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 しばらく無言の時間が過ぎてから、どちらからともなく顔を動かして、目を合わせた。

「……よし、ここはもういいか」

「うん」

 大広間に入っておきながら、女神像に向かって跪くことも祈ることもしないなんて、神官あたりに見られたらとんでもない不信心者だという誹りを受けそうだが、今は誰もいないことだし、別にいいかと思うことにした。


 今の自分たちに必要なのは、神に対して頭を垂れることではない、ような気がする。


 カイトとクーは、女神像に背を向けて大広間を出た。

「神殿は広いが、構造自体は単純で、大きく言えば三つのエリアに分かれている。正面出入り口からまっすぐ進むと大広間、右へ曲がると神女たちの部屋と、小広間・中広間などがあり、左に曲がると手前に司教の部屋や神官たちが使う部屋がある」

 歩きながら説明するカイトの声と、二人分の靴音が、壁や床に反響している。人はそれなりにいるはずなのに神殿内は静まり返っていて、自然と声も抑えがちになった。

「右側はまあいいとして、左側だな。司教や神官たちがいる手前のほうは、自由に行き来してもいいことになっているんだが」

 そもそも神殿に立ち入ることの出来る人間が限られているので、そこを通れるのもごくわずかだ。

 しかし、そのわずかな者でも、入ることの許されない領域というものがある。


 いくつかの小部屋の扉と、司教の部屋の扉が並ぶ廊下の、さらに奥。


 そこは壁に遮られ、重厚な石の扉だけが、向こう側へと通じる唯一の出入り口だ。扉の前には二人の衛士が警棒を立てて陣取り、虫一匹ですら侵入させまいとする厳戒態勢を取っている。

 カイトとクーがその扉の前で立ち止まると、衛士たちが剣呑な目つきでじろりと睨みつけてきた。


「ここから先は、神女といえど立ち入り禁止。この神殿の中では、司教だけが入れる場所となっている」


 衛士たちから発せられている威圧感には気づかないふりをして、あくまでも「案内をしているだけ」という口調で話すと、石の扉を見つめていたクーは首を捻った。

「ずいぶん厳重だね。この先には、何があるの?」

 質問はカイトに向けられたものだが、その声音にも態度にも、目の前の厳つい衛士たちに臆するようなところは感じられない。さすがにあの荒れた街で生きてきただけあって、肝が据わっている、とカイトは感心した。


「何があるかは判らない。中がどんな構造になっているかも、さっぱりだ。知っているのは司教と、宮殿のお偉いさんくらいじゃないかな」


 この神殿はアリアランテ建国後すぐに造られたもので、相当に歴史が古い。おそらく昔から伝わる神器などを保存するための宝物庫なのではないか、とカイトは想像していたが、それが正しいかどうかもまったく不明だ。

 宮殿も神殿も秘密の多いところなので、どんなものがあったとしても、不思議ではないのだろう。自分のような人間には、一生関わることも知る機会もないと思うが。

 とにかく、ここには迂闊に近寄らないように、ということだけをクーに教えられればそれでよかったので、「じゃ、戻るか」とさっさと踵を返した。こちらに向かってくる衛士たちの視線も物騒な気配を孕みつつあることだし、長居する気にはなれない。

 クーを促して歩きはじめると、後ろから、「──棄民と半民が、汚らわしい」と、吐き捨てるような声が聞こえた。

 振り返ろうとしたクーを目顔で止めて、足を動かし続ける。


「なにが神女だ。あんなものをこの神殿の中に連れ込みやがって」

「卑しい棄民の血が混じっているから、同じ棄民には鼻が利くんだろ」

「ああ、そういやさっきから、何か変な臭いがする。混ざって濁った不純物の臭いか」

「ちっ、半民の分際で、衛士とは。一体どんな手を使いやがった」


 そんなに大きい声ではないのに、それらの言葉は、まるで石礫を投げつけられているかのようによく届いた。

 後ろを向いて口を開きかけたクーの背中を軽く押し、カイトは黙って前だけを見据えて歩いた。



          ***



 クーの居室に戻ってみたら、すでに一通りの調度が運び込まれていて驚いた。

 ベッドと椅子とテーブルしかなかった殺風景な部屋に、クローゼットにチェストに小さな本棚に、化粧台までがある。この部屋を出る時には一脚しかなかった椅子が、丸テーブルの周りにちゃんと三脚揃っていて、そのうちのひとつにすでにちゃっかりとキリクが腰を落ち着け、優雅に寛いでいた。

