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司教から、いつでも神殿の外に出て構わないという許可が出て、早速それを実行に移したのは、なにもクーに限った話ではない。
他の神女候補──イレイナ嬢、ロンミ嬢、サンティ嬢、モリス嬢も、それぞれに神殿を出て、合間合間に散策や息抜きをしているようだった。
どこで何をしているのかは、キリクも詳細はよく知らないが、ロンミ嬢が庭園の四阿で本を読んでいたり、モリス嬢があまり目的もなさそうにふらふらしているのを見かけたことはある。
もちろん、それについては問題などない。特に何かが変わるわけでもない。
しかしイレイナ嬢の場合、もともとクリスタルパレス内に住居があるということで、外を出歩けば見知った顔に出くわす確率が高かった。会ってしまえば、会話くらいはするだろう。自身が水晶に選ばれた神女候補だということは口外するのを禁じられているのだが、口には出さずとも彼女の傍には神殿の衛士がついてみっちりと護衛しているわけで、当然、相手のほうもなにかしら勘づくことはあるに決まっている。
パレス内のあちこちで、百年に一度の神女選定が始まったらしい──という噂がひっそりと、しかし確実に広まっていくのは、やむを得ない流れというものだった。
その朝、衛士舎での訓練を終えて、神殿に向かったキリクとカイトは、サンティ嬢が建物の外に立っているのを見つけた。
キリクたちは、神女候補の衛士の中では、いつも神殿に来るのが最も早い。カイトが急ぎたがるというのもあるが、キリクもグズグズするのが性に合わないというのもある。
そして、他の衛士と違い、自分たちは神殿に行ってクーの顔を見ている時のほうがよっぽど寛いだ気分になれる、ということもあるかもしれない。
なのでサンティ嬢の衛士たちは、今朝も未だ神殿にやって来てはいない。衛士舎を出る前、彼らが食堂で喋っているところを見た上に、こちらに向かって聞こえよがしな大声で嫌味だか皮肉だかの言葉を吐いていたのも耳にしたから、間違いない。
つまり今のサンティ嬢は、護衛もなく神殿の外に出ている、ということだ。すぐ近くには門番がいるのだから不用心と咎めるほどではないかもしれないが、不用意ではある。
彼女は特に何をするでもなく、うなじのあたりに手を当ててしんなりとその場に立っていた。誰かを待っているようでもない。ただ朝の空気を吸いに出た、というのが、その立ち姿からいちばん想像しやすい理由と思われる。
しかしキリクには、彼女が周囲にあるかどうか判らない他者の目を十分に意識しているように見えたし、もう少し意地悪に言えば、そうやってどこか物憂げな表情で一人立っているところを、誰かに見てもらいたくてたまらない、と思っているようにも見えた。
一言で言ってしまえば、自分に酔っている。
きっと今の彼女は、壮麗な神殿建物を背に、うっすらとした朝の陽に溶け込むように立っている自分の図、というものを頭に描いて、それをこの上なく美しいものだと考えているのだろう。
それはあながち事実を無視したものではないし、自惚れだと片付けてしまえるものでもない。確かに、何も予備知識を持たず、そこだけ切り取ってみれば、美術品としてどこかに飾ってもおかしくはない絵になりそうだ。
ただ、その憚ることもない自分自身への陶酔は、可愛げがあるというよりは少々滑稽で、キリクは口元に手をやって、込み上げてくるものを抑えなければならなかった。
ちらっと横を見れば、カイトが困惑したようにサンティ嬢に目をやっていた。
「……あんなところに突っ立って、何をしているんだろうな」
本気で理解できないという顔をしている。噴き出しそうになるから、やめてほしい。
「僕らはどうするべきだと思う?」
ここに来たのが自分たちではなく他の衛士だったら、サンティ嬢の目論見通り、うっとりと見惚れて、崇め奉るような視線を一心に注いでいたかもしれない。
彼女の計算違いは、この世の誰もかれもが、外見の美しさだけに惹かれる人間ばかりではない、ということだ。
「放っておくわけにはいかないんだろうなあ」
状況が許せばすぐにでも引き返したい、と思っているのがありありの顔で、カイトはそう呟いた。
