ひきこもり養護教諭は最強の〇〇だった!?
「なあ、母さん。なんで実技もできない陸亀先生が見極め担当なんだ?」
五月の昼下がり。高級な家具が置かれたこの部屋には三人いて、そのうちの一人、だれからも制服を着ていると見える女子が目の前に座っているスーツ姿の女性に激しい口調でののしっているが、スーツ姿の女性、皆藤櫻は答えに詰まっていた。
「逃げていった父さんもたいがいだけれど、母さんはこんな教員をなんで贔屓するんだ? 陸亀首領の弟って言いながら、まともに新年会だって来ねえじゃないか」
そう罵る彼女は目の前に座るここ、立睿武芸高校理事長、皆藤櫻の娘であり、現在はその一年生である皆藤淡雪だった。彼女は高校一年生でありながら、入学と同時に生徒会長になった。
それは彼女がほかの生徒に人気だからという理由ではなく、この高校の変わった特色のためである。その特色とは、その年に武芸科でもっとも強い生徒が理事長から指名を受けるというものであり、それ相応の強さである淡雪が、いや武芸百家の長である皆藤家首領の娘が生徒会長になるというのは必然であった。
もちろん彼女のルックス、その中でも母親譲りの髪色、母親譲りの華奢な体躯、そして両サイドだけ伸ばしている髪型は、入学式で彼女を見たほかの生徒から羨ましがられるほどだった。
しかし、生徒会長になるには強さを理事長、生徒会顧問、もしくは二人が指名するだれかに見せなければならない。その見極めのために、必ず模擬戦を行うのだが、その見極め担当の男について彼女には不服だった。
「それは単純に人手が不足してるからだ」
そう言ったのは、部屋にいた櫻と淡雪以外の男性、陸亀総花だった。
彼は四十過ぎの教員で昔は理科教師だったというが、今は養護教諭。生徒会顧問と兼任している。少し明るい茶髪は若作りをしているかと思われがちだが、彼の地毛であり、オールバックにされていても、いやらしさを感じさせないものだった。
そんな彼は六年前に養護教諭になってから、生徒会活動時以外にはまったく校内に姿を見せないため、“引きこもり養護教諭”と呼ばれているのを淡雪は先輩たちから聞いていた。
その上、武芸百家の人間としては珍しく、実技担当ではないところが彼女――武芸百家のサラブレッドにとっては不服だったようだ。
淡雪は陸亀をキッとにらむが、彼にはまったく効果を示さなかった。
「それはお前のほうがよく知っているだろ? だからお前が希望しても、首領たちは監督できない」
たしかにそうだったと淡雪は頭を抱える。
腐っても鯛。
未成年でも皆藤首領の娘。
各家の内情はある程度知っている。とくに五位会議のうち、皆藤家を除く四家はいずれもお家騒動が起こっている。だから、たかだか見極めごときに各家の首領やそれを束ねる皆藤家首領の手間を煩わせるわけにはいかない。
だから生徒会顧問のこの男が自分の見極め担当として出張ってくるのかと納得せざるを得なかった。
「むぅ……――」
「とはいえ、俺も一応陸亀の一員だ。見極めならできる」
マジかとつぶやいた淡雪だけれど、きちんと頭を下げるあたり、一応礼儀を知っているようだ。彼女をしっかりと見る総花の目は穏やかなものだった。
「私からもよろしくお願いいたします」
櫻がウィンクして言うと、陸亀はなにも言わず、ただ呆れたようにため息だけついた。
見極め当日――――
陸亀と淡雪は学園から離れた場所、常夏魔界の島に来ていた。常夏魔界、夢野は本土とはかけ離れた気候であり、植生も違う。そんな場所を武芸百家の一つ、一松家が本拠としており、今回の見極めの場所に選ばれたのだ。
「で、よりによって一松の本拠とはな。まあ、それだけお前の実力が高いっていうことだろ」
「そうなのか」
淡雪は陸亀に褒められて、少し嬉しかったようだ。実技を受け持ってはいないといえども、彼は陸亀首領の養弟だ。それなりに信頼を置いていい相手だと、この数日の間に理解したのだろう。
この夢野島はいわくつきだ。
それを知っている陸亀は目を細め、その近年の歴史を淡雪に話す。
