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招かれざる神女(旧「5th」)  作者: 雨咲はな
Ⅺ.境界の守り人
42/50



 潜伏先の移動は、街の住人たちが寝静まった暗闇の中、人目を避けてひっそりと行われた。

 パレスから連れてきた黒馬にクーの母親を乗せ、その手綱を引いて静かに歩かせながら、カイトはそっと息を吐いた。


 これぞまさしく逃亡生活というやつだな──という自嘲じみた内心の呟きに、ひどく寂寞とした思いに駆られる。


 自分が最初、キリクと共にこの棄民の街にクーを迎えに来た時には、想像もしなかった成り行きだ。

 運命というものがあるとしたら、それはカイトが思いもつかない方向へとばかり進んでいく。しかも現在進行形だ。コロコロと転がっていく先が、まったく読めない。ここから上り坂になっているのか、下り坂になっているのかさえ。

 ちらりと視線を移せば、馬を挟んで反対側を、クーが母親を気にしつつ歩いている。馬の後方からは、すっぽりと布を被ったセルマが、遠慮がちに追いかけてくる。

 先導しているのはコウだが、振り向きもせず歩く彼とは違い、自分たちの周囲をそれとなく囲んで進む数人の男たちは、手に手にランプを持って、明らかに不信と警戒心を浮かべた目をちらちらとこちらに向けていた。

 これじゃまるで、護送される囚人だ。

 もう一度ため息をついて、再びクーのほうへと目をやる。

 彼女はまったく、カイトを見ない。




 空が白みかけた頃、目的地に到着した──らしい。

 「ここだよ」とコウが指差した家は、これまで滞在していた家とそう変わりなかった。あちらよりは少し広いが、あちらよりも築年数が古そうだ、という程度の違いである。

 周りにぎっちりとひしめくように立ち並ぶ家々はどれも似たような外見で、目印でもつけておかないと判別が難しそうだなとカイトは思った。きっと、敢えてそういう場所を選んだのだろう。

 ただでさえ、棄民の街並みは無秩序に入り組んでいて、慣れない者には地形を把握するのも簡単ではない。地図もいい加減であまり役には立たないし、神民ならばなおさら、ここから人を探し出すのは至難の業だ。

 そういえば自分たちがクーの家を見つけるのも苦労したっけ、とカイトはしみじみした。


 ……あの時から、すべてが始まった。


 複雑な心情が入り混じった追憶に浸る暇もなく、家に入った男たちはすぐに掃除に取り掛かった。どうやら長いこと空き家だったようで、室内はどこもかしこも薄っすらと白く見えるほど汚れている。

 しばらくすると数人の女性たちもやって来て、それぞれが箒で掃きだしていったが、うず高く積もった埃がもうもうと立ち昇り、視界が霞むような有様だった。


「手伝うよ」

 カイトは袖を捲って声をかけたが、女性たちはこちらを一瞥しただけで何も答えない。


 そういう対応には慣れているので特に気にはせずに、置いてあったテーブルや椅子を移動させる力仕事を、勝手に受け持つことにした。

「あ、あの……わたしも」

 セルマもどこかびくびくした様子で言いかけたが、その途端、「邪魔だよ、あっち行っとくれ」と噛みつくように返されて、きゅっと身を竦めた。


「あんたみたいなお嬢さんに何が出来るって言うんだい」

「そうさ、あたしたちの税金で遊ぶことしか知らない神民さまが」

「まったく、役立たずの上に飯は食うなんて、とんだ厄介者だよ」


 貧しい暮らしの鬱憤をぶつけるように、彼女たちの舌鋒鋭い攻撃は止まらない。セルマは、ここまで他人から直接的に強く当たられた経験はないのだろう。顔を蒼褪めさせ、小さく震える両手を握り合わせた。

 緑色の瞳に、みるみる涙が浮かんでくる。


 カイトが口を開こうとした時、母親を奥の部屋へ連れて行ったクーが、仏頂面で戻ってきた。


「あのさコウ、悪いけど──」

 クーは、室内に一歩足を踏み入れたその瞬間、微妙に殺伐とした雰囲気に気づいたらしい。部屋の隅で顔を俯かせて小さくなっているセルマを目に入れて、眉を寄せた。

「なんだ、おまえ、また泣いてんのか」

「……も、申し訳あり」

「もうその台詞は聞き飽きた。そんなことばっかり言ってる暇があるなら手伝え。あっちもタイヘンなんだ。せめてちゃんと母さんが休めるような環境にしないと」

「あ……あの、でも」

「掃除くらいは出来るんだろ。手も足も頭もあるんだからさ。出来なきゃ覚えろ、別に難しいことじゃない」

「は──はい」

 セルマが驚きながらも慌ててそう返事をした。ぽんぽん言われて、その目からはすっかり涙も引っ込んでいる。クーは「よし」と偉そうに頷くと、今度はコウのほうに顔を向けた。