最初は美人ということでそれなりにサンティ嬢には興味を持っていたようだったが、その顔を見るに、そういう興味はもうすっかり空の彼方に霧散して消えたらしい。これ以上クーに足を蹴っ飛ばされるような羽目にならずに済みそうで、なによりである。
「声だけでもかけていかないとね」
一応、衛士はすべての神女候補を守るものと決まっている。無視してさっさと神殿内に入っていくわけにはいかない。
「キリク頼む、俺はなるべく目立たないような場所にいるから」
カイトがそう言うのは、関わるのが面倒だと思っているわけではなく、自分が声をかけるとますます面倒なことになりかねない、と考えているためだろう。
状況を把握する目があり、それを解決するための実行力も持っていながら、この男はいつでもそうやって一歩下がった場所にいるしかない。そこから前に出ることを、周囲が許さないからだ。
クー以外に、この場所で息苦しく窮屈な思いをしている人間が、ここにもう一人いる。
やれやれと思いながら、キリクは歩を進めて、「サンティ嬢」と声をかけた。
「こんなところでどうされました。衛士もつけずに外に出るのは、おやめになったほうがいいですよ。司教からも、そう言われていたはずでしょう?」
「あら、キリクさま」
なるべく「注意」に聞こえるような声音で言ったつもりなのだが、こちらを振り返ったサンティ嬢は、嬉しそうに頬を緩めて、ぱっと目を輝かせた。
キリクの後方にいるカイトの姿もその視界に入らないはずがないのに、彼女の目はまったくそちらを向きもしない。
もしかしたら本当に見えていないのかな、と思ってしまうほどの無関心さだった。
「さまは結構です。今の僕は、神女候補クー嬢に仕える一介の衛士なので」
「まあ、では、キリクとお呼びしてよろしいの?」
クーに仕える衛士、とキリクがわざわざ強調した部分を、サンティ嬢はしゃらっと無視してふふふと笑った。
目だけではなく、耳のほうも、彼女は自分にとって都合の良いものしか拾わないらしい。
「ちょうどよい時に会えましたわ。わたくし、他の目がない時に、一度あなたと一対一でお話ししたいと思っていましたの。これも女神リリアナのお導きですかしら」
じりっとにじり寄ってきて、上目遣いで言われた。他の目がないも何も、後ろにカイトがいるのだが。
キリクは微笑を浮かべたままだったが、きっとカイトのほうが困った顔をしているだろう。
「僕に何かご用がおありでしたか」
いつもと変わらない口調で──とはいえ、聞く者が聞いたら、素っ気ないと判る口調でそう返すと、サンティ嬢はさらに一歩、こちらに近寄ってきた。今にも身体ごとしなだれかかってきそうで、身を引きそうになるが、我慢する。
「ねえ、キリクさま──いえ、キリク」
キリクの右手の上にそっと自分の手を重ね、秘め事を打ち明ける時のような囁き声で、サンティ嬢が言った。
「ずっと以前から、あなたのこと、気になっていましたの。わたくし、美しいものが大好きなんです。……わたくし付きの衛士になりません?」
その言葉に、キリクは別に驚かなかったが、後ろのカイトは大いに驚いたようで、はっきりと息を呑むような気配がここまで伝わってきた。
サンティ嬢は、やはりそちらには視線を向けもしない。
「僕はクー嬢の衛士ですよ」
キリクは笑みをたたえたままそう答えたのだが、相手はそれを言葉通りには受け取らなかった。
というより、彼女の耳には、まったく別の声が聞こえたようだった。
キリクのその返事は、
棄民の神女候補の衛士なんて、本当は嫌でたまらない。しょうがないから我慢しているけれど、どうしてあなた付きの衛士になれなかったのか、毎夜悔やんでばかりいる──
という台詞に改竄されて、あるいは勝手に付け加えられて、サンティ嬢の頭に届いた、らしい。
そうでなければ、こんな風に、にっこりと花が綻ぶように笑ったりはしないだろう。
「ええ、わかっておりますわ。もちろん、ご不満でしょうとも。第三位神民のあなたともあろうお方が、あのような棄民に仕えるなど、まったく本意ではありませんわよね。わたくし、ずっとお気の毒に思っていましてよ。ですから、わたくし付きの衛士に代わるよう、司教様に進言しようと考えておりますの。イレイナさまは自尊心が高すぎでいらっしゃるし、ロンミさまはあのように頭だけで物事を捉えるお方、あのお二人では、どちらにしろあなたもお仕えしづらいでしょう?」
