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招かれざる神女(旧「5th」)  作者: 雨咲はな
Ⅴ.彷徨える民
20/50



 クリスタルパレス内では一応それなりに秩序だって進んでいた馬車の群れは、門を出た途端、列を崩して一斉に速度を上げはじめた。

 朝の大行列に加わる馬車は、扱う品物こそ異なるが、どれも商人が所有するものである。パレス内に出入り出来るのだから、どこも大きな店構えのところに違いない。しかしやはり商売人だけあって、朝の慌ただしい時間を一刻も無駄にしたくないというのは、彼ら全員の共通認識であるらしかった。

 ガラガラという車輪の廻る音が一気に大きくなる。カイトはなんとか隙間を見つけて前に出ようと試みたが、それぞれの馬車が道を塞ぐようにして並走するものだから、思う通りに馬を進ませることは非常に困難だった。


「くそ……!」

 もどかしくて、思わず罵り言葉が口をついて出る。


 目当ての馬車はほんの数台前にあるはずだ。しかし、他の馬車が視界を遮るようにして走っているので、はっきりとした位置を確認することが出来ない。せめてもう少し幅が空いていれば強引に突っ切って行けるのに、馬車と馬車はいつぶつかってもおかしくないくらいに互いの距離を寄せていて、馬どころか人一人も通れない有様だった。

 他の者には後れを取りたくない、他の誰かよりも先に行きたい、という商魂がそうさせるのか。方向転換して別の道を行きたくとも、後ろからも続々と馬車が押し寄せてくるので、それも不可能だ。

 パレスからはどんどん離れていくものの、目指す馬車にはちっとも辿り着けない。濁流に呑み込まれるようにして神都の通りを馬で駆けながら、カイトは歯噛みをした。



 ……あの男は一体、何者なのか。

 神都の病院、そしてクリスタルパレス。どちらも、普通だったら、棄民が決して入ることなど出来ない場所だ。

 そこに混ざり込んでいるというだけでも異常なのに、あの人を喰ったような平然とした顔と態度。想像以上に一筋縄ではいかない相手なのではないか、と背中がひやりとする。

 本当に棄民かどうかも、今となっては判然としない。唐突な襲撃の不可解さといい、言動のいちいちが胡散臭いところといい、どう考えても、キリクが言うような、「腕試しをしたいだけの無鉄砲な若者」であるとは思えない。おそらくもっと深いところに、事情と理由が隠されている。


 ──その事情と理由がさっぱり判らないから、カイトの切迫感も増す一方なのだ。


 あの時、男には、攻撃の意志はあったが、殺気は感じられなかった。とはいえ、こちらが少しでも油断すれは、遠慮なく喉笛に喰らいついてきそうな、得体の知れない不気味さも孕んでいた。

 クーが神女候補だと知って狙いをつけてきたのなら、もっと他にいくらでもやりようはあったはず。かといって、カイトを倒して屈服させることが最終的な目標であったようにも見えなかった。

 あの時の男は、まるで……そう、まるで、こちらを測り、見定めようとでもしていたかのような。



 あいつの目的はなんだ?



           ***



 喧しい車輪の音と共に、しばらくその競争のような行列は続いたが、クリスタルパレスから遠ざかるに従い、徐々に馬車の数が少なくなっていった。

 一台また一台と、神都内にある自分の店へと戻るため、あちらの道、こちらの道へと分かれ、離れていく。カイトは目を皿のようにしてそれらの馬車を見ていたが、正直、どれも同じような型、同じような大きさのものばかりで、ほとんど見分けがつかなかった。後方からは御台が見えないため、確認のしようもない。

 ……だとしたら、ここはもう、自分の勘に賭けるしかないではないか。

 視界が開けて、前方を行く一台の馬車に目星をつけた。馬の腹を蹴って、距離を詰める。もしも違っていたら、すぐにまた別の馬車に目標を切り替えなければならない。カイトの急く気持ちが伝わるのか、馬の速度もぐんと増した。

 蹄の音を勢いよく鳴らし、砂塵を巻き上げながら走る馬車めがけて疾走する。ようやくその後部まで追いつき、御台に座る人物の姿が、あともう少しで見える──というところで。


