69 【月を想う~Ballata Popolare~・1】
※挿絵があります。
著作者:なっつ
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窓の外には抜けるような青空が広がっている。
歪んだ硝子越しでも、その青さは変わらない。高い城壁に遮られているので此処からその様子を見ることは叶わないが、この城の前に広がる町からも、その先にある森からも、それよりもっと先からでも同じようにこの空を見上げることができるだろう。
グラウスは書類整理の手を止めて、暫し、その青に視線を送る。
青は青藍の色。
紅は紅竜を、緑は家そのものに仕える使用人を表す。
他の家ではどうだか知らないが、この家ではそう色分けされていた。安直な分け方だとは思うが変に捻るよりもわかりやすいし……青は、好きだ。
だが、これまで3度この城を訪れて3度とも夜だったせいか、または此処で出会った人が月の象徴のような人だったからか、明るい青空がこの城を覆うことに酷く違和感を感じる。まるで平行世界に入り込んでしまったような……実際、貴族社会に君臨していた前当主も、長い間生死不明とされてきた前々当主も、その奥方も、そして兵士や使用人も半数以上が消えてしまったのだから、別の城と言ってしまっても過言ではない。
それだけではなく前当主の婚儀に出席するために訪れていた客人も、あの日を境に、両手両足の指以上の人数が消えてしまった。
が、そこは、前当主が気に入らない者は悉く処分する過去持ちだったことが幸いした。いや、幸いと言うのは不謹慎かもしれないが、そのせいで今回もそう思われたらしい。彼を恐れるあまり誰ひとり深く追求して来なかった。
こちら側にとっては歓迎する展開だが、身内がこの城で行方をくらましたのに黙り込んでいる人々を見ると、まだ闇の呪縛から逃れられないのだろうか、紅竜に未だ妄信的に従っているのだろうか、と疑わしくも思う。
この城に巣食っていた過去の闇は紅竜と共に消え去った。
だが闇はまだ残っている。
本体――この城に封印されていた闇――は、世界各地に散らせた末端から送り続けられる負の感情によって無尽蔵に力を使うことができたらしい。此処でどれだけ弱らせたところで、補給路を絶たなければあっけなく回復してしまう。消耗戦になればこちらに勝機はない。
だから闇を消し去るには、本体とそれ以外を切り離す必要があった。アイリスが精霊たちと描いた魔法陣がそれだ。
結果として本体を消すことには成功した。
しかし、切り離された末端は世界中に点在したままだ。
『闇とは元々、人の心の中にあるもの。本体のように人々の心から抽出し、集めて巨大化させたりしなければ、個々で処理できる範疇のものだから、あったところで心配はいらない』
と言うのが犀を始めとする上層部の見解だが、これ以上は手の施しようがないから、7割でも成功と見なして終止符を打った、としか思えないのは自分だけだろうか。
多くの魔界貴族が未だに紅竜を崇拝しているのも、時が経てば薄れる。
人間界や精霊界に残った闇も同じように薄れる。
今は7割かもしれないが、時間が10割にしてくれる。
だからそれまでの間――紅竜の存在が貴族社会に影響を及ぼしている間――は彼だけは生存していることにする、と取り決められたのは数ヵ月前。ルチナリスたちが去って間もなくのことだ。
大悪魔と恐れられていた前々当主もその死は長く隠されていた。この家を攻撃すれば返り討ちに遭うだけだ、と、他家を牽制するために。
その策を使った紅竜が今回、同じ役を負ったことには因果を感じずにはいられない。
あれほどまでに大きな闇に呑まれたことも、消した後のことも前例はない。
時間が経てば闇の影響も薄れるから、と楽観視できる根拠も何処にもない。
中途半端に残すことで第、第3の闇が、そして紅竜が現れないとも知れない。
しかし、闇を完全に消し去ることに拘れば、命を落とすのは青藍だ。
今でこそ生き残ったものの、彼こそが闇を消滅させるための鍵。肉親であるはずの第二夫人と前々当主でさえ彼を「消滅させるための道具」として使ったのに、血の繋がりすらない人々が彼をどう扱うか。
今回は運よく生き延びただけ。運よくルチナリスやエリック、そしてジルフェやメイシアが揃い、運よく、ダイスの目が「生き残る」と出ただけ。次回に彼らが雁首を揃えていたとしても、同じ結果にはならない。
