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現代知識こそが最も有能!   作者: 蘇我栄一郎
異世界に適応するまで
6/31

六話ですぜ、旦那!

 デモンストレーションで使用した斧のギミックを再度使用出来るようにした次の日、私はとうとう村を出る事になった。

 廃村だったこの村に来てから、一体どれだけの月日が流れたのか、一体どれだけの苦悩の日々を過ごしたのか、村を出る今になって、まるでフラッシュバックのように沢山の日々が思い起こされる。

 この世界に理由も分からず来てしまった当初は、心底未来に絶望していた。

 戸籍も無い、知り合いも居ない、お金も無い、住む所も無い、全て無いの無い無い尽くし。

 そんな中で一縷の希望をと、そう願い辿り着いた廃村。

 今ではその廃村は、最早廃村ではない。

 沢山の住人が暮らす、立派な村だ。

 しかも、この村には名前すら付いているのだ。

 私という鍛冶師が居た事が理由で、ヘパイストス村と呼ばれている。

 鍛冶の神様の名前であるが、その神様のような凄腕の鍛冶師と評判になった私のせいで、そう呼ばれるようになったらしい。

 誰が最初にそう呼んだのか、それは私にも誰にも分からない。

 鋳造方法ではなく、ただ鍛造による製作方法という単純なものなのだが、世間では私が特殊な炉を生み出したからだと評判になっている。

 なので、その噂を利用し、私は鍛冶工房にあった炉を完全に分解して旅立つ準備を終えた。

 きっと、兵士や騎士は分解された炉を見て憤慨する事間違いなしだろう。

 その驚き憤慨する顔を直接見てみたい気もするが、命の方が何よりも大事だ。

 それ故に、少し後ろ髪を引かれる思いではあるが、ここは自重して隣国へと出発だ。


 と、そんな風に意気込んで出発したものの、私は現実を舐めていたのだと心底思い知らされた。

 毎日お腹一杯になるまで食べられるようになって、それなりに体力も筋力も戻ったと思っていたのだが、ただ歩くという作業がとてつもなく苦行だったのである。

 これが日本の道路ならば普通に歩けていて、それこそ十キロでも二十キロでも楽に歩けていたのだろう。

 しかし、この世界の道というのは、絶対に凸凹しているのが常だし、希に此処は人が本当に歩いている道なのかと疑問に思う箇所もあったりするなど、終始足下に気を遣わねばならないのだ。

 ずっと村内に居たせいで、この世界に来て学んでいた最初の常識を忘れていた。

 そして、苦行だと表現したのには、道関連の他にも辛い事実があるからだ。

 そう、多くの種類の危険生物であり、この世界に存在する魔物という生物の事である。

 奴らは火を恐れない種類が多いので、焚き火をしながら夜を過ごす私達の近くまで接近する事も多々あり、安心して眠れないのである。

 すると、満足に睡眠を取れていない私達にとって、日中を歩くというのは………いや、護衛である他の面々は大して苦労している素振りは無いが、この世界の旅事情に慣れていない私からしたら非常に辛く苦しいのだ。