 「あっ!」と、子供の叫び声が聞こえた。


 流れる景色の中、カイトの目は、斜め前方の路上にしゃがみ込む幼い男の子の姿を捉えた。

 通り沿いには建物が並んでいるが、この時間帯は馬車が次々に走って危険だと知っているのか、人の姿はまったくなかったのに。どうしてこんなところを、子供が歩いているのだ。

 男の子は馬車に跳ね飛ばされたわけではなさそうだったが、足を押さえてうずくまっていた。そこに、もう少し年上らしい女の子が慌てた様子で駆け寄って、男の子を庇うように両腕で抱え込んだ。

 後方からもまだ馬車は走ってくる。しかも、暴走に近いスピードだ。下手をしたら、本当に二人とも轢かれてしまう。


「…………」

 カイトは彼らを見てから、すぐ前を進む馬車に視線を移した。


 馬車は速度を緩める気配もなく、そのまま車輪を廻して走っていく。倒れた子供に気づかないのか、あるいは気づいていても止まるつもりがないのか。

 実際、この馬車に、探している男が乗っているのかどうか、カイトには確信が持てていない。

 しかし、もしも本当に男が乗っていたとしたら、ここで追うのを止めれば、カイトは再びむざむざと奴を逃がすことになる。一度ならず、二度までも。こちらを振り回して楽しむように、すぐ目の前を走り抜けていったあの男を。

 だが──


「ああ、くそ!」

 唸るように怒鳴って、カイトはぐっと手綱を引いた。


 甲高いいななきを上げて、馬が前脚を高く振り上げ急停止する。その勢いに驚いたのか、二人の子供はビクッと怯えるように背中を縮めて丸くなった。

 馬から飛び降りたカイトがそちらに走って近づいていくと、今度は真っ青になった。

 その二人を引きずるようにして建物沿いまで連れて行き、避難させる。そうしている間にも、何台もの馬車が自分たちの横を駆け抜けていった。まったく、傍若無人もいいところだ。

「どうした、大丈夫か? ひょっとして、体のどこかを馬車にぶつけたか?」

 カイトが声をかけても、子供たちはぶるぶると震えたまま、動きを止めて固くなっている。

 目をこぼれんばかりに大きく見開いている女の子は、十二、三歳といったところ。彼女に抱かれ、ギュッとしがみついている男の子は、それよりも二つか三つ、年下に見えた。


 姉弟だろうか。着ているものからして、まず間違いなく棄民だ。


「足が痛いのか?」

 カイトとしてはなるべく穏やかな声を出しているつもりなのだが、二人はこちらを見上げて、うんでもすんでもなく青い顔でガタガタと震えているばかりである。すっかり怖がられてしまったらしい。

 ……俺はそんなに、おっかない顔をしてるかね。

 ここにキリクがいたらなあ、と若干情けないことを思いながら、片膝をついて男の子の足を見る。膝から血が出ているのと、腕に大きな擦り傷がついている以外は、特に目立った外傷はなさそうだと判断して、少しホッとした。

「立てるか?」

 男の子に向かって問いかける。

 そこでようやく我に返ったらしい女の子のほうが、はっとしたように急いで居ずまいを正し、地面に手をついてぺったりと上半身を伏せた。


「も、申し訳ございません! お見苦しいところを……!」


 その大仰すぎる反応に、驚いたのはカイトのほうだ。目を白黒させながら、女の子を見返す。

 地面に揃えて置かれた小さな両手が、ぶるぶると小刻みに震えていた。それに気づき、なんともいえない苦い気持ちになって、口を引き結ぶ。

「やめな、手が汚れちまうだろう。こっちの子は、おまえの弟か?」

「は、はい! 決して、わざと馬車の邪魔をしようとしたのではないんです! いつも言われている通り、ちゃんと気をつけて、道の隅っこを歩いていたんです! でも少し、ふらついてしまって……ど、どうかお許しを! 罰なら、あたしが弟の代わりにいくらでも受けますから!」

「…………」


 その短い言葉を聞いただけでも、この二人が普段、周囲にどう扱われているのか十分推測できた。

 ……神都で働く棄民のほとんどは、常に神民から頭を押さえつけられながら生きている。


 ますます重苦しいものが腹の底から込み上げてくる。それを払うように一度頭を振ると、カイトは男の子の膝に手早く布を巻きつけてから、腕に抱いて立ち上がった。

 男の子が目を瞠り、女の子が蒼白になった顔を上げる。

「安心しろ、取って食ったりしない。馬車にぶつかったわけではないんだな?」

「は、はい……あの、びっくりして、慌てて避けたら、転んでしまって……」

 姉のほうとは違い、男の子の声は、消え入りそうなほどに小さかった。

 怯えている、ということもあろうが、声を張り上げるほどの体力もないのだろう。抱き上げた男の子の身体は、おそろしく軽かった。ふらついた原因は、あまり食べていないか、あるいは弱っているかだ。顔色が悪いのも、恐怖のせいばかりではないらしい。


