メイドによる辛辣な判定
予定外の買い物をさせられたルドは今度こそクリスの屋敷へ向かった。しかし、その足取りがどんどん重くなっていく。
事前連絡もせず、クリスの都合も考えずに勢いで来てしまった。迷惑だと追い返されるかもしれない。いや、そもそもクリスは治療院研究所にいて、屋敷には不在かもしれない……
何故そのことに、もっと早く気づかなかったのか!
ルドが先を歩く二人に慌てて声をかける。
「あの、待って下さ……い……」
ここまで一緒に来ておいて、目的の相手が不在かもしれないという気まずさに語尾が小さくなっていく。
だが、勘違いを続行しているウルバヌスは、そんなルドを安心させるように肩をポンと叩いた。
「オレたちのことは気にするな。相手の顔を見たら、すぐに帰るからさ」
「いえ、そうではなく……」
「お? あの家か?」
道の先にある木々の隙間から屋根が確認できる。ルドは意を決したように首を振った。
「やはり帰りましょう。急に訪ねたら迷惑になるでしょうし、もしかしたら出かけているかもしれません」
「何言っているんだよ? 始めの勢いはどうした?」
ウルバヌスが楽しそうに先を歩く。ルドは困ったようにアウルスに視線を向けたが、肩をすくめるだけで助け船はなかった。
実はアウルスも真面目で堅物だったルドをここまで変えた人物に興味があるのだ。
味方がいない状況にルドが俯く。そこに聞いたことがある声が響いた。
「お? ルドじゃないか。やっと来たか」
ルドが振り返ると野菜を入れたカゴを担いだ左腕がない御者が歩いて近づいて来た。
「お久しぶりです。やっと来た、とは、どういうことでしょうか?」
ルドの質問に左腕がない御者が豪快に笑いながら話す。
「いや。おまえのことだから、あの事件の後でもすぐ屋敷に顔を出しに来ると思っていたのに、なかなか来ないからさ。怪我でもしたんじゃないかって噂になっていたんだ。けど、その様子だと元気そうだな」
「あの事件のことで、先ほどまで謹慎中だったので来れなかったんです」
「へぇ。じゃあ、謹慎が解けてすぐクリス様に会いに来たってわけか。さすが忠犬だな。まあ、大事になってなくて良かった。クリス様なんか、おまえが姿を見せないか……ぐはぁっ」
後ろから小石が光速で飛んできて左腕がない御者の顎にヒットする。顎を押さえて悶絶する左腕がない御者に冷徹な声が刺さった。
「私が、どうした?」
ルドが反射的に後ろを向くと、クリスが右手の中で小石を遊ばせながら立っていた。
「い、いえ! なんでもないっす!」
左腕がない御者が慌てる一方で、ルドは呆然としていた。
クリスとは、たった三日しか会っていなかっただけなのに、一年ぐらい会っていなかったような感覚で、何て声をかけたらいいのか分からない。必死に言葉を探すが、どれもしっくりこない。
ルドが焦っていると、クリスの顔が動いた。ゆっくりと茶髪が揺れ、どこか不機嫌そうな顔がルドの方に向く。そして、長い前髪に隠れた深緑の瞳と目が合った。
その瞬間、ルドの中で懐かしさと嬉しさが込み上げ、気がついたら声が出ていた。
「師匠!」
満面の笑みとともにルドが駆け出す。そのままクリスの前で立ち止まり、深緑の瞳を食い入るように見つめる。
その光景にアウルスとウルバヌスは、ルドに無いはずの尻尾が見えた。しかも大きく左右に振って、指示待ちのため座ってマテをしている犬の錯覚まで見えたところで、二人は思わず目をこすった。
何度も目をこすり、錯覚を疑っている二人の前で、ルドは元気よくクリスに言った。
「お久しぶりです! 師匠!」
「……そうだな」
そのまま無言が二人を包む。だがルドは気にしていないようで、ニコニコとクリスの顔を飽きることなく見ている。先ほどまで、うだうだと考えていたことは全て綺麗に吹き飛んだようだ。
その視線に耐えられなくなったクリスが視線を外す。そこで紫のカーネーションで作られた花束を見つけた。
「どこかに行く予定だったのか?」
「はい。師匠のところに」
「私のところに? だが、その花束は?」
そこで花束の存在を思い出したルドがクリスの前に差し出す。