結果だけ知り得た輩にはそれがわからない。ひとりの命で万人が助かるのなら、なんて偽善者ぶった顔で言って来やがったら問答無用で噛み殺すつもりではいるけれど。
「でもねぇ。こういう結末になるとはちょーっと予想しなかったわよぅ」
長椅子を占領し、菓子を噛み砕きながらそんなことを言っているのはメイド姿のガーゴイルだ。此処に来れば食べ物にありつけると知ったのか、10時と3時になると何時の間にやら現れる。
ノイシュタイン城にいた連中と構造は同じだと言っていたから、この時間、此処に菓子があることはこの城のガーゴイル全員に知れ渡っていることだろう。なのに1匹しか来ないのは新たな当主に遠慮があるのか、いや、集団で押しかけて出入り禁止にされないよう、裏で来る順番を決めているに違いない。
ちなみにその「新たな当主」は、今現在、席を外している。
アクの強い連中が近くにいると毒されると言うから、不在を喜ぶべきだろう。品位のない食べ方も意味不明な女装も女言葉も伝染ってほしくない。
「逆玉ね、グラウス様」
「何がです?」
「やっだぁ、もう。坊がメフィストフェレスの当主になっちゃうのよぉん? その当主の専属執事よぉん? 山羊の乳搾りで一生終わりそうな貧乏青年がよぉん? これを逆玉と言わずに、」
「私は一介の執事に過ぎませんよ」
玉の輿とはそういう意味ではない。と言いたかったが止め、耳に残る奇妙な語尾を払い落とすように遮るにとどめる。
青藍に伝染るのも困るが、その前に自分が伝染りそうだ。ノイシュタイン城で「~っす」に10年間囲まれていたのに語尾が変わらなかったルチナリスを、今だけは尊敬できるかもしれない。
日々は穏やかに過ぎていく。
一夜にして君臨していた紅竜が消え、今まで彼の影でしかなかった弟がこの城を背負うことになり。
20年以上行方不明だった元・陸戦部隊長が姿を見せ。
代わりと言わんばかりに、何かにつけて異を唱え、言及してきた長老衆が姿を消し。
家令職を拝命した元・執事長はしばしば体調不良を理由に表舞台に出てくることが少なくなった。
昔から当主の命で城外に出ていたことが多かったので、彼に関しては何も影響などない、だそうだが、不在の皺寄せが当主専属執事である自分に集まって来ることは予想していなかったのだろうか。それとも任せるに値すると思われているから任されているのだろうか。1度、膝を詰めて問い質したいが、多忙すぎて実現するのは数年先になりそうだ。
「ま、お茶でも飲んで一息いれましょ」
ガーゴイルがポットを取り上げて手招く。
首から下(袖口から先を除く)だけ見ればメイド服とティーポットの調和に不自然さなど微塵も感じないが、あえて視界から外した部分がそれを補って余りある不自然さの塊だからどうしようもない。
ついでに言えば、
「青藍様のために用意したものを私が飲むわけにはいきません」
「気にしないわよ、坊は」
「わ・た・し・が! 気にするんです!」
そのお茶も、さっきからバリバリ噛み砕いて半量以下になってしまっている菓子も、貴様のために用意したのではないと、もう少し心に刻んでほしい。
それは慣れない当主仕事で疲れ切って帰って来るであろう青藍のために用意したものなのだから。
彼は、魔王と領主を10年も兼任していた。
人の上に立つ技量はそれなりに身についていた。私のサポートなど必要ないほどに。
しかし今はそうではない。
彼の中には今まで生きてきた記憶はほとんど残ってはいない。兄と出会う前の、ほんの10歳までの記憶が僅かに残るばかりだ。
当主としての知識や戦闘の術は、犀とアンリがもう一度教え直す。
ヴァンパイアの長も後見に付く。
彼女に関してのみ、当家が乗っ取られないよう注意を払う必要があるが……そうして周囲が支えていれば当主などただの飾りでも何とかなるし、紅竜が悉く人材を消しまくったせいで代わりに擁立できる者もいない、となれば致し方ない。
この家が潰れて消えてなくなることなど青藍は望んでいないから、私はその望みが叶うよう、助けるまでのことだ。
私の望みを押し殺して。
「サポート役って。ははぁ、坊を自分好みに育てるつもりっすね」
「好みも何も、以前の青藍様に戻って頂くだけです」
とは言え、数十年後、青藍がかつての彼に戻る可能性は0に等しい。
消えた知識を補ったところで、彼の人格を形作っていた記憶が戻らなければ、同じ顔をした別人。魔王として、領主として、そして私の姫として現れたあの人にはならない。
あの人は……行ってしまった。あの兄と、共に。





