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「……オレがユウルになるのは、ちっとも難しいことじゃなかったよ」

 足を止めて後ろを振り返り、自嘲の笑いと共に話すユウルを、カイトは固い顔つきで、キリクは静かな眼差しで見返している。

「だって、どうして疑う必要がある? 死んでしまった子供は骨になり、唯一二人を見分けることの出来た子供の母親は、亡くなったのはククル、と明言してる。──なにより残ったほうの子供本人が、『自分はユウル』だと言っているんだから。みーんな、それをあっさり信じて受け入れた」


 誰もかれも、ユウルとククルのことを、独立した一個の人間ではなく、「双子の片割れ」としか認識していなかったのだと、その時気づいた。


 それでなくともこの街は、みんな自分たちが生きていくことで手一杯だ。双子が入れ替わっているんじゃないかなんて疑問を抱く人間は、誰一人としていなかった。

 その日を境に、「ユウル」の性格が以前とは変わって、無口になり、人を寄せつけず、一人で行動することを好むようになっても、おかしいとは思われなかった。

 いつも一緒で、あれだけ仲の良かった妹──天真爛漫でよく笑っていたあの妹がいなくなってしまったのだから無理もない、と納得された。

 ククルという存在は、あっという間に住人たちの頭から抜けていった。


「──ククル」

 押し殺された声でその名が呼ばれて、ぴくっと指の先だけが反応した。


 無言で、のろりと目線を上げる。

 こちらを覗き込んでいるカイトの目に、今まで自分にはほとんど向けられたことのない深い色が乗せられているのを見つけて、ぐらぐらと煮え立つような感情が腹の底のほうで蠢いた。

 それは同情か、憐憫か。

 生きていくことに余裕がある連中は、そういうものを他人に向けて満足するのか。

 どちらにしろ、自分には必要のないものだ。


「おまえ、そんなことをいつまで続けていくつもりなんだ?」


 気づかわしげな声と口調が、さらにユウルの苛つきを煽る。

 やめてくれ。そんなものは要らない。要らないんだ。


「……そんなことって?」

 自分の口から出る声は、どこかしら無機質で、乾ききっていた。キリクは黙ってユウルのことを見つめているが、その視線も今はひどく煩わしく感じた。

「兄のユウルとして生きていくことをだよ。……いつまでもそんな無茶なことが通るとは、おまえだって思っちゃいないんだろ?」

「…………」

 ユウルは口を噤んだまま、感情のないレンガ色の瞳をカイトに向けた。

 間を置いてから、冷たい声で問い返す。

「じゃ、どうすりゃいいと思う?」

「どうって、そりゃ、おまえの母親に、ちゃんと本当のことを言うんだよ。ここにいるのはユウルじゃなくてククルなんだって。ユウルの死を受け入れさせるところから始めなきゃ、どうしようもないだろう?」

「ここにいるのが本当はユウルじゃなくてククルだってぶちまけたら、母さんは今度こそ、間違いなく発狂するだろうね。今はオレに依存することでなんとか保っている弱い精神も、脆く細い身体もぽっきり折れて、生きていくことも難しくなるだろうさ。それでも?」

「──……」

 ユウルにとっては自明の理である未来を容赦なく突きつけると、カイトは言葉に詰まった。

 迷うような目線がふらりと闇の中を動く。しかしややあって、それはまたこちらへと戻された。まっすぐに。


「……だけど、そこから始めないと、おまえは一歩も踏み出せないだろ。おまえが『ククル』を救ってやらないと、その小さな女の子は、ずっと独りぼっちで泣いたままだぞ」


「……っ」

 いきなり、何かが暴力的なほどの勢いで喉元まで膨れ上がった。

 胸を締め上げられているように息苦しい。

 けれど、今にも一気に外へと飛び出してしまいそうな諸々を、ユウルは無理やり呑み下し、抑え込み、押し潰した。

 口を閉じて、じっと黙り込む。

 闇に包まれた静寂の中、遠い喧騒の声だけが三人の上を流れていった。通りの両側にある建物の窓に灯る、申し訳程度の仄かな明かりだけが、自分たちの姿を浮かび上がらせている。

