クリスによる穏やかな魔法指導
翌日。
ルドはいつも治療院研究所に到着する頃にクリスの屋敷を訪れていた。
「おはようございます。こちらへどうぞ」
カルラが頭を下げて出迎える。ルドも同じように頭を下げた。
「おはようございます。失礼します」
案内されるまま屋敷の中を歩く。昨日とは違い、いつもの穏やかな空気が流れ、使用人たちが和やかに仕事をしていた。
この雰囲気はどこの屋敷でも感じたことがない。大抵はピリピリとした緊張感か、無力感と悲壮感が漂っていることが多いからだ。
使用人の大半が占領地から連れて来た奴隷であることを考えれば、そのような雰囲気になるのは普通である。
だが、この屋敷はそういうものがない。主であるクリスの影響によるものが大きいのだろう。
ルドがそんなことを考えていると、屋敷を抜けて外に出た。てっきり書庫に案内されると思っていたルドが不思議に思っていると目の前にガラス張りの小屋が現れた。
「クリス様、お連れしました」
小屋の中は外より温度が少し高く、湿度も高い。そこに土しか入っていない鉢植えや、芽を出したばかりの草、この辺りでは見たことがない果物や、木から生えたキノコ類が並んでいた。
「あぁ、もうそんな時間か」
クリスが奥からカゴを抱えて歩いてくる。
「これを日陰に干して乾燥させておいてくれ」
「はい」
カルラはクリスからカゴを受け取ると軽く頭を下げて小屋から出ていった。
「おはようございます、師匠」
クリスはないはずの尻尾を振って挨拶をしているルドから視線を逸らして言った。
「今日は治療をする時に使用している魔法について説明する」
「はい! あ、でもまだ拡大魔法がうまく出来なくて……」
「拡大魔法を使わずに治療することもある。そもそも今日教える魔法が使えなければ治療は難しいからな」
クリスが小屋の奥に向かって歩き出す。ルドは気を引き締めて、後を追いかけた。
「植物の成長を促す魔法があることは知っているか?」
「はい。聞いたことはあります」
「植物も人間も細胞というもので出来ているのは本で読んだか?」
「はい」
「植物が育つのも人間が育つのも、簡単に言うと細胞が分裂して成長しているからだ。普通は分裂して成長するには時間がかかるし、それだけ栄養が必要となる。植物の成長を促す魔法は、その時間と栄養を魔力で調整しているのだ」
クリスが足を止める。前にはテーブルがあり、その上に植木鉢と茎にトゲがある植物が生えている。
クリスはテーブルの前にある椅子に座ると植木鉢を指さした。
「魔力を与えて花を咲かせてみろ。ただし魔力が多すぎると花が咲く前に枯れるからな。逆に魔力が少なかったら、なにも起きない」
ルドが植物を観察すると、小さなつぼみが何個かある。ルドは唸りながらクリスに訴えた。
「魔力を与えるのは何となく分かりますが、どれだけの量を与えたらいいのか分かりません」
「まずは触れてみろ。そして、この植物が持つ魔力を感じろ」
「植物にも魔力があるのですか!?」
「おまえが気づいていないだけで、この世界は魔力に溢れている。植物だけではない。水や火、石にも魔力は宿っている。ただ気づいていないだけだ」
「そうですか……」
ルドが植物の葉に触れる。しかし何も感じることは出来ない。ルドが植物を睨んでいるとカルラが紅茶を持って来た。
「失礼します」
茶菓子を置くと、カップに紅茶を注いでいく。花のような甘い匂いが広がる。それでもルドの表情は変わらない。真剣な顔のまま硬直している。
その様子にカルラが横目でクリスに言った。
「もう少し分かりやすいモノでなさったらどうですか?」
「分かりやすいモノ?」
「植物は相性によっては魔力の流れが分かりづらいことがあります。それより、動物などのほうが魔力の流れが大きいので分かりやすいと思います」
「それもそうだな。だが、動物と言っても……」
クリスが周囲を見回すが近くに植物以外のモノはない。
「クリス様がおられるじゃないですか」
予想外の提案に前髪の下にある深緑の瞳が丸くなり、慌てた。
「なっ!? あ、いや、それならカルラでもいいだろ」
「私は仕事がありますので。あ、御用がある時は呼び鈴でお呼び下さい」
カルラが一礼をして下がる。だが、クリスは見逃さなかった。カルラが含み笑いをしていたことを。