「家まで送っていくよ。二人とも、馬に乗りな」


 カイトの申し出に、姉弟は揃って血の気を失くした。青いのを通り越して、白っぽくなっている。今にも二人してぱたりと倒れてしまいそうで気が気ではないが、どう言えば彼らを安心させてやることが出来るのか、カイトには思いつかなかった。

「と、と、とんでもないです! あの、本当に、申し訳ございませんでした、神民の方のお目障りになるような……」

「俺は神民籍に入っちゃいるが、半民だ。あの馬車に驚いて怪我をしたっていうなら、俺にも責任があるかもしれない。せめて、治療くらいはさせてくれ」

 カイトはぶっきらぼうにそう言うと、二人をひょいひょいと持ち上げて馬の鞍に乗せた。



          ***



 子供たちは、姉がリツ、弟がナギと名乗った。

 泣きそうになって「すみませんすみません」と謝ってばかりのリツから、苦労して聞き出した二人の家は、神都のはずれのほうにあった。小さくつましい家だったが、周りはどれも似たようなもので、それらの家々が互いの身を寄せ合うようにして建っている。

 きっと、これらの家に住んでいるのは、同じく神都で働く棄民ばかりなのだろう。

 姉弟はその家に、父母と暮らしていた。両親は神民の邸で下働きをして、生計を立てているという。二人の子供は雇われているわけではないが、父母の勤め先であるお邸に毎朝一緒に出向き、あれこれと仕事の手伝いをしている、とリツはぽつぽつと話した。

 しかし、あくまでも使用人は二人の両親だけであるから、リツとナギはどれだけ汗だくになって働いても、給金などというものは出ない。当然、食事も出ないので、両親から少しずつ分けてもらうか、我慢をするしかない。空腹で頭がぼうっとしていた弟のナギは、ふらふらと通りの真ん中に出てしまい、向かってくる馬車に気づくのが遅れたらしい。


「あのあたりに、おまえたちの父さんと母さんが勤める邸があるのか?」

「はい」


 ナギを椅子に座らせ、傷の手当てをしてやりながらカイトが訊ねると、姉のリツが固い顔と声で答えた。

 そちらも椅子に座らせてやったのだが、まだ緊張しているのか、背筋がぴしゃんと伸びたままだ。


「しかし、ここから徒歩だと、ずいぶん遠いだろう」

「はい。……あ、あの、いえ、そんなことないです。お日様が出る前に家を出たら、ちゃんと時間に間に合いますから。このあたりに住んでいて、もっと遠くまで行かなきゃならない人は、たくさんいます。だからウチはまだいいねえって、母さんも言ってました」

「……そうか」


 神都で働く棄民は、大体こうして端のほうに追いやられるようにして暮らしているか、邸の中の小部屋を与えられて朝から晩までこき使われるか、そのどちらかだ。境界警備隊に在籍していた時、カイトもこういう棄民たちをよく見かけた。

 神都と棄民の街の中間地点にいる彼らは、どこかしら、そのどちらにも遠慮するように、ひっそりと生活していることが多い。


「ナギ、他に痛いところは? 転んだ時に頭を打ったとか、そういうことはないか?」

「あ、は、はい。ない、です」

 ナギは少し内気なところがあるようで、姉のほうに目をやって、もじもじしていた。棄民の街でカイトたちを騙して、まんまと金を巻き上げたクーのことを思い出し、あの図太いところを見せてやりたいなあ、と心の中で思う。


