犬による新たな目標
トンネルの中でルドの叫び声が響いた。
「し、師匠! 速すぎないですかぁぁぁぁ!?」
椅子にしがみついているルドにクリスが平然と言う。
「下り坂だからな。速度は出しやすい」
「いや、ですから、速す……ぎゃぁぁぁぁぁ!!!!!」
トンネルを抜けて橋を渡る。地面が遥か下方にあり落下しているような錯覚に陥り、始めての感覚にルドの全身が逆毛立つ。
「師匠! オ、オチ!? おち!?」
「落ちない。中継地に着くまで辛抱しろ」
「む、無理で……あぁぁぁぁ!!!!!」
どこか楽しそうなクリスがクルマの速度を上げる。トンネルに入り、再びルドの声が響いた。
「し、師匠! 耳が! 耳がぁぁぁ!」
言葉に出来ないルドの言いたいことをくみ取ったクリスが説明をする。
「狭いところや高いところに行くと、音がこもったように聞こえることがある。とりあえず唾を飲みこんでみろ」
「く、口がカラカラで……」
「では我慢しろ。ほっといても治る」
「そんなぁぁぁぁ―――――――――――」
中継地に到着した頃には、ルドは椅子にしがみついたままボロボロになっていた。
その姿に左腕がない御者が慌てて声をかけてきた。
「どうしたんっすか!? 熊か鹿と戦ったんっすか?」
熊と戦ったほうがマシだった。ルドの正直な感想だが、口に出す気力さえない。
ルドは停車したクルマからヨボヨボと降りると地面に抱きついた。
「あぁ……動かないって素晴らしい……」
感動しているルドの姿で全てを察した左腕がない御者が肩をすくめた。
「クリス様、どれだけの飛ばしたんっすか?」
「少し急いだだけだ」
「初めての人には刺激が強いんっすから、ほどほどにしないとダメっすよ」
「こいつなら、すぐ慣れる。それより急ぐぞ」
「そうっすね。早くしないと陽が暮れるっすね」
地面との抱擁を味わっているルドを放置してクリスと左腕がない御者がテキパキと馬車を組み立てる。
「おいて行くぞ」
その言葉にルドが顔を上げると、四頭の馬が繋がれた馬車がそこにあった。
「よかった……」
馴染みがある乗り物にルドが安堵しながら乗り込む。傾いた陽を眺めながらルドが呟いた。
「馬車はのんびりした移動で物足りないと思っていたんだけどなぁ……」
単身で馬に乗って駆けるほうが早いので、馬車での移動はあまり使用することがなかったし、あまり好きではなかった。それが、馬車での移動でこんなに安心する日がくるとは。
思いがけない感情にルドが苦笑いを浮かべる。そこにクリスが木の筒を渡してきた。
「飲め」
「え?」
「水が入っている」
「ありがとうございます!」
絶叫続きで喉が渇いていたルドは木の筒の栓を外して一気に飲み干した。
「はぁ、生き返っ……あれ? 耳が治った?」
「何か飲めば治る。そんなに気にするものではない」
「はぁ……」
「まぁ、戦場だとその感覚の違いが戦いを左右することもあるんだろうがな」
「師匠?」
首を傾げるルドにクリスが眼下に広がる街に目を向ける。
「英雄、ガスパル・マルティ将軍。別名、赤鷹。隣国との長い戦争を終結に導いた英雄を知らぬ者はいないだろ。そんな者が祖父なら子も孫も騎士に属するのが普通だ。戦場に行くことも多いだろう」
ルドが否定も肯定もせずに黙ったままなので、クリスは話を続けた。
「別に騎士が治療魔法を学んではいけないという決まりはない。むしろ魔法騎士団には治療魔法が使える者が必要だ。ただ騎士は治療院研究所ではなく、騎士団直属の治療魔法を学ぶための専用施設があったと思うが?」
クリスの指摘にルドが視線を落としたまま話し始めた。
「……その通りです。自分は神の加護があるので治療魔法も使えるだろう、と騎士団員が治療魔法を学ぶ施設に入りました。ですが結果は……おわかりだと思います」
「使えなかった、か」
