6 【ユメ ノ トイカケ・1】
※ 過去話です。
著作者:なっつ
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薄い灰色の雲が月の前を横切っていく。
その度にサアッと影が差す。
うずくまったままの彼女に寄り添うように隣に座り込んで、僕は空を見上げる。
『死んじゃうのは嫌だから……っ!』
死ぬのは当然だ。制約を破ったのだから。
その覚悟ができていたと言えば2割くらいは嘘かもしれないけれど、でも、そうなる未来は予想できていた。何より不可抗力とは言え3回も彼女を抱きしめてしまった僕は、この先何もしなくたって処罰されるのはわかりきっている。
気づかれていない、なんて甘い考えはしない。
彼女の叫びを聞いた今は、特に。
でも彼女の言う「死」は、どうも僕の知っている制約とは様相が違う。
ぽつりぽつりと話すのを繋げるに、彼女に関わった人がもう何人も亡くなっているらしい。
言い寄って来る僕のように不埒な輩ならいざ知らず、庭に咲いたから、と小さな花を持ってきた部屋付きのメイドから、木や鳥の名を教えてくれた庭師に至るまで。ただ、好意を見せた人が突然姿を消し、そして誰ひとり帰って来ない。
田舎へ帰ったのだ、仕事で遠い地に出かけているのだ、と聞かされていた彼らが実はそうではなかったと知ったのは数年前。
口さがない兵士のひとりが言ったそうだ。――ケルベロスに食わせたのだ、と。
ケルベロス。
冥界の番犬と呼ばれている三つ首の獰猛な獣だ。一説によると逃げ出そうとする亡者を食らうらしい。
真偽のほどは定かではないが、この城の地下にも飼われているのだと夜会で誰かが喋っていた。
此処は魔界だからケルベロスがいること自体には何の疑問もない。彼らが「飼われる」という立場に甘んじるかどうかというところに関しては首を傾げる部分もあるが、実在するのは確かなのだから。
制約を破る者には、死、あるのみ。
どうせ殺すのなら、剣でひと突きにしようが火あぶりにしようが獣に食わせようが同じだろう。
あり得ない、とは言えない。
しかしあの制約は、近づいたから殺される、なんて短絡的なものではなかったはずだ。
僕みたいに下心で近づく分には文句も言えないが、メイドや庭師が何をした? 花を渡したり植物の名を教えて殺されるなんて聞いたこともない。
見せしめのような……そんな理不尽な理由で殺される前例があるのなら誰も彼女に近寄るまい。まるで誰も彼もを彼女から遠ざけるためにやっているかのようだ。
いや、まさか。
「あ……なたが大事だから、過剰に反応しているだけですよ」
限りなく重ねた善意のフィルター越しにやっと、そんな理由を思いつく。
あの紅竜様の元に嫁ぐことになるかもしれないのだ。正式に輿入れが決まるまではどんな小さな噂も排除したいに違いない。
現に夜会に来ていた令嬢とその親の大半は、彼女が紅竜様の不興を買っていなくなることを望んでいる。少し親しげに話をしただけでその関係を悪く言いふらす者が日常的にいたとすれば、過剰な反応をしてしまっても仕方がない。
決して彼女をずっと孤独の中に閉じ込めておくため、とか、誰でもいいから殺せればいい、とか、使用人の命を虫けら程度にも思っていない、とかではない。はず。
でも当の本人には辛いだろう。
彼女に対して好意を見せれば殺される。身分の差に関係なく誰もが。
それが彼女(もしくは家)を守るためだったとしても、そんなことが続けば誰も近付かない。種を蒔かなければ花も咲かないだろうが……彼女はいつからそんな孤独の中にいたのだろう。
「大事なわけない」
「あなたはそう思うかもしれないですけどね。あの紅竜様にも随分気に入られているんですから、妙な噂が立つのは避けたいでしょう? それはやっぱりあなたのことを思っ、」
「違う」
彼女は地面に目を落としたまま呟く。
「……兄上は、昔からずっとお前のような汚れた血が、って」
汚れた血。僕はその言葉を口の中だけで反芻する。
上級貴族様らしい。
自分たちのような古くから続く一族だけが貴く、下級や平民は同じ生き物とすら思わない驕った考えだ。きっと彼女の母は下級貴族か豪商あたりの出なのだろう。
そんな安い血を継いではいるけれど、あの紅竜様に気に入られたのだから最後くらい家のためになれ、と、そのためには使用人ふぜいと親しくしているところを見せるわけにはいかない、と……殺されたという彼らはそんな理由で排除されたに違いない。
唯一の救いは彼女に好意を持ってくれたのが他ならぬ紅竜様だったということだろうか。
彼だけは彼女に近付いても殺されることはない。縁談がまとまれば彼女も寂しい思いをしなくて済む。
でも。
できれば、それが僕だったらよかった。と……そう思わなかったわけでもない。
そして彼女の相手が紅竜様ではなく、「噂を気にする必要もないその他大勢の中のひとり」であれば、醜聞を気にして誰彼構わず排除するような悲劇もなかったに違いない。
