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招かれざる神女(旧「5th」)  作者: 雨咲はな
Ⅴ.彷徨える民
19/50



 部屋に戻ると、扉の前で神殿付き女官のマレが待機していた。

 今クーが着ている薄いドレスは、神殿が用意したものである。それを朝ここに届けて、着付けの手伝いをし、クーの髪を上品な形に結い上げたのは彼女だ。これからまた着替えのための人手が要るからと、待っていてくれたのだろう。

「ありがとう、マレ。さあクー、早いうちに着替えてこいよ」

「頼むね」

 マレは、礼を言ったカイトのほうには一瞥をくれただけで返事をしなかったが、キリクの言葉には「承知しました」と頭を下げて、クーの後に続いて室内に入った。

 その女官が自分に対して無反応なのはいつものことなので、カイトは別に気にしない。部屋の中で、彼女がクーとどのように向き合っているのかは少し気になるが、どうしても女手が必要な時というのは確かにあるのだから、今はありがたいと思う気持ちのほうが勝っている。


「キリクは一体どうやって、あの女官を口説き落としたんだ?」


 カイトにしても、あのマレという女官が、クーや自分に対して、決していい感情を抱いていないということくらいは理解している。彼女だけが特別なのではなく、この神殿内にいる者の大半は、自分たちの聖域を穢されたかのような目で棄民と半民を見ているものだ。

 他の女官、衛士、神女候補たちと同じように、マレもクーを見ればその洗練された顔を歪めずにはいられないタイプであろうことは見て取れた。それなのに、彼女は自らクーの世話係を買って出て、実際に事あるごとにきちんと役割を果たしてくれている。

 カイトは彼女を勧誘したキリクの手腕に本気で驚愕したし、正直、どういう持っていき方をすればそんなことが出来るのか、未だに判らない。


「それは秘密」

 いつものように、キリクはにっこり笑ってカイトの疑問を受け流した。


「おまえがその笑顔で頼みごとをすれば、女はなんでも首を縦に振っちゃうのか」

「言葉の端々に棘を感じるのは気のせいかなあ。僕は誠心誠意お願いしただけだよ」

「すべてのことに誠心誠意が通じたら、この世に泣く男はいなくなるぞ」

「女の子にモテるためには、その上に、優しさと、気遣いと、言葉選びのセンスと、気前の良さと、ちょっぴりの嘘と、恥を捨てる覚悟が必要かもね」

「百人の兵を倒せと命令されるほうが、ずっと簡単そうだ」

「カイトだって、多少の技術を習得すれば、いくらでも女の子が群がってくるようになるさ。僕が伝授してあげようか?」

「いっそ死ねと言ってくれ」


 クーの着替えを待つ間、軽口を叩き合って、二人で笑う。自分たちが立つ神殿内の廊下は静けさと余所余所しさに満ちていて、陽気な笑い声さえもすぐに吸収してしまいそうだった。