その点、自分に仕えるのなら、キリクもさぞ嬉しいだろう、と疑ってもいない顔だった。
そして彼女の言葉からは、モリス嬢の存在がすっぽりと抜け落ちている。
「──僕が、サンティ嬢付きの衛士に、ですか?」
「ええ」
こちらを覗き込むようにして見上げる目は、肯定を確信してきらきらと輝いていた。
おそらく、自分に似合う首飾りを見つけた時も、こんな顔をするのだろうな、とキリクは思った。
近くで見ると、彼女は肌もきめ細かくて、よく手入れされているのがよく判った。毎日、女官に時間をかけて化粧されているのだろう、こんな朝早くなのに完璧に仕上がっている。ぽってりと小づくりな唇には、綺麗に紅が乗っていた。
下品にならない程度に身体の曲線を見せる薄い衣装。すでに密着と言ってもいいくらい近いので、布越しに体温までが伝わってきそうだ。漂う甘い香りは、まるで目には見えない力で獲物を引きつけ、今にも捕えようとしているようだった。
サンティ嬢は確かに美人だ。女性としての魅力もふんだんに持ち合わせている。大抵の男は、こうして誘惑してこられたら、すぐさま落ちるかもしれない。
……しかし、肝心なものが欠けている。
非常に残念なことに、彼女はそれを、まったく自覚していない。この先もきっと、気づかないままだろう。
サンティ嬢にはなくて、クーにはあるもの。
「申し訳ないのですが」
キリクは優しく笑いかけながらそう言って、彼女の手の下から自分の手を引き抜いた。それと同時に、一歩下がって距離を取る。
こちらに向けられた目が、驚くように大きく見開かれた。
「僕は今の状態にこれ以上なく満足しているので、お気遣いには及びません」
「な……なんですって?」
今度はちゃんと聞こえたようで、サンティ嬢は唖然とした。
それと共に、一分の隙もないくらいに作り上げられた顔も崩れた。目を瞠り、口を半開きにしたその顔からは、もはや色気も艶やかさも、男の庇護欲をそそろうとする演技も、ぽろぽろと剥がれ落ちている。中身の伴っていない美しさなど、所詮その程度のものだということだ。
外面を覆う殻にひびが入って、その割れ目の下から醜悪さが覗いた時、すべてが台無しになる。
「僕の神女は、クーだけです。それ以外の神女候補に仕える気など、毛頭ありません。たとえ司教に命じられようとも。──それに僕は、あなたという人物に、まったく興味を持っていませんしね」
にこっと笑いながらそう言いきると、サンティ嬢は驚愕し、信じられないものを見る目になった。自分の目の前にいる男が、いきなり得体の知れない化け物にでもなったかのような顔だ。
「そ……そんな、負け惜しみ……」
「何をもって勝敗を決めているのか判りかねますが、僕はクー付きの衛士になれて、心から喜んでいますよ。それはきっと、もう一人の衛士も同様でしょう。ですから、その申し出は受けられません。お話がお済みなら、そろそろ神殿に戻られたほうがよろしいと思いますね。僕たちは僕たちの敬愛する神女のもとに一刻も早く行かねばなりませんので、これで失礼します」
言うだけ言うと、軽く一礼し、踵を返した。
後ろで硬直しているカイトに合図して、神殿へと足を向ける。引き留める声はかからず、サンティ嬢はその場で放心したように立ち尽くしていた。
早足になって追いついてきたカイトが、「いいのかよ」と心配そうに声を潜めて訊ねてくる。ん? と顔を動かしてそちらを見た。
「何がだい?」
「あそこまではっきり言っちゃって。プライドを粉砕されて、きっと怒るぞ」
「だってはっきり言わないと通じないタイプだったから。それにあれ以上ぴったりくっつかれたら、あのきつい香水で鼻が利かなくなる」
「うん、今にもあの場でおまえが押し倒されるんじゃないかと、見ていてヒヤヒヤした」
「まったく女性っていうのは怖いよね」
「俺は、あの優しげな笑顔のまま、『あんたなんて興味ない』ってすっぱり言いきるキリクのほうが怖い」
「君も断り方の一つとして、覚えておいたほうがいいよ。相手によっては、婉曲な言い方はかえって逆効果だからね。カイトの場合、女性に泣きつかれて言い寄られた挙げ句、『付き合ってくれなきゃ死ぬ』とでも脅されたら、断れずそのまま成り行きで結婚して子だくさんの父親になりそうだ」
「やめろ、怖い」