「一松はかつては皆藤家ともかかわりが深かった家だし、なにより五位会議では常に第二位という地位を保ってきた。だから、そのプライドをもってこの夏野島には多くの罠が仕掛けられている――――とはいっても、昔に比べて性格魔人がいなくなっただけましだろうな」
「性格魔人? なんだそりゃ」
「ああ、そいつは子どもが罠にかかっているのに、さらに罠を仕掛けてきたりするようなやつとかな。例えばそこらへんに掘られた穴に落ちたところに、さらに藁を敷きつめてより深く掘った穴をカモフラージュしておくとか、酷いだろ?」
「なんか、経験してきたみたいな言い草だな」
「似たようなものさ」
夢野島のいわくつき。
それはこの島全体に無数の罠が仕掛けられていることで、それらを今日撤去したと思ったら、翌朝には再び違う方法で仕掛けられているところである。
だからこそ、上位後家の一つである伍赤家の本拠、薄と並んで、他家が踏み入れてはならない場所として名高く、謎に包まれた場所になっているのである。
そんな場所を詳しく話した陸亀は淡雪のツッコミに肩を竦めるだけにとどめた。そうしないと、彼が抱えている秘密をうっかり彼女に打ち明けてしまいそうだったから。
「だが、そんな男はもういないはずだから、安心していいと思うぞ」
その代わりに放った陸亀の言葉はへぇとあしらわれたのに、なぜだか彼は非常に嬉しそうな顔をしていた。
「では、ここからだ、皆藤淡雪」
二人は歩いて山のふもとに来た。港からここまでにしかけられた罠はすべて淡雪が解除して、中には陸亀にとって思い出深いものもあったが、彼は一切それを懐かしむような表情を見せることはなかった。
「立睿武芸高校生徒会長としての、そして皆藤家の跡取りとしての実力を見せてもらう。目標は目の前の山の頂にある屋敷。俺がなにも武器を持たない一般人だと仮定して、俺を守りながらそこを目指せ」
彼の宣告に渋い顔をする淡雪だったが、生徒会顧問の命令には逆らえない。
「……承知いたしました」
そう言って、山の中へ慎重に足を踏みだした。
二人が山の中に入ってからは淡雪の独断場だった。
彼女は皆藤の名に恥じないような武器捌きをしていき、母親の一番の得意分野である体術ではなく、なぜか得意とする、得意と言われている刀での罠の解除には陸亀も頷かすものがあった。
ある罠は刀できれいさっぱりと二つに切り分け、ある罠は刀の先端を使ってつぶし、ある罠は峰で凹ませるなど、対人戦という意味では失格なのかもしれないけれど、対物戦である今は、彼女には敵なしだった。
その途中の彼女の動きは猫のようにしなやかで、彼女が飛んだ際にうっかり見えてしまった下着が黒色だったのを見た彼は、少女時代の彼女の母親を重ね合わせていた。
「あと少しだな」
「……そうです、ね」
山は標高五百メートルくらいであるが、罠を避けながら獣道を進むというのは、十六歳の少女の体には夏野の山道は険しい。
訓練されてない限りは。
だから淡雪が顔を真っ青にしている様子を見ても、陸亀は彼女を責めることはしなかった。
「休むか」
「……はい、そうさせていただきます」
今までは物だけだった。
一松の本拠というのに、出迎えが一切ない。それに陸亀は気づいていたが、それさえも考える余裕のない淡雪の体調の方が彼にとっては重要だった。
近くの祠の前で休んでいた二人だったが、しばらくして七人ぐらいの黒子勢にとり囲まれていることに気づいた。
「これはまずいな」
「行けます」
はじめて見せた焦りに淡雪がふらつきながら刀を持つが、彼女を押しとどめた陸亀。
「無理するな、休んでおけ」
「無理じゃ……!!」
「ダメだ。暑さと湿度にやられたんだろう。養護教諭として許可を出せない」
この島は本土と大きく気候が違う。
自分が慣れていなくて、本領を発揮できない状態なのに、涼しい顔をして彼女にドクターストップをかける男に不満そうな淡雪。
「そのかわり、刀を貸せ」
なにがしたいんだと思いながらも、拒否できずに佩いていた刀を外して差しだすと、陸亀はそれを検分して、自分の腰に佩いていた刀の下に佩く。そして、彼は二つの刀を鞘から抜き、鈍く光る刀身を眺め、満足そうに頷く。