「手早いな、キリク。いつの間に」

「何事も迅速をもってすべし、というのが僕のモットーさ。ここに来てみたらちょうど君たちがいなかったから、びっくりさせようと思って急いで運ばせたんだ」

「大いにびっくりしたよ。よくもここまで短時間で揃えられたもんだ」

 しかも、見る限り、家具はどれも上等なもので、しかも新品ばかりだ。誰かから未使用のものを買い取ったのか、それともクリスタルパレスの外から取り寄せたのか、どちらにしろその手回しの良さは尋常ではない。

「すごい?」

「おう、すごいすごい」

 ニコニコしながら子供のようなことを言うキリクに、褒めるというよりは呆れるように返した。時々、このキリクという男の有能さは、感嘆するより先に呆気にとられそうになる。


「お褒めにあずかり光栄だ。……でも、肝心のクーのほうは、不機嫌そうだね。お気に召さなかったかな?」


 キリクの言葉にクーのほうを振り返ると、確かに唇をぐんにゃりさせて、眉を吊り上げ、完全につむじを曲げたような表情をしていた。

「なに怒ってんだよ、クー。いくらキリクでも、ここまでするには結構な労力を使ったんだろうに。まあ、もともと狭い部屋がさらに狭くなった、ってのはあるけど」

「そっちじゃない」

「じゃ、なんでそんなムッとしたような顔をしてんだ?」

 本気で判らなくて首を傾げて訊ねたら、クーはそのムッとした顔のまま、カイトのほうをじろりと睨み上げた。


「……なんで怒らなかったんだよ」


 押さえつけたような低い声でそう言われ、は? と間の抜けた声で問い返した。

「さっき」

「さっき? ああ、あいつらのことか」

 そうか、と面目なく頭を掻いた。「卑しい棄民の血」などと言われて、クーが傷つかなかったわけがないのに、一言も反論することなく退散したカイトに対して怒りをぶつけるのはもっともだ。

「すまん。あの場で俺が言い返すと、もっと面倒なことになりそうだったから。でも神女候補に対して、衛士が無礼すぎる振る舞いだったよな。ちゃんと、後で司教のほうに話を通して改善するように……」

「そうじゃない!」

 クーはますます腹立たしそうに怒鳴りつけた。


「あの時、あいつらが侮辱していたのは、オレじゃなくておまえのほうだったんだぞ! おまえ、オレがここに入る時に『穢れたもの』呼ばわりされて喰ってかかっていたじゃないか! なのに自分はあんなこと言われて、なんでそんな当たり前のような顔して聞き流してる?! どうして、自分が悪いわけでもないのに、オレに謝ってばかりいるんだ?! 半民だからそれが何だってんだ、おまえはおまえ自身にもっと誇りを持ったらどうだ!」


「…………」

 クーの剣幕と言われている内容に困惑して、カイトは口を噤んだ。

 何かを返さないとと思うのに、頭が空白になってしまったように、次に出すべき言葉が見つからない。

 自分に対して侮蔑と嘲弄が向けられるのはいつものことだから、今さらなんとも思いようがないのだと言ったら、クーはますます腹を立てそうだ。


 ──誇り?