「師匠のイメージにピッタリだと思いまして」
「……私に?」
「はい」
ルドに押されてクリスが自然と花束を受け取る。カーネーションの色を見てクリスが目を丸くした。
「育っていたのか」
「どうしました?」
「いや、なんでもない。紫とは珍しい色を選んだな」
「師匠には落ち着いた紫が似合うと思いました」
クリスの顔が一気に真っ赤になる。ルドに背中を向けて早足で歩き出した。
「と、とにかく中に入れ。茶ぐらい出すぞ。そこの二人も」
「はい!」
ルドが嬉しそうに後をついて行こうとしたところをウルバヌスが肩を掴んで止めた。
「会いたかった相手って、あの治療師か?」
「そうです」
「相手は女じゃないのか!?」
ルドが不思議そうに答える。
「師匠は男ですけど」
「なんで男に会いに行くのに、あんなに嬉しそうにしてるんだよ!?」
「いけませんか?」
ウルバヌスが大きくため息を吐く。
「おまえに期待したオレが悪かった。邪魔したな。帰る」
踵を返したウルバヌスをアウルスが止める。
「行くぞ」
「え? ちょっ……」
アウルスがウルバヌスを引きずって歩き出す。
「どうしたんですか?」
「いいから来い」
アウルスの真剣な様子にウルバヌスも黙って後を歩く。ルドは小走りでクリスを追いかけると、その後ろについて歩いた。
その様子を見送ると、左腕がない御者は脇道に入り走って屋敷の裏口に戻った。
クリスが屋敷の扉の前に着くと、カリストが頭を下げて出迎えた。
「本調子ではないのですから、無理はなさらないで下さい」
「少し散歩しただけだ。客人を案内しろ」
「わかりました」
クリスが花束を持ったまま屋敷の奥へ消える。カリストは後から来た三人に頭を下げた。
「先日はお世話になりました」
「メイドと赤ん坊の調子はどうですか?」
ルドの質問にカリストが穏やかに微笑む。
「母子ともに健康です。本来ならこちらから礼に伺うべきでしたが、後始末に追われておりまして」
「あれだけの事件の後ですから、いろいろとあると思います。今日は借りていた本を……」
そう言って鞄から本を取り出そうとしたルドをカリストが止める。ルドの後ろにいる二人を軽く見たあと、すぐに視線を戻して言った。
「他の客人もおられますので、先にご案内致します。カルラ」
「はい。こちらへどうぞ」
カルラに案内され、三人は屋敷の中へと入っていった。
いつもなら雑談をするカルラが無言のまま先導する。その後ろでアウルスがさりげなく屋敷の中を観察していく。
「どうぞ」
ガラス張りのサロンに通されたアウルスとウルバヌスは目を丸くした。
「へぇ……凝った作りだなぁ」
ウルバヌスが素直に感想を口にする。アウルスも驚いた表情をしているが視線は鋭く、サロンの構造や庭の造りを確認している。
「おかけになってお待ち下さい」
カルラが退室すると、三人はそれぞれ椅子に腰かけた。
「なかなか座り心地がいいな」
アウルスの様子がいつもと違うことに気がついているルドが声をかけた。
「副隊長、どうかしましたか?」
「ちょっと気になることがあってな」
ルドが何かを言おうとして口を閉じる。妙な緊張が走る中、カルラが紅茶セットを持ってサロンに入ってきた。
「失礼いたします」
カルラが丁寧な動作で紅茶をカップに注ぐ。そして茶菓子がのった皿を置くと、そのまま下がろうとしたので、ルドが思わず声を出した。
「今日はこれだけですか?」
いつもなら紅茶にもう一手間加えるのだが、今日は何もない。カルラはニッコリと微笑むとそのままサロンから出て行った。
カルラの態度にルドは疑問を持ちながら紅茶のカップを持った。他の二人も同じようにカップを持つが、そこで動きが止まる。
「珍しい匂いの紅茶だな。こんな匂いは初めてだ」
アウルスの感想にルドが答える。
「ここでは、いつも珍しい紅茶が飲めるんです」
「へぇ、そうなんだ」
ウルバヌスが面白そうにカップの中を覗きこんだ。濃い茶色の液体の表面に美青年の顔が写る。
三人は合図をした訳でもないのだが、そろってカップに口を付けた。そして三人とも同時にカップから口を離した。