 精神的にも肉体的にも、本当にゴリゴリと色々な意味で削られる旅である。


 そんな旅の中で、心底心胆寒からしめたのは、勿論魔物の存在である。

 ちょっとした丘を登り切った直後、視線の先に虎のような毛皮をした熊が現れたのだ。

 いや、或いは熊のような虎、とでも表現するべきかもしれないが、兎に角危険生物であるのは間違いないそんな魔物が居たのは事実だった。

 その魔物は、此方が魔物の存在に気付いたのと同時、向こうも此方に気付いたようで、それはもう物凄い表情で勢い良く駆け出した。

 しかも駆け出したのは此方へであり、何故か私に向かって一目散に飛び掛かって来たのだ。

 そしてこの時、奴の爪が私の頬をほんの少しだが傷付けたのである。

 もしも私が気を抜いていたなら、もしも私の反射神経が鈍かったのなら、きっと重症を負っていたのは間違いないだろう。

 私が恐怖から咄嗟に身を屈めたので、奴の爪が頬を掠める程度で済んだのだが、本当にギリギリの回避だった。


 最終的にその魔物は、護衛であるギルバードさん達が追い払う事になるのだが、私達を食うのを諦めるまでに三十分は戦っていたと思う。

 戦闘の邪魔にならない位置取りを意識する私にとっては、生きた心地がしない時間だった。

 護衛を雇っていて本当に正解だったと思えたし、もしも護衛を雇っていなかったらと思うと、それこそゾッとしない。

 そして、改めてギルバードさん達の実力の程を窺い知れた機会でもあったと言えるだろう。

 勿論、噂で聞いた実力を疑っていた訳ではないが、それでも実際に見るのと聞くのとでは大きく印象が違うのだから仕方ない。

 それを証明するかのように、旅の途中で色々と過去について聞いてみたのだが、私の聞いた彼らに関する噂は事実であるものの、実際には事実が大きく異なっている事も窺い知れた。

 私が聞いた噂だと、超が付くような危険生物を六人という少人数だけで軽々と倒したとか、冒険者の間では現在最も有名な人達だとか、そんな感じであった。

 それを彼らに尋ねると、それらは概ね事実であると認めたものの、少し違うらしい。

 違う部分というのは、倒した魔物は単純に弱っていたから倒せただけで、有名になったのはその事で国から報奨を貰えたからだそうだ。

 しかし、私が彼らの話を聞く限りで言うと、どうも彼らは謙遜しているように見えた。

 その理由は、その倒した魔物の事を詳しく聞いたからだ。

 何でも、魔物の名前はディアブロと呼ばれているらしく、全長十二メートル、体高七メートル、頭部に三本の巨大な角があり、爬虫類にも似た姿で、猪のように突進攻撃を繰り返す驚異的な存在だったのだそうだ。


 皆さんは、何を想像しただろうか?

 私がどう想像したのかって? 


 私がその言葉を聞いて想像したのは、トリケラトプスであった。

 何故なら、子供の頃に見た恐竜図鑑ぐらいにしか、私の知識にはそんな生物が存在しないからだ。

 それ故に、話を聞いた私は絶句した。

 例え弱っていたとしても、そんな化物を相手にして倒せるとは思えなかったからだ。

 寧ろ、弱っていたとしても倒せたのだから、それはそれで凄まじい事である。

 たかだか人間という矮小な存在が、恐竜に勝てると誰が思うだろうか。

 ディアブロと呼ばれる魔物を倒した彼らは、正しく勇者であると言えるだろう。


 そう素直に感想を伝えると、彼らは恥ずかしそうにしながら“実は、故郷でそう呼ばれている”と教えてくれた。

 そりゃそうだろうなと、私は何度も納得したように頷いた。

 爆弾や重火器など一切使用せず、斧やハンマーや槍、そして弓だけで倒したのだから、どう考えても勇者以外の何者でもない。

 私が同じ事をしてみろと言われたとしたなら、きっと裸足で逃げ出すだろう。

 因みに、彼らが倒したディアブロという魔物は、通常なら数千人規模の兵士で討伐するのが普通らしい。

 生きた災害と呼ばれる事も少なくない魔物であるのを考えれば、その兵士数千人の内の数百人、或いは千人以上が死んだとしても、その程度の犠牲で済めば幸運だと言われているそうだ。


 ともあれ、そんな壮絶な過去話を聞きながらの道中、旅が三ヶ月を越えた頃、私達は漸く隣国へと続く関所に到達した。

 まぁ、関所とは言っても、道の両端に兵士が十人ずつ立っているだけであり、特段厳しい身分証のチェックをされたりする訳ではないし、そこまで物々しい建物がある訳でもない。

 少し大きめな建物である砦と、小さな村と表現出来るくらいの規模の場所があるだけだ。

 ただし、商人ならば品物に対しての税を取るだとか、ただの一般市民なら何故母国を出てムーティッヒ国内へ入ろうとしているのかとか、その辺の事情やらを説明したり税を払うなりしなくてはならない。

 日本の戦国時代のように戦が頻繁に発生するのだから、その辺りを考えれば当然の処置だと言えるだろう。

 それ故、自分に遭った出来事を説明して入国の許可を貰おうと考えていると、ギルバードさんに任せてくれと言われ、私は素直に提案を受け入れた。

 やはり此処は彼らの故郷となるムーティッヒ国であるのだから、彼らに任せた方が何事も万事上手く行くと判断したのだ。

 そして、その判断は間違っていなかったらしく、ギルバードさんが何やら内緒話をするかのように兵士数人と会話を繰り広げると、兵士は畏まった様子で敬礼し、何処かへと馬に乗って全力で駆け出した。