「まあまあ、クー、そう怒らないで。何があったのか大体察しはつくけど、カイトをそこまで責めるのも酷というものだよ。君が住んでいたところはみんな同じ棄民という立場だったからピンとこないかもしれないけど、神都ではかなり激しい身分差と、陰湿な差別意識というものが、歴然と存在してるんだ」

 いきり立つクーを宥めるように、キリクが穏やかに割って入った。

 どうしていいか判らずに、ただ黙って突っ立っているしかないカイトを見て、ちらりと苦笑する。

 それから、ふてくされた表情でそっぽを向くクーの手を取って、その掌に小さな袋を載せた。

「……なに?」

 どこかバツが悪そうに聞くクーに、キリクはにっこりした。


「今、神都で流行っているお菓子だよ。ふわっと柔らかく焼いた生地の中に、甘酸っぱい果物の実が入ってる。ひとくち齧ると、真っ赤な果汁がとろっと中から溢れてくるんだ。それがすごく綺麗で口だけじゃなく目でも楽しめるって若い女の子たちに評判なんだけど、その汁は服につくとなかなか落ちないらしいから、気をつけてね」


 さすがに気の利いた性格だけあって、手土産を選ぶ時もちゃんとツボを心得ている。菓子を用意しようなんて発想は頭の端にものぼらず、ただひたすら愚直に朝一番でここを訪れた自分と比較して、ますます身の置きどころのないような気分になった。

 カイトの時とは違い、キリクに対しては素直になるらしいクーは、ふうん、と口の中で呟き、もらった袋を両手で包んで、気まずそうに俯いた。


「カイトに神殿の中を案内してもらったなら、次は神殿の外をぐるりと廻ってみようか。クリスタルパレス内をあちこち見せてあげたいところだけど、今はまだ都合が悪いようだしね。神殿建物は、外の彫刻もなかなか壮観なんだよ」


 正直、場が持たないなと困っていたため、キリクの提案はなんともありがたかった。

 飛びつくように「そうだな」と賛同して、ちらっとクーに目をやったら、そちらもカイトのほうをちらっと見てから、すぐにぷいっと顔を背けた。

 すたすたと扉に向かって歩き、先に部屋の外に出て行ってしまう。カイトはどっと疲労が押し寄せて、助けを求めるようにキリクに視線を向けた。

「……なんであいつ、あんなに怒ってるんだ?」

 眉を下げきった顔をしているカイトが可笑しかったのか、キリクは噴き出した。


「たぶん、君が、君自身の価値というものを、あまりにも蔑ろにしているからだと思うよ」


 そう言って、キリクもクーの後に続き部屋を出て行く。

 一人その場にとり残されたカイトは、いよいよ途方に暮れた。

 自分の価値だって?


 そんなもの、あるとは思えない。



          ***



 神殿の出口に立っていたのは、昨日悶着を起こした衛士と同じ人物だった。

 門番は交代制で、何回か入れ替わる。現に、カイトが朝来た時ここにいたのは別の衛士だった。なのにこの時、よりにもよってまたこいつと顔を合わせるとは間が悪い。カイトは思わず自分の不運を呪った。

 先程の件もあり、ここは何事もなく通過したかったのだが、巡り合わせが悪い時というのは何をしても悪いほうに目が出るもので、その衛士はカイトとクーの姿を見るや、いきなり喧嘩腰で突っかかってきた。


「一度神殿に入ったなら、ずっと中で籠っていればいいものを。こんな時に外をふらふら出歩くとは、いい身分だな、半民と棄民のくせに」


 中に入ろうとすれば止められ、外に出ようとすれば因縁をつけられる。これからこんなことがずっと続くのかと思ったら、さすがにうんざりしてきた。


「建物の周りを一周するだけで、すぐに戻るよ。それとも、俺たちは気分転換もしちゃいけないのか?」


 出来る限り普通の口調で話したのだが、相手の壁は薄くなるどころか、ますます貫通不能なまでに固く塗りこめられていくばかりである。

 衛士の顔はどんどん歪んで、嫌悪が憎悪に格上げしそうな勢いだった。


「いつまでも、大きな顔をしていられると思うなよ。水晶に何をしたのかは知らんが、おまえらの企みなど、女神リリアナはとうにお見通しだ。偽物の神女はすぐに神殿を追い出され、三人揃って棄民の街で惨めに這いずり回ることになるに決まってる」