貴族のいうのは不便なものだ。
魔界を出た曾祖父はそんな争いをも嫌ったのだろうか。
自分の子や孫が家の繁栄や存亡のために不毛な争いをするくらいなら、そのために望んでもいない不幸を背負うことになるのなら、いっそ家なんかなくなってしまってもいいと、そう思ったのかもしれない。
そして、蒔かれた種がまたひとつ。メイドや庭師に降りかかったことが、今度は僕の身に降りかかろうとしている。
思えば彼女は何度も離れようとしていた。
引き留めたのは僕だ。
制約を破れば処罰されることだってわかっていたのに、今更だとか理由を付けてぐずぐずと居続けたのも僕だ。
思慮深いといえば言葉は良いが、ただの優柔不断。そして今も、肩を抱いたり頭を撫でたりもできないまま、僕は中途半端に距離を空けて座っている。
石畳から伝わってくる冷たさが、身体の芯にまで届いてしまったのだろうか。手が冷たい。心も冷たい。
彼女を温めることもできないくらい。
何だかんだ言って処罰されるのが怖いんだろう。ただの臆病者だ、お前は。
……誰かが、僕の心の中で罵っている。
違う。僕は。
その誰かに向かって反論しようにも、その後が続かない。
処罰は怖い。でも今ここで逃げだせば免れることができるのか、と問われれば、違うとしか言えない。
どうせ処罰されるのなら、最後まで彼女の支えになろう。
そう言えば恰好いいけれど……ただ単に進退を見極められないまま、僕はここにいる。支えになんかなっていない。
全く。小物すぎて嫌になる。
「ほら。月が綺麗ですよ」
僕は気を紛らわすように明るい声を出しながら空を指差した。
真上から僕たちを見下ろしている丸い月が、銀色の光を降り注いでいる。
「月を見てるとほっとしませんか? 何て言うのかな、何もかもわかっていて見守ってくれているような、そんな優しい感じが」
彼女が顔を上げた。
ほんの少しだけ僕を見、それからぼんやりと月に視線を向ける。
空を見上げる横顔を僕は目だけで追い、同じように空を見る。
「小さい頃にね、森で道に迷ったことがあるんです。
真っ暗で。そんな中で鳥の低い鳴き声と、忍ばせながら近寄って来る足音だけがついて来て。疲れて、足も痛くて、もう歩けない逃げられない、って泣きそうになって……そうしたらふいに明るくなったんです。
見上げたら、葉の隙間から月が見えました。あんな、丸い月が」
昔話などしたところでどうなる。そんなことをしている暇があるなら逃げるなり何なり対策を講じればいいのに。
そう、心の中の誰かが悪態をついている。
「どれだけ暗いところでも、月が道を照らして行き先を指し示してくれる。だから、」
口をついて出る言葉がただの綺麗ごとだってことはわかっている。
でも、月が守ってくれた。あの時僕は、そう思った。
そして今も。
あなたがどれだけ奥深いところで悲嘆に暮れることがあっても、きっとあの月が守ってくれる。そう願う。
できることならその役目は僕が負いたいけれど、実際のところは紅竜様なんだろうけれど、でも。
僕には、泣いている女の子を守るだけのちっぽけな力すら持っていない。
自分の未来を自分で掴み取る力すらない。剣も魔法も知力も決断力も、何ひとつ秀でてはいない。
上級の、血統の良い血筋を持っていたら少しは違ったのだろうか。
いや、血だけではないだろう。紅竜様だってあの歳で当主という地位に就くには、それこそ血の滲むような努力をしたに違いない。
剣も、魔法も、話術も、ダンスも。他人を蹴落とす黒さも、姦計をめぐらす術さえも。
僕には何もない。
その努力すらしていない僕は、明日、処刑されて終わる人生がお似合いなのかもしれない。
「……まるで明日にも死ぬような言い方」
彼女はポツリと呟いた。
「ずっとここにいるのは死んでもいいって考えてるから? みんなみたいに」
「あなたのせい、ではないですよ。その前に制約で結局は罰を受けるわけだし……って言うか、まだ死ぬって決まったわけでもないし」
欺瞞にもほどがある。
僕の前には既に死に向かうレールが敷かれている。それは心の中でわかっていることだ。僕も彼女も口にしないだけで。
生きたい。
叶うならあなたと。
今までの人生は地味で退屈で面白みの欠片もなかったけれど、でも初めてやり残したことがあるように思う。
「なら、生きて下さい」
「はい?」
「生きようと思って」
「そう、は言っても」
思って叶うのなら苦労はしない。
もっと生き続けることも、あのくだらない制約がなくなることも、彼女がずっと僕の隣にいて……笑っていてくれることも。
でも、世の中には無理なことがあるんだ。
どう頑張ったって上手くいかないことも多いんだ。
身分や資産の差があるだけで同じ土俵にすら上げてもらえないこともたくさんあるんだ。
足掻くなんて恰好悪い。最後くらい恰好よく死にたいと、そう思いたくなることだって……。