「コウ、布団だけ調達してくれないか。古くてもいいから、なるべく清潔なやつ」

 セルマが仲間たちから何を言われようと知らんぷりを通していたコウは、ここでようやく振り返った。

 喰えない性格そのまま、その顔には面白そうな表情が乗っている。


「承知した、布団ね。あと何か必要なものはあるかい」

「とりあえず、今はそれだけあればいいよ。他は自分でなんとかする」

「本当に『なんとか』しそうで怖いな……くれぐれも目立つような真似は控えてくれよ」

「何をすると思ってんだよ。ほら、行くぞ、セルマ」

「は、はい!」


 クーに名を呼ばれ、セルマは飛び上がるように返事をした。バタバタと駆けていく足取りに、先程までの悄然とした重さや暗さはない。

 二人が奥へと消えると、コウが「したたかだねえ」と呟いてくくっと笑った。セルマに向かってきつい言葉を投げかけていた女性たちのほうが、なんとなくバツが悪そうに目を逸らしている。


 クーは棄民の街でも神殿でも態度が変わらない。相手が棄民だろうと神民だろうと、自分というものを崩さない。理不尽な疎外には反論し、立ち向かい、その意見には肯わないと自らの言動で示す。

 諦めて受け入れるカイトとは違うし、どちらにも与せず傍観に徹するコウとも違う。

 「したたか」と評するのが正しいのかどうなのかよく判らないが、それでもクーのそういうところは、口が悪く乱暴なところも多い彼女の、最も尊い美点のひとつだと、カイトは思っている。


 そういう娘だから、自分は……


 そこで思考を止めて、カイトは力を入れて重いテーブルを持ち上げた。

 労働でくたくたになるまで肉体をすり減らして、自分の頭の中にしつこくこびりつく、愚にもならない迷いも消えてくれるといい。



          ***



 家の中がようやく「これならなんとか人が生活できそうか」という状態になってから、ひと心地ついたところを見計らい、クーは改めてコウに向かって告げた。


「決めた。最後の神女になるよ」


 例によって、テーブルを挟んで向かい合い、椅子に座っているのは、クーとコウの二人だけである。

 複数の男女が周囲に立ち、クーを守るようにカイトが彼女のすぐ後ろに立っているのもまったく一緒だ。若干違うのは、今はカイトの傍らに、セルマもまたひっそりと寄り添っている、ということか。

 ここは一応、棄民たちの革命軍の根城のうちのひとつ、という扱いになっているので、その中に神民が混じっているというのがそもそも異常だ。コウは何も言わなかったが、彼の仲間たちは露骨に怒りと嫌悪の目を向けてきている。

 セルマは白っぽい顔色で、なんとかその視線に耐えていた。


「──だけどそれは、革命軍に加わる、という意味じゃない。オレの第一の目的は、キリクを助けることだ」


 クーがはっきりとそう言うと、セルマはくしゃりと顔を歪め、何度も小さく頷いた。

 彼女がここに留まっているのも、慣れない環境と棄民たちからの冷遇を我慢しているのも、ひたすらそれを願ってのことなのだろう。この場所で、せめて少しでも情報を得たい、自分も何かをしたいと思い詰めているように見えた。

 悲壮なまでのその決意は、必ずしも罪の意識から来るものばかりではあるまい。

 セルマもまた、一途にキリクの身を案じている。


「俺たちの同志になる気はない、ということかな」

 コウが目を細めて問いかけた。

 それにしても本当に、この男は何を考えているのか判らない。周りにいる男たちのように判りやすく、むっとした空気を放出するようなところがあれば、まだ可愛げがあるのだが。

「優先順位がある、という話だよ。……それについて、あんたたちと討論するつもりはない」

 クーはコウに対して、それ以上説明しようとはしなかった。


 棄民の街で生まれ育った彼女が、棄民が味わっている苦難を知らないはずがない。この国の在り方を変えたい、棄民の立場をもう少し押し上げたい、という気持ちはクーにもあるはず。実際にその目で神民たちの考え方に触れてもきたのだから、なおさらだ。