 三人、という言葉に、目を見開く。この衛士の悪感情は、カイトとクーだけでなく、今やキリクにも向かっているらしい。


「棄民と、半民と、神民の自負を失った裏切り者め。面の皮が厚くて、口ばかりが廻る。まったく忌々しい」


 どうやら、昨日キリクにやり込められたことを、相当根に持っているようだ。

 衛士同士の間には、互いの立場は身分によらず対等、という鉄則があるのだが、この男の場合、半民のカイトにはその鉄則はないも同然のものとなり、第三位神民のキリクに対してはきちんと適用されると見える。どちらかに統一しろよ、とカイトは内心で呆れたように呟いた。

 横目で窺うと、クーは無表情だが、キリクはものすごく楽しそうな笑顔を浮かべていた。


「半民ごときが。おまえが神殿の衛士になれたのは、棄民の街に行けるようなやつが、神民の中にはいなかったからだ。それだけの理由で選ばれたに過ぎないのに、勘違いも甚だしい。第十位とはいえ、おまえのように薄汚い血の入った人間は、本来神都にだっていられる資格は──」


 いつまでこの長ったらしい台詞を聞いてなきゃいけないんだ? と思ってカイトがため息をつきかけた、その時だ。


 いきなり宙を素早く飛んでいった何かが、衛士の制服の胸に当たった。


「なっ!」

 驚愕した顔で見下ろすその部分は、べっとりと赤い液体が付着している。

 ぼろぼろと落下していくのは、どう見ても、崩れた焼き菓子だった。


「──カイトをバカにするからだ」


 キリクにもらった菓子袋を手に持って、まっすぐその場に立ったクーが、毅然として言い放った。

 我慢ならなくなったようにキリクが身体を折ってくくくっと笑い出したが、笑うどころではないカイトは茫然とした。


 ……なに言ってるんだ、クー。


「き……きさま……!」

 衛士は、目の前の女の子に菓子を投げつけられた、ということを認識すると、顔全体を紅潮させた。大きく逆立てた眉と、地から湧き出るかのように低く呻く声が、受けた屈辱に対する怒りの激しさを物語っている。

 瞬間的に膨れ上がった感情が、衛士自身の制御を狂わせてしまったらしい。表情が醜悪に歪み、右手に持っていた長い警棒を、がしっと力を込めて両手に握った。

 いくら棄民でも相手は水晶が示した「神女候補」だということすら、頭から吹っ飛んだようだった。

「この棄民が!」

 衛士が赤黒い顔で吼え、高々と警棒を振り上げる。


 それと同時に、カイトが動いた。


 素早くクーの前に自分の身体を滑り込ませ、左手で、とん、と軽くその身体を後方に押す。よろめいた彼女をキリクがしっかり支えて受け止めたのを一瞥で確認して、右手で腰の剣の柄を掴んだ。