何を想像したのか、カイトは本当に恐ろしげに身震いした。
「なによ!」
その時、後ろから大きな声が響き渡った。
カイトが首を縮め、神殿入り口前で警護をしている衛士が、ぎょっとしたように目を丸くする。キリクは微笑を揺らしもせず、立ち止まりかけたカイトの背中を押して、足を動かし続けた。
「そんなはずないわよ! あんなちっぽけで貧相な棄民のほうがいいなんて! あんなのより、わたくしのほうがずっと美しいんだから! やせ我慢するんじゃないわよ!」
今までとは打って変わった甲高く鋭い声で、サンティ嬢は「腰抜け」と罵り、非難した。
その言葉を出す時の彼女の赤く彩られた唇が、どれだけ無残に歪んでいるか、キリクには見なくても判る。しかし本人には判らない。いっそ哀れを覚えるほどだった。
カイトは再び、いいのか? と問いかけるような顔でこちらを見てきたが、キリクは肩を竦めただけでそれを受け流した。カイトの顔には、どちらかというと、サンティ嬢への同情のようなものが見える。これだから、お人よしだというのだ。
そのまま階段を上って神殿の入り口に到達した。大きな正面扉は開放されている。
その扉の陰に、一人の人物が立っていた。
モリス嬢だ。
彼女は青い顔で、じっとキリクたちの向こうを見据えている。
何を見ているのかと、ようやく後ろを振り返り、合点がいった。
今の今までキリクに向かって罵声を浴びせていたサンティ嬢が、またころりと態度を変えて、しおらしい風情で泣いている。正確に言うと、泣いているように見せるため、頬に手を当て、首を優雅な角度で曲げている。
なぜそんなことをしているのかと言えば、彼女の手元に、新しい獲物が転がり込んできたからだ。
二人の衛士が、今にもその肩に手を置かんばかりの距離に立ち、彼女に声をかけていた。代わる代わる口を開いているのは、懸命に慰めの言葉を出しているらしい。
その目には、あからさまな好意と崇拝と下心が、複雑な割合で混じって現れている。
──彼らは、モリス嬢付きの衛士だ。
二人は、自分が仕えている神女候補が階段の上からじっと見つめていることなんて気づきもせずに、口を揃えてサンティ嬢を賛美し、誉めそやしていた。
でれでれと垂れ下がった目や、しまりのない口許は、露骨すぎてこちらのほうが恥ずかしくなるくらいだった。彼らの目には、萎れきって男の支えを必要としている、目の前の美女しか映っていないのだろう。
それをモリス嬢は見ている。
クーに「おどおど」という名前をつけられたモリス嬢は、普段は気弱な雰囲気の、大人しそうな娘である。
神民の神女候補の中では最も下位であるという理由からか、それとも、これといった取り柄らしきものがないという自信のなさゆえか、いつも他の三人におもねるように調子を合わせ、卑屈な印象を与えてしまうほどに、下から見上げるばかりの神女候補。
位階もない、賢さもない、美しさもない。
クーのように、何を言われても、どんな目で見られても、堂々としていられるような強さもない。
その彼女が今、蒼白になり、下唇をぎゅっと噛みしめ、目許を引き攣らせてサンティ嬢と二人の衛士を凝視している。
サンティ嬢が少し微笑みかけただけで、だらしなく有頂天になる自分の衛士を。
それを見せつけられるだけでも屈辱だろうに、もっと悪いのは、衛士たちは気づいていないのに、サンティ嬢はモリス嬢がそこにいると気づいていたことだ。
彼女の視線が、立ち竦むモリス嬢に向けられる。
嘲るように唇の端が上がった。
声にも言葉にもなっていなくとも、いいやそれらがないからこそ余計に、その優越感と勝利宣言と侮蔑は、モリス嬢の心に直角に突き刺さっただろう。
モリス嬢がさらに強く拳を握り締めた。
キリクにぺしゃんこに踏み潰されたプライドを、ここで取り返そうとでもするかのように、サンティ嬢はひときわ大きく声を張り上げた。
「お優しいのね、あなたたち。ああ、お二人がわたくしの衛士だったら、どんなによかったでしょう」
媚びを含んだその目つきと声に、二人の衛士は呆気ないくらい簡単に陥落した。
「それはもちろん、私どももそうであったらどれほど幸いであったか」
「先に水晶があなたを示していたら、他の者を蹴倒してでもそちらにお迎えに上がりましたのに。最後であったとは、なんたる不運。あなたのように美しい神女が現れると知らなかったものだから、あんな──」
