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6


 私だったら、こんなに自分を想ってくれてる旦那を置いて家出しないけどな。

 そもそも喧嘩で家を出たんじゃないのなら、どうして居なくなったのだろう。

 まさか、浮気とか……。


 横目で正武家さんを窺うと、俯いたまま唇を噛んでいた。

 私の隣で、そんな顔しないでよ。

 夢の中では笑ってたじゃないの。

 だから、そんな傷付いた顔しないでよ、玉彦。


「あ……」


 私、ずっと前にも同じこと考えた。

 張り詰めると切れてしまいそうな記憶の糸を手繰り寄せる。


 いつだっただろう。

 これは夢じゃなくて、記憶だ。

 一瞬私の頭を掠めたのは、隣にいる大人の彼ではなかった。

 前髪を切り揃えておかっぱ頭の黒い着物。

 赤い差し色が妙に目に焼き付いて。


 ねぇ、やっぱりおかしいよ。

 ひとつ思い出せば、幼い彼の記憶が波のように押し寄せる。

 どこかの祭壇でお祈りをして私を眩しそうに見つめてた。

 赤いゴムで前髪を結んで、ちょんまげになって。

 うんざりした顔で私と指切りしてた。


「やだ、どうして私……」


 記憶に残る感情が、私を激しく揺さぶる。

 思わず目に指先を当てて熱を持っていることに気付く。

 思い出したいけど、思い出してはいけない。

 私が壊れないように無意識にストップがかかる。


「上守さん?」


 自分の世界に入り込んでいた手を彼に揺すられ、意識が月夜に戻った。

 恐る恐る彼を見れば、何かを期待して、でも不安そうにしていた。


「ごめんなさい……。頭のおかしい女と思うかもしれないけど、最近変なの。正武家さんのこと、知ってる。上手く言えないんだけど、貴方と過ごした断片的な記憶がある」


「……それ、伺えますか?」


「聞いてくれる? 引かない?」


「引きません」


 彼の眼差しが柔らかいものに変わって、私は堰を切ったように話した。


 誰かに聞いて欲しかった。


 夢を見た直後に錯乱してた私の話は、皆に頭ごなしに否定され、この鈴白村に痕跡を捜しにきても何も無くて、夢だったんだと諦めた。

 でも今、こうして石段があってお屋敷があって彼が存在して。

 錯乱していた直後の私にはこの現実の方こそ夢の中だった。

 死んでしまったはずのお父さんやお母さんやヒカルが、そこにいて笑っていたから。

 一生懸命に思い出しながら話してみたけど、話せば話すほど自信が無くなってきた。

 だってあんまりにも突拍子のない恐怖体験ばかりで、さすがにこれはおかしいと思う。

 けれど彼は相槌を挟むだけで、話の腰を折るような事はしなかった。

 語ること全てに頷いて、ただ微笑むだけだった。


 さっき出会った燕尾服の御門森九条は、私の師匠だ。

 実際よりも若い姿だったけれど。

 そして学生服の男の子は御倉神。

 揚げが大好きな私の守護を司る神様。

 いっつも登場するのが遅い。


 あれ? でもおかしくない?

 お父さんは私の夢の話を真っ向から否定していたのに。

 鈴白にそんな屋敷はないって。

 なのに御倉神を御倉神だと呼んだお父さん。


 僅かな矛盾に、私の記憶の糸が一気に解けた。



 ここは、私の中だ。


 神守の眼はいつも対象の心の世界を視せたけど、何もない空間だった。


 でも私が願えば、物を存在させることが出来た。


 ここは私が作り上げた虚構の世界。


 お父さんたちがいて、玉彦を護る神守の眼を必要としない世界。


 だから正武家そのものがなかった。


 御門森も須藤も、名もなき神社さえ。


 玉彦に関係するものは全て消し去っていた。


 なのに私は、消し去ったくせに玉彦を思い出して、忘れられるはずなんてないのに。



 全てを理解して、私は隣の玉彦を見つめた。

 こんな無茶をして、私を探しに来て。

 彼にそんな力はないから、九条さんを巻き込んだのだろう。

 御倉神は神様だから神出鬼没なのだろう。



「私に、逢いに来たのね。玉彦」



 その瞬間、世界が歪んで真っ白い空間になった。

 白い世界でぽつんと二人で座り込んでいた。

 玉彦に見つけられたと認めれば、あの幸せは偽りだったと認めることにもなる。

 虚構の世界と共に三人は再び私の前から消えてしまった。


「比和子に逢いに来た」


 玉彦は私を抱き寄せた。

 でも私は彼にされるがままで、その背に手を回すことが出来ない。


「連れ戻しに来たの間違いじゃないの?」


 顔を埋めた胸に呟く。

 すると玉彦は身体を離して首を振り否定した。


「ただ逢いに来た。一目だけでもと。比和子がここで幸せであるならば、それで良い。比和子はそのまま、思うままにあれば良い」


「だったら何で泣いてんのよ。馬鹿じゃないの」


 玉彦の涙を見るのは三度目だ。

 落ちる涙を拭わずに不器用に泣く。

 あの時は透けていて駄目だったけれど、手を伸ばして指先で拭ってあげる。

 その手を掴んで俯いて瞼を固くぎゅっと閉じて玉彦は涙を落とし続けた。


「ようやく比和子の声が聴けた……」


「そう……よかったわね」


「だが。これが最後だ。比和子が幸せで在れるなら、それで満足だ。愛する者たちと共に在れ」


 この人はいつも私が笑っていられるように、身を引いてしまう。

 それが毎回もどかしかった。

 どうして一緒に乗り越えて行こうって言ってくれないんだろう。



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