カルラによるルドへの唐突な現状認識の確認
肌触りが良いシーツに包まれて眠っていたルドは人が近づいてくる気配で目が覚めた。近づいてくるといってもドアを挟んだ廊下の先であり、なにか言い合いをしながら、こちらに向かって来ている。
「……朝か」
ルドは体を動かそうとしてすぐ隣に何かあることに気が付いた。よく見ると、いや、よく見なくとも、それは人であり、よく知っている顔だった。
「□×★△◎!?」
ルドは言葉にならない声で叫びかけて自分で口を塞いだ。金髪が少し動いたが、すぐに規則正しい寝息となった。
その様子にホッとしながらも頭をフル回転させて昨夜のことを思い出す。
昨日の夜、師匠が酔って……離れなくて、一緒にベッドに入って……そのまま寝てしまったのか!
ルドが頭を抱えていると、近づいていた人の気配がドアの前で止まった。そのまま動く様子はなく、言い合いを続けているらしい。
ルドはクリスを起こさないようにそっと起き上がると、気配を消してドアの前まで移動した。
「……ですから、私が様子を見てきます」
「カルラは不眠番でしたから、もう仕事時間は終わりでしょう? あとは任せて休んで下さい」
「こんな楽し……いえ、重要なことをカリストに任せられません」
「本音が漏れてますが? そもそもクリス様の朝の支度は私が毎朝しておりますし、さほど重要なことではないと思います」
「なにを言っているのですか!? クリス様が犬と一緒に一晩過ごしたのですよ? 何か間違いが起きても……」
ルドが慌てながらも、クリスを起こさないためにそっとドアを開けた。
「何も起きていません」
静かな声で怒りを込めながらルドが訴える。驚くカルラに対してカリストはさっと部屋に入った。
「カルラ、あとは任せます」
そう言ってカリストはルドを押し出してドアを閉めた。
「あー!」
カルラが悔しそうに叫びながらズルズルと両手を床についた。
「クリス様の寝起きを見たかったのに……絶対に恥ずかしがって、布団の中でモゾモゾして、なかなか出て来ないクリス様の姿を堪能したかったのに……」
そう言って床を叩くカルラは本気で悔しがっているようだった。ルドが呆然と眺めているとカルラが飛びついてきた。
「で! クリス様との一夜はどうでしたか!?」
期待で茶色の瞳を輝かせているカルラにルドが思わず身を引いた。
「いや、別に……ホットミルクを全て飲んでもらって寝かせただけです」
「……それだけ?」
「はい」
カルラが下を向くと頭を大きく左右に振った。
「はぁーここまで据え膳状態にしたのに、寝かしつけて終わり、なんて不能……いや無能とは……」
盛大に落胆しているカルラにルドが叫ぶ。
「据え膳って何ですか!? そもそも師匠には休養が必要なんですから! 寝かしつけて終わりで十分じゃないですか!」
「休養が必要だからこそ! そこはクリス様を甘やかしてさしあげるとか、将来の約束をするとか! なにもしないなんてヘタレですか!?」
「将来の約束ってなんですか! しかもヘタレって!?」
「魔宝石まで渡して何も言わない、しないなんてヘタレ以外の何者でもないです!」
「くっ」
カルラの気迫と言い分にルドがつまる。
「そもそも、どういうつもりで魔宝石をクリス様に渡したのですか!?」
ルドがスッと真顔になった。
「師匠をお守りするためです。師匠は治療はできますが、力は弱いです。将来、師匠の隣には素敵な女性が現れ、家庭を作られるでしょう。ですが、いつ理不尽な力が襲い掛かってくるともしれません。ですから、自分は全力で師匠を守るために魔宝石をお渡ししました」
ルドの決意を聞いてカルラは呆然とした。建前ではなく、本心からそう言っているのが分かったからだ。
急に反応がなくなったカルラの様子に心配になったルドが声をかける。
「どうかしましたか?」
「……クリス様の隣に素敵な女性?」
「はい」