 神女候補たちがいるはずの他の部屋もすべて扉が閉められて、口を引き結んだ衛士がその前で番人よろしく立っているだけだ。

 どこからも声が漏れてくることはなく、それぞれの神女候補たちの衛士らも、無表情で見張りに徹している。彼らはどうやら、その部屋に立ち入ることは許されていないらしい。


 気軽にクーの部屋に出入りして、三人でお喋りしたり茶を飲んだりしている自分たちのほうが異質、ということか。


「……どうすれば、キリクみたいに」

 見るともなしに他の衛士らのほうを見ながら、ぼそりと呟きかけた言葉は、外に出てしまう前に喉の奥へと戻った。

「なんだい?」

 耳ざといキリクが首を傾げたが、カイトは曖昧に笑って首を振った。

「そういえば、昨日、衛士舎でさ」

 別の話題に舵を切り替えて話し出すと、キリクはほんの少し黙ってカイトの顔を見てから、すぐに微笑んでゆるやかに相槌を打ちはじめた。

 必要以上に踏み込まず、こちらの欺瞞に気づいたとしても、黙ってさりげなく許容する。度量があって、芯が通っている。キリクは本当に、よく出来た人間だった。


 ……中途半端にフラフラしている自分とは違う。


 病院でいきなり襲いかかってきた、頬に傷のある男に言われた言葉が、カイトの頭の中をぐるぐると廻っていた。



          ***



 しばらくして、扉が開いた。

「──済みました」

 扉と壁の間から顔を覗かせたマレが、ひっそりとした声音で告げる。その後ろから、クーの「待たせたな、早く入れよ」という声がした。

 その言葉に従って扉を大きく開け、キリクと共に足を踏み入れる。マレは身を引いて二人を室内に入れたが、はっきりと顔をしかめていた。

 すでにこういうのが当たり前になってしまったカイトたちと違い、彼女にとってその行動は、自分の立場というものを弁えない、不躾で無遠慮なものに映るらしい。

 ……そうか、なるほど。

 先程の司教との対面を思い出してから、自らを省みて、確かにマレの非難ももっともだと納得した。



 出会いが出会いだっただけに、これまでまるで保護者のようにクーに接してきてしまったが、よく考えずとも、それは神女候補に仕える衛士としては、あまりにも礼を失した態度だったのかもしれない。

 司教も言っていたように、神女候補たちは皆、この国にとってなくてはならぬ貴重な存在である。

 ──自分の言動も、そろそろ改めなければならないのではないか。



「どうだい、クー。落ち着いた? 気の張る場所で、疲れただろう」

 カイトが今さらなことを考えている間に、キリクはさっさとクーの近くに寄って、労わりの言葉をかけてやっていた。出遅れた上に、自分がどうすべきなのかがよく判らなくなってしまったカイトは、戸惑ったまま、その場に突っ立っているしかない。

「平気だよ、あれくらい。キリクたちのほうが疲れただろ、ずっと立ったままだったんだから。早く座ったら?」

 普段着に着替えたクーが、当然のように自分の前の椅子を指して勧めるので、ますます困惑する。

 いつもだったら、すぐに腰を落ち着けて、はじめて対面した司教に対する印象などを、くだけた口調で訊ねてみるところだ。しかし……


「それでは、わたくしはこれで下がらせていただきます」


 どうするかなと迷っていたら、開いたままの扉の前に立つマレが、宣言するかのように言った。いかにも、この場から早く解放してくれと言わんばかりの声と表情だ。曲げた腕には、今しがたまでクーが着ていた衣装が掛けられている。

「ああ、ご苦労様、マレ」

「……手伝わせて、悪かったな」

 キリクが微笑しながら返し、クーが少しぶっきらぼうな調子で付け加える。その顔を見るに、クーとマレの間に未だ友好な関係は築かれていないことは明らかなようだった。

 カイトも振り返り、もう一度礼を言っておこうと口を開きかけた。マレの内心はどうあれ、一応、「善意」という形で、彼女の義務ではない仕事をしてもらったことは事実なのだから、それに対する感謝を述べるのは当然のことだ。

 しかし、そこで気づいた。

 化粧台の上に、銀色の髪飾りが乗っている。外した後、そこに置いたままになっていたらしい。繊細な造りのそれもまた、神殿側が用意してこちらに貸与されたものなので、衣装と共に返却しなければならない。

「待った、髪飾りを忘れてる」

 化粧台の最も近くにいたカイトが、それを取ってマレに渡そうと手を伸ばしかけた、その時。


「触らないで!」

 鋭い声で、制止された。


 カイトの指がピタリと動きを止めると同時に、扉前にいたマレがすっ飛んできて、素早くひったくるように髪飾りを掬い上げた。

 髪飾りを自分の胸元に持っていって保護したその瞬間、彼女がカイトに向けた目には、明確な怒りが乗っていた。

 汚らわしい半民の手から、神殿の貴重品を守ること。マレにとってそれは正義であり、義憤を抱いて当然のことなのだと──彼女のその顔は、口に出すよりも公然とそう表明している。口許にも、寄せられた眉にも、今まで隠していたのであろう嫌悪があからさまに剥き出しになっていたが、きっと本人にもどうしようもなかったのだろう。

 カイトはじっと立ち尽くしたまま、その痛罵の眼差しをただ受ける他なかった。



「──マレ」

 キリクの低くぴしりとした声で、マレははっとしたように目を見開いた。



 そちらを見れば、キリクだけではなく、クーもまた、冷ややかな視線を彼女に向けて、唇を固く結んでいる。

 自分が、その二人の前でしてはならない失態を犯したことに気づき、マレは動転したように顔から血の気を失くして、その場に棒立ちになった。

「……ああ、悪かった」

 その場を取り繕うようにカイトは笑って、手を引っ込めた。

「そうだな、俺みたいな粗忽者が触ったら、そんな脆そうな髪飾りなんてあっという間に壊しちまう。握り潰す前に止めてもらって、よかったよ」

 恥じるように頭を掻いて、「まったく困ったもんだよな」と明るく言ってみたが、室内に漂うぎこちない空気に変化はない。自分の笑い声だけが虚しく室内に反響して、カイトは本当に困ってしまった。

