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5


 一旦玄関に戻り、草履を履いた彼に促され、私は門を抜けて石段に腰掛けた。

 同じく隣に彼も座る。

 ほんのりと石鹸の香りが風に乗って私に届いた。


「正武家玉彦と申します」


「あ、上守比和子です」


 しょうぶけ。

 この珍しい名字に思い当たる人はいない。

 お見合いの様に互いに名乗って、会話が途切れる。


 そりゃそうだ。

 話題がない。

 私はこの人と夢で会っていたけど、所詮夢である。

 見ず知らずの女がお屋敷にやって来て、貴方の唇の感触も身体も全部知っています。なんて言ったらまるっきりの変質者だ。

 初めて会ったこの人に同じことを言われたら、私も引く。


「上守さんは、いまここで幸せですか?」


 唐突な予想外の質問に、思わず隣の正武家さんを見た。

 僅かに首を傾げて眉をハの字にして寂しそうにしている。


「一応、平凡だけど幸せ。だと思います」


 病院送りにさえならなければ、これから守くんと結婚して、子供が出来て、それなりの人生だろう。


「そう、ですか」


「正武家さんは、幸せですか?」


 彼にも同じ質問をしてみる。

 私に尋ねるってことは、自分にも聞いて欲しいのかなって思ったから。


 彼は少し考えてから、夜空を見上げた。

 つられて私も見上げれば、通山と同じ月が浮かんでいた。

 やっぱりここで見る月は少しだけ大きく見える。


「幸せ、でした。私には勿体無い程に」


 過去形なのがすんごく気になるけど、それ以上は聞けなかった。

 だって何だかそれ以上聞いたら、この人泣きそうなんだもん。


「こんな自分でもそういう時を過ごせるのだと思いました。普通と呼ばれる日常は自分には無いものだと思っていました。けれどそれは儚く消えてしまいそうです」


 おっ?

 過去形じゃなくなったぞ。


「消えないようにすれば良いんじゃないですかね? 蝋燭の火が消えそうになると手で囲うようにするのと同じで、消えないように努力してみれば良いんじゃないですか?」


 我ながら変な例えだけど、彼は口元だけで笑って石段へ視線を落とした。

 どうやら心に響かなかったらしい。


「相手が居ることなので、私の努力だけでは何ともならないんです。彼女は私から遠く離れてしまって」


 私は金槌で後頭部を思い切り殴られた気分になった。


 そうだよ。

 こんなイケメンで優しそうな人に彼女がいないわけないじゃん。

 しかもこっそりみたら、ちゃっかり左手の薬指に指輪してるし。

 奥さん、家出しちゃったんだろうか。

 夢の中で私は彼の奥さんだったけど、あくまでも夢の話だし。


 そうして少しだけ考えてから、私は彼を励ますことにした。

 袖すり合うも多生の縁っていうし、この人にこのまま悲しい顔をさせておくわけにはいかない。

 私がこの石段を下りる時には、笑顔で送ってほしい。


「離れたら追い掛ければ良い。待ってますよ、奥さん」


 ニヤリと笑って指輪を指差せば、彼は握り締めていた左手に右手を重ねた。


「待っていますか、上守さん」


「待ってますとも! 離婚した訳じゃないんでしょ? だったら会いに行ってガッと問答無用で攫って来ればいいんです。イケメンは正義だって私の友達が言ってました。正武家さんなら許されます」


「……それをすると、彼女に殴られます」


「……バイオレンスな方なんですね……」


 ちょっと同情した。


「実は彼女に会っているんです。でもどうしたら良いのか正直解りません」


 切羽詰まって私に縋るような彼に何か気の利いたアドバイスをと考えても、守くんとの恋愛しか知らない私には参考になるような事が言えなくて。


「うーん。とりあえずごめんなさいしてみたらどうでしょう?」


「彼女を逆上させない謝り方が解らない……」


 両手で顔を覆ってしまった正武家さんは相当参っているようだった。

 たぶん以前も同じようなことがあって、逆上させてしまったんだろうか。

 それにしても一体どんな奥さんなんだ。

 この人の何が不満で家出しちゃったんだろう。


「鉄板の謝り方、ないんですか? ごめんなさいのチューとか欲しい物プレゼントするとか」


「……ない。ですね。そもそも彼女と喧嘩をしたわけではないので」


 で、会話終了。

 それから二人で月を見上げては溜息をついた。



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