「しばらく待ってろ」
そう言って、陸亀は黒子勢の前に飛びだしていく。淡雪は戦闘できないアンタが行ってどうするんです!?と声を上げるが、彼にはその言葉は届いていなかった。
彼女の心配は杞憂だった。
淡雪の目の前で繰り広げる剣戟は圧倒的なものだったから。
陸亀にとってこの程度は朝飯前だった。
六人の黒子勢を殺さずに、ただのしていくだけだったが、それでも十分な勝利だった。
そして、今は最後の小柄な黒子を相手に拮抗している。
彼が左で峰打ちしたかと思いきや、小柄な黒子は彼の懐に飛びこんでかわす。右の刀を放り投げたと思いきや、その刀が降ってくるところを予測して避ける。
彼女の方も一方的な防戦になっていない。彼の見ていない左足めがけて突撃をかましたと思いきやそれはフェイントで、彼の右手の刀を投げ飛ばそうとする。
そうした互いに拮抗した状況が十分ほど続いたが、最終的に陸亀が彼女を投げ飛ばして、小柄な黒子に勝利した。
「終わった……――」
淡雪が目の前の光景に圧倒されながら、陸亀のところに行こうとしたが、彼は最後に戦った小柄な黒子の元へさっさと行き、その面を剥いだ。
「お前、隠れ方がバレバレなんだよ」
「お母さん!?」
その面の下から現れたのは、黒髪に少女のようなあどけなさが残る青い瞳の女性。
淡雪の母親、皆藤櫻だったのだが、彼女は娘の叫びを無視して、陸亀に話しかける。
「へへっ、これで十五勝十四敗だね。また機会があったらよろしく」
「俺はそんな機会が来ないことを祈りたいんだが」
「いーじゃん、総花。どうせ、総花暇なんだし、ちょっとぐらい付きあってくれてもいいじゃない?」
「断る。お前のその文句に何度付きあわされたことだか」
櫻は陸亀にめちゃくちゃなれなれしく話すが、彼の方も彼女を突き放したりしない。
もし学校内でそんな態度をされた日には、永久凍土のごとく凍りつかせそうな雰囲気を出しているのにと淡雪は彼のギャップに驚いていた。
「総花のイケズ。それはそうと、総花、その腕の傷はなに?」
陸亀を総花と親しく呼んだ彼女は、なにかに気づいたように彼の左腕をつかんだ。淡雪もそれを見ると、そこにはうっすらと血がにじんでいて、先ほど、船の上ではなかったことから、今までの間、それもおそらくは黒子たちとの戦いの間につけられたものだと想像がついた。
「お前な、傷口をつかむとか俺を殺しにきてるのか」
「うん。だって、総花って無頓着なんだもの」
「…………仕方ないだろ。そもそもまさかお前がこんな大群引き連れてくるとは思わなかったから、つい調子に乗っちゃって」
櫻の行動に口を尖らすが、反対に陸亀の行動にさらに左腕をつかむ力を強め、痛みに顔をしかめた陸亀。
「この傷さ、お前の――俺がつけてしまった傷跡と同じ位置だろ? だから今更だが、お揃いにしたのさ」
陸亀は真剣な表情で櫻の瞳を見る。
その表情に彼女はうっかりほだされそうになったけれど、いや違うと正気に戻る。好きな人の言葉に惑わされるところだったと自分を戒める。
「そんなこと……――馬鹿じゃないの!?」
彼女は空いている左手で彼の頬を打つ。乾いた音がしたが、それ自体も彼にとっては受けて当然というような表情をしていた。
「……――――」
「なんで総花はそんなに死にたがりなの!? どこかのバカの銃弾から守ってくれたときだって、あの燃えてる屋敷から出てきたときだって、全部、なんのために命を懸けてるのよ!?」
櫻の悲痛な叫びに陸亀は彼女の頭をなでる。十六年前から少しだけ身長が伸びた彼女だけれど、それでも彼に比べたら小柄だし、彼も彼で性格は変わっていない。そして、第一優先にするものも変わっていない。第二優先にするものはできたけれど。
「昔からわかっているだろう? 俺がなんのために動いているのか。なににもっとも命を懸けているのか」
それがなにかは言わずとも櫻も十分承知している。そのおかげで何度でも彼に助けてもらっているけれど。
「だから、あの傷だけはいまだに俺の中でどうしても許せないんだ」
だからこそ、彼は自分が彼女を傷つけたことを自分の中で許していない。