 手足が細いところや、頼りないまでに痩せているところは、よく似ているが。


「そういや、腹が減ったな」

 独り言のように呟くと、俯きがちだったナギが、ぴくっと顔を上げた。

「リツ、悪いが、ちょっとお使いに行ってくれるか」

 言いながら、銀貨を取り出して、リツの小さな掌に乗せる。少女の目が、鈍い輝きを発する硬貨に釘付けになった。

「これで買えるだけ、食い物を買ってきてくれ。なにしろ俺はよく食うからな、たくさんだぞ。リツの両手に抱えきれないくらい、いっぱいだ」

「え……え、と、あの、どんなものを」

「俺はこのあたりの店に詳しくないから、任せるよ。リツのほうが詳しいだろ? リツが旨そうに思えるもの、リツとナギが好きなものがいいな。それだったらきっと間違いない」

「……で、でも」

 リツは銀貨を見つめたまま、身動きしない。

 しばらく無言で何かを考えていたが、ふいに眉を上げて、まっすぐカイトに視線を向けた。



「これは、施しですか。でしたらあたし、受け取れません。どんなに貧しくても、物乞いみたいなことはしちゃダメだって、母さんがいつも言ってます。他人の憐れみを受けたらいけない、それはもっと自分を惨めにさせることだからって」



 今までとは打って変わったきっぱりとした口調で言われ、カイトは困って両眉を下げた。

 どうもこのリツという少女は、クーに似たところがある。最近になって気づいたが、自分はこの手の人間に、ものすごく弱い。

「そういうわけじゃないんだ。気を悪くさせたなら、謝るよ。ただ、さっきも言ったけど、ナギが怪我をしたのは、俺にも責任があることかもしれないんでね。その詫びのつもりもある、って言ったらダメか?」

「どうしてカイトさまが気になさる必要があるのか、わかりません」

「さま、ってのはやめてくれよ。俺は半民だって言ったろ?」

「でも、位階があって、神民として、神都に住んでおられるんでしょう?」

 リツの目には、はっきりと、「だからあんたは自分たちの仲間ではない」と書いてあった。


 神都の中にいる棄民は、クーと違って、ちゃんと「半民」の意味も、その立場も理解している。しかしそれでも、彼らから見れば、カイトはれっきとした神民としか映らない。最下位にあっても、神民としての権利は得ているのだから、当然のことだろう。

 確かにカイトはこの二人のように、ひもじさに喘いだ経験はない。神民籍に入っているおかげで、得られたものは多くある。神都と父親のお情けに縋っていることは判っていたが、そうしなければ生きていけなかったのだ。

 もちろん、惨めだった。けれど、母親がただ一つこの世に置いていった命を、簡単に捨てることも出来なかった。

 そんなカイトを神民は浅ましいと見下し、棄民は卑怯だと軽蔑する。

 リツが自分に向ける目は、昨日、マレが自分に向けたものとよく似ていた。


「……だったら、こう言えばいいか?」

 カイトの声が低くなる。口元の笑いも消すと、リツがびくっと肩を揺らし、怯えた顔で半歩後ずさった。

 子供を怖がらせるなんて、いい大人がやることではないなと、内心で自嘲した。


 でも、嫌われて拒絶されるのは慣れっこだ。

 こんな小さな子供にまで差し出した手を撥ねつけられたって、今さらなんとも思わない。

 棄民にも神民にもなれない半民に、行き場などない。そんなことは、もうとっくに知っている。


「誇りを持つのは結構なことだが、そんな台詞は、それに見合った力をつけてから口に出すんだな。実際のところ、おまえも、おまえの親も、ナギのことを守りきれていない。このままだと間違いなく、ナギは倒れるか病気になって、もっと困ったことになるぞ。その時、一家揃って共倒れになりたいのか。ナギを助けたいのなら、そして自分たちも助かりたいのなら、自尊心なんてものは少しの間だけ戸棚の中にでもしまっておけ。そうしておいても、別に腐りゃしない。施しだろうがなんだろうが、おまえは今、その金を受け取るべきだ。そうだろう?」