 えらく急いでいるのか、馬に乗った兵士の背中は直ぐに視界外へと消え去った。

 何処に向かったのかは謎だが、お偉いさんとかに報告でもしに行ったのだろう。

 その後は勿論、私も一切の問題無く、関所を無事に通れた。

 まぁ、ムーティッヒ国で勇者と呼ばれるギルバードさん達に応対を頼んだので、こうやって一つの問題も発生せずに通れたのは当然だと言える。

 ただ一つだけ気になるのが、関所を通過する時に何故か兵士達が私に向ける視線が、勇者と名高いギルバードさん達に向ける視線と同じ類いのものだった事だ。

 普通人の私に向かって、一体全体何故にキラキラとした憧れるような眼差しを向けるのか、私にはそれが気になって仕方なかった。


 そんな疑問を持つ私であったが、その謎はそのままに再び延々と歩く作業が始まると、直ぐにその疑問を追及するどころではなくなった。

 もうブーツの中の足はマメだらけで、当然皮膚は硬くなっている。

 とは言え、それでも新しい箇所にマメが出来たりするので、未だにその痛みには慣れず、それ故に他に気を回す余裕など皆無だったのだ。

 剣道であれば同じ動きを延々と繰り返すので、当然マメも同じ箇所だけに出来るものであったのだが、道が凸凹しているせいで、足に出来るマメは不規則に形成されるらしい。

 鬱陶しい事この上ない迷惑千万な事実である。

 しかし、この痛みを一気に解消させる代物の存在を知る事となり、私の悩みは全て改善される事になった。

 マメだけではなく、それ以外の苦痛も全てである。

 そう、もう長期間苦しまされた手首の痛みである腱鞘炎も、あの苦労の日々は何だったのかと問いたくなる程に解消されたのだ。

 その魔法のような代物の存在というのは、それはつまりポーションである。

 薬師が様々な薬効の草を混ぜ合わせ、その上で更にその混ぜ合わせた草の成分を効率良く抽出し、長期間寝かせる事で作られるポーション。

 上級、中級、下級、大まかに三つに分類されるポーションで、そのポーションを飲めばマメも治るし腱鞘炎も治る。

 勿論、飲んで直ぐに効果が表れる訳ではないが、それでも数時間もすれば驚く程に効果が表れ、マメや腱鞘炎だけではなく、それ以外の筋肉痛などの痛みも全て消え去ったのだ。


 そんな魔法のような代物に気付いたのは、関所を通り抜けてから二日後の事だった。

 何気無い会話の中で、鍛冶師としての職業病を話していた時である。

 それを聞いたギルバードさんが一言、ポーション飲めば良いじゃんと、それはもうサラリと真顔で言いのけたのだ。

 ギルバードさんからしたら悪気など微塵も無かったのは察せられるが、その余りにもな言い方に、私は呆然となってしまった。

 そして、そのポーションとやらの効果を詳しく聞いて、益々呆然となってしまった。

 そんな便利な代物があるのだと知っていれば最初から飲んどるわと、そう叫びたくなった私の怒りは当然だと思うし、仕方ないと思う。

 しかも、これが心底腹が立った事なのだが、実はマジックバックの中に百本以上もポーションがあった事だ。

 何の液体か分からない毒々しい見た目の物が、この世界では珍しい硝子瓶に入っていて、それを確かに私は確認していたのだ。

 だがしかし、確認した当初はそれが何の為に使用する薬品か分かっておらず、危険かもしれないのでマジックバックの中に封印しておこうと決めて収納しっぱなしにしていたのである。

 つまり、私は最初から持っていたのだ。手首を支配するこの苦痛から逃れる一縷の望みを。

 この事実に気付いた時、私は本当に泣きたくなった。

 いや、実際には少し泣いていたし、それ以上泣かないよう必死に空へと顔を向けて、涙が溢れてこないようにするのに苦労させられた。

 二十六にもなって、人前で盛大に涙するなど恥ずかしい事この上ない。

 だからこそ涙を我慢していたと言うのに、そんな中でギルバードさんは体調が悪いならポーション飲むかと、悪気無く差し出してきた。

 善意のつもりなのだろうが、今はソッとしておいて欲しいと心底思わされた出来事だった。

 因みに、その時は気付いていなかったのだが、私のマジックバックと似た物をギルバードさんも所有しており、ポーションはそこから取り出していたらしい。

 それは私のと比べると非常に性能が悪いものの、それでもそこそこの容量を持っているらしく、そのバッグの中にはポーションとか予備の武器だとかを収納していたそうだ。

 その事を教えて貰ったのは旅が終わってからの事で、旅の間は歩くのが辛かったり魔物が怖かったりと大変だったので、色々と気を回す余裕も無かったせいで私は疑問にも思わなかったようだ。