「はい。別にそれで責められることはありませんでした。ただ、それ以降は治療魔法を学ぶことは許されませんでした。そんなことを勉強する時間があるなら、攻撃魔法を一つでも多く覚えろ、実戦に出ろ、と」
ルドが俯いたまま両手を握りしめる。
「ですが、自分はどうしても治療魔法を使えるようになりたかった。騎士団の施設では無理でも、治療魔法の研究をしている治療院研究所なら治療魔法を使えるようになるのでは、と考えました。そこで反対する祖父と父を説得して治療院研究所に入ったのです」
クリスが納得したように頷く。
「それで私のところに回されたのか」
思いがけない言葉にルドが顔を上げる。
「回された?」
「悪魔が言っていただろう? 私には神の加護がない、と。あれは事実だ」
うっすらと感じてはいたが、どうしても否定の気持ちが強く認めることができないルドは叫んでいた。
「ですが、師匠は治療魔法を使っているではないですか!」
「正確には魔法で治療をしている、だ。治療魔法は使っていない。神の加護がなくても、魔法が使えれば治療はできる」
つまり神の加護は関係なく、魔力があって魔法が使えれば治療ができるということである。
そのことに気が付いたルドの顔が明るくなる。
「なら自分でも!?」
「使う魔法との相性もあるが、治療魔法よりは可能性がある。そもそも魔法で治療が出来るようにしてやる、と言っただろ?」
確かに治療魔法が使えるようにしてやる、とは言われていない。
「でも、あの、本当に?」
「あぁ。もし私が今使っている魔法をお前が使えなかったとしても、お前が使える魔法を作ってやる」
普通なら、どこかに疑念や不安が残るが、クリスの言葉はそんなルドの気持ちを全てすくい上げて包み込んだ。
クリスに学べば、ついていけば大丈夫。そんな気持ちが沸き上がる。
「ありがとうございます!」
ルドが立ち上がって直角に腰を折った。琥珀の瞳を潤ませているが、頭を下げているためクリスからは見えない。
そんなルドの状態を知らないクリスは平然と忠告をした。
「おい、立つと危な……」
馬車が石を踏んで大きく揺れる。ルドはバランスを崩しながらも素早く椅子に座った。
「だから言っただろ」
クリスの呆れたような言葉にルドが頭をかきながら俯く。
「あははは……今日は情けない姿ばっかりですね。これじゃあ、自分の名前を呼んでもらえないのも仕方ないか……」
最後は消え入りそうな声で呟いたのだが、クリスは聞き逃さなかった。
「名前を呼ぶ? なんのことだ?」
ルドが顔を反らしながら少し拗ねたように言った。
「……昼間、師匠が剣を向けられた時です」
クリスが強盗未遂剣士に剣を向けられた時のことを思い出す。確かに、あの時はカリストの名を呼んだ。
「当然だろ」
キッパリと断言したクリスの態度にルドの頭が沈む。
「やっぱり自分は頼りな……」
「自分の影から出てくるヤツと、少し離れた場所にいるヤツなら、すぐ来れるヤツを呼ぶに決まっている」
クリスの合理的な考えにルドが顔を上げた。
「あ、そういうことですか」
「他に呼ぶ基準があるのか?」
首を傾げるクリスにルドが噛み締めるように否定する。
「いや、いいです」
「気になる言い方だな」
「いえ、これは自分の問題なので、自分で解決します」
ルドがまっすぐクリスを見つめて宣言する。
「そ、そうか」
クリスはいきなり真剣な琥珀の瞳を向けられ、思わず顔を逸らした。いつもの犬のような雰囲気がなく、なぜかドキドキしてルドの顔を見ることが出来ない。
ルドがそんなクリスの心境に気付くわけはなく、両手をキツく握って力強く頷いた。
「はい」
師匠に助けが必要になった時、自分の名前が一番に出るようになる!そして、すぐに駆けつけられるようになる!
ルドの中で新たな目標が決まった。