ハズレを掴まされた。
衛士の一人は、笑ってそう言った。
モリス嬢の顔は、青いのを通り越し、もはや白っぽくなっている。
カイトはそちらとあちらを交互に見て、あの馬鹿な衛士たちに教えてやったほうがいいのか、それともここは知らんぷりを通したほうがいっそ親切なのか、迷うような顔をした。
「まあ、棄民よりはずっとマシですが」
「あんなもの、比べるのも阿呆らしい。なに、そう遠くないうちに、間違いは正されますとも。神女を騙った娘にもその二人の衛士にも、女神リリアナの神罰が下されるでしょう。その時にとばっちりを食わないように、我々はやつらと関わりにならないことです」
「あら」
サンティ嬢は、そこで急に、得心がいったかのように晴れ晴れとした声を上げた。
「そう──そうね、きっとあの人も、そういうつもりであんなことを言ったのだわ。いずれ女神の怒りを受ける身だと判っていて、わたくしを巻き込みたくなかったのね」
ああ、わたくしの美しさって罪作り……とでも言うように、ため息をつく。
そうきたか、とキリクはとうとう噴き出してしまった。
「あそこまで自分勝手に解釈するとは、その精神構造を少し尊敬してしまいそうだよ」
「俺は怖い」
カイトは完全に腰が引けている。
扉のほうに目を戻すと、もうモリス嬢の姿はなくなっていた。部屋に戻ったのだろう。
これからあの衛士二人にどんな態度で接するのか少々興味があるな、と呟くと、カイトに悪趣味だと叱られた。モリス嬢が駆けていっただろう廊下の先に目をやる彼は、苦い表情を浮かべている。
「……サンティ嬢っていうのは、美人だけどさ」
そちらに顔を向けたまま、ぼそりとした調子で言った。
「綺麗では、ないな」
それはかなりサンティ嬢に甘い言い方だなと思ったが、否定するつもりはこれっぽっちもなかったので、「そうだね」と同意した。
まだ盛り上がっている三人に、くるりと背を向ける。
「さあ、僕らの神女がお待ちかねだよ。早く行こう」
***
居室の扉を開けると、クーが両腕を上に伸ばした姿勢でこちらを向いた。
「おはよう、カイト、キリク」
どうやら途中だったらしく、言い終えた途端、そのまま口を開けて大きな欠伸をする。
「こら、行儀が悪い」
注意しながら、カイトが笑った。いつも通りのクーを見てホッとしたのだろうな、という気持ちは、キリクにもよく判る。
「寝不足かい?」
「んー、ちょっと夜遅くまで本を読んでた」
その返事が少し意外で、目を瞬く。最近、あれこれと関心を示して本を広げることが多くなったのは知っているが、寝不足になるまで取り組んでいたとは驚きだ。
今まで閉じこもっていた狭い世界から、一歩を踏み出してみるのもいいかなと思った──というあの言葉は、彼女なりに生半可な気持ちで出されたものではなかった、ということか。
サンティ嬢のように事実のほうを捻じ曲げることなく、モリス嬢のように目の前にあるものから逃げもしない。
ちゃんと自分の目で見て耳で聞き、受け止めようとしている。
こちらが思うほど、クーは子供ではないし、幼くもない。
「勉強熱心なのはいいけど、ほどほどにね」
「うん。なんか、外が騒がしいようだったけど、何かあった?」
「さあ。僕らは知らないな」
しれっとそう言うと、クーは「ふーん」とキリクではなくカイトを見た。カイトは目を逸らしている。
「……ま、いいや。それよりも、今日は」
言いかけたところで、扉がノックされた。カイトが歩いて行って、扉を開ける。
そこには、長細い帽子を被り、白い衣服に身を包んだ神官が立っていた。
「神女候補と、衛士二人、お揃いですか」
と恭しい口調で述べて、ざっと室内を見回す。
「司教様より、神女候補にお伝えすることがございます。司教様はご多忙のため、私が代わりに参りました」
「伝えること?」
カイトが表情を固くしたのは、さっきのサンティ嬢と衛士たちのやり取りが頭に残っていたからだろう。
神官はゆっくりと頷き、口を開いた。
「ソブラ教皇とのご対面の日取りが決定いたしました。神女候補の皆様には、心を平らかにして粛々とその時をお待ちになるように、との仰せにございます」
それを聞いて、クーが唇をまっすぐに結び、カイトが顔つきを引き締める。
いよいよ、第二幕のはじまりか──と、キリクは心の中で呟いた。