悪魔による反則的な攻撃
ルドはカリストが離れたところで、アウルスに自然と近づいて小声で懇願した。
「副隊長、剣の使用許可を下さい」
基本的に声が大きいアウルスも囁くように小声で答える。
「誰に見られるか分からない市街地でか?」
「はい」
「それだけの相手だと感じるのか?」
「はい」
「……」
アウルスが思案しているとカリストが帰ってきた。
「クリス様からの伝言です。もうすぐ終わる。終わったら、すぐに出て行くから、それまでは何があっても守れ、とのことです」
アウルスが呆れたように青い瞳を丸くする。
「なんと偉そうな治療師だな。状況を分かっているのか?」
だが、ほぼ予想通りの答えだったルドは苦い顔をしただけで素直に頷いた。
「分かりました。絶対に守りますので治療が終わりましたら、すぐ逃げられるようにして下さい」
「はい」
カリストがいつも通り優雅に頭を下げる。
二人のやり取りを見ながら、アウルスは一歩下がってウルバヌスに指示を出した。
「この屋敷全体に隠匿の魔法をかけられるように準備しておけ」
「え!?いや、はい」
始めは驚いた顔をしたが、ウルバヌスはすぐに表情を戻して頷いた。アウルスが察して言葉を足す。
「この屋敷全体に隠匿の魔法をかけると魔力をほぼ使い切ることになると思うが、それだけのことが起きる可能性がある。我々は極秘で動いている以上、一般市民に知られるわけにはいかないし、被害を出すなどあってはならない。魔法を使用した後は、何が起きても私とルドに任せて自分の身を守ることに専念しろ」
「はっ!」
ウルバヌスが敬礼したところで、全身を貫くような気配がその場にいる全員に刺さった。
アウルスが思わず叫ぶ。
「かまえろ!」
その声に反応したかのように、死体であるはずのベッディーノの体が動き出した。手足の関節があらぬ方向に動きながらベッディーノの体が起き上がる。
背中の筋肉が膨れ上がり、黒い羽が皮膚を突き破って現れた。そのまま羽ばたき、ベッディーノの体が浮かぶ。頭と四肢は脱力しており、それが不気味さを強調している。
ルドが素早くクリスたちを庇うように立ち、障壁魔法を唱えた。
『この者たちに神の大いなる庇護を!』
金色の薄い膜がクリス達を覆う。そこに羽ばたきによって生じた強風が室内に吹き荒れた。
膜の中は強風の影響を受けていないようで、クリスが黙々とエマの腹を閉じている。
ルドたちが注目する中、ベッディーノの頭がぐらりと動いた。
『ろくな依り代がないな』
その声が耳に入った瞬間、耳をはぎ取り、体の中にあるもの全てを吐き出したい衝動に駆られた。魔法騎士団として鍛えられた二人でさえ、ひどい頭痛とめまいで立っているのがやっとの状態だ。
予想以上の強力な敵の出現にアウルスは反射的に命令をしていた。
「ウルバヌス!隠匿の魔法をかけろ!」
「はっ!」
ウルバヌスは強烈な頭痛とめまいに堪えながら茶色の瞳を閉じて大きく息を吸った。
『光の精霊よ、全ての光を遮れ』
窓の外の明かりが消える。
『闇の精霊よ、この屋敷を外界と隔絶せよ』
薄暗かった外が黒一色となり、微かに聞こえていた外から音がまったく聞こえなくなる。
この光景に金色の膜の中で見ていたカリストが呟いた。
「上位精霊の魔法を連続で行使できるとは。魔法騎士団の名は伊達ではないということですね」
警戒して背中を向けていたルドが少しだけ振り返る。
「気分は悪くありませんか?めまいはしませんか?」
「特に変わりはありませんが?」
不思議そうにしているカリストにルドが安堵する。
「障壁魔法が悪魔の声の力を弾いたようですね。悪魔のあんな声を直接聞いたら、常人であれば即発狂しているところです。治療が終わったら耳を手で塞いで、すぐにこの屋敷から逃げて下さい」
「つまり音は聞こえないようにして逃げたほうが良いということですね?」
「そうです」
「分かりました。クリス様」
カリストが振り返ると、エマの治療を終えたクリスが血だらけの手袋を外していた。
