孫による祖父への深刻なダメージ
ルドがそんな決意をしてるなど思いもしないクリスは話題を戻した。
「そういえば私が強盗剣士に剣を突きつけられた時、すぐに来たな。何かあったのか?」
クリスの質問にルドが思い出したように頷いた。
「あの時は師匠の魔力が溶けるような感じがしたので、師匠の身に何か起きたのかと駆けつけました」
「あぁ」
確かに魔力補給する時は自分でも溶けるような感覚になる。湖に浸かっている時に動き出していたのなら、あの早さで到着したのも納得だ。
ルドが説明を続ける。
「魔力が乱れたら魔宝石を通して分かります。あと自分の名前を呼んだら、すぐに駆けつけます」
「それも魔宝石を通してか?」
「はい!」
それでは普通の会話の中で名前を出しただけで来るということになるのでは? とクリスは思ったが、よく考えれば会話の中でルドの名が出ることはない。大抵は犬で通じる。
「なら、問題ないな」
「何が問題ないのですか?」
「いや、こちらのことだ」
「なんとなく気になるのですか?」
「気にすることでもない」
クリスがはぐらかしていると屋敷に到着した。
カリストがいつもの笑顔で出迎えてくる。
「お疲れ様でした」
「あぁ」
クリスが馬車から降りて屋敷へと歩いていく。ルドも馬車から降りるが、そのまま立ち止まってカリストを見た。
「どうかされましたか?」
カリストが綺麗な笑顔で微笑む。大抵の人はその笑顔に赤面して言葉を引っ込めるのだが、ルドは誤魔化されなかった。
影であの山中からここまで移動したのだろうが、ずるい気がする。特にあのクルマに乗らなかったにも関わらず、先に屋敷に到着しているというところが。
「今度、影を使った移動魔法について教えて下さい」
ルドの心境を察したカリストが微笑む。
「そんなにクルマでの移動がお気に召しませんでしたか?」
「できれば二度と乗りたくないです」
「慣れればクルマも快適で楽しいですよ」
「慣れるほど乗りたくないです」
「そうですか」
カリストが微笑みを崩してニヤリと笑う。そこにクリスが振り返って声をかけた。
「今日は遅くなったからな、これで終わりだ。明日からは治療に使っている魔法について説明をする」
「本当ですか!?」
ルドがカリストへの不満を忘れて満面の笑顔になる。
「あぁ。だから明日は万全の体調で来い」
「はい! 失礼します!」
ルドは笑顔で帰っていった。その後ろ姿を見送りながらカリストがクリスに言う。
「本格的に指導していくのですね」
「一応、弟子だからな。ところで今日の夕食はなんだ?」
「シェットランド領の郷土料理にしました」
「そうか。たまにはいいな」
久しぶりに食べる故郷の料理を楽しみにしながらクリスはカリストを従えて屋敷に入っていった。
ルドが自分の屋敷に帰宅すると、ちょうど祖父が出かけようとしていた。
白髪混じりの赤茶色の髪だが、鍛えられた体と姿勢は老いを感じさせない。常に威厳と厳格を併せ持ち、軍人らしい鋭さが滲み出ている。
ルドは反射的に背筋を伸ばして頭を下げた。
「ただいまかえりました!」
「変わりなさそうだな。治療魔法の勉強はどうだ? 使えるようになりそうか?」
「あ、いや、いろいろありまして……まだ基礎を勉強している途中です」
ルドが頭を下げたまま言葉を濁す。
「そうだな。最近は悪魔騒ぎの影響で治療院研究所も休んでいるし、仕方ないな。私はこれから少し出かけてくるが……そういえば、最近セルシティ第三皇子から何か言われなかったか?」
「え?」
ルドが顔を上げて首を傾げる。髪が揺れて左耳が現れたが、そこに付いているはずの魔宝石のピアスがなかった。
そのことに祖父は内心では驚きながらも顔は平然としたまま軽く咳払いをした。
「何もないならいい。ところで左耳のピアスはどうした?」
祖父の指摘にルドは左耳に手を上げかけたが、まっすぐ下ろして姿勢を正して答えた。
「渡したいと思える方が見つかりましたので渡しました!」
まっすぐ断言したルドの姿に祖父のガスパルは目の奥がにじむのを感じた。
幼少期にあった出来事で女性恐怖症となり、身内からは恋愛も見合いも結婚も諦めかけられていたルドが自らピアスを渡した! どんな相手かは不明だが、とにかく大きな一歩である!