 ここで、手を少しでも動かせば、足が一歩でも彼らに近づいたら、何かが変わるのかもしれない。


 でも──


 しばらくして、ユウルはカイトから目線を外し、キリクに向かって口を開いた。

「……で、オレに用事って、なに?」

 無表情に近い顔で、問いかける。

 カイトが何かを言いかけたようだったが、もうそちらは見なかった。

 ユウルは、自分の周りにある頑丈な殻を破ることではなく、その中に自分の何もかもを閉じ込めることを選んだ。

 ずっと、そうやって生きてきたのだ。難しいことではない──はずだった。

 キリクはユウルのその頑なな瞳を見て、少しだけ困ったように笑みを浮かべてから、小さな息を吐いた。

「そうだね。僕らもここに来た以上は、いつまでもその問題を先送りにしているわけにはいかない。……君は、百年に一度選ばれる『神女(しんにょ)』のことは、知っているよね?」

「まあね、詳しいことはサッパリだけど」

 なにしろ、そんなものはこの棄民の街に、まるで関わりのないことだからだ。

 神民を加護するという女神も、その神民の中から選ばれるという神女も。



「このアリアランテでは、建国時から受け継がれているものがいくつかあるけれど、そのうち最も重要なのが、百年ごとにやってくる、『神女』の選定とされている。女神リリアナから授けられる力を受け取るべき、聖なる乙女が四人。その四人は、神都の中央、クリスタルパレスの奥深くで守られている清き水晶によって選ばれ、示される。水晶の導きで神殿に集められた彼女らが、女神リリアナの力を受け取り正式な神女となったなら、またその先の百年を平和に過ごせるよう、共に手を携えて、この国の礎をさらに盤石にするための柱に──」



「もういいよ」

 まるで暗唱するように淡々と述べられる説明にうんざりして、ユウルは乱暴に遮った。

「それがオレに何の関係が?」

 女神リリアナもどうでもいいが、その力を与えられるという神女という存在のことは、もっとどうでもいい。

 そんなものはどうせ、神民のつまらない自己満足と、権威を保持するための、建前だらけの行事でしかないに決まっているからだ。

 式典だの神事だの、神民たちはそうやって、何かにつけては口実を設けて、棄民たちからごっそりと金を毟り取っていく。

「その選定の儀式とやらのために、働く人手でも足りないってこと? 言っておくけど、オレは神都に行って奴隷のような扱いをされるのはゴメンだよ。他を当たってくれ」

 投げやりに手を振って言い捨てると、キリクは「弱ったな」と苦笑して、指でこめかみを掻いた。

「いくらなんでも、ここまで説明して、そんな見当違いの解釈をされるとは思ってもいなかった。子供じゃないんだから、これだけ言えば、おおむね理解できそうなものだけど」

 嫌味な言い方にカチンとして、キリクを睨みつける。ちらっと隣のカイトを一瞥したら、そちらはそちらで、複雑な表情で唇を結んでいた。

「頭がよくなくて悪かったね。その神女がどうしたって? まさかオレがそれに選ばれた、なんて突拍子もない話でもないんだろ」

「なんだ、ちゃんと判ってるんじゃないか」

 馬鹿にするように目を眇めて言ってやったら、ニコニコしたキリクから、とんでもない言葉が返ってきた。


「清き水晶は、ククル・デニという娘を、当代の神女の一人として示した。僕らは君をクリスタルパレスの神殿にお連れするよう、ソブラ教皇から直々の命を受け、迎えに参上したんだ」



          ***



 あまりにも荒唐無稽なその申し出を、もちろんユウルは一瞬も本気には受け取らなかった。

 カイトとキリクに険悪な目を向ける。

「なにそれ。なんの冗談? 神都では、そういうタチの悪い遊びでも流行ってんの? 悪いけど、ヒマつぶしなら余所でやってくれないかな。オレはそんなつまんないことに費やす時間も余裕もないんだよ」

 今までこの二人に付き合ってきた分の時間も気力も、すべてが無駄になったような気がして、眉を上げ、吐き捨てるような口調で言った。

 神民にしてはまだしもまともな連中だと思っていたのに、それはとんだ間違いだった。きっとカイトのあの心配そうな目も、「ククル」のことを慮るような台詞も、ただの演技だったのだろう。

