セルシティによる迷惑な見舞いと報告
クリスが目を開けると見慣れた天井があった。
「……生きている……のか?」
ゆっくりと体を起こすと腹部に鈍い痛みが走った。剣が体を貫いたことを考えれば、普通はこれぐらいの痛みでは済まない。
「誰かが治療魔法をかけてくれたのか……ん?」
クリスの首にかかっている銀色の鎖が揺れた。鎖の先にはルドの魔宝石がある。
「治療ついでに、うまく腹から出てきたのか。運が良かったな」
クリスはゆっくりとベッドから立ち上がった。足元がふらついたが歩けないほどではない。そのまま歩いて窓辺へ行き、カーテンを開けた。朝日が目に入り思わず細める。
そこで、なんとなく違和感に気付いた。
いつもなら庭師が朝の水やりをしたり、穏やかな話声が聞こえたりしてくるのに、今日は誰もいない。それどころか屋敷全体の空気が張りつめている。
「……嫌な予感がするな」
クリスが呟いたところでドアをノックする音がした。
「カリストか?」
「はい」
カリストが部屋に入ると頭を下げた。
「おはようございます」
「あぁ。私はどれぐらい寝ていた?」
「一晩です」
「そんなものか」
「はい。できればもう少しお休みして頂きたいところなのですが、セルシティ第三皇子が面会を希望しております」
クリスがあからさまに不機嫌な顔になった。
「あいつ……用があるときはこちらが行くから来るなと言ったのに」
屋敷が不穏な空気に包まれている原因を知ったクリスが眉間にシワを寄せる。
「今回はクリス様の容態を気にされての訪問ですので、仕方ないところもあると思われます」
「わかっている。だから余計に癪なんだ。とりあえずサロンに通しておけ」
「わかりました。ですが、まずは髪を梳きましょう」
「そうだな」
クリスがベッドに座る。カリストが鼈甲の櫛を取り出して、いつものように爆発しているクリスの金髪を梳いた。
クリスがサロンの入るとセルシティが優雅に紅茶を飲んでいた。テーブルには大皿があり可愛らしく飾られた一口サイズの軽食が並んでいる。
「おはよう。傷はどうだい?」
爽やかな笑顔で声をかけてきたセルシティにクリスがため息混じりで答えた。
「治療魔法のおかげで、そんなに痛みはない。ウルバヌスという治療騎士がいたな? そいつが治したのか?」
「報告では、そう聞いているよ」
「礼をしておかないといけないな」
「それは私が代わりにしておこう。もともと今回の事件はこちらの身内が発端だったからな」
クリスが一人かけのソファーにゆっくりと腰かける。
「そこについて詳しく聞きたいのだが、ベレンとジャコモはどうなった?」
セルシティが飲んでいた紅茶のカップをテーブルの上に置いた。
「ベレンは城の一室に幽閉している。今回のことは目に余るものがあったからな。中央からの迎えが来て、処分が決定するまでは監禁だ。あとジャコモは地下牢にいる。中央で裁判にかけられる予定だから、それまでは城の地下牢で拘束する」
「国家の転覆を狙ったんだから中央で裁きたいということか。それにしても、ベレンは何がしたかったんだ?」
クリスの疑問にセルシティが苦笑いをする。
「ベレンはルドが君に魔宝石を渡したという情報をどこからか仕入れて、それに腹を立てたらしい。君からルドの魔宝石を奪いに来たってところだな」
「そんなに欲しければ本人にくれと言えばよかったのに」
カルラがワゴンを押してサロンに入ってきた。そのままクリスの前にスープを置く。
クリスはセルシティを気にすることなく食事を始めた。具がトロトロになるまで煮込まれており食べやすい。
スープを食べることに集中しているクリスを気にすることなくセルシティが話を続ける。
「ベレンは何度も魔宝石が欲しいと言ったが、ルドは絶対に渡さなかったからな。それなのに君には簡単に渡した。それが気にくわなかったんだろう」
「それで私から魔宝石を奪おうとしたのか」