 それでも革命軍の一員になるつもりはないと言い切るのは、最終的に自分が優先させるのは神民のキリクという存在だから、ということなのだろう。

 これから辿る道の先で、革命の成功かキリク、そのどちらかを選ばなければならないという局面になったら、自分は迷わず後者をとる、とクーは言っているのだ。

 それを棄民たちに理解してもらおうというのは無理だと判っている。あちらの説得も受け入れるつもりがない。だからその点について話し合う余地はない、と。

 彼女の意志は、それほど固く揺るぎない。


「…………」

 カイトは黙ってそのやり取りを聞いていた。


「協力関係、というわけだね。わかった」

 コウは口の端を上げてあっさり了承した。

 周りの男女は不満げだが、そちらには目をやろうともしない。この男は、仲間たちからは信頼されているようなのに、時々どこか冷淡だ。

 いちいち他人の言葉や感情に振り回されない、という意味では、リーダーとしてこれほど相応しい人間もいないのかもしれない。


 ……おそらくコウの目は、他の人間には見えないようなはるか遠く、もっと大きなものに向けられている。


「そうと決まったら、急いだほうがいいな。いずれパレスの新しい情報も入ってくるだろう。それを聞いてから計画を細かく詰めていくにしても、今のうちから準備を始めておくに越したことはない」

 そう言いながら、コウが椅子から立ち上がる。

「詳しい話は後日しよう。キリクのことも、何かわかったら知らせるよ。……じゃ、俺はこれで」

 立っている男たちのうちから、三人分の名前を呼んで、耳元で何かを囁く。それぞれが頷いて足早に部屋を出て行くと、コウもさっさと身を翻して立ち去ってしまった。

 クーも短い息をついて、立ち上がった。母親のいる部屋に行くのか、すたすたと歩いて扉を開ける。

 カイトとセルマもその後について部屋を出たが、パタンと扉を閉じたその瞬間に、向こう側から押し殺したような声が漏れ聞こえてきた。


「……本当にあんなのを信用していいのかね」

「半民と神民の肩ばかり持って、ありゃもう俺たち棄民の仲間でもねえ。おおかた、神殿の贅沢な暮らしに味をしめちまったんだろうさ」

「棄民を救うための革命と、たった一人の神民、どっちが大事なのか、考えるまでもないってのに」


 カイトは暗澹たる気持ちで、ひそひそと続くそれらの声から顔を背けた。

 棄民、半民、神民。

 どこに行っても、その枠から逃れて生きることは出来ないのか。



          ***



 それから五日経ったが、まだ何の動きもない。

 コウも姿を見せないままだ。もともと必要な時以外あちらからの接触はなかったが、この家を出入りする他の連中がクーとカイトに何かを話してくれることはないため、コウが現れないと、自分たちにはさっぱり情報が掴めないということになる。

 クリスタルパレスはその後、どういう動きをしているのか。神女を探索する手はどのように伸びているのか。もちろん、投獄されたキリクの安否も気にかかる。

 カイトはそもそも頭よりも先に身体が動いてしまうタイプなので、こうしてただじっと待っているのは苦手だ。自分の足を使って調べたいが、軽率な真似は出来ないと判っているから大人しくしているしかない。

 結果、悶々とした鬱屈だけが溜まっていく。


 この状況をクーがどう思っているのか、カイトにはよく判らなかった。


 現在、朝から晩まで母親の傍にいる彼女と自分との間には、ほとんど交流がないからだ。外に出て行く時は必ず護衛につくが、その時でもあまり会話はない。

 クーの態度にこれといって特別変わったところはないのに、今の二人の間には、目には見えない壁がある。

 そのカイトとは逆に、毎日甲斐甲斐しくクーを手伝うセルマは、確実に初対面時にあった溝を埋めつつあった。キリクの妹の女官をしていただけあって、他人の面倒を見るのは慣れているらしい。病人の世話をし、クーを気遣い、あれこれと立ち働くその姿は、少しほっとしているようでもあった。