 最初から、無知な棄民をからかうつもりだっただけ。


 くだらない。やっぱり、神民は神民だ──


「いや、ククル、違う」

 慌てたようにこちらに向かって伸ばされたカイトの手を、触れられる前にばしんと叩いて払いのける。

 そのまま足を踏み出し、二人の間を突っ切るようにしてその場を立ち去ろうとしたユウルの腕を、今度はキリクが後ろから掴んだ。

「待った、君は誤解している」

「へえ、誤解? そりゃ、オレたち棄民には、女神の加護とやらは届かないからね。低俗な人間には理解の及ばないところが、さぞ多くあるんだろうさ」

「違う」

 キリクは声をやや強めて言った。腕を掴んだ手は離れない。


「いいかい、神女は()()()()()()()んだ。神殿というところは確かに立場を誇示するために嘘か本当か判らない伝承とかを広めたりすることもあるけれど、これは偽らざる事実。アリアランテではこれまで百年に一度、水晶によって神女が選ばれてきたんだよ。そこには打算も思惑も入り込む余地がない。たとえ教皇でも、水晶の神女選定には介入も干渉も不可能で、その結果に異を唱えることは出来ないんだ」


 へえ、とユウルは唇を歪め、首を捩って、真面目な表情をしたキリクに目をやった。

「じゃあ、何の陰謀だ、と聞けばいいのか? 神女の話が本当だろうがそうでなかろうが、そんなものに棄民が選ばれるはずがない。なにしろ『神に棄てられた民』だ。それが女神の力を貰うなんて、笑えない冗談だね」

「確かに、棄民から神女が選ばれるのは、前代未聞らしい。それでも水晶は君を示した。君が神女のうちの一人だ」

「バカバカしい」

 ユウルは力を入れてキリクの手を振り払い、再び歩き始めた。

 カイトとキリクはその場から動かない。背中に二人分の視線が向けられているのを痛いほど感じながら、ユウルは前方の闇に目を据えた。

 爪が掌に食い込むほど、拳を握りしめる。


「……もし万が一、それが本当だとしても、オレはお断りだ。自分たちは税も納めず、毎日ただのうのうと食べて遊んで祈るだけの神民に、オレたち棄民はすべてを搾取されながら生きてきた。これ以上、オレから何を取り上げるつもりだ? なにが神女だ──オレはそんなもの、信じちゃいないし、なりたくもない。あんたたちに神はいても、オレにはいないんだ!」


 前へと進む足は、口を動かすに従って徐々に速まり、言い終える時にはやみくもに駆けるようにして家を目指していた。

 ククル、と名を呼ぶカイトの声が耳に入ったが、後ろは振り返らなかった。




 ──バカバカしい。

 走りながら、呼吸を乱し、内心でもう一度繰り返した。


 神女だって? この自分が? そんなこと、あるはずがない。

 たとえそうだったとしても、神都になんて行けるわけがない。

 神都に行ったら母親とは離れなければならない。彼女だけをこの場所に捨てていくなんてことが、出来るものか。

 ……そんなことが出来るのなら、とっくの昔にそうしていた。

 でも、水晶の誤作動だとしても、何かの陰謀だとしても、あの話が本当なら、断ろうが拒絶しようが、こちらの意志も都合も関係なく、神都へと連れていかれる。

 あの二人がその気になったら、とてもではないが自分なんて歯が立たない。



 焦燥が背中を駆け上がっていく。

 早く決断をしろと、何者かに後ろから追い立てられているようだった。



          ***



 走り続けていた足は自分の家が見えてきたところで、ぴたりと動きを止めた。

 小さなその家の窓からは、控えめで暖かそうな光が洩れている。

 まるで、あの中で待っている母親そのものだ。きっと、今か今かと子供の帰りを待ちわびて、扉が開くと同時にねぎらいの言葉をかけてくれるのだろう。

「…………」

 荒い息を吸ったり吐いたりしながら、その場で立ち止まったまま、明かりのついた窓を見つめ続ける。胸が苦しいのは、走った後だからなのか、それとも別の理由なのか、自分でも判別がつかなかった。


 ──いつまでもそんな無茶なことが通るとは、おまえだって思っていないんだろ、って?