 そんなお涙頂戴の出来事は兎も角、関所を通過してから一週間が過ぎた頃、私達はとある町に辿り着く。

 今までにも幾つもの村や町を目にしてきたが、決して足を踏み入れる事はしなかった。

 それは私が逃亡中という事もあり、身の安全を考えたならば寄り道などしている暇は無く、今は何よりも安全地域まで逃げる事を前提に行動していたからである。

 しかし、此処は既にムーティッヒ国内だ。

 ならば、もう追っ手に怯える必要性など皆無であるという事。

 と言う事で、町を統治するギルバードさん達の知り合いの貴族家に、今日は泊めて貰うつもりなのだ。

 久しぶりの文明人としての生活を満喫出来るチャンスであり、しかも貴族家という事もあって風呂もあるらしく、この世界に来てから初めての風呂に入るチャンスだ。

 お貴族様の家へと町中を進む道中、私の脳内を占めていたのは風呂の事のみ。

 だからだろうか、町中の風景など一切覚えていない。

 私は根っからの日本人なのだと、この時に思い知らされたと言っても過言ではなかろう。


 そうして、お貴族様の家に到着したのだが、驚いたのは数十人の使用人や兵士が出迎えてくれた事である。

 勇者と名高いギルバードさん達を迎える為に、そこまでするのかと心底驚いた。

 そして、何故ギルバードさん達が来た事を事前に察知していたのかと、そんな風にも驚く。

 町中を常に調査する忍でも居るのかと、そう思わざるを得なかったのだ。

 しかしどうやらそうではなく、実は関所で馬に乗って何処かへと消え去った兵士が、先触れとして王都までに立ち寄る町に報告してくれているから出迎えがあるのだそうで、別に町中を常に調査している忍が居る訳ではないらしい。

 因みに、忍というのはこの世界にも存在するらしく、大国では絶対に忍組織が運用されているそうで、その活動内容は多岐に渡ると聞いている。


「よくぞ参られました。館にて当家の主がお待ちです。どうぞお入り下さい」


 年配の執事っぽい男性がそう言いながら会釈すると、早速とばかりに館内を案内し始め、先ずは汗をお流し下さいと言われて風呂場へと辿り着いた。

 私の心は有頂天である。

 早速とばかりに服を脱ぎ、その服を棚の籠に入れると、私はギルバードさん達より早く浴室へと足を踏み入れた。


「おお! ちゃんとした風呂だ!」


 興奮する私が感嘆の声を漏らす中、次にギルバードさん達が入って来る。


「コーターは風呂を見た事があるのか?」


「あ〜……いえ、風呂を家に造ろうと思って調べてたんですよ。ははは」


「はっはっはっ。平民の家に風呂とは、贅沢な考えだ」

 

 廃村で生きてきた事になっている私が、風呂を見た事があるなど不自然に過ぎる。

 それ故に、咄嗟に誤魔化したのだが、実はこれが嘘ではなかったりする。

 生活に余裕が出来た頃、私は実際に風呂を造ろうとしていた。

 しかし、弟子騒動やスパイ騒動のせいで余裕が無くなり、その結果お蔵入りしていた計画なのだ。

 そんな事実があったからこそ、サラリと嘘が吐けたのである。

 まぁそれは兎も角、今は風呂に入る事が何よりも重要だ。

 だと言うのに、贅沢だ何だと言って笑うギルバードさん達の背後から、何故か女性である使用人が何人も当然かの如く入って来た。

 すると当然、私としてはパニックになったとしても不思議ではなく、事実私は戸惑いながらイチモツを素早く手で隠す。


「っ!? ちょ、ちょっと、何で女性が!?」


「は? そりゃ風呂に入る時は女が居るだろ」


「へ? いやいや、何で?!」


「何でって……。体を洗って貰うからだが?」


 どうやら私の知る風呂とは大きく違うらしい。

 戸惑う私の手を使用人の女性が掴み、慣れた様子で身を清める場へと促し、私はされるがままに体の隅々まで洗われた。

 恥ずかしいの一言であるが、他所様の家であるのを考えると、不用意に自分でするから放っておいてくれとも言えず、私は無言で羞恥に耐える。

 ただし、洗わている最中で疑問に思ったのだが、頭を洗う時や体を洗う時に使用する石鹸類は無いのだろうか?