「なにか他の方法だってあっただろう、なにか消す方法だってあっただろうってな。だから、お前自身が許しても、俺自身は一生許せないものさ」
「――――そこまで言うのなら、わかった」
「ありがとう、わかってくれて」
「わかっただけで、納得はしていないからね」
「……――――そうか」
彼の想いを痛いほど知っている櫻は、それ以上彼の傷を強くつかむことはしなかった。
行こうか。
そう言ったのはだれか。
二人の甘い関係に飽きて遊んでいるうちに最後の最後で罠に引っかかった淡雪を救出した陸亀は櫻と淡雪をここまで来た小型クルーザーに乗せて、出航した。
「そういえば、榎木さんにはあいさつしなくてよかったのか?」
船を操縦しながら陸亀が櫻に聞くが、まあ、いいんじゃない?とどうでもよさげに返される。
「そんなことより、今年こそは私も模擬店出していい?」
「お前なぁ、もういい加減諦めろよ」
彼女は高校時代からの夢である文化祭の模擬店出店を今年もねだったが、陸亀はそれを一蹴する。口を尖らせた櫻だが、そこには毎回のやり取りができて嬉しそうな雰囲気があった。
「あのぉ、陸亀先生。できればひとつ願いがあるんだが……」
「なんだ?」
櫻と軽快な会話をしていた陸亀に淡雪がおずおずと口をはさむが、すごく言いにくそうな雰囲気を醸しだしていた。
言いにくそうだなと陸亀がからかうと、気まずい顔をした彼女。でも、言うということは決定しているようで、深呼吸してから一気にそれを告げる。
「あの、俺が幼いころに出ていったという本当の父親に代わって、父親になってもらえねぇか?」
その相談には陸亀も櫻も固まった。しかし、それに気づくことなく淡雪はそうなってほしい理由を言う。
「だって、出ていったということはなんも俺に対して責任をもってねぇっていうことだろ? だから、そんな父親よりもあんたのほうがよっぽど責任を持ってくれそうだしな。それに今の陸亀先生と母さんが甘々すぎてみてられねぇんだよ」
まあ、思春期のお嬢ちゃんからすればそう見えるか。
そうね。
そんなやり取りを目線だけでした二人だが、淡雪はその沈黙がなにか理由があるのだと探って、気づいたことをポツリと呟く。
「ああ、いや、そういえば陸亀先生って、指輪していたよなぁ。じゃあ、無理かぁ」
その少しずれた発言に陸亀と櫻はたまらず大爆笑してしまった。
「うん? なんかまずいことでも言ったか?」
自分の少しずれたに気づいてない淡雪は首を少しかしげただけだった。
「まずいと言えば、まずいのかしらねぇ」
「だな」
その彼女の行動を見て、さらに笑いが止まらない二人。思いっきり笑い終わった後、櫻が彼女に真実を告げる。
「あのね、淡雪。すでに私たちは結婚しているのよ?」
その母親の言葉に一瞬、思考が止まった後、嘘だろと驚く淡雪。
「冗談でもなんでもないさ。なんなら戸籍調べてくるか?」
今までただの養護教諭、生徒会顧問、五位会議の新年会に出ないインドア野郎と思っていた人がそれを公的に証明してやろうかというので、淡雪もマジですかと言うしかない。
「ちょっと訳ありで公表はできないけれど、正真正銘あなたの父親は陸亀先生よ」
母親ににこりとして言われたことに思わずここが大海原の上だということも忘れて叫んでしまった皆藤淡雪だった。
「マジか!!」
今回の後日談として。
この生徒会長見極め戦を機に自分の両親のことを調べた皆藤淡雪だったのだが――――
母親は皆藤家と一松家の血を引いて、父親と幼馴染であり、一松家の首領だったという。
そして父親はそもそも陸亀家の人間ではなく、彼女に見せた二刀術の大家である伍赤家の御曹司で、かつては母親と対をなす首領だったという。
詳しく知る者はすでにほとんど引退してしまっているものの、父親の前任だった元養護教諭の叔母が健在だったので聞いてみると、それはもう七時間以上ないと話せないことらしい。
そこまで壮大なスケールの話だったのかと淡雪は実家の叔母の部屋で卒倒しそうになった。
「だからって、あの甘々な雰囲気はないんですけれどぉ!?」