クリスによる臆病な告白
ルドは頭を下げてクリスの白い手に額をつけると昨夜のことを思い返した。
昨夜のクリスは大量の血と女性の死の雰囲気にのまれ、明らかに我を見失っていた。
冷静な判断が出来なくなっていたクリスは、あのまま治療を続けていれば自分の魔力を使っていただろう。そうなると二度と魔法が使えなくなるか、使用した魔力の量によってはクリスも死んでいた可能性がある。
そうなる前にルドはクリスを強制的に眠らせた。治療師を目指しているのに、治療をする人より師匠の命を優先した。
クリスからしたらあり得ないことだろう。
後からどれだけクリスに怒られても罵られても貶されても、かまわない。最悪の場合は師弟の関係を解消されるのも覚悟の上だった。
クリスを失うことだけは避けたかったのだ。
それなのにクリスは怒るどころか、いつも通り魔法の指導をしてくれた。そして、そのことに安堵している自分がいた。
それからクリスをますます尊敬した。
どんなことがあってもクリスは自分を強く持ち、前に進んでいるのだと。
だが、それは違った。
ルドは顔を上げて穏やかに眠るクリスを見た。
「治せなかったことに傷ついているんだろうな……」
今回治療しようとした女性と初めて町で会った時、女性の母親から治療を懇願されたが、クリスは治療に積極的ではなかった。それは女性が治療を望んでいないことを見抜いていたからだ。
治療より安穏な死を。そう望む者もいる。
クリスは女性が望んでいることに気付いていたから痛みをとるだけの治療をしていた。
だが、痛みを取ったことで女性の意志が変わった。もっと生きたい。最期まで希望を持ちたい、と。
だからクリスはそれに応えようとした。自分の命を賭けて。治療を望む者には全力で応える。それがクリスだ。
それでも治せないこともある。そして今までも治せなかったことが何度もあったのだろう。そのたびに悔しさと自分の無力さに打ちひしがれ、傷つき、それでもその事を表に出すことなく生きている。
白い手に雫が落ちた。
「……なぜ、泣いているんだ?」
「師匠!」
深緑の瞳がぼんやりと開く。
「お前はいつも笑っていろ」
どこか寝ぼけた様子のクリスにルドが笑顔を作って頷く。
「はい」
「それでいい……」
そう言ってクリスは再び目を閉じたが一拍置いて起き上がった。
「なぜ私は寝ているんだ!? 治療は!?」
ベッドから下りようとするクリスの肩をルドが抑える。
「師匠! 落ち着いて下さい!」
深緑の瞳がルドを睨む。
「離せ!」
ルドがクリスの肩を掴んでいる手に力をこめる。琥珀の瞳をまっすぐ向けたまま低い声で言った。
「師匠、あの女性は治せません。すべて終わりました」
説得するのでもなく、諭すのでもなく、ルドは事実だけを言った。
クリスの全身から力が抜ける。ペタンとベッドに座り込んだ。
「そう……か。そうだったな……」
「師匠……」
ルドがそっと手を離す。抜け殻のようになったクリスにルドが声をかける。
「のど乾いていませんか? 何か飲み物を持ってきてもらいましょう」
「……そうだな」
ルドは呼び鈴を押した。気まずい雰囲気だが、ここを離れるわけにはいかない。ルドがそわそわしているとカルラがやってきた。
「お呼びですか?」
「師匠が起きられたので、何か飲み物を頂けたらと思いまして」
「わかりました」
少ししてカルラが水とカップを持って来た。カップの中にはほんのり温かい白い飲み物が入っている。
「ホットミルクです」
「……あぁ」
焦点が合わないクリスの返事にカルラの表情が曇る。
カルラはルドにそっと耳打ちをした。
「ホットミルクを全部飲ませて、眠るまで側についていてあげて下さい」
「わかりました」