 マレは無言のまま青い顔で小さく唇を震わせていたが、ぱっと身を翻して、早足で扉のほうへと向かった。

「……マレ、ありがとうな」

 その背中に声をかけると、細い肩がぴくっと上がった。

「今日は助かった。悪いけど、また何かあったら頼むよ。クーに手を貸してやってくれ。俺はなるべく外に出ているようにするから」

「…………」


 一瞬、足が止まりかけたが、結局立ち止まることも、こちらを振り返ることもなく、マレは部屋を出て行った。


「──やれやれ」

 パタンと扉が閉じると同時に、キリクが深い息を吐き出した。椅子に座り、テーブルの上に肘をついて、クーのほうを向く。

「カチカチに乾いて硬くなった土ほど、掘りにくいものはない。クー、彼女は君に対してはどうだい?」

 クーはふんと鼻で息をしてから、肩を竦めた。

「まあ、あそこまでは露骨じゃないよ。でも、『紙の面』って感じ」

「紙の面?」

「鉄の仮面ほど頑丈ではなく、木の仮面よりもすぐに破れそう、ってこと。一応自分を覆って隠しているつもりらしいけど、ぺらっぺらに薄くて、その下にある素顔がすぐに透けて見える」

 皮肉っぽく唇の端を上げたクーに、キリクがくっくと笑う。

「的確だなあ。君の人物眼は毎回、すこぶる鋭くて愉快だ」

 カイトは眉を下げた。

「……そう言うなよ、クー。いろいろ葛藤はあるだろうに、それでもマレはここに手伝いに来てくれてるんだ」

「やけに女には甘いな」

 じろりとクーに睨まれた。その迫力に思わず一歩後ずさり、開いた掌を見せる。

「いや、そういうことじゃなくてさ」

 なぜ自分がこんな弁解めいたことを言わなければならないのか、今ひとつよく判らないまま、口を動かした。

「ただ、生まれた時から植えつけられた価値観ってのは、そんなに簡単にひっくり返らない、ってことだよ。こればっかりは、すぐにどうにかなるものじゃないんだ。さっきのマレの場合は、悪意があったわけじゃない。怒ったって仕方ないだろ?」


 大抵の神民にとって、棄民、半民は、到底対等の相手と認められるものではないのだ。また、そう思わなければ、棄民から搾取することで生活を成り立たせている現状を、自分に納得させられないだろう。

 そこに確固たる上下関係があると信じているからこそ、彼らは自らに与えられる諸々の特権をなんの罪の意識もなく享受している。

 棄民や半民は、自分たちが使役するために生まれてきた、蔑まれて当然の卑賎の者たちだと。

 神都に生まれた神民たちは、育つ過程においてずっと、そうした価値観、理念、人生哲学を頭と心に沁み込ませていく。同じ神民ばかりに囲まれているのだから、疑問の生じる余地もない。年を経るごとに、強固になっていくばかりだ。

 そこから湧きだす生理的な嫌悪感は、容易に自身で抑制出来るものではない。



 ──それを抑え込もうと努力した上で、理性を働かせることの出来る人間こそが、平等な立場に立って物事を見られる真の尊さを持っていると言えるのではないか、とカイトは思う。



「クー、カイトは女に甘いんじゃなくて、人間全般に対して甘いのさ」

 キリクがまったくフォローにならないことを言って、楽しそうに笑った。

「要するにお人よしってことだな。いや、わかってたけど」

 クーまでが、しょうがないな、というようにため息をついている。カイトはむっと口を曲げてそっぽを向いた。

「……二人してバカにしなくてもいいだろ。どうせ俺は単純だよ」

「自覚はあるのか」

「偉いね、カイト。自分を見つめることは成長の第一歩だ。それに僕らは、バカになんてしてない。褒めてるんだ」

「そうそう、オレとキリクにしては珍しいくらい率直に褒めてる」

「ウソつけ!」

 腕を組んでふてくされると、クーがぷっと噴き出した。改めて、空いた椅子を指し示す。

「いいから、もう座れよ」

「そこにいるなら、ついでに、熱いお茶を淹れてくれるかい。クーを温めてやらなきゃいけないし、僕も喉が渇いたよ」

「俺がか。言っておくが、あんまり上手じゃないぞ」

 どちらかといえば、カイトはあまり食べ物や飲み物の味にはこだわらないほうである。自分のためにそれらを用意する時は、かなり適当かつ大雑把だ。とてもキリクのように優雅な手つきで香りも味も極上の茶を淹れることは出来ない、という自信がある。