明日の夕食は祝い膳にするように執事頭に指示をしておこう。あと、このことを王都に住む息子夫婦(ルドの両親)にも伝えなければ。
ガスパルは今後の予定を考えながら、込み上げてくる笑みを押さえるため、神妙に頷いた。
「ピアスを渡せる相手が見つかったのは良いことだ」
「はい! 跡継ぎの期待には応えられませんが、やっと見つけることが出来ました!」
ルドの言葉に脳内がお祭り騒ぎになりかけていたガスパルの思考が止まる。
「ん? どういうことだ?」
「相手は同性なので」
そうきたか!
ガスパルは木槌で軽く頭を殴られたような衝撃に耐えながら、ルドが同性でピアスを渡しそうな人間を予想した……が、まったく思いつかない。だが、ルドが嘘を言うとは考えられない。
ガスパルは仕方なく単刀直入に訊ねた。
「……誰にピアスを渡したのだ?」
「今、治療魔法を学んでいる師匠です」
予想外の人物にガスパルは思わず再確認した。
「……それは私の腰痛を治したクリスティアヌスという治療師のことか?」
「そうです!」
ルドが嬉しそうに肯定した。祖父との私的な会話であろうとも、こうしてルドが感情を出して話すことは珍しい。それだけ、あの治療師に懐いているということなのだろうが……
ガスパルは金槌で頭を殴られたような衝動に耐えながら、微かに眉間にシワを寄せた。
ルドの師匠はあの一族の者だ。そのことについては周囲が何か言うだろうが、それは無視すればいいし、ルドも気にしないだろう。
それよりルドは、あの一族の呪いを知っているのだろうか? 金髪、緑瞳以外にも必ず持って生まれる呪いがあることを。
ガスパルはルドを見たが笑顔のままだ。
この様子だと知らない可能性が高い。もし知った時、どのような反応をするか……後々のことを考えると、ここで教えておいたほうがいいのだろうか……
ガスパルが無言で悩む。だが、幸か不幸か軍で鍛えられた鉄仮面によって表情どころか顔色も変わることはなかったため、ルドは平然と話を進めた。
「そういえば今日、カイという御仁にお会いして伝言を預かってまいりました」
思わぬ名前にガスパルは悩んでいたことが全て吹っ飛んだ。それこそ馬の鞍で全身を殴られて吹っ飛ばされたかのような衝撃だった。
「なっ!? なんだと!?」
「お爺様?」
素が出てしまったガスパルは慌てて表面を繕い、いつもの様子で訊ねた。
「いや、なんでもない。どこで会ったのだ?」
「師匠の領地に向かう途中にある小屋です」
「そ、そうか。で、なんと言っていた?」
「顔を見せに来い、と言われました」
「……それだけか?」
「はい。あまり時間がありませんでしたので、それからすぐに帰りました」
「そうか」
これでルドの師匠がカイの孫であることは、ほぼ確定だろう。カイと親戚になる可能性があるという事実……
いや! まだ、そうなると決まったわけではない! だが相手がピアスを受け取ったということは、そういうことも視野に入れているはずである。
ならば、まだ撤回できる今のうちにピアスを回収するように言うか……いや、ルドは一度決めたら何があっても変えることはない。そのことは身に染みて知っている。
ガスパルは全身の血の気が引くのを感じた。どんな戦場でも、どんなに戦況が不利な状況でも、ここまで全身の血の気が引いたことはない。
目の前が真っ暗になったガスパルは回れ右をして歩き出した。そこに後ろで控えていた執事が声をかける。
「会食のお時間が迫っておりますが……」
「私は欠席すると伝えてくれ。今日はもう休む」
ガスパルが腹に手を当てたままフラフラと歩いていく。初めて見る弱々しい祖父の姿にルドは声もかけれず呆然と見送った。