ルドが当然のように頷く。
「そのままお待ち下さい!」
カルラは勢いよくクリスの部屋に入るとドアを閉めた。
「クリス様!」
ツカツカと歩いてベッドに近づくカルラの前には、額を押さえているクリスがいた。隣ではカリストがクリスの髪を鼈甲の櫛でといている。
「寝すぎて頭が痛いんだ。あまり大きな音を出すな」
「クリス様! クリス様は犬に言っていないんですか!?」
「だから、大声を出すなと言っているだろう。頭に響く。で、何を言ってないんだ?」
「クリス様の性別です。犬はクリス様のことを……」
「この国では魔法は男しか使えない。わざわざ言うことでもないだろう」
「ですが……」
食い下がろうとするカルラをカリストが止める。
「犬は女性恐怖症だそうですよ」
「え? ですが、私やラミラとは普通に話しますよ?」
「そこは女性恐怖症になった状況に原因があるようですが、この国の同年代の女性には近づけないようです」
「……なんですか、その限定的な女性恐怖症は?」
怪しむカルラにカリストがクリスの髪を一つにまとめながら諭す。
「とにかく。犬が女性恐怖症である以上、今のままのほうがよろしいと思います。下手に刺激して魔法が教えられなくなっても困るでしょう?」
「私は困らないがな」
クリスの言葉にカリストが肩をすくめる。
「頭痛に効く薬湯を持ってきます。カルラは犬をお願いします」
「……わかりました。朝食はどうしますか?」
クリスが頭を押さえたまま言った。
「いつも通りの姿を見せないと犬が落ち着かないだろうからな。食堂で食べる」
「そのように準備してきます」
カルラがクリスの部屋から出る。すると、そこには待てをしている犬のように待機していたルドがいた。
「師匠はどうでしたか?」
「……食堂で朝食を召し上がられるので、そちらに来るように、とのことでした」
「いつもの師匠でしたか?」
「それはご自身の目で確かめて下さい」
どこかトゲがある言い方にルドが一歩引く。そこにカルラがルドを睨んだ。
怒られるようなことをした記憶がないルドは思わず訊ねていた。
「あ、あの、自分が何かしましたか?」
「いえ。こちらへどうぞ」
カルラが踵を返して歩き出す。犬が耳をペタリと伏せているような顔でルドがついてくる。
その気配を感じながらカルラはため息を吐いた。
「鈍感すぎるのも問題ですね」
その呟きはルドには届かなかった。
ルドが食堂の椅子に座ったまま、そわそわと待っているとクリスが現れた。
茶色の髪を一つにまとめ、不機嫌そうな顔だが、いつもの勝気で不遜な雰囲気がある。
その様子にルドがホッとしていると、クリスが椅子に座りながら頭を押さえた。
「師匠、頭が痛いのですか!? 大丈夫ですか!?」
ルドの声にクリスが眉を寄せる。
「大きな声を出すな。寝すぎて頭が痛いだけだ。薬湯を飲んで少しずつマシになってきている」
「良かった」
ルドが安堵の顔になる。
「こんな状態だからな。今日は休む」
「そうですね。たまには師匠もゆっくりして下さい」
「お前はどうするんだ?」
訊ねられてルドが首を傾げる。
「うーん……一人で魔力を扱う練習は難しそうですし、本を読んで勉強します」
「お前もたまには休んだらどうだ?」
呆れたように言われたがルドは真剣な顔で首を横に振った。
「いえ、自分には時間が……」
「時間? あぁ、フラーテル制度は一年で終わりだが、別にその後も教えてはいけないという決まりはない。治療魔法を一年教わって治療が出来るようになれば、治療師として独り立ちをしてもいい、という目安なだけだ。一年という期限に縛られる必要はない」
「そう……ですか」
ルドの表情が一瞬曇ったが、すぐに曖昧に笑った。クリスは眉をひそめたが何もそれ以上は言及せずに顔を逸らした。
「まあ、好きに過ごせ」
「はい」
そこにラミラが朝食を運んできた。二人は静かに食事を始めた。