 それでも、なんとか危なっかしく茶葉やポットの用意を整え、湯気の立つカップを三人分盆に載せてテーブルまで運ぶと、キリクが嬉しげに目を細めた。

「うん、人に淹れてもらうお茶は格別だね。香りもまあまあだ」

 唇に近づけたカップを傾けてから、少し苦笑する。

「味はまあ……ギリギリ及第点ってところかな」

「…………」

 その時になって、カイトは気づいた。

 キリクはそうやって、自分自身の行動で示しているわけだ。「半民」の自分が淹れた茶を、こうして何のこだわりもなく飲んで見せることで。

 まるで、さっきのマレも、あの時確かに傷ついた何かも、笑い飛ばすかのように。

 ──やっぱり、キリクはすごいな、と思う。



 たとえば、それがすべて本心ではなかったとしても、ちっとも構わない。

 クリスタルパレスに住む上位神民であるキリクの中にも、動かしがたい価値観は必ず根付いているはず。それを完璧に隠しているのだとしたら、並大抵ではない努力を必要とするだろう。そこにキリク側の事情があっても、その努力は間違いなく称賛に値するものだ。

 制御であれ、忍耐であれ、カイトのために自分の何かを曲げたり変えたりしようとする意志を持ち、笑いかけてくれる誰かがいる、という事実が、なにより心を震わせる。

 自分がちゃんとここに生きて存在していることを認めてもらえているようで、安心する。

 ……カイトにとっては、それこそが重要なのだ。



「美味しいものを自分の手で差し出すのも、女の子にモテる技術のうちのひとつだよ、カイト。お望み通り、僕が今度ゆっくり教えてあげる」

「ちょっ、待て、おまえなに言ってんだよ」

 ニコニコしながらとんでもないことを言いだしたキリクに仰天して、カイトは慌てて手を振った。

「へえー、カイトはそんないかがわしい技術をキリクに習おうと……」

 クーがこちらに向ける目は妙に険悪なものを孕んでいて、なんだか寒気がするほどに怖い。

「いや誤解だって、俺は別に」

「そうだよ誤解だよ、クー。カイトは僕に、女性の口説き方を聞いてきただけさ」

「こらっ、さらに誤解を煽るような言い方するな! 俺はただ、マレをどうやって」

「やっぱりああいうのが好みなのか」

「違うって!」

「しょうがないから、カイトには教えてあげようかな」

「何をだよ。カイトはマレの何を知ろうとしてたんだ」

「なんでもない! キリク、これ以上余計なこと言うな! もうその件はいいから!」

 結局、いつの間にかカイトも椅子に座って、三人でわいわいと騒いでいた。

 ……まあ、今はまだ、このままでいいか、と胸の内で呟く。


 クーと、キリクと。

 この二人と共に過ごす時間を、今はただ、大切にしたい。



 クーが正式な「神女」になる、その日までは。



          ***



 翌朝、訓練を終えて衛士舎を出たカイトとキリクは、「クーを馬に乗せてパレス内を案内する」という予定を実行すべく、神殿に行く前に厩に向かった。

 そこで一頭ずつ馬を渡してもらったはいいが、カイトの受け取った馬は少し気難しい性格であるようで、手綱を握って引いても、なかなか素直に進もうとしない。

「これじゃ、クーに練習させるのは無理かなあ」

 初心者を乗せるのなら、馬は大人しくて従順でないと、かなり難しい。カイトが首を捻ると、キリクも「そうだね……僕のほうの馬も、あまり初心者向けではなさそうだ」と考えるように馬の顔を見た。

「自分で選べないと、こういう時、不便だね」

 厩にずらりと首を並べる馬たちは、特に誰かの所有と決まっているものではなくて、敢えて言うなら衛士全体の共有財産だ。申請すれば衛士の誰にでも貸し出されるが、こちらからこの馬をと指定することは出来ない。

