セルシティによるいつも通りなお茶会
ルドが住んでいる屋敷をクリスが訪れると執事頭が出迎えた。当主であるガスパルは所用で不在だが、クリスが訪ねてきたらルドの部屋に通して良いと指示が出ていたようで、すんなりとルドの部屋に案内された。
「何かありましたら、お呼び下さい」
執事頭が頭を下げて退室する。クリスは軽く部屋の中を見回した。
そこそこの広さがある部屋なのだが、装飾品はほとんどなく目立つのは壁にかけられた飾り剣ぐらいだ。あとは本棚と机と椅子とベッドなど必要最低限の家具が置いてある。
クリスがベッドで寝ているルドに近づいたが起きる様子はない。クリスは手を伸ばすと無造作に布団をはぎ取り、ルドの左手首を掴んだ。
「脈は通常より少し遅いぐらいだが、問題なし。魔力量も流れも問題なし」
クリスは右手でルドの手首を掴んだまま左手を向けた。
「全身状態は問題なし。ただ筋肉が緊張しているな」
ルドの左手を直角に上げて手を離す。すると、そのまま手が固定されたように止まった。
クリスはそのまま上がった手を放置してルドの閉じている瞼を手で開けた。琥珀の瞳はまっすぐ天井を見ている。
クリスはルドの額に左手を当てたまま右手を琥珀の瞳の前に出した。クリスの右手の上に光球が現れる。
「対光反射も問題なし、か。セルティの話通りだな」
クリスはため息を吐くと、まったく動かない手を下ろし、瞬きをしない瞼をそっと閉じさせた。
クリスがセルシティから聞いた話では、ルドには外傷は一切ないが、声をかけても刺激を与えても、まったく反応しない上に目を開けたら瞬きを一切しない、椅子に座らせたら、ずっとそのままの姿勢で動かない。と、まるで人形のようになっているということだった。
「こういう症例は本でも読んだことがないな。どうするか……」
体にできた傷なら治せるが、どちらかと言えばこれは心の問題だろう。
「魔宝石を飲んだ時は犬の心の中のような場所に行ったが、いま魔宝石を飲んだところで同じ場所に行けるとは限らないからな」
とりあえずクリスは椅子をベッドサイドに持ってきて座った。
「人は死ぬ間際まで耳は聞こえるというし、何か話しかけてみるか……だが、何を話せばいいんだ?」
クリスは困ったように顔をしかめた。
急遽、城に呼ばれたガスパルは執務をこなしているセルシティの前に立っていた。先ほどまでクリスの屋敷にいたとは思えない動きでセルシティは淡々と書類にサインをしていく。
セルシティが机の上にあった書類に一通り目を通して顔を上げると、無言で待機していたガスパルが直角に腰を折って頭を下げた。
「このたびは愚孫が迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
ガスパルからの思わぬ謝罪にセルシティが苦笑する。
「顔を上げてくれ。もとはこちらの身内が仕出かしたことだ。そもそも謝罪を要求するために貴殿を呼び出したわけではない」
ガスパルが顔を真っ直ぐ顔を上げる。その表情にいつもの余裕はなく現役時代の厳しさが全面に出ている。
「はい」
「ルドの様子はどうだ?」
「変わりありません」
「そうか。まあ、そこはクリスティに任せていればいいだろう」
セルシティが立ち上がりソファーに移動する。
「貴殿もかけたまえ」
「いえ」
直立不動のまま動こうとしないガスパルにセルシティが軽く肩をすくめると、ローテーブルの上にあった鈴を手に取った。手首を少し動かしただけで部屋全体に澄んだ鈴の音が響く。
「失礼いたします」
メイドが紅茶セットを持って執務室に入ってきた。セルシティの前にあるローテーブルに紅茶と茶菓子を並べると一礼をして部屋から出て行った。
「今日は少し確認したいことがあって貴殿を呼んだんだ。紅茶が冷めてしまうぞ。それとも私の茶の誘いを断るのかい?」
現帝族の誘いを断るなど、それこそ不敬になる。
ガスパルは硬い動きのままセルシティと向き合うようにソファーに腰かけた。そこでセルシティは満足そうに紅茶を一口飲んで少し残念そうに言った。
「やはりクリスティの執事やメイドたちが淹れる紅茶のほうが美味いな」
ガスパルも紅茶に口をつける。茶葉の豊満な香りに雑味のない味は十分美味しい紅茶である。
これより美味しい紅茶とは、どんな味なのだろうかとガスパルが考えているとセルシティが声をかけてきた。
「聞きたいこととは、ルドのことなのだが」
「はい」
ガスパルが紅茶のカップを置いて姿勢を正す。その様子にセルシティが困った顔になった。
「だから、そんなに力を入れないでくれ。たいしたことではないのに、言い出しづらいではないか」
「すみません」
口では謝りながらも姿勢を崩す様子がないガスパルにセルシティは諦めて話を続けた。
「ルドは〝神に棄てられた一族〟が金髪、緑目の人間しか生まれてこないことは知っているか?」
「はい」
「では、もう一つの呪いは知っているか?」
「たぶん知らないと思います」
「やはりな」
思案するように黙ったセルシティにガスパルが訊ねる。
「教えたほうがよろしいですか?」
「……いや、むしろ教えるな」
セルシティがニヤリと笑う。
「誰もルドに教えないようにしろ」
「……遊びも過ぎますと火傷いたしますぞ」
いつもの調子が戻って来たガスパルにセルシティが紫の瞳を細める。
「そうそう。貴殿はそうやって私を注意してくれたらいい。さきほどのように萎縮されると調子が狂う」
ガスパルは軽くため息を吐くと紅茶のカップを持ち上げて言った。
「〝神に棄てられた一族〟は女子しか生まれない。このことは本当に限られた者しか知りませんから。教えようにも、知っている人間がいないでしょう」
「確かにその通りだ。そもそもルドは心の奥底では気づいているようだが、認めたくないのだろうな。無理やりにでも気づいていないフリをしている。たぶん今の関係を壊したくないのだろうな」
セルシティが紅茶を飲んで穏やかに微笑む。
「せっかくだから二人の行く末を見守ろうではないか」
「で、本音は?」
「退屈しのぎにピッタリだ」
「やれやれ」
ガスパルは最後の言葉を紅茶とともに呑み込んだ。