「……ワザとか」
クリスが不機嫌な表情のまま紅茶を飲む。そのままルドの様子を覗き見ると、先ほどの会話は耳に入っていないのか、一切動くことなく同じ姿勢で植物を触ったまま固まっていた。
頑張って魔力を読み取ろうとしているのだろうが、普段扱っている魔力が大きすぎるため、植物のような小さな魔力の流れを読み取るのは苦手らしい。読み取れそうな気配がまったくない。
クリスは紅茶を飲みながら、本を取り出して読み始めた。そのまま沈黙が流れる。
数ページ読んだところでクリスは本を閉じた。
「わかった。もう、いい」
クリスの言葉にもルドは動かない。クリスは本をルドと植物の間に差し込むように突き出した。
突然現れた本に琥珀の瞳を丸くしながらルドがクリスに視線を向ける。
「師匠?」
「もういい。とりあえず座って茶を飲め」
「茶? あ、いつの間に?」
ルドが椅子に座って少し冷めた紅茶を飲む。
「花の香りが清々しいですね。甘いのかと思ったら、酸っぱいので意外でした」
「カルラが持って来たのだが、気が付かなかったのか?」
ルドがどこか恥ずかしそうに視線を下に向ける。
「集中していましたので……」
「なら、あの会話も聞いていないのか」
クリスの呟きにルドが反応する。
「どうかしましたか?」
「いや。それより、魔力の流れは全然わかりそうにないか?」
「……はい」
頭には無いはずの犬耳がペタリと伏せ、尻尾が力なく垂れ下がっている幻覚が見える。クリスはため息を吐きながら手を出した。
「私の手を握れ」
「え!?」
ルドの顔が一瞬で真っ赤になる。その様子にクリスは慌てて説明をした。
「植物だと魔力の流れが小さいから、まずは私で魔力の流れを感じる練習をしろ。この前、透視魔法の練習をした時に感じることが出来たのだから復習だ」
「あ、そういう……わかりました!」
ルドがクリスの手を両手でがっしりと握る。大胆な行動にクリスは手を引きそうになったが、どうにか堪えた。
一方のルドはクリスの手を逃がさないとばかりに掴んでいる。そのまま琥珀の瞳を閉じて両手に集中した。
ルドの魔力が探るようにクリスの中に入ってくる。そのままクリスの魔力を探るために捕まえようとするが、ルドの魔力が大きすぎるため異物として弾かれる。
「もう少し魔力を押さえろ。相手の魔力を捕まえようとするな。そっと寄り添うようにするんだ」
クリスの指示通りルドの魔力が弱くなる。あとは寄り添うだけなのだが、どうしても流れを感じるために力技で動こうとする。
「……気長に待つしかないか」
クリスは空いている方の肘をテーブルについて、手の上に顎をのせた。そのままボーとルドを観察する。
襟足以外の髪は短く撫でたらゴワゴワしそうだが、それがまた犬の毛を連想させる。鼻筋はまっすぐ通っており、高すぎない鼻と一文字に閉じられた口のバランスが良く凛々しい顔立ちだ。これで魔法も使えて剣の腕もたつとなればモテるだろう。
「中身は犬なのにな」
クリスはルドの笑顔を思い出した。人懐っこい犬のような疑うことを知らない笑顔。
今はその笑顔が自分に向けられているが、魔法で治療が出来るようになり、独り立ちしたら……その先には自分以外の誰かが隣に立っていて、二人で笑い合っていたら……
そうなったら、この魔宝石も返さないといけないな。
クリスが服の下でぶらさがっているルドの魔宝石がついたピアスの存在を思い出す。装飾品を身につけないクリスはピアスを入れたネックレスは邪魔になると予想していたが、意外と馴染んでいた。
魔宝石を返す日がいつか来る。そう考えると何故か胸が苦しくなった。
返すことは当然のことであり、ルドにとって良いことなのに……
「師匠?」
ルドに呼ばれて、クリスが現実に思考を戻す。
「どうした?」
予想外のことに思考が逸れていたためクリスは少し慌てた。
「師匠の魔力が乱れたので、自分が何かしたかと……」
「あ、いや。少し考え事をしていただけだ。おまえは気にせずに続けろ」
「はい」
ルドが再び目を閉じて集中する。クリスは小さく息を吐いた。
こんなことを考えるなんて自分らしくない。
クリスはなにも考えないようにした。握られた手から温もりが伝わってくる。大きな両手にどこか心が落ち着く。
いつの間にかクリスは両目を閉じていた。