 相変わらず棄民たちからの目は厳しいが、それにいちいち怯えるようなところは、今の彼女にはない。

 たまにだが、笑顔も見せるようになった。



 そうやってみんな、変わっていくんだよなあ、とカイトはぼんやり考える。

 変えたい、とクーは言った。

 ──俺は、どうなんだろう。



「おい」

 そんなことを思いながら、黙々と手だけは動かし斧で薪を割っていたカイトに、背後から不愛想な声がかけられた。

 後ろを向くと、忌々しげにこちらを睨んでいるのは、先だって牛乳で死にそうな目に遭っていたラダという男である。コウの周りはよく人が入れ替わるが、その中でも頻繁に見かける人物だ。

「お前だけか。コウは?」

 カイトの問いに、ラダは嫌そうに顔をしかめた。

 お前呼ばわりされたのが気に喰わないのか、仲間でもないのにコウの名を気軽に出されたのが腹立たしいのかは判らないが、別に興味がないのでどちらでもいい。

「コウは忙しいんだよ」

「そうか。……で、俺に何か用か」

 その顔を見るに、コウの代わりに情報を持ってきたというわけでもなさそうだと判断してそう言うと、ラダはさらに口を歪めた。


「……お前ら、いつまでここにいるつもりだよ」

「クーをここに連れてきたのは、お前らのリーダーだったはずだがな」

「神女のことじゃねえ。お前と、あの神民の娘だ」

「俺はクーを守るためにここにいる。セルマも神都に戻すわけにはいかないと言ったのはコウのほうだ」

「目障りなんだよ、お前ら。コウが何を考えているのかは知らねえが、俺はお前たちのような半民や神民を、こちらの懐の中に入れるのは真っ平なんだ。何を考えてるかわかったもんじゃねえ」


 それを言うために、わざわざこいつはコウのいないこの時にやって来たらしい。

 ラダの目は、抑えられない怒りで底光りしている。リーダーの身近にいる人間がその意に背く行動をするということは、思っていたほど一枚岩ではなかったということか、あるいはそれほど抱えている不満が大きかったのか、そのどちらかだろう。


「こっちは自分や家族を食わしていくだけでも精一杯なんだ。それなのに、なんでお前らのような余計な奴らにまで食い物を用意してやらなきゃいけねえんだ?」

「それについて文句があるならコウに言え」


 資金面で余裕がないことくらいはカイトも承知している。出てくる食事はかなり貧しい内容で、せめてクーの母親だけでも滋養がつくものをと、カイトが手持ちの金を渡して頼んだくらいだ。

 馬に与える餌のことも考えると残りはかなりギリギリで、その金を自分たちに廻す余裕はない。だからセルマでさえ、粗末な衣服に身を包み、ほとんど具のないスープや固いパンを不満も零さずに食べている。


「ああ、そうさ。コウが決めたことだからと今まで我慢してたんだ。……でもよ、考えてみりゃ、俺たちに必要なのは神女だけなんだぜ。いいや、必要なのは、ただの『器』だ。別にお前らなんて、いなくたって何の問題もない。いや、むしろ、いないほうがいいんだ。そのほうがこっちには都合がいいからな。神女ったって、所詮は非力な小娘だ」


 吐き捨てるようにそう言った途端、ラダの全身から凶暴な波動がゆらめいた。

 ギラギラと凄むような眼が、こちらに向けられる。


「俺たちはなんとしても革命を成功させるんだ。俺たちにとっちゃ、これは生きるか死ぬか、一世一代の戦いなんだ。それを、神民を助けるためだと? ふざけやがって……神都でのうのうと暮らしてきた奴らがどうなろうと、俺の知ったことか!」


 その言葉が終わるや否や、ラダの拳が唸りを上げて飛んできた。


「──そうか」

 カイトは上体を逸らして向かってきたその拳を避けると、ひとつ息をついた。

 薪割りの作業に邪魔なので、剣は家の中に置いてある。あれがあれば早くカタがついたが、別になくても問題ないだろう。


 ……カイトでも、むしゃくしゃして、誰かを叩きのめしてやりたい時くらいある。


「俺は子供の頃から、さんざん周りから苛められてきてさ」

 首を廻して独り言のように呟くと、ラダが「あ?」と口を丸く開けた。この男も、カイトがまとう雰囲気が普段のものとは違うことくらいは気づいたらしい。

「その経験上、判ったことがある。誹謗中傷を投げつけてくるやつより、暴力を振るってくるやつのほうが、よほど相手にしやすい、ってことだ。言われた言葉は腹の中に溜めていくしかないが、力には力で返せばいいんだからな。簡単でいい」

