。
「どうぞ」
いつもながら気が利く南天さんが私の前にカルピスとシフォンケーキを並べる。
夕餉前だけど甘いものは別腹だ。
それに最近ご飯ものをあまり食べられない。
澄彦さんは懐妊かと疑っていたけど、裏門を通っていないことを告げれば苦笑していた。
「ありがとうございます。頂きます」
フォークを持ってシフォンケーキを眺める。
来年から南天さんは澄彦さんの所へと行ってしまうから、もうスイーツ仲間は解散になってしまうかもしれない。
そしてこれが最後のシフォンケーキだと思うと勿体無く感じる。
「どうしました?」
「南天さん……。スイーツ仲間は解散でしょうか……」
私が中一の時に発足して、間は空いたけれど解散には至らなかった。
「御冗談を。解散しませんよ。仲間も二人増えますから」
「へっ?」
南天さんはまな板に向かったまま肩を揺らしていた。
「竜輝と多門が増えます」
「竜輝くんはともかく、多門ですか!?」
「えぇ、彼はどうやら甘党のようですね。先ほど冷蔵庫に大量のプリンを仕舞い込んでいましたよ」
私は最近台所に増えた黒い大型の冷蔵庫を振り返った。
母屋に人数が増えるので自然と食材もそれなりにストックされる。
こうやって人も物も増えていくんだろうなー。
「多門がスイーツ仲間かぁ」
想像してみても彼は作る側ではなく食べる側。
竜輝くんは作る側。
そしてそれをドアの陰から不満あり気に覗く玉彦。
近い将来の風景が目に浮かんで、笑えた。
実は多門は、私が目覚めなくなった時から今まで顔は合わせているものの言葉を交わしていない。
亜門の狗は元々多門が創った狗だったから。
使役したのは亜門だったとしても、その罪は自分にもあると考えていた。
だから同じ空間にいて数人で会話をしていても彼が私に話しかけることはなかった。
そして私は多門にどう接して良いのか、未だにわからない。
亜門は憎い。八つ裂きにして殺しても足りないくらい。
でもお父さんは仇なんて考えるなと最後に言った。
言われたけど、亜門を前にして私は自分のその衝動を抑えられるのか自信はない。
「比和子さん?」
「あ、すいません。ちょっと……複雑だなって。清藤の人たちと上手くやっていけるのか不安で」
私は気を取り直してフォークに差したシフォンケーキを口に運ぶ。
んんーうまー!
甘さ控えめのクリームがまたいい感じだ。
夕餉の準備を終えた南天さんは、珍しく私の隣に腰掛けた。
いつもはテーブルを挟んで正面なのに。
頬づえをついて足を組んで、私の食べる様子を眺めている姿はお父さんみたいだった。
知らず知らずに感情が込み上げて、フォークを置いた両手で顔を覆った。
癒されつつあった心はふとした時に揺り返して、涙を流させる。
私の頭を優しく撫でながら、南天さんは台所に差す西日に目を細めた。
「すみません。最近情緒不安定で、すぐ泣いちゃうんです」
「構いませんよ。澄彦様ではありませんが、私も比和子さんのことは娘、いえ妹でしょうかね。弟と同じお年ですし。そう思う時があります。玉彦様の前では口が裂けても言えませんが」
私が泣き笑いすると、南天さんも口に人差し指を当てて笑う。
「妹が悲しみや復讐心に押し潰されてしまわないかと兄は心配しています」
そのまんま、今の私の状態だ。
「離れていても妹の窮地には必ず駆けつけます。偵察役として息子すら利用します」
自分が当主付きになることについて、私がどう思っているのかも全部解ってくれている。
「何があっても玉彦様と共に乗り越えて笑顔でいてくれることを願っています」
私は渡されたティッシュの箱を抱えて号泣。
南天さんは私が中一に出会ってからずっとずっと見守っていてくれていた人だ。
玉彦と決裂した時は、さり気なく私が鈴白村に帰れるようにチーズケーキで釣ってくれたし、高二の時の騒動の際には、共犯者にもなってくれた。
いつもいつもフォローしてくれている。
「私、正直亜門が許せません。だからって多門が悪いとも思ってません。そう思っているんですけどどうしていいのかわかりません……」
「……光一朗さんは私の兄のような方でした。色々と思い出がありますが」
南天さんの思い出は、きっとロクでもないことも多いはずだ。
「ですから私も比和子さんと同じ気持ちです。しかし私は御門森の男で正武家の稀人でもあります。そして貴女は正武家の嫁であり神守の者でもある。澄彦様も玉彦様も各々の立場がありそれに徹しています。清藤の粛清は私怨ではなく、あくまでも正武家の役割です。けれどそれは建前でみな心に思うことは一緒です。みな比和子さんと同じく葛藤しています」
「南天さん……」
「私はこの清藤の粛清の結末が一つの答えになると感じています。この五村の地は正武家にとってそう在る様になっている。必ず納得のできる結末となるのでしょう。なので貴女は自分の思うままに進んでください。そのままの気持ちを多門にぶつけてみて下さい。彼もまた葛藤している一人です。稀人となる決断、兄弟を討つ覚悟、清藤を終わらせる役割を演じています。ただ一人頼るべき者もいなく一人で孤独の内にあります。彼の心に手を差し伸べられるのは比和子さんしかいません。わかりますね?」
真摯に語る南天さんの目を見て、私はしっかりと頷く。
多門は背負わなくても良い贖罪をしたがっている。
それは私にしか否定できない。
生き残った私にしか。
贖罪の拒否じゃなくて否定だ。
まずは出来ることから一つずつ。
それらを積み重ねていくことで見えてくる何かもあるはずだ。
「……これから多門と話してきます」
南天さんは良く出来ましたと私の頭をポンポンとしたけれど、直後に微妙な表情を作った。
「南天さん?」
「これからはちょっと無理かもしれませんね。玉彦様が比和子さんを探してらっしゃるようです」
「え?」
玉彦の声や足音が聞こえてもいないのに、南天さんがそう言った約一分後。
目を擦りながら台所に現れた玉彦を見て、再びまな板に向かっていた南天さんの背中がどことなく九条さんと重なって見えた。
私のことを妹だと思ってくれる彼もまた、お父さんの死により眼を覚醒させた一人だった。