 何も使用せず、素のままの布でゴシゴシと擦るだけで、私としては不満である。

 そう言えば、石鹸の存在を見た事が無かったし、聞いた事も無かったなと、浴槽に浸かりつつ考える。

 そしてそれは当たりであり、ギルバードさんに尋ねると知らないと言われた事で証明された。


「その石鹸ってのは、必要なのか?」


「必要不可欠ですよ。今度、私が暇な時に作りますので、出来たら皆さんにも差し上げます」


「ふ〜ん。どんな物か分からんが、期待しとくよ。コーターが造るのは変わった武器ばかりだからな」


「言っときますけど、武器じゃないですよ」


「そりゃ分かってるよ。でも、良いもんなんだろ?」


「はい。それはお約束します。石鹸があれば、下痢になったり風邪になったりしにくくなりますからね。子供やお年寄りが使用すれば、年間の死亡率がかなり減少する筈です」


『はぁぁあああっ!?!?』


 風呂に肩まで浸かって石鹸について語っていると、突如ギルバードさん達全員が驚愕の声を浴室に響かせた。

 私としてはその声にビックリしたのだが、彼らは私の顔を見ながら未だに言葉にならない言葉を発し続けている。

 そんな中でも、エルフで弓使いのミールさんがいち早く復帰し、それはもう至極真面目な顔で口を開く。


「コーター、それは本気で言っているのか? 冗談の類いでもなく?」


「えぇ。用法を守って頂ければ、お年寄りや子供の死亡率は著しく減少しますよ」


「それは……どれくらい減ると?」


「そうですねぇ……噂で聞くところによると、平均して年間十人くらいが体調不良で死ぬと聞いています。あ、これは村の規模での話ですよ」


「あぁ、確かにその通りだ。村の規模で年間に体調不良で死ぬ子供の数は、十人から十五人と言ったところだろうな」


「お年寄りも含めると二十五人程が亡くなると聞き及びますが、石鹸を使用していれば二人とか三人とかになるでしょうね」


『そんなに!?』


「はい。勿論、そうは言っても用法を守っていれば、という注釈は付きますが」


『………………』


 私の話を聞いて、唖然とする彼ら。

 気持ちは理解出来るので、口を開いたままに呆然とする彼らを馬鹿にしたりはしない。

 本当はこのような類いの話は秘匿するべきかもしれないが、人の生き死にが掛かっているので自重する気は無い。

 どうせ何れはしようと思っていた話だし、ギルバードさん達は心底信用出来るので、彼らになら話しても問題になはならないと考えてもいるから話している。


 ともあれ、それから暫く石鹸や病の元の説明をした後、彼らは小難しい表情で浴室から出て行った。

 顔だけでなく体全身が真っ赤になっていたが、大丈夫だろうか?