 冷たい声音で突き放すように言うと、リツは青い顔でその場に立ち尽くした。

 カイトに向けていた目を、手の中の硬貨に向ける。ぎゅっと唇を噛みしめたと思ったら、くるりとこちらに背中を向け、乱暴に扉を開けて外へと走っていった。

 バタバタと遠くなる足音を耳に入れて、カイトは息を吐き出した。すぐ前に座っているナギに顔を向け、苦笑する。

「すまん。おまえの姉ちゃんを怒らせた」

 ナギは何度か目をぱちぱちと瞬いてから、ふるりと首を振って、弱々しく笑った。この子供がカイトとちゃんと目を合わせるのは、これがはじめてだ。

「……ううん、こちらこそ、ごめんなさい。お姉ちゃん、時々、ものすごく頑固になることがあるんだ。きっと、母さんに似たんだね」

 静かな口調で、カイトに向かって謝る。その表情からはもう、びくびくしたところは消えていた。

 二人のやり取りを見ていて、子供は子供なりに、何か思うところがあったらしい。

「おまえの母さんも、気が強いか」

「うん、すごくね。父さんなんて、よく怒られて、しょんぼりしてるよ」

「大変だなあ」

 しみじみと姉弟の父親に同情する。なんだか、やけに他人事ではないような気がした。

「……あの、カイト、さん」

 ナギがおそるおそるというように、上目遣いでこちらを見上げた。

「ん?」

「あの……ダメなら、いいんだけど……もしよかったら、それ、少しだけ触ってもいい?」

 指で示された先にあるものを自分も見やって、つい笑ってしまった。

「いいよ。でも危ないから、抜くのは勘弁な」


 腰の剣を鞘ごと外して、ナギに持たせてやる。


 両手で捧げるようにしてそれを持ち上げた子供は、興奮のためか、血色の良くない頬をほんのりと赤く染めた。たぶん、こんな近くで見たのも、触ったのも、今までに一度もなかっただろう。

「お、重いね……」

「そうだろ。おまえの場合、もうちょっと筋肉をつけないと、振ることも出来なさそうだな」

「うん……」

 剣に目を向けながら、ナギがぼんやりと呟く。

 ややあって、ぽつりと小さな声で言った。

「──あのね、僕、大きくなったら、国境警備隊に入りたいんだ」

「うん、そうか」

 カイトは子供のその夢について、否定も肯定もせず、ただ頷いた。



 国境警備隊は、神都を守る境界警備隊とは違い、隊員のほとんどが棄民で構成されている。

 しかし上官は神民のみと決められているため、いざ隣国との間で戦争でも起これば、棄民ばかりの下っ端隊員は、使い捨ての駒のように扱われるだろう。

 それでも、棄民の子供や若者にとって、国境警備隊は憧れの職業だ。なぜならそこだけが唯一、棄民でも武器を持つことが許されているところだからである。

 カイトも最初はそちらに入ろうとしたが、「一応」神民なのだから入隊すれば上官に据えねばならず、だからといって半民をそんな地位につけるわけにはいかない、と断られたのだった。それでやむなく入った境界警備隊で、結局、同じような悶着が起きてしまったのだが。

 当時の隊長に、「だから半民なんて入れるんじゃなかった」と吐き捨てるように言われた時の、自分の存在が覚束なくなるような感覚を、今でもよく覚えている。

 ……だったら「半分の」自分は、一体どこに行けばいいというのだ。



「頑張って強くなって、たくさんお金を稼いで、お姉ちゃんと父さん母さんを楽にさせてあげるんだ。──その時になったら、カイトさんにも、ちゃんと今日のお礼とお返しをするからね」

 だから、今回のことは施されたわけではではなく、ただの借りだと、そう言いたいらしい。ナギのその言葉に、カイトはちょっと笑った。


 この子供もまた、小さく細く頼りなくとも、ちゃんと自分に誇りを持っている。


「わかった、待ってるよ。……じゃあ、俺、行くな」

「え」

 自分の剣を受け取り、立ち上がったカイトを、ナギはぽかんとした顔で見た。

「用事を思い出した。姉ちゃんが帰ってきたら、悪かったって伝えてくれ。買ってきたものは、俺の代わりに食っておいてくれな」

「カイトさん」

「じゃあな。元気で」

 子供の頭に手を置いて、くしゃりと掻き回してから、カイトはその家を出た。

 外で待たせておいた黒馬に飛び乗る。

 今になってはもう男の行方を捜すのも馬鹿馬鹿しい。大体、多少聞き込んだところで、簡単に見つかるような人物だとも思えないし。

 クリスタルパレスに戻ってから、クーとキリクにこの件を報告して、今後のことを考えよう。


 馬を走らせ、向かい風を受けながら、どこか遠くに向けるようにして目を眇めた。

 おまえはおまえ自身にもっと誇りを持ったらどうだ、と自分を叱りつけた声が脳裏に蘇る。



 ──でもそれは、俺にはとてつもなく難しいことなんだよ、クー。





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