 警棒が唸るような音を発して、頭上めがけて振り下ろされる。

 暴力的な風を起こすほどに加減のないその力は、人間の頭蓋骨など、簡単に粉砕してしまえるだろう。衛士は完全に己を失っていた。

 カイトは身を低くして剣をすらりと引き抜き、横ざまに薙ぎ払った。


 ひゅ、という音がして、白刃が空を切る。


「な──」

 衛士の両手は勢いをつけてまっすぐ下へと向かったが、衝撃の手応えがまったくないことに気づいて、そのままの格好で固まった。

 次の瞬間、ガランガラン、という甲高い音が響き渡る。

 床に落下して跳ね返り、喧しい音を立てているのは、警棒の「上半分」だ。

 衛士の手にはまだ、下半分だけが握られている。

 カイトが、剣の一振り、ほんの一閃で、警棒だけを正確に真ん中で断ち切った、という事実をようやく理解して、衛士の顔からざーっと血の気が抜けた。



「あーあ」

 目の前の出来事に唖然としているクーの肩を軽く叩いてから、キリクがその場のぴんと張り詰めた空気をぶち壊すような、間延びした声を上げた。

 さっきよりも、さらに楽しそうな顔をしている。

 石像になってしまったかのように身じろぎも出来ないでいる衛士のほうへと近寄り、キリクはまじまじとわざとらしく警棒の断面を観察した。

 そして、また「あーあ」と言ってから、ぽん、と衛士の肩に手を置いて、耳元に顔を寄せた。



「──君、もしかして、知らなかったの? カイトが元は、神都の境界を守る警備隊の副隊長だったって」



「け……警備隊……副隊長……」

 衛士の顔から、ぶわっと一気に汗が噴き出した。

「そう、あの精鋭部隊と評判のね。いくらあそこが実力主義とはいえ、この年齢で、しかも半民で、副隊長にまでなるなんて異例中の異例だと、かなり噂になったんだけどな。神殿勤めっていうのは、どうも世情に疎くていけないね」

 やれやれと首を振る。楽しそうだ。


「……カイトはね、こう見えて、神都随一の凄腕の剣士なんだよ。神殿の衛士として乞われたのは、もちろん、その腕を買われたからさ」


 衛士が蒼白になった。

「大げさだって……」

 大仰な呼称に顔をしかめ、カイトはぶつぶつ言いながら、剣を鞘にしまった。カチンというかすかな音に、衛士の両肩がビクッと跳ね上がるように動く。

「何はともあれ、君、神女候補に危害を加えようとしたわけだよね。困ったなあ、大変な不祥事だよ。カイトがいなきゃ、どんな惨事になっていたか、ご立派な神民の君でも、少しは想像がつくと思うけど。ねえ?」

「…………」

 今度は衛士の全身がガタガタと震え出した。

 同情するつもりはないが、この一件を表沙汰にして、一人の衛士を辞めさせたとなったら、また大きな騒ぎになることは容易に予想できる。カイトとクーに向ける目も、より一層厳しくなるかもしれない。それよりは貸しを作ったほうが得策だと、キリクは考えているのだろう。

「……まあ、このことについては、後でゆっくり話をするとしよう」

 時間を置いて、自分が大変なことをしでかしたとはっきり自覚してからのほうが効果的、と計算しているらしい。

 キリクは優しげな声で脅しをかけてから、ぽかんと立ち尽くしているクーのほうを向いて笑いかけた。

「大丈夫かい、クー。怖い思いをしたね」

「え……う、うん、いや、大丈夫だけど」

 まだ混乱しているのか、どもりながらそう言って、カイトを見た。

「──神都随一の凄腕の剣士?」

「いや、それをそのまま鵜呑みにするなよ」

 目をぱちぱちさせながら問われ、カイトは慌てて手を振った。

 そもそも神都の中で、さほど熱心に剣を扱おうとする人間の数は多くない、ということであって、カイトが伝説級の剣豪だとかそんな話ではない。



 剣にのめり込んだのは、一刻も早く、誰の世話にもならずに自分の力のみで生活したかったため。

 ……そして、向かってくる刃をかわして戦っている時は、かろうじて生の実感を得られたため。

 ただ、それだけのことだ。



「そう言うけど、誰かさんに悪党たちのたまり場に放り込まれた時、襲い掛かってくる野獣のような連中を、カイトはあっという間に一人で倒したんだよ。僕はそれをのんびり見学していただけ。……惜しいね、あの時あそこにクーがいたら、カイトが僕の従者だっていう誤解は、確信に変わっていただろうに」


 キリクがくすくす笑い、クーはますます目を丸くした。

 なんとも恥ずかしくなって、カイトは顎の先を指で摘まんで引っ張った。

「やめろって。こんなの、別に自慢にならない」

「なんで。自慢だろ」

「これを自慢せずに、何を自慢するんだろうね」

 クーとキリクに突っ込まれたが、そんな気になれないものはしょうがない。剣を持ったのも成り行きなら、警備隊の副隊長になったのも成り行きなのだ。

 剣の道を極めようだとか、警備隊として神都を守る盾になろうなんて思ったこともないのだから、自慢にしようがない。

 ……本当は、いつも鬱屈していた。



 アリアランテの国としての在り方を、カイトは決して良いものだとは思っていない。

 棄民だけが搾取され、神民ばかりが特権を享受する。それはあまりにも理不尽で、あまりにも無慈悲なのではないかと、常に疑問を抱いていた。

 半分棄民の血の入った神民だと、幼い頃からずっと周囲に疎まれ、蔑まれ、疎外されてきた。カイトの中には棄民に対する共感と、神民に対する怒りが半分ずつの割合で同居している。

