ルドによる様々な失敗
風呂で汗を流して部屋で朝食を食べたルドは、ガラス張りの小屋へ移動した。小屋に入ると蒸し暑い空気に出迎えられた。
クリスを探して奥へと歩いていく。すると昨日の午前中と同じようにクリスが椅子に座っていた。視線は外を向いているが焦点は合っておらず、まさに心ここにあらず、という感じである。
「師匠?」
ルドがそっと声をかけるとクリスがゆっくりと顔を向けた。
「あぁ、来たか。昨日と同じように魔力の流れを掴む練習をするぞ。今日はこの苗だ」
クリスが芽が出たばかりの植木鉢を差し出す。
「この苗を成長させて実をつけてみろ」
ルドはクリスと向かい合うように椅子に座った。
「はい、やってみます」
ルドが芽に触れる。昨日のバラのつぼみに比べて芽は小さく魔力も少ない。これは魔力を感じるだけでも至難だが、ルドはそれよりも目の前のクリスが気になって集中できなかった。芽に触れたままチラチラと視線をクリスに向けてしまう。
一方のクリスは再び視線を外に向けたままボーとしていた。どう見てもいつものクリスではない。だが、どうすればいいのか、どう声をかけていいのか分からない。
ルドが歯がゆい思いを隠して苗を見つめる。
どうすればいい? なにか自分にできることはないのか……
そのまま時間が流れ、ティータイムの紅茶と茶菓子を持ってきたカルラは思わず悲鳴を上げていた。
「どうされました!?」
その声に二人が顔を上げる。苗は細い木となり枝を天井まで伸ばした後、蔦のように張り付き多数のブドウを垂らしていた。
「あ、あれ?」
ルドがすっかり様変わりしてしまった天井に慌てる。クリスは周囲を確認して言った。
「他の植物に影響はなさそうだから、このままでいいだろう。とりあえず休憩だな」
淡々とこの場を流したクリスはその後もこの調子だった。
クリスのことを気にして集中できないルドがどんな失敗をしても、怒ることなく平然と流した。
庭で傷の回復をしようとして雑草を伸ばしまくっても、キッチンの竈で弱火を維持しようとして、周囲にあった水瓶の水を沸騰させても、書庫で勉強しようとして全ての本棚から本を落としても。
普段なら確実に怒るであろうクリスは興味なさそうに一言二言言って終わらせた。おかげで後始末に追われることになった使用人たちからカルラに大量の苦情が集まった。
使用人たちからの苦情の嵐に頭を痛めながらカルラはクリスとルドに言った。
「今日は早いですが終わりにして下さい。お二人とも疲れが残っているようですので、早くお休み下さい」
「……そうか。では、また明日だな」
クリスがさっさと自室に戻る。その様子にカルラが大きくため息を吐いた。
「いつものことですが、今回は少し時間がかかりそうですね」
「いつものことなのですか?」
「はい。治療をした方が亡くなられた後は、いつもあのような感じなのです。ただ、普段でしたら表面上はいつものクリス様に戻っている頃なのですが……今回はご自身の魔力も使えず、治療もまともにできませんでしたから、いつも以上に引きずっているのかもしれません」
「……そうですか」
カルラが少し考えてルドを見た。
「申し訳ないのですが、本日もここに泊まっていただけませんか? もしかしたら夜、クリス様に何かあるかもしれませんから」
「何か?」
「昨日の夜のように眠らせてもらわないといけないかもしれません」
カルラの言葉にルドも同じ考えがよぎる。
「……わかりました」
本日も客人として迎えられたルドは昨日と同じように過ごした。
だが夕食ではクリスとの会話はほとんどなく、風呂場で出会うこともなく、全てが物足りないような平穏に時間が過ぎていった。
ルドが昨日と同じように寝ていると、ふと魔力の乱れを感じて目が覚めた。