 さすがにクリスタルパレス内で飼われているだけあって、栄養状態も毛艶も良く、躾もよく行き届いている。しかしだからといって、馬も生き物である以上、それぞれに個性というものがあるのはしょうがない。

 カイトに与えられた黒馬は、ブルルと鼻を鳴らし、不満そうに足踏みをして、抵抗する様子を見せていた。

「もしかして、窮屈な厩の中にいたから、ちょっと走りたいのかな」

「そうかもしれない。それに、まだあまり人馴れしていない、というのもあるかもね」

「うん、俺、今からこいつと一緒にぐるっと一周してくるよ。頭のよさそうな馬だし、こういうやつは気心が知れると、すごく乗りやすくなるもんだ」

 そう言って、あぶみに足をかけ、ひらりと鞍の上に飛び乗る。よしよし、と首を撫でると、もう一度足踏みをしたが、それはさっきほど不満そうではなかった。

「キリク、先にクーのところへ行ってくれるか」

「わかった」

 カイトは馬首を巡らせ、馬の横っ腹を軽く蹴った。




 どうやらやっぱり、馬は走りたかったらしい。

 軽く流すように進ませただけで、ずいぶんと機嫌がよくなった。カッカッとリズミカルに鳴る蹄の音が気持ちいい。

 いい馬だなというカイトの思いが伝わるのか、軽快に四肢を動かす馬は、それほど時間をかけることなく、少しの動きでこちらの意図をよく汲んでくれる賢さを発揮した。

 互いの気が合えば、ちゃんとこちらに心を許してくれる。人と馬という種の違いはあれ、それは大した壁にはならない。人間同士も、こうであればいいのだが。


 そんなことを思いながら走らせていたら、馬車の行列に出くわした。


 長々しい列は、クリスタルパレスの門へと続いている。

 ははあ、これがパレスの名物ともいえる「朝の大行列」だな、と思って、カイトは馬を止めた。

 店というものがないクリスタルパレスに居住する神民たちのために、食料や日用品などを運び込む馬車が、毎朝こうして列をなすのである。カイトは今までこの時刻に門のほうまで来ることはなかったので、これを見るのははじめてだ。

 馬車はそれぞれ、用事を済ませて帰っていくところらしかった。大きな馬車があの門を通ってここに入る時には、さぞかしぎっちりと中に高級品ばかりを詰め込んでいたのだろう。それらを一斉に下ろして、空っぽになった馬車が、続々と門を出て、神都へと戻っていく。


 これは確かに壮観だ。


 どうせだったら、クーをここに連れて来てやればよかったなあ、とカイトは残念に思った。

 数十台の馬車がガラガラと車輪の音をさせて走っていくのはかなり騒々しいが、パレス内がこんなにも活気づくのは、この時間帯くらいしかない。クーはきっと面白がるだろう。

 今から神殿に迎えに行っても、またここに来た時には、もうすべての馬車がいなくなった後だ。せめて話をしてやるかと思い、カイトは自分の前を行き過ぎていく馬車の列を、馬上からじっと眺めた。

 そして一台の馬車が通った──その瞬間。

 カイトは信じられないものを見て、目を大きく瞠った。



 馬車の御台で、二頭の馬の手綱を握って操っている、若い御者。

 ()()()()()()



「あいつ……!」

 カイトはすぐにその馬車を追いかけて走り出そうとした。しかし、距離を空けずに続く馬車が、次から次へと進路を妨害してくるため、ちっともままならなかった。歯噛みしながらなんとか進ませようとしても、目まぐるしい周囲に、馬のほうがたたらを踏む。目的の馬車は、他の馬車の陰になってもう見えなくなりつつあった。

「待て!」

 カイトの怒鳴り声は、けたたましく響く車輪の音にかき消されてしまう。目の前を通っていく馬車はまだ途切れない。ずっと先のほうに行ってしまった馬車の御台で、男がちらりとこちらを見返った──気がした。


 目を細め、唇を上げている。


「ちくしょう!」

 カイトは完全に頭に血が昇った。

 馬の腹を思いきり蹴りつけ、交錯する馬車の間を縫うようにして、強引に疾走させる。あちこちから悲鳴と怒号が聞こえたが、そんなことにも構っていられない。男の乗った馬車は速度を上げて、小さくなっていく一方だ。

 カイトはそのまま、クリスタルパレスの門から外へと飛び出した。






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