 カイトの言葉が脳裏に蘇る。思わず、噴き出しそうになった。可笑しいからではなく、心を抉るような痛みにどう対処していいのか、まったく判らなかったからだ。


 ……当たり前じゃないか、そんなこと。

 言われるまでもなく、そんなことは自分自身、イヤというほど判っている。



 だって、毎日毎日、自分を見るんだ。

 見たくなくても、どうしたって目に入る。日々、成長していくこの身体。年を経るごとに、丸みを帯びていく、しなやかな肢体。

 子供の皮を脱ぎ去り、「女」へと変貌していく自分。

 胸だって、腰回りだって、もう女性独特の柔らかな曲線を勝手に描きはじめている。厚い上着を着ているだけでそれらを隠しきれるのかと、いつだってビクビクしていた。

 労働である程度の筋肉はついていても細いままの腕、いつまで経っても低くなるはずのない声。子供の頃はユウルもククルも中性的な雰囲気を持っていたから、「同じ顔、同じ声、同じ姿」でも通じたのだ。本物のユウルが成長していたら、きっと、今ここにいる自分とは、確実に違う外見になっていたに違いない。

 ユウルのフリをし続けてから何年も経たないうちに、嫌でも思い知らされることになった。どう頑張っても、どう努力しても、自分は「男」にはなれない。

 年齢を重ねるにつれ、それはもっと顕著になっていくことだろう。このままずっと周囲を欺き続けるなんて、無理に決まっている。


 ……実際、カイトとキリクには、あっさり女であることが露見した。


 いずれ近いうち、他の誰もが不審を抱きはじめるだろう。いくら他人のことに気を回す余裕もない住人ばかりだって、十年後も二十年後もここにいる異分子に変わらぬ目を向け続けていられるほど、彼らは愚かではない。

 そして自分もまた、それを自覚できないほど、能天気ではない。

 破滅の日はもうとっくに目前に迫っていた。一日一日、近づいてくるその足音に気づかない顔をしていたけれど、それもそろそろ限界だった。


 でも、今さら自分がククルだと打ち明けたって、いいことなんて何ひとつありはしない。


 あの母親が、その事実をすんなり受け入れることはまずないだろう。泣くのか、叫ぶのか、笑うのか、あくまでも否定するのか。自分を責めるのか、我が子を責めるのか。それとも、ものを考えること自体を放棄してしまうのか。

 母親のそんなところ、見たくはない。最悪の状態にまでなった場合、金銭的にも、気持ち的にも、彼女を支えられる自信もなかった。でも、このままでいられるわけがないということは、自分がいちばんよく知っていた。

 一体、どうすればよかったんだ?

 何度も死のうかと思った。けれど、その後であの母親がどうなるだろうと考えると、それも怖くて出来なかった。

 母親の働き口など、ここではまともに見つからない。今だって、自分の少ない稼ぎで生活の大半をギリギリ賄っているのに。この荒れ果てた街で、自分が死んだら、母親は一人でどうやって生きていくのか。

 いいや、そんなことになったら、どちらにしろ母親の精神は保たない。

 彼女は自分の子供を……「ユウル」を、なによりも愛しているのだから。母親にとって、唯一残った、大事な子供。生きていくための拠り所を失えば、もう倒れるしかない。

 それに──それに、自分は母親と約束したのだ。本物のユウルが亡くなった時に。



 決して、置いていかないと。



 この身を縛る、いっそ呪いと言ってもいいその約束を、どうしても破れない。

 進んでいる道の先は袋小路。別の道を選んで行き着くところがあっても、そこは崖っぷちで、先がない。

 だったらもう、自分にやれることは、一つしかないではないか。

 なるべく考えないようにして、先延ばしにしてきたけれど、どうやらそれももはや許されないらしい。

 目線を下げ、うな垂れた。


 ……誰が、何が、悪かったのだろう。


 父親は家族を養うため働いて働いて、そのために死んだ。母親は貧しくても、ひもじくても、自分の分の食べ物を差し出すことさえためらわないほど、双子を愛してくれていた。賢く優しかった兄は、息を引き取る直前まで、残される母と妹のことを心配していた。

 愛情は間違いなくそこにあり、みんなが善良に、そして懸命に生きていたはずなのに。

 それでも、誰一人、救われない。


 この世界に、神などいない。

 そんなこと、ずっと前から知っている。



 そんな自分が──これから親殺しの大罪を背負う自分が、神女になんてなれるはずがないじゃないか。





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