自分の魔力の乱れではない。クリスの魔力の乱れである。しかも、どんどん膨れ上がっている。
このままだとクリスが魔力を使うかもしれない。
ルドは慌てて部屋を飛び出した。若い女性が寝ていた部屋へと向かう。すると叫び声のような大声が聞こえてきた。
「放せ! 治療の邪魔をするな!」
「クリス様! しっかりして下さい!」
「お気を確かに!」
寝間着姿で頭にタオルを巻いているクリスを数人のメイドが押さえようとしている。だがクリスは聞く様子なく若い女性が寝ていたベッドに手を向けた。もちろん、そこには誰もいない。
「師匠! ダメです!」
魔力を使いそうになっているクリスにルドが飛びかかる。
「すみません!」
昨日と同じように鳩尾に拳を叩きこむ。クリスが腕の中で脱力した。
「クリス様!」
慌ててやってきたカルラがルドの姿を見て少しだけ悲しそうな顔をした。
「ご迷惑をおかけしました」
そしてクリスを止めようとしていたメイドたちに声をかける。
「あとは私に任せて。みんなは休みなさい」
「はい」
他のメイドたちが下がる。カルラはルドの腕の中で眠るクリスを見た。
「入浴をされた後、そのまま眠られたので油断しておりました。すみませんが、このままクリス様を自室まで運んで頂けませんか?」
「いいですよ」
「ありがとうございます」
ルドはカルラに案内されるまま屋敷の奥へと歩いた。
「長い廊下ですね」
正面から見た時はそこまで大きくない屋敷に見えたが、奥に長い造りだったようだ。思わぬ広さにルドが感心する。
「奥には使用人専用の住居もあります。正面からは見えないように庭木を配置して植えてありますから、中に入らないと実際の広さは分からないように造られています」
「考えられて造られて屋敷なんですね」
「いろいろありますから」
そう言ってカルラが足を止めた。目の前には何気ない普通のドアがある。
「こちらがクリス様の自室になります」
ルドは自然と気を引き締めた。カルラに誘導されて部屋に入る。
ベッドに机と椅子。あとは本棚に入った大量の本、と必要最低限の物しかないシンプルな部屋だ。主の部屋としては質素過ぎるがクリスらしいとルドは感じた。
「ベッドに寝かせて下さい」
ルドがクリスをベッドに下ろす。頭には髪を拭いた時に巻いたのであろうタオルがそのままになっている。
穏やかに眠るクリスに安堵しながらルドは顔を上げた。部屋の窓から月明かりに照らされた庭に咲く花々が見え、どこかからか梟が鳴く声が響く。
どんなに暗い夜更けでも生命は活動している。それをこんなに近くで感じるのに……
「師匠でも救えない命があるのか……」
気が抜けたようなルドの呟きにカルラが答える。
「クリス様も人間です。できることと、できないことがあります。そして傷つきます」
「あ、いや、それは分かっています」
慌てるルドにカルラが微笑んだ。
「だからこそ気兼ねなく寄り添える人が、そして頼れる人が必要なんです。クリス様は強いように見せているだけですから」
カルラが申し訳なさそうに言った。
「もう少しクリス様をお願いしてもよろしいですか? クリス様はどうしても私たち使用人が相手だと遠慮しますので」
「わかりました」
「ありがとうございます。今日は私が不眠番ですので、何かありましたら呼び鈴でお呼び下さい」
カルラが一礼をして下がる。ルドはベッドの隣に椅子を持ってきて座った。暖炉では小さな火が灯り、時折パチンと音をたてる。
「加減が足りなかったかなぁ……」
戦場などで敵の大将などを無傷で捕らえる時の技として、打撃とともに全身が痺れる魔法を放つ方法がある。それをクリスに放ったのだが、体に筋肉が予想以上についていなかったらしく、打撃と魔法が強力に効いており、目覚める様子がない。
「……師匠」
ルドはクリスの白い手を両手で包むと、そのまま額をつけた。




