6 【マチビトキタレリ・3】
著作者:なっつ
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永遠に続きそうな暗くて重い世界に変化が見えたのは、それからまた何週間か経ったお昼近くのことだった。
吹雪いていた空に忘れかけていた雲の切れ間が見えた。
今まで昼だか夜だかわからないような生活を送っていただけに、久しぶりの陽射しに晒された外界は積雪の反射もあって暴力的に目に刺さる。
外は、1階の窓の庇部分まで雪で埋まっていた。
髪の毛が濡れて凍りついているような酷い状態で、それでも義兄はただいま、と笑った。
執事が泣きそうな、それでいてほっとした顔をしたのを憶えている。
まるで留守番を言いつかっていた大型犬が帰宅した主人に大喜びで飛び掛かっていくようにタオルを何枚も抱えて飛び出していった彼は、そのタオル越しではあるものの思わず義兄を抱きしめてしまったほどで。
義兄が腕の中から離れろ! と悲鳴を上げていたのにも気がつかないくらいで――。
「グラウス様に先越されちゃったっすねぇ」
「るぅチャンももっと積極的にならないと」
玄関扉の脇で足を止めてしまったルチナリスの背中を、ガーゴイルたちが突く。
行け、と言うのだろう。
でも。
「ん……なんか。今日はいいや」
ルチナリスは曖昧に笑うと扉にもたれかかった。
長い間雪を打ちつけられていた扉は凍りつくほどに冷たくて、触れている頬が貼り付いてしまうのではないかとすら思う。
でも今だけは貼り付いてしまってもいい。
それを理由にできるから。あのふたりの元へ行かなくても良くなるから。
あたしよりあの人のほうがずっと心配してたもの。今日くらいは譲ろう。
食べ物も飲み物も喉を通らないほど心配していたのを、何も出来ないことに苛立っているのを見せられたら、そんな執事をさし置いて自分が前に出るなんて図々しいことはできそうにない。
……と言うのは建前かもしれないけれど。
「お、本妻の余裕って奴っすね」
冷やかすガーゴイルの声も心なしか明るい。
戻って来たんだ、と改めて実感する。
戻って来た。いつもの日常が。
だから。
「違うわよ!」
ルチナリスは声を荒げた。ああ、こうやって怒鳴りつけるのも何日ぶりかしら。
でもね。あれはお兄ちゃんよ。お、に、い、ちゃん!!
「るぅチャン……そうやって余裕ぶちかましてると、マジでグラウス様に嫁の座取られるっすよ?」
そんなところは心配してくれなくていいから。
主従の感動の再会をなんでそう色眼鏡越しに見るかな、こいつらは。
いい? 今は感動の再会中なのよ?
物語で言えばクライマックスのあたりよ?
何回も言いたかないけど、あのふたりで変な妄想するのはやめて!
怒りやら呆れやらいろいろ混ざってしまって、思わず近くにいたガーゴイルに蹴りまで入れてしまった。常日頃、義兄が彼らを足蹴にしている気持ちが痛いほどよくわかる。
「それがさぁ、消えちゃったんだよね」
タオルで頭をがしがしと拭かれながら、義兄は何処かぼんやりとした声で喋っている。
無事に帰って来られたことで緊張の糸が緩んだのか、吹雪の中ではとても休むどころではないから、まともに寝てもいないだろう。そのせいかもしれない。
執事に力任せに拭かれているからか、頭がぐらぐらと揺れている。
そのせいで、波が寄せては返すような抑揚の声に聞こえる。
「攻撃も効いてるんだかいないんだか、全く反応がなくてさ」
それでも雪像のように全く動かなかったわけではなく、近づけば口から雪を吐き、尻尾を振り回す。
攻撃を当てれば怯んでみせるが、それで吹雪の威力が衰えることもない。
そんな暖簾に腕押しのような攻撃を何週間も続けた後。
「いくらなんでもそろそろ弱って来たんじゃないかな、って思ってたら、ぱっと消えちゃって。吹雪も止んだし気配も無いし、ってことでしょうがないから戻って来たんだ、け……ど」
執事様ご推薦の外套は、しっかりその役目を果たしたらしい。自らは水分を吸いきってべしゃりと潰れているのに、その下の衣服は襟や袖口ぐらいしか濡れていない。
が、濡れてはいないが冷え切ってはいる。いつも以上に青白くなっている顔や紫がかった唇からは、触らなくても冷たさが伝わって来るようだ。
「それはまた、」
「なんか、すっきりしない。よ、ねぇ」
義兄はタオルの間から執事を見上げる。
それにやっと拭く手を止めた執事は、自分を見上げる主に視線を落とし……顔色を変えた。
「青藍様、目の色が」
「な、に?」
「目の色が、いつもと違うようですが」
眠そうにもったりと瞬く義兄の目は、言われてみれば少し紅みがかっている。
いつもの蒼の中に、揺らめいては消える紅い炎が見える。
紅は魔王の瞳の色。冷やかに、何の感情も持たずに勇者を叩き伏せる時の色。
しかし今の彼は目だけは紅いものの中身はいつもの領主様仕様だし、顔も領主の顔をしている。
目の色が変わるなんて人間なら珍しいかもしれない。しかし義兄の場合は特に問題にするところでもないのではないのだろうか。これが緑だの黄色だのに変わったのなら話は別だけど。
ルチナリスは義兄が出て行ってからこっち、心配の度合いが過剰になったようにしか見えない執事に目で訴える。
どうでもいいからもう少し離れろ。
と言うより義兄の世話はあたしの役目のはずだ。ほとんどそれらしいこともしていないけれど、あたしは義兄の「お世話係」。いくら不器用だと言っても頭を拭くくらいできる。
先ほどの抱きつき事件を大目に見たのがマズかったのだろうか。このままでは本当に世話全般を奪い取られかねない。
と、義兄の体調よりもそっちを心配してしまうほど、執事は義兄のそばを離れようとはしない。
「こんなに長い時間使い続けることなんてなかったから、魔力の止め方忘れちゃった……のか、な?」
義兄は両手を持ち上げた。手のひらからぱちぱちと火花が散っている。
見るからに危なそうだ。間違っても近くに燃えやすいものなど置いちゃいけない。
魔王として炎を繰り出す時は、こんな小さな火花ではなくもっと大きな……それこそひとつひとつが花弁ほどもある炎が舞い上がるのだが、そちらは見ていても引火の心配は感じない。大きく渦巻いていく炎のひとつひとつが、全て彼の意思で発せられたものだからだ。
こんな小さな火花に危険を感じるのは、彼の意思ではない、止めることができない、ということがわかっているからなのだろう。
「お疲れなのかもしれません」
執事は完全に手を止めた。
悪い兆候なのだろうか。緊迫した空気を感じる。
「そう……かな……」
義兄は目を閉じた。
「うん。ちょっと、疲れ、た……か……」
声が途切れるのと同じくして、彼はそのまま一気に力が抜けたように崩れ落ちた。
背後にいた執事が慌てて抱きとめる。
「青藍様!?」
どれだけ呼んでも返事がない。
猛吹雪の中で長時間過ごしたのが仇になったのか、相性の悪い属性相手に無理をし過ぎたのか。
濡れた髪から滴が落ちる。小さく、だが確実に水溜りを広げていく。
執事は小さく「失礼」と呟くと、抱えたままの主の額に手を触れた。
続いて頬。首。
「……熱があるようです。早く部屋へ」
そして。
数十分の後、城主が倒れたと言う事実は、城内の誰もが知ることになった。