 しかし、心情的に棄民側に寄っているとしても、実際にカイトは神民として神都に暮らし、その恩恵をも得ている立場だ。棄民に対する罪悪感など、偽善でしかないという自覚もある。クーに対してやたらと申し訳ない気分になるのは、おそらくそのためだ。

 仕事だって、半民の自分がある程度稼げる職がそれしかなかったというだけで、別に楽しくもなんともなかった。

 神都の境界の警備隊というのは、もともと棄民からの暴動や襲撃などに備えて作られたものである。もしも本当にそんな事態になったら、カイトは神都にいる神民たちを守るために、棄民たちを切り捨てなければならない。

 それなのに、どういうわけか副隊長にまでなってしまった。

 同僚からの妬みや嫌がらせなどはともかく、そのことに嫌気が差して、国境警備隊のほうに転属させてもらおうかと考えていたところに廻ってきたのが、この神女探しの話だったのだ。だからカイトはただ、渡りに船と乗ったに過ぎない。

 ──つまりはすべてが成り行き任せ。自分の強い意志で選んだことなど、ほとんどなかったのである。



 棄民から弾かれ、神民からも弾かれる。

 何にも属せず、どこに行っても居場所がない。

 誇りなんて、持てるわけがない。

 こんな自分自身に、どう価値を見出せばいいというんだ?



「なんだカイト、ちゃんとあるんじゃないか、『取り柄』が」

 クーがそう言って笑った。

「…………」

 カイトはその顔をじっと見つめた。

 はじめて見た、クーの「本当に」嬉しそうな笑顔に、胸が締めつけられる。

 どうして、自分のことでもないのに、そうやって怒ったり笑ったりしているのだろう。


 こんな半端者のために。


 ぎゅっと拳を強く握った。

 蒼白になってまだ震えている衛士に目をやる。「おい」と声をかけると、痙攣したように身じろぎした。

「今回のことには目を瞑ってやる。──だが、いいか」

 剣の鞘を握って、冷然とした声を出す。


「今度、()()()()()()()()()を軽んじるようなことを言ったり、害するようなことをしたら、その時は容赦しない」


 チン、と金属音を鳴らすと、衛士はへたへたと腰を抜かしたようにしゃがみ込んだ。

「さあ、行こうぜ」

 そちらはもう見向きもせずに、クーとキリクに向かって声をかける。クーは元気に「うん」と返事をし、キリクは微笑して頷いた。

 神殿の外は明るかった。頭上には、晴れ晴れとした蒼穹が広がっている。

 カイトは目を眇めて空を見上げた。



 ──どうして一緒に死なせてくれなかったのだろう、という、口惜しさと申し訳なさの入り混じる気持ちを、母親に対して抱いたこともあったが。

 もしかしたら彼女はあの時、最後の瞬間に、「自分の人生は自分で選んで決めろ」と、踏みとどまってくれたのかもしれない。

 つらいことばかりの生でも、それでも息子には、そこに価値を見つけて欲しかったのかも。

 もしかしたら。

 そうだとしても、勝手な話だとは思う。やっぱり頑張って共に生きて欲しかったという気持ちもある。もちろん、母親を助けられず、守れもしなかった自分自身への悔いもある。ずっと長い間、心の半分がぽっかりと空いているような気がしていた。

 半分ずつの自分。



 ……でも、これから、何かを見つけられるといい。

 大事なもの。価値のあるもの。

 欠けてしまった半分を、埋められるような何か。


 心の中でそう呟いて、カイトは足を前へと踏み出した。





      (Ⅱ・終)





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