セルシティによる華やかな祝賀会
ルドもクリスと同様にセルシティからの招待状を受け取っていた。表向きには敵国の王子による襲撃から街を守った祝賀会ということになっている。
「表向きは召喚された悪魔を撃退した功績を称えて……か。本当の目的はなんなんだか」
ルドが眉間にシワを寄せて招待状を睨む。
「副隊長やウルバヌスも招待されているだろうし、オレがいなくても問題ないな。よし。正装がないのを理由に断るか」
ここは祖父の家のため、私物は必要最低限の物しか持ってきていなかった。実家になら正装はあるが、送ってもらったとしても明日の夕方にはどうやっても間に合わない。
「うん、そうしよう」
自室にルドの独り言が響く。そこに他の声がした。
「おや、よろしいのですか?」
声の主が誰かはすぐに分かったが、ルドは反射的に椅子から飛び退き、壁を背にしてかまえた。
「すみません、驚かせるつもりはなかったのですが」
カリストが微笑んだままルドの影の中から現れる。
「そんな登場の仕方をしたら、誰でも驚きます」
「これは失礼しました。この方法が手っ取り早かったので。クリス様からの伝言です」
「師匠からの!?」
影を通して現れるほどの急用なのか!? とルドがカリストに詰め寄る。
だがカリストは手でルドを制すると淡々と伝えた。
「明日は来るな。以上です」
「え?」
「以上です」
「いや、あの、理由は?」
カリストがルドの持っている招待状に視線を向ける。
「それがクリス様にも届きました。明日はそのため休みです」
「……師匠は出席されるのですか?」
「はい」
ルドが一瞬、目を伏せて考えたが、すぐに顔を上げた。
「わかりました。自分も出席します」
「クリス様にそのように伝えます。失礼いたしました」
カリストが一礼してルドの影の中に消える。ルドは大きく息を吐いて部屋から出ると執事頭を呼んだ。
翌日の夕方。
街の中心にある城門を次々と馬車がくぐり、着飾った人々が吸い込まれるように城内へと入っていく。
大広間は天井が高く、水晶で作られた複数のシャンデリアがぶら下がっていた。白い壁は金で装飾され、アーチ型の大きな窓が整えられた庭を絵画のように飾っている。床は大理石の上に深紅の絨毯が敷かれ、招待客の足元を包んでいた。
そんな大広間に負けじと、きらびやかな正装に宝石をまとった人々が談笑をしている。所々にあるテーブルの上には豪華な食事と酒が並んでいるが、誰も手をつけていない。
人々が集まり華やいできたところで、大広間の壁の中央にある白い螺旋階段から一人の青年が降りてきた。その姿に気付いた人々が口を閉じる。いや、正確には口を動かすことを忘れてしまっていた。
それは華やかな大広間が野に咲く草花のように霞んでしまうほどの衝撃だった。
朝露に濡れた蜘蛛の糸を束ねたかのように幻想的に艶めく白金の髪。どんな宝石よりも色濃くも透き通り輝く紫の瞳。美の神が造り上げたように整った顔。
銀糸を絡めて織られた白布で作られた詰襟の正装。裾は金糸と瞳に合わせた紫水晶で飾られ、歩くたびに肩に羽織っているマントが揺れる。
骨格はしっかりしており、服装でも男性だと判るのだが、その姿は女性よりも美しい。普通の女性なら、この青年と同じ視界に入るだけでも嫌がるだろう。
実際にその通りで青年が階段から降りると、その近くにいた女性たちは静かに後ろに下がった。
中には勇猛果敢に前に出ようとする女性もいたが、周囲にいる人がこの雰囲気を壊してはいけない、と止める。
階段を降りきった青年は、よく通る声で出席者たちに声をかけた。
「本日は敵国の謀略を阻止した英雄たちの働きに感謝して、ささやかだが祝いの場を用意した。皆、楽しんでくれたまえ」
青年の言葉に拍手が起こる。壁際に控えていた楽団の演奏が始まり、会場は賑やかになったが動く人はいない。
誰もが遠巻きに青年を見つめている中で、一人の老将軍が現れた。
