ルドによる強烈な記憶
それは祖父に連れられて出席した小国との調印式でのことだった。
現帝が飲もうとした酒を奪い取って飲んだ女性が倒れ、周囲は大騒ぎになった。一部の人々が逃げ出し、代わるように兵がなだれ込み、あっという間に戦闘になった。
誰かが魔法で敵兵を追い出し、敵が入って来れないように結界を張った。それからは脱出路を確保するため、最低限の兵を残して戦える大人は出て行った。それから、ちらほらと負傷した兵が連れてこられては、部屋に放り込まれた。
オレはその様子を黙って見ているしかできなかった。いくら魔力が強いと言われても、戦闘の経験もない、ただの子どもに出来ることはなかった。
せめて大人たちの邪魔にならないように静かにしていたら癇癪を起したような女の子の叫び声が響いた。
「なんですって! お母さまをそこらへんの民と同じ扱いをするなんて許せな……」
オレが振り返ると、金切り声で叫んだ白に近い金髪の女の子に対して、顔の上半分を仮面で覆っている金髪の子どもが手を上げていた。
パシーン!
容赦ない平手打ちの音が響く。
「痛いだろ? 痛みはみな同じだ。身分による差などない」
白に近い金髪の女の子が呆然と立つくしている。オレは慌てて二人の間に入った。
「君! いくら非常事態でも失礼だろ!」
オレは振り返って、叩かれた女の子の頬にハンカチを当てた。
「大丈夫かい?」
「え……えぇ……」
白に近い金髪の女の子が呆然としながらも頷く。そこに金髪の子どもが凛とした声で言った。
「その女性に定期的に水分を与えにくるが邪魔はするな、死なせたくなければな」
捨てセリフのように言葉を残して、金髪の子どもは負傷した兵のところへ歩いていく。
「あ、おい! 待て!」
オレは追いかけようとして服を引っ張られた。振り返ると白に近い金髪の女の子が震える手ですがるようにオレの服を掴んでいた。
突然のこの状況では怖いのが普通だ。
オレは安心させるように、なるべく優しい声で語りかけた。
「大丈夫。お爺様やみんながすぐに助けにくる。君はここで座って待っていて。きっと君の母上も、君が側にいたほうが安心するだろう」
「あ……」
ここで白に近い金髪の女の子は倒れている女性に視線を向けた。時々苦しそうに眉間にシワをよせている。女の子は座り込んで女性の手を握った。
オレは女の子の頭を撫でた。
「ここは絶対に守るから。君たちは安心していて」
「……うん」
オレは走って金髪の子どもを追いかけた。オレより少し年下に見える子どもは足から大量の血を流している兵の前で膝をついて座っていた。
「君、さっきの子に謝れ……え?」
金髪の子どもが手を向けた先が光り、血が止まった。痛みで顔を歪めていた兵が驚いて足を触る。
「痛みが消えた!?」
兵が勢いよく立ち上がる。
「動ける! よし、これで戦える! 待ってろ! すぐに逃げられるようにするからな!」
金髪の子どもに宣言した兵が走って出て行く。オレはその光景に絶句した。
「治療魔法? こんな子どもが使えるのか?」
金髪の子どもは平然としたまま次の兵の場所へ移動する。
「あ、おい。待て」
次の兵は腹部を押さえて倒れていた。
「手をどけろ。傷を治す」
金髪の子どものぶっきらぼうな言葉に兵が投げやりに口を歪めた。
「俺のことは捨てておけ。他のやつらを先に治せ」
「他を治していたら手遅れになる」
「それでいいんだよ。どうせ俺には帰りを待つ人もいないからな」
金髪の子どもが振り返り、後ろで見ていたオレに言った。
「こいつの手をどかすから押さえていろ」
「オレ?」
「手伝え」
有無を言わさない雰囲気にオレは渋々従った。こういうことをするつもりで付いてきたのではなかったのに。
「おい、止めろ」
兵が抵抗するが力が残っていないらしく傷を押さえていた手は簡単にどかせた。オレが言われた通り兵の手を押さえていると、金髪の子どもは傷に手を向けながら呟いた。
「今はいなくても、これから先にいるかもしれないだろ」
「は?」
金髪の子どもの手の先が光る。