 カイトだって、今までの人生、ずっと「やられっぱなし」だったわけではない。


 力を誇示するやつには、より大きな力を見せてやればいいだけだ。


「──必要なのは、ただの『器』だけだとぬかしたな?」

 凄みを帯びた表情で薄っすらと笑うと、ラダの顔が引き攣った。何かに押されたように、一歩下がろうと足裏が浮きかける。

 しかしカイトはそんな暇を与えてはやらなかった。閃光のような速さで身体をしならせ肘を引く。ひゅっと空を切る鋭い音がして、顔面に強打を見舞われた男の巨体が、勢いよく後方へと吹っ飛んでいった。





「まいった、まいったって! もう勘弁してくれよ!」

 カイトの獰猛な蹴りによって地面に倒れてのたうち回り、ラダが苦悶の呻きと共に、悲鳴を上げた。

「ひでえよ! ここまで手加減なくやられるなんて聞いてねえ! コウのやつ、覚えてろ!」

 最初の時とは打って変わって、哀れっぽく眉を下げた顔で叫ぶ。

 もう一発急所に蹴りを入れようとしていたカイトは、その台詞に違和感を覚えて、ん? と振り上げていた足を地に下ろした。

「コウがどうしたって?」

 屈み込んで訊ねると、唇と鼻から血を流し、あちこち痣だらけでボロボロになったラダは、ひいひい呻きながら声を絞り出した。


「自分の決定に不満があるなら、遠慮なくお前に喧嘩を吹っかけてやれ、って言ったんだよ! 神女のことを口にしてやりゃ絶対に本気を出すって! ちょいと痛めつけただけで怖がって逃げるような意気地無しなら追い出しても構わない、って! ちくしょう、コウのやつ、こうなることがわかってやがったな! どうりでニヤニヤしてると思った! さんざん俺をけしかけて、お前の実力を見せつけることで他の連中も黙らせるつもりだったんだ! わざとだ! ひでえ!」


 ラダの口から出るのは、コウに対する文句と愚痴と泣き言ばかりだった。

 あの野郎……とカイトも内心で苦々しく毒づいた。最初からやけに突っかかるような言い方をしてくるなと思ったら、あの男の入れ知恵だったのか。

 なにが、「もう突然襲いかかったりしない」だ。自分はしなくても、別の人間にやらせてるんじゃねえか!


「やりすぎたよ。悪かったな」

 謝りながら手を差し出すと、ラダは一瞬躊躇してからその手を取った。いてててと唸って、なんとか上体を起こす。

「……俺も、言いすぎた。お前は多少の挑発ではやり返してこないって、コウが言うからよう……」

 言いにくそうにもごもごと弁明する。コウの企みにころりと利用されるあたり、カイトと同じで単純な男なのだろう。

「そんなに、俺とセルマがここにいることで、不満が溜まっているのか?」

 訊ねると、ラダは「まあな」と頷いてから、一拍置いて、曖昧に首を傾げた。


「……ていうかよ、俺たちの精神状態がもう限界なんだ。働いても働いても暮らしは楽になるどころか苦しくなる一方でさ。すぐ近くでガキが腹すかして泣いていても、なんにも出来ないんだぜ。自分の無力さと、不公平なこの世の中に、腹が立ってたまんねえ。……考えてみりゃ、お前たちに対してばかりじゃなく、俺たちはいつも何かに苛立って、憤ってるんだよなあ。たまたま、目に入るのがお前らだから、その怒りが集中しちまうのかも」


 ラダは単純なだけでなく、正直な男でもあるらしい。明るい空を見上げてぽつぽつと語るその姿からは、はじめにあった刺々しさがすっかり抜け落ちていた。


「でも、まあ、ちっとは気が済んだよ。お前はお前で、苦労してきたみたいだしな。革命軍の中には、焦るあまり、手荒なことを考えて暴走しかねないのもいるんだが、そういう連中もこれで考え直すだろう。なにしろ、この俺が手も足も出ずにコテンパンにされるくらいだからなあ」


 そういう手合いを牽制するために、コウに使われたんだな、とカイトは思った。


「というと、お前は仲間内では強いほうなのか」

 カイトが首を傾げると、ラダは大いに自尊心を傷つけられたような表情になった。

「この筋肉見りゃわかるだろ! 俺は今まで喧嘩じゃ負けなしだったんだからな!」

「…………」

 確かに筋肉はついているが、それはどう見ても労働でついたものである。実際にやり合って判ったが、ラダはカイトからすると、本当にただの素人だった。喧嘩と戦闘とは違う、ということにすら、本人は気づいていない。