「相変わらず派手ですのぉ、セルシティ第三皇子」
セルシティがゆったりと微笑む。
「これぐらい普通ですよ。ところでお一人ですか?」
「ルドは支度に時間がかかっていましてな。なんせ、正装を持ってきていなかったから慌てておりましたぞ」
「おや? では、今日の服は?」
「それは……」
そこでガスパルは背後がざわついていることに気が付いた。振り返ると全身を真っ黒に染めた女性がこちらに向かって歩いていた。
漆黒の闇のような長い黒髪に、どんな木々の葉よりも鮮やかな深緑の瞳。長い前髪は横に流して、左瞳だけが見えている。
こめかみの前を流れる黒髪に挟まれた白い顔は小さく、肌はどんな絹よりもきめ細かい。形が良い鼻に小さな唇は可憐な花びらを連想させる。
顔だけでも惹きつけられる魅力にあふれているのに、着ているドレスも独特だった。
艶やかな黒髪に負けないほど煌めく黒いドレス。よく見ると光の加減で孔雀の羽のような暗緑色へと変化する。
豊かな胸から引き締まった腰、そこから普通なら広がるはずのスカートがピッタリと体のラインに沿っている。太ももまで綺麗な形を現したあと、魚の尾ひれのように優雅に広がっている。
上半身も同じ作りで、白い肩は出ているが二の腕には黒色の布が巻き付き、その先は鳥の羽のように広がっている。
何もしていないのに黒髪の女性が歩くだけで人が避け、道が出来る。セルシティに向かってまっすぐ歩いてくる姿にガスパルも思わず道を譲った。
黒髪の女性はセルシティの前まで来ると持っていた扇子で口元を隠しながら囁いた。
「お望み通り来てやったぞ、セルティ」
その言葉使いにガスパルの目が丸くなる。小声すぎて他の人には聞こえなかったため、ガスパルの反応に周囲の人は興味津々になった。
もどかしい気持ちでいる周囲を他所にセルシティが嬉しそうに微笑む。
「睫毛まで黒くするとは凝っているな。名を呼ばれるまで誰か分からなかったよ」
黒髪の女性は口元を隠したまま流し目をセルシティに向け、誘惑するような表情でひっそりと話した。
「あの名前で正装で来いと招待状を寄越したのは、おまえだろ」
「そこまで演技をするなら、言葉使いも合わせたほうが早くないかい?」
「なんで、そこまで面倒なことをしないといけないんだ」
周囲の人たちはどんな睦言を囁き合っているのか想像しているが、内容は色気も素っ気もないものである。
突如、出現した黒髪の女性に注目が集まったが、誰も女性の正体を知らない。年齢的にはセルシティと同じ年か少し下ぐらいのように見える。
「顔は出したし、帰ってもいいだろ?」
黒髪の女性がうんざりした様子で呟く。だがセルシティは楽しそうに手を差し出した。
「どうせだから一曲踊ってくれないかい?」
セルシティがダンスに誘うような動作を見せたため、様子を見守っていた若い女性たちから黄色い悲鳴が上がる。だが、黒髪の女性はこめかみをひきつらせた。
「調子にのる……」
そこで年齢層が高い人たちを中心に再び会場がざわついた。
「おぉ、あれは……」
「一瞬、見間違えたぞ」
「見事だな」
「英雄の再来だ」
声の内容にセルシティと黒髪の女性も入り口の方に視線を向ける。すると、そこには息を切らしたルドが立っていた。
深海のように暗い紺色の布地で作られた詰襟の正装。動きやすさを重視しているため、飾りは鈍い金糸と金ボタンが必要最低限使われているだけのシンプルなデザインだ。紺生地に襟足から伸びた赤髪が映え、琥珀の瞳が鋭く光る。
ルドは先にいるセルシティを確認したあと、その隣にいる黒髪の女性を見た。
思わずルドと目があった黒髪の女性が持っていた扇子で顔を隠して背を向ける。だが、ルドは一直線に小走りでやってきた。
そのまま満面の笑顔で口を開ける。
「ししょ……」
黒髪の女性が素早く扇子を閉じてルドの口に突っ込むと同時に、セルシティが右手でルドの顔面を覆うと全体重をかけて地面に押し付けた。