「生きて帰れば出会えるかもしれないだろ。おまえの帰りを待っていてくれるようになる人に」
黙っている兵を置いて金髪の子どもが立ち上がる。
「傷は治した。あとは好きにしろ」
「……ガキのくせに」
兵はバツが悪そうに言うと走って出て行った。
こうして金髪の子どもは次から次へと負傷した兵を治していった。だが、治しても治しても負傷した兵が運ばれてくる。キリがないが金髪の子どもは黙々と治療を続けた。
オレは途中で思わず訊ねていた。
「どうして治療を続けるんだ? 君が倒れるぞ」
「おまえ、家族はいるか?」
金髪の子どもがまっすぐ見つめてくる。オレはなんとなくたじろぎながらも頷いた。
「あぁ、いる」
「その家族がなんの前触れもなく、いきなり帰ってこなくなったら、どう思う? 今朝まで一緒に食事をして、なんでもない話をして、それが当たり前だったのに、その当たり前が突然なくなったら、どうする?」
「それは……考えたこともなかった」
「それでいい」
金髪の子どもが柔らかく笑った。ずっと無表情だったのに、初めて見たその笑顔にオレは何故かドキリとした。
「次にいくぞ」
そこでオレは自分の胸に手を当てていたことに気が付いた。顔を上げると顔の上半分を覆っている仮面の隙間から目が見えた。
今まで見たことがないほど澄んでいるのに、とても深くて吸い込まれそうな深緑の瞳。
その瞳と目が合った瞬間、オレの全身に重い剣撃を剣で受けて全身が痺れた時のような衝撃が走った。
忘れようとしても、忘れられないだろう。それは本当に一瞬の出来事だったが、オレの中に深く刻まれた。
オレもそんな当たり前の日常を守っていけるようになりたいと思った。生まれた時から魔力が多くあり、騎士となることを期待され、そうなるように育てられてきた。
神の加護があるのに治療魔法は何故か使えなかった。それでも別の方法で人々を守ればいいと教わった。
だからオレは国を守るために力をつけた。いくつもの戦場を駆け抜け、窮地にいた味方の軍を助けたこともあった。感謝され、無事に家に帰れたことを喜ぶ姿も見てきた。
オレは自分がしていたことに誇りと自信を持っていた。これでいいのだと確信していた。
だが、それはあっけなく崩壊した。
それは酷い戦いだった。雨が降り、足場が悪くなり、泥で敵か味方か判別がつきにくい状態での戦闘だった。かろうじて勝利したが、戦場には多数の兵の死骸があった。
どんよりとした雲り空の下。オレは生き残りの味方がいないか探している中で、敵兵が握りしめている小さな一枚の絵を見つけた。
穏やかに微笑む女性が赤ん坊を抱いている絵だ。兵の年齢からして妻と子であろう。
そのことを理解した瞬間、オレは膝から崩れ落ちた。
敵も人間であり、故郷には帰りを待つ人がいるのだ。それをオレの剣が奪っている。オレの剣が悲しませている。
空から大粒の雨が降ってきた。頬を濡らし、全身を濡らしていく。雨で冷えていくはずの体は熱くなり、逆に心が冷えていった。自分自身に果てしなく失望した。
そこから、どうやって味方の陣営まで帰ったのか覚えていない。
その日からオレは本気で戦えなくなった。剣に迷いが出た。敵を倒せなくなり、味方を守るだけで精一杯になっていた。
そして再び治療師になることを強く望むようになった。以前、治療院研究所へ入りたいと懇願したが却下されて諦めていた想いが再び沸き上がった。
長い時間をかけて父と祖父を説得した結果、一年という期限付きだが、どうにか治療院研究所に入る許可を得た。
たぶん最近の腑抜けた戦い方に危機感を覚えて、気分転換と気合いを入れ直せという意味もあったのだろう。それからは勉強漬けの日々だった。
こうして入った治療院研究所で衝撃の出会いがあった。
久しぶりに会ったあの瞳はまったく変わっていなかった。どんなに外見が変わろうと瞳だけは同じ深緑で。
不愛想な言葉と素っ気ない態度の裏にある変わらない意志も同じで。
ずっと守っていくと決めたのに。あの瞳が濁らないように。砕けないように。
それをオレが壊した。戦場と同じ赤に染めてしまった……もう、戻れない……