「でも、コウは──」

「ありゃ、別格だ! あいつはバケモンだから、一般人とは違う! それでこそのリーダーだからよ!」

 ラダはとんでもないというように手を振って笑った。その顔にも口調にも、どことなく自慢げなものが滲んでいる。

「別格……」

 カイトとかろうじて同等に戦えるというコウが別格扱いされていることに、ひやりとしたものが背中を伝った。

 今になって、芯から実感する。



 「革命軍」とは、武器を持ったこともなく、戦い方も知らない、普通の棄民の寄せ集めだ。

 いくら数が多くても、それだけでは……



「……そんなに、革命を成功させたいのか?」

 カイトのその問いに、ラダは一度目を瞬いてから、真顔になってこくりと大きく頷いた。

「成功させたい、じゃない。なんとしても成功させなきゃ、俺たちに未来はねえんだよ」

「しかしその革命は、神民だけでなく、棄民側にも多くの犠牲が出るぞ。それでも?」

「だったらこれからもずっと、今まで通りひたすら縮こまって殴られていろ、と言うのか?」

 正面から返されて、言葉に詰まる。ラダの真剣な目に、それ以上の問いは出せなかった。


「お前も言ったろうが。力には力で返すしかないんだ。こっちが何を言ったって、その叫びも泣き声も、あっちには届かねえんだから、そうするしかねえ。押さえつけられた頭を持ち上げる資格さえ、俺らにはないのかい? そんなことはねえだろうよ、俺たちだって人間なんだ、もっと自由に息をしたいと願ったっていいはずだ。──俺たちにとって、今しか機会はないんだよ。百年に一度の、貴重な機会だ。これを無駄にするわけにはいかねえ。失敗しても、革命を起こさなくても、どちらにしろ死ぬしかないんだ。俺たちにはあとがない。だからこそ必死だ。そこのところを、ちょっとだけでも、わかってくれ」


 ラダは真面目な口調でそう言うと、今度はカイトの手を借りずに、一人でその場に立ち上がった。

「じゃあな」

 一言だけ言って去っていくその背中を、カイトは黙って見送った。



          ***



 家の中に入って水で手を冷やしていたら、間の悪いことに、セルマに見つかってしまった。

「どうなさいました? カイトさま」

 いやあ、と曖昧に言いながら手を背中に廻したのだが、腕をぐっと掴まれて「見せてください」と怖い顔で詰め寄られた。仕方なく手を出したら、甲が赤く腫れているのを見て、セルマがびっくりして目を見開く。

「まあ、これ、どうされましたか」

「ぶ……ぶつけて」

 ラダの硬い顔と腹に、と心の中でこっそりと付け加える。やっぱり素手で人を殴ったりするもんじゃない。

「ぶつけられたのですか。他にお怪我は?」

「いや、ないよ」

 ラダには悪いが、皆無である。

「でも、服に血が……」

「あ、これは俺のじゃ、いやその、なんでもないんだ」

 しどろもどろに返事をするカイトに訝しげな顔をしたものの、セルマはそれ以上は追及してこなかったので、ほっとした。日頃クーのことをあれこれ叱っている手前、この件についてバレたくはない。

「お薬があればいいんですけど」

「いや大丈夫、こうして冷やしていればすぐ治るから──あ」

 唐突にカイトの言葉が止まって、セルマがきょとんとする。カイトが目を向けている方向に、自分も顔を向けて、そこにいる人物を見つけた。

「クーさま」

 その場に立ち止まったクーも、間違いなく目にしただろう。セルマがカイトの手を取り、まるで二人が手を握り合っているような場面を。

 カイトはいろいろと覚悟をして固唾を呑んだ。その瞬間、場の空気にぴんと糸を張ったような緊張が走ったのも、確かに感じ取った。


 ……でも、それだけ、だった。


「あの、今、カイトさまが」

 セルマの説明を聞きもせず、クーはふいっと目を逸らした。そのまま、カイトたちがいるほうとは別の方角へ歩いて行ってしまう。

 何も言わなかったし、表情も変えなかった。

 睨むことも、怒ることも、不機嫌になることもなかった。

「…………」

 ふー、とカイトは深いため息をついた。


 自分が何か、とんでもない間違いを犯した、ということだけは判っている。


「あー、くそ……」

 呻くように呟いて、髪の毛の中に手を突っ込み、くしゃりと掻き回した。






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