カルラが頭を下げて部屋から出て行く。ルドはカップをクリスの前に差し出した。
「飲めますか?」
「……あぁ」
人形のように無表情のままクリスがカップを受けとると、ゆっくりと一口飲んでカップを下ろした。相変わらず焦点は合わないまま呆然としている。
これで本当にいつもの師匠に戻るのか……いや、カルラは表面上、と言った。きっと無理やり戻しているのだろう。
ルドは恐る恐る声をかけた。
「師匠?」
「……なんだ?」
クリスがルドの方を向く。その姿にルドは寒気が走った。
いつもの強気な雰囲気はないが、だからといって弱気な様子や悲壮感もない。虚無なのだ。何かあればどこまでも落ちていく危険な状態。
ルドはクリスの手からカップを取ると、サイドテーブルに置いた。クリスはされるがままで、何も言う様子もなければ動く様子もない。
ルドは自分の両手に力を入れて覚悟を決めると、クリスをそっと抱きしめた。
「あの、昨夜は治療を無理やり止めて、すみませんでした。自分を怒っても、怨んでもいいです。ですから、帰ってきて下さい」
「何を言っている? 私はここにいるだろ」
ルドが腕に力を入れる。
「全部、自分が受け止めます。師匠が心の中で抑えているモノも、ためているモノも。全部、一緒に持ちます。だから、戻ってきて下さい」
ルドの必死な訴えに、深緑の瞳に少しだけ光が戻る。
クリスは力を抜いてルドの胸に頭を預けた。心地よい温もりと心音。少しキツく抱きしめられているのが逆に安心する。
「……お前はどこまでも私に甘いな」
クリスは瞳を閉じてポツリと呟いた。
「お前は泣けない私の代わりに泣いていたんだな」
「あ、あの、あれは、その……」
言い訳を考えるが、まったく浮かばないルドは腕を緩めて見下ろした。クリスはルドの胸に頭を預けたまま動く様子はない。
その姿にルドは諦めて素直に言った。
「師匠、さっきのは恥ずかしいので忘れて下さい」
クリスが軽く笑って顔を上げる。
「そう言われたら余計、忘れられないな」
「ですが……」
そこでルドの言葉が止まった。クリスの髪をまとめていたタオルが緩み、ベッドに落ちる。
「あ……」
クリスがそのことに気が付いた時には金色の髪が広がっていた。
「師匠……?」
呼ばれたクリスは視線をタオルからルドへと向けた。その姿にルドが息を飲む。
月の光のように輝く髪の下で深緑の瞳が見つめてくる。触れたら消えそうな幻想的で神秘的な光景にルドは思わず呟いていた。
「……ぃだ」
声に出ていたことに驚き、零れた言葉をすくうようにルドが自分の口を塞ぐ。言葉が聞き取れなかったクリスが首を傾げた。
「なんだ?」
「あ、いや、その……そ、それよりどうして髪の色が!?」
クリスは広がった金色の髪をまとめながら、なんでもないことのように説明した。
「金の髪に緑の目だと“神に棄てられた一族”だと騒がれるからな。普段はカリストの魔法で髪を茶色に変えて隠している」
「え!? なら、本当に……」
神の加護がまったくないという時点で、神に棄てられた一族ではないかと感じていた。だが髪の色が違うため、どこかで否定する気持ちもあった。
呆然としているルドにクリスが悲しそうに微笑んだ。
「幻滅したか?」
クリスは神に棄てられた一族に関わると厄災が起こる、呪われる、滅ぶ、と非難され、人々が避ける様子を見てきた。
ここで、もしルドにも同じ態度をされたら……
そう考えただけでクリスは全身が凍るように震えた。もともと寒い地域で生まれ育ったので、寒さには慣れているし、この部屋は暖炉で十分温められている。それなのに寒さを感じて体が震えた。
理由はわからないが、これ以上ルドに何かを言われたら動けなくなる気がする。
そう思ったクリスはルドから離れようと腰を浮かした。