「あと今後一切ルドに近づかないように釘を刺すつもりだったのだろう。操られていたとはいえ、恋心とは恐ろしいものだ」
「操られていた?」
空になったスープ皿にカルラが次のスープを注ぐ。
「あぁ。ジャコモは目と声に魅了の魔力を持っていて、不安定な心につけこんで相手を操ることが出来るらしい。ベレンの場合は恋心だな。ルドへの想いを利用されて過剰に動かされていたようだ。ジャコモはベレンの評判を地に落として、ルドを手に入れるためなら何でもやるという印象を周囲に植え付けたかったようだ」
「それで少々派手な行動をしても怪しまれないようにしたわけか」
「あぁ。あとジャコモが集めた傭兵も故郷や親類を失った傷心につけこまれて操られていたようだ」
「どちらにしても、どこまで操られてしたことなのか、どこから自分の意思でしていたのか怪しいがな」
クリスが再びスープを食べ始める。
「さすが、察しがいいな。魅了といっても、魔力で相手の気を大きくさせて自信を持たせた後、ジャコモが動かしたい方向に話術で誘導するぐらいのものだからな。実は操るというほど大げさなものでもない。とはいえ、この力がなければベレンの執事にはなれなかっただろうな」
「そうだな。そもそもジャコモは何者なんだ? なぜベレンの執事をしていた?」
「ジャコモは小国出身で、その国の貿易を取りまとめる貿易商頭の息子だった。いろいろあって、その小国は我が国と同盟を結ぶことになったのだが、その祝いの席で現王に毒を飲ませようとして騒ぎになり、のちに我が国に滅ぼされたんだ。確か、君はその祝いの席に出席していたと聞いたが?」
クリスがスプーンを止めて思い出したように頷いた。
「あぁ。あの時の……現王が飲むはずの祝い酒を現王の姉が奪い取って飲んだやつだな。一命はとりとめたが失明した、と後から聞いた」
深緑の瞳を伏せたクリスにセルシティが微笑む。
「解毒ができる治療師もおらず、普通なら毒で死んでいたところを失明で済んだんだ。しかも敵兵に囲まれ、混乱で負傷者が多かったのに一人の死者も出なかった。叔母上はクリスティに感謝していたよ」
ねぎらうようなセルシティの言葉にクリスは何も言わない。セルシティは軽く肩をすくめて話を戻した。
「そんな騒ぎの時、ジャコモはたまたま貿易のために他国にいて不在だったらしい。帰ってきた時には自国は燃え、全てがなくなっていたそうだ。そこからジャコモの復讐が始まった。我が国は巨大だから滅ぼすのは難しい。だが内部から崩し、他国を誘導すれば……と考えたそうだ」
「そこでベレンの執事となることで中央に入ったのか」
「自分が滅ぶ原因となった者の娘の懐に入る。そのことで、いつでも娘の命を奪えるという立場になり、安い優越感に浸っていたのだろう」
「虚しいな。あとジャコモはオンディビエラ子爵と繋がりがあったようだが、それはどうした?」
セルシティが思い出したように笑みを浮かべた。
「あぁ。アレはもう少し泳がせておくよ。あぁいう小者は愚者を引っかける良い餌になる。今回、君たちが捕まっていた倉庫がすぐに分かったのも事前にオンディビエラ子爵の動向を探っていたから、すぐに裏付けが取れたんだ」
「人を使った釣りもほどほどにしておけよ」
クリスが空になったスープ皿を下げてカルラに声をかけた。
「まだ胃腸の調子が完全ではないから、これぐらいにしておく。昼はもう少し形がある食事でも大丈夫だ」
「わかりました。シェフに伝えておきます」
カルラがカップに食後の紅茶を淹れてワゴンごと下がった。
クリスは紅茶を飲みながら、ふと思い出したように訊ねた。
「そういえば、犬はどうした?」
「あぁ……ルドか。ルドは……」
珍しく言い淀んでいるセルシティにクリスが眉を寄せる。
「どうした? 怪我でもしたのか?」
「怪我のほうが目に見えるから良かったかもしれないな」
「どういうことだ?」
セルシティから話を聞いたクリスは、まだ動くのは早いと止める使用人たちを無視してルドがいる屋敷へと向かった。