 ちょっと話の内容が衝撃的過ぎたかもしれない。

 もう少しだけでも、私が言葉を選んで話すべきだったのかもしれない。

 次からは気をつけよう。

 しかし今は、風呂を一人で満喫させて貰うとしよう。


「ぁ〜〜〜〜〜〜。最高だぁ〜〜〜〜〜〜」


 風呂は心の洗浄をしてくれると言うが、本当にそうかもしれない。

 それに、風呂は自律神経の調整にはもってこいの代物でもあるのだ。

 素晴らしいの一言である。

 私は風呂を一人で一時間も満喫すると、漸くあがる決意をして体を乾いた布で拭き、マジックバックから取り出した綺麗な服へと着替える。

 しかし、そうは言うものの平民が着る服であるからして、此処のお貴族様や使用人が着る服とは大きく異なって粗末そのものだ。

 でもこれが私にしたら上等な部類の服であり、村ではこれ以上の服など手に入れる機会も無かったので無礼にはならないだろう。

 と、内心で言い訳していると、丁度私を呼びに執事さんが来た。


「良かった。てっきり倒れられているのではと、心配致しました」


「あ、それは………すいません。気持ち良かったので、つい長々と入ってしまいました。申し訳ありません」


「いえいえ、何事も無く幸いでした。それに、当家の風呂を気に入って頂けたご様子。主もお喜びになるでしょう」


 調子に乗って長風呂をしてしまった事を詫びたのだが、執事さんは満面の笑みで流してくれた。

 物凄く優しい方なのだと察せられるし、そんな執事さんを雇っているお貴族様もきっとお優しい方なのだろう。


「ささ、お食事の準備が出来ております。勇者様方もお席につかれておりますれば、早速ご案内致します」


「何から何まですいません」


 そう言いつつ頭を下げると、執事さんは少しだけ驚いた表情を見せた。

 多分、平民でしかない私がそれなりの礼儀を見せたからなのだろうが、少し驚き過ぎな気がしないでもない。

 まぁ、それは兎も角として、私は執事さんに促され場所を移すと、そこには既にギルバードさん達だけではなくお貴族様と思わしき人物も席についていた。

 それ故、私は先ず席につく代わりに、深々と頭を下げて自己紹介をする。


「お初にお目にかかります。コーターという名の、しがない鍛冶師にございます」


「う、うむ。私の名はブース=ド=ギルデンシュタイン、宜しくな」


「はっ。勇者様方だけでなく、私のような平民までをも席をご一緒させて頂く此度の食事会には、感謝の念に絶えません」


「よいよい。堅苦しいのは好かんのでな、席につくと良かろう」


「失礼します」


 私はブースさんの言葉に従って、ブースさんから一番遠い席に座る。

 平民である私が座るのは、勿論下座だ。

 そして腰を下ろして一息ついた後、私が視線をテーブルを囲む面々に向ければ、何故か全員がポカンとしていた。

 それこそ、案内してくれた執事さんもポカンとしていたし、メイドさん達も全員がポカンとしていた。

 平民が礼儀正しいのが、そんなにも変な事なのだろうか?

 平民でも礼儀を知っている者は少なくないと思われるし、実際貴族と関係を持つ商人だっているだろうから、私が礼儀を知っていてもそこまで変な事じゃない筈。

 そう思って疑問符を浮かべていると、次々に料理が運び込まれて来て、私の疑問は何処かへと飛んで行った。

 何せ、出て来る料理が全て、とてつもなく旨そうな匂いをしているのだ。

 私がこの世界に来てから色々と学んだ常識の中には、平民は胡椒を使えないという事実がある。

 何故かと説明するならば、それは物凄く単純である。胡椒が馬鹿みたいに高いのだ。

 胡椒だけじゃなく、砂糖とかも同様で、安いのは塩くらいのものである。

 しかも問題なのは、ただ高いだけではないという事。

 鍛冶師として大金を稼いだ私なら胡椒だろうと砂糖だろうと手に入る筈だが、世間に出回ってなければお金があろうと手に入れる事など出来はしない。

 つまり、伝も無い私だと、砂糖や胡椒などはお金があっても絶対に買えない代物であるのだ。

 そんな高級で希少な調味料なのだが、運び込まれて来た料理には沢山使用されているのが察せられる。

 芳ばしい香りが、私は胡椒だよと、そう訴えて来ているのだ。

 しかも、小皿の中には明らかに胡椒と思われる物が存在し、それはテーブルの真ん中に誰でも使用出来るように置かれていた。

 

 最高だ。

 風呂だけに留まらず、食事までここまでの質とは思いもしなかった。

 この世界では珍しいガラス製のワイングラスには、淀みの無いワインが注がれる。

 私は思わず、反射的にその注がれたばかりのワインを手に持つと、数度回して香りを嗅ぐ。

 大切に管理されていたのが手に取るように分かる香りで、村に出来た酒場で飲んだワインとは雲泥の差だ。

 まだ乾杯もしていないのに、私は無意識の内にグラスに口を付けてしまう。

 そして、口に含むと無礼にもテイスティングしてしまった。

 だがしかし、その甲斐はあったと思える程に、口に含んだワインからは芳醇な香りとみずみずしさを感じさせる葡萄の香りに私の口内は支配され、この世界にも素晴らしいワインが存在するのだと知れた。

 私は今、この世界に来てから初めて、満足する食事の機会を得られたと確信した。

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