「一時的に耳が聞こえなくなるようにすればいいんだな?カルラ、エマの様子はどうだ?」
「まだ目覚める様子はありません」
「そうか。エマをこのままの状態で治療車まで運べるか?」
「はい、できます」
「合図をしたらエマを連れて、すぐにこの場から離れろ」
「わかりました」
「よし。顔をよこせ」
「はい」
カルラが顔をクリスに近づける。クリスはカルラの両耳の後ろに両手を当てた。
「少しの間、音が聞こえなくなるが心配するな。必ず聞こえるようになる」
クリスの説明にカルラが軽く笑う。
「大丈夫です。私たちはクリス様を信じております」
クリスは平然としたまま視線をそらすように俯いた。だが、茶色の長い髪の隙間から少しだけ出ている耳が少し赤くなっている。
「聴覚神経ブロック」
クリスが両手を離す。
「聞こえるか?」
カルラはクリスの問いに答えずに周囲を見ている。
「聞こえていないようだな」
クリスが次にカリストを見る。そこでベッディーノの顔が再びぐらりと動いた。
『これでは半分の力も出せん』
アンデッドの手足が動き出す。
『もっとマシな依り代を持ってこい』
切り離されていた手足が動きだし、元の体に付いた。そして五体満足の姿に戻ったアンデッドが部屋の出口に向けて歩き出す。
「外に出るつもりか!」
アウルスが剣を抜いてドアの前に先回りする。勢いよくアンデッドを斬りつけるが傷はすぐに塞がり動きは止まらない。
アウルスはクリスたちを見た後、ウルバヌスに命令した。
「この者たちとすぐに外に出ろ!このことをマルティ将軍に伝えるんだ!」
「はっ!」
ウルバヌスが金色の膜の前に移動する。
「カリスト、来い」
カリストが無言でクリスの前に立つ。
「エマとカルラが治療車に乗ったらすぐに屋敷に帰れ」
「ですが……」
何か言おうとしたカリストをクリスが眼力だけで黙らせる。
「治療車に乗ったらエマに点滴をしろ。一本目は早めに落とせ。無くなったら二本つないで、明日の朝までもつ速度で落とせ。ただ脱水の症状があれば、もう一本追加しろ。出血状態に注意して、出血が続くなら腹を冷やせ」
「……わかりました。朝まで、ですね」
「あぁ」
「ミルクティーを淹れて、お帰りをお待ちしております」
「チャイにしろ」
「御意」
執事が綺麗な姿勢で頭を下げる。クリスが頭を下げているカリストの両耳の後ろに両手を添えた。
「聴覚神経ブロック」
クリスが手を離すとカリストは耳の近くで指を鳴らした。だが何も聞こえない。
カリストは聞こえないことを確認するとクリスに頭を下げた。
「では、お先に失礼します」
「あぁ」
クリスがカルラに視線を向ける。目が合うと出口を指さした。それだけでカルラが頷く。エマの体が仰向けのまま宙に浮かんだ。
「ルド、これを消せ」
「はい」
金色の膜が消えると、ウルバヌスが先導するように走り出した。その後ろをカルラが宙に浮いたエマを連れて走る。
そしてカリストが続いて走り出したが、いきなり止まり横にいたルドの襟首を掴んだ。
「絶対にクリス様を死なせるな」
それだけ言うとカリストはルドの答えを待たずに走り出した。
ウルバヌスたちが走ってくるのに合わせてアウルスが剣をかまえる。
「どけぇ!」
大きく振り下ろされた剣の風圧と覇気でアンデッドが吹き飛ぶ。できた一本道を走り抜け、ウルバヌスたちは部屋から出て行った。
だが、その中にクリスの姿がない。そのことに気が付いたルドが慌てて振り返る。するとクリスが机の上にある金属の道具を無造作に鞄に入れていた。
「師匠も早く逃げて下さい!」
「これを鞄に入れたらな」
「そんな物より命が大事でしょう!?」
「これは貴重なんだ。今では簡単に作れない」
「だからって……」
「ルド!」
呼ばれてルドが振り返る。そこには外に出ようとするアンデッドをどうにか食い止めているアウルスの姿があった。
ルドと視線が合ったアウルスが怒鳴るように叫ぶ。
「剣の使用を許可する!」
待ちに待った言葉にルドは胸の前で両手を